Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

共栄駅 深名線 9月3日 2015年

2016-04-25 | Weblog
共栄駅は深名線の廃止に伴って廃止された駅でした。

国土交通省カラー空中写真を見てもその近隣に住居らしきものは写ってなく、乗降客は少なかったのではないでしょうか。

国道275号線沿いに設置されたJR北海道バスの停留所にやってきました。



待合所はログハウス風でブルーに塗られた屋根が綺麗です。

近年、メンテナンスを受けリフレッシュしたようです。



待合所内部。

通学の学生さんの自転車でしょうか。

綺麗に清掃され居住性はなかなか良さそうです。

真冬の荒天日には頼りになる存在でしょう。



地理院地図空中写真閲覧サービスのデータを閲覧します。

緑矢印がJR北海道バス停がある地点です。

赤矢印が共栄駅ホームと待合所があった地点です。

国道から100mほど入った地点でしょうか。

今回もその路盤跡まで歩いて確かめることはしませんでした。

今思うと…何もないとは思ってもそれを確かめに行くべきでした。

次のチャンスには、そこに「何も無い」ことを確認してきます。



こちらが深川方面となります。



こちらが名寄方面となります。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大曲仮降車場 深名線 9月3日 2015年

2016-04-22 | Weblog
大曲仮降車場は周辺地域の人口減少によって、深名線廃止を待たず廃止された降車場でありました。

それは1976年と記録されていますので、深名線廃止から逆上ること19年も前ということになります。

そもそもが「仮降車場」という臨時の設備であったため今日その残姿を確認することは出来ません。




まずは降車場があった地点…北緯44度13分51.2秒 東経142度09分33.5秒 という地点に来ました。

オデ君が停車しているあたりがその座標にわりと近い地点で彼が鼻を向けている方角が朱鞠内方面となります。

その先に右カーブが見えています。

実際、降車場ホームがあったのは国道から左へ10mほど入った地点で、朱鞠内方面に向かって線路の左側に待合所があったようです。



同じ地点から振り返って深川方面を見ます。

付近には人の生活を感じさせるものはありません。

直線部の先に緩いカーブが写っています。



交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を閲覧すると、その地名「大曲」の理由が良く理解できます。

国道も路盤も綺麗な曲率でカーブしています。

これが張り出した台地を迂回する為に付けられたカーブなのは地形図を見ると分かります。

赤矢印が「大曲仮降車場」に設置された待合所だと思います。

前出写真2枚をもう一度見ていただくと直線部とカーブの割合から、オデ君が駐車している場所がカラー空中写真に写っている「大曲仮降車場」位置であるようです。



「大曲仮降車場」座標位置から2~300mほど朱鞠内方面へ移動した位置にJRバス大曲バス停留所があります。



深川方面の停留所にも標柱があります。

なぜ深名線大曲仮降車場の位置からここにバス停を移設したのかは、この写真を見ていただくと分かるように、後方に民家が3軒ほど写っています。

その集落?の利便性のためではないでしょうか?…単に想像でしかありませんが。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

添牛内駅跡 深名線 9月3日 2015年

2016-04-20 | Weblog
添牛内駅は国道から若干奥まった場所にありますが、駅前のエリアが広く取られ見落とすこともありません。

赤い屋根のその姿は昨年と殆ど変わらないように見えます。



駅前にあった家屋…たしか昨年はまだひとの気配が残っていましたが、今は入り口も窓もパネルが打ち付けられています。



この丸いアスファルトのパッチ?は「政和駅」と同様の記念塔があったのではないでしょうか。



入り口庇はやや傾いているように見えます。

引き戸は上半分パネルで覆われています。

なぜ半分なのか理由は分かりません。



駅舎右側から鑑賞を始めます。




ホーム側の付け庇を支える柱の基部が残っています。



スイッチボックス?が落ちています。

これは昨年と同じ位置であったような気がしますが蓋は開けられてはいませんでした。



昨年はこの先も足跡があり、向こうの妻面まで歩いて行けたのですが、この度は夏草が生茂り断念して引き返します。

廃道歩き“オブローダー”の方々からすれば、「このくらい、何言ってんの?」ってレベルでしょうが、初心者は身の程を弁えて深入りはしません。

「安全第一」ですからね。



添牛内駅…良い雰囲気の駅です。

駅のクォリティーとしては「沼牛駅」にも決して負けていないと思うのですが…

残念なのは、「沼牛駅」のように背後に駅を愛する人の姿があまりはっきりと見えてこない点でしょうか。

良い駅だと思います。



駅前の花壇?跡には雑草と共に照明のポールが残されています。

モダーンなデザインの照明器具が駅前を照らしていたのですね。

今日の状態からはそれを想像することは出来ません。

2014年添牛内駅の記事はこちらから。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新富駅 深名線 9月3日 2015年

2016-04-19 | Weblog
新富駅跡の鉄道遺構は殆ど残っていません。

新富駅自体がホームだけの「棒線駅」であったので残るものもなかったのでしょう。

そこに駅があった名残は、JR北海道バスの停留所の標識柱です。

風雪のためか頭が傾いてしまっています。



国道を隔てて新富駅入り口をみます。

普通に国道を走っているとその小さな入り口に気付くことはないでしょう。



国道からホームのあった場所まではおよそ20~30mであったでしょう。

画面中央のオレンジ色に見える辺りが路盤跡の位置ではないでしょうか。

ご推察の通り、横着してそこまで確認に歩いていってはいません。



国道から右を見ると深川方面です。

こちらにも名寄行きJR北海道バスの停留所があり標識柱があります。



左を見ると名寄方面です。

見渡すと人々の生活を感じさせるような物件は何一つ視界に入りません。

このバス停の利用客って居るのでしょうか?


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政和駅 深名線 9月3日 2015年

2016-04-18 | Weblog
非常に分かり易い場所に存在する「政和駅」

初心者にとっては、とてもありがたい存在です。

昨年訪れた時と外観は殆ど変化が無いように思われます。

「飯処 政和」の看板もそのまま…入り口は閉ざされ営業はされていません。

右横の電柱からは電力線が引き込まれたままとなっています。



駅前から国道方面を見ます。

交通量はそれなりにあり、大型トラックが通過してゆきます。

駅前のスペースは広々としていて、かつては「幌加内町開基70周年」の記念塔がその中央に聳えていたのですが、残念ながら書籍の写真でしか見たことはありません。

記念塔のあったと思しき辺りはアスファルトの補修跡として残っています。

写真中央、水溜りが残っている辺りです。



駅舎を一回り鑑賞します。

食堂のLED看板と電力メータが残っています。

一時、食堂として使われていたことが幸いし、定期的なメンテナンスが行われていたのでしょう。

ガラス窓サッシ等の状態もとても良さそうです。



ホーム側は波板建材ですっかりカバーされていて、往時の改札の雰囲気を偲ぶことは出来ません。



建物妻面前面辺りは除草作業が行われた様子が確認できますが、駅舎ホーム出口辺りは夏草が伸びたままです。



ホーム跡付近から深川方面を見ます。

機械による大規模な除草作業が行われたようです。

とても手作業では無理ですね。

グレーのモダーンな建物は「政和コミュニティセンター」です。



もう一方の妻面を見ます。

トイレとして改装された部分は、おそらく腕木信号を操作するレバーフレームがあった場所ではないでしょうか。



名寄方面を見ます。

昨年は気が付きませんでしたが、白くペイントされた有蓋貨車が見えます。

まだ貨車についての知識は無いので(*本当は面倒くさかった…)近くまで行って保存状況を確認することはしませんでした。



駅舎の周りを一回りしました。



そこからもう一度、国道方向を見ます。

オデ君を停めてある後方の倉庫。

今でも現役で使われている様子です。

この倉庫も深名線と同じ時間を過ごしてきた建物ではないでしょうか?

歴史の風格を感じさせます。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第三雨龍川橋梁 深名線 2015年

2016-04-15 | Weblog
昨年も立ち寄った「第三雨龍川橋梁」です。

「2009年度土木学会選奨土木遺産」の一つとなっています。

2009年度選奨リストはこちらから



昨年訪れた時と風景は変わってはいないようですが…何となく寂しい感じがするのは天気が曇り空だからでしょうか…

昨年のレポートを見ますと、キラキラ降り注ぐ陽光と鮮やかな色の花々が写っています。

やはりこうした相違点が「寂しい…」と感じさせる小さなポイントとなっているのですね。



昨年のレポートにも書きましたが、保存会の方々のボランティア活動によって第三雨龍川橋梁の威容が保たれています。

橋梁の雪下ろしも大変な労力だと思います。

一年に一度、ぷらっと立ち寄って「寂しい…」など保存会の方々に失礼だとは思います。



橋梁の前から路盤を見ます。

今回はこの路盤跡を少しだけ?辿ってみようと思います。



アスファルト舗装はされていますが、先程の路盤の延長線上がこちらの道路かなと、オデ君とやってきました。



国土交通省カラー空中写真を見ますと…

道路と平行に路盤が走っています。



アスファルト舗装の道路にオデ君を停めて、一段高い場所に登ってみます。

こちらも路盤といえばそのようにも見えます。

しかし、路盤をわざわざこの高さに嵩上げする意味も無いように思えます。

「どちらか分からない…」というのが“今レベル”の初心者的感想です。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨煙別駅 深名線 9月3日 2015年

2016-04-13 | Weblog
雨煙別駅跡は初めて訪れます。

鉄道遺構などは何も残っていないようです。

前方に見える交差点を左に曲がると駅舎があったようです。



道路脇には農業倉庫が一棟あります。

建物妻面にはストレートに「農業倉庫」と書かれています。

国土交通省のカラー空中写真を見ますと1977年当時、倉庫は二棟あったようです。

当時から駅周辺はかなり寂しい地域であったようで、利用客は雨煙別駅で降車してどうしたのでしょうか?

利用客一日の乗降数は不明ですが、きっと凄い数字でしょうね。



駅前道路は急激にすぼまり…



やがて雑木の中へ消えてゆきます。



ここから先へ進み駅舎跡とかホーム跡を観察する勇気はありません。

用心深い人を「石橋を叩いて渡る」といい、さらに慎重な人を「石橋を叩いても渡らない」と表現します。

私の場合は…「石橋を叩きもしない」タイプなんですね。

単なる臆病者です。



かつてもう一棟あった農業倉庫跡には農業機械が置かれています。



雨煙別駅跡を背にして振り返って見ます。

本当に寂しいところでした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上幌加内駅 深名線 9月3日 2015年

2016-04-12 | Weblog
上幌加内駅も幌加内駅同様かつての深名線駅遺構を展示した一角が残されています。

昨年訪れた時と駅遺構の雰囲気は変わりませんが、本日は周りの雰囲気が異なります。



どのような内容の工事なのかは分かりませんが、大型車輛と工事関係者の方々が大勢居ます。

工事車輛の脇に置かれている資材は電柱のようです。

車輛の運転手の方が、「撮影の邪魔になるなら移動しましょうか?」…と言ってくれましたが、こちらはただの気まぐれ趣味人ですから、そのようなお言葉に甘えるわけには行きません。

工事中の景色もある時の上幌加内駅の貴重な有様です。

心遣いに丁重にお礼を申し上げました。



上幌加内駅跡はレールとホーム、駅名標のフレーム、そして停車場接近標識が展示されています。

鉄道に興味の無い方がこれを見ると、この黄色いプレートが駅表示かと誤解されるでしょうが、このプレートは駅の構内に配置されるものではありません。

列車が駅に接近する時、運転手に「もう直ぐ駅だよ」と注意喚起するためのものです。

YouTubeなどに掲載されている“Cab View”などを視聴していると何も無い原野を走る列車の前方視界にこの黄色やオレンジ色の「停車場接近標識」が現れます。
 
「おっ、もうじきえきだな…」と前方を注視します。

するとやがてホームが現れます。

展示されている「停車場接近標識」がどのような理由でホームに展示されたかその経緯はわかりませんが、せっかく貴重な深名線の遺構であります。

説明パネルの一つでも設置してあげたいですね。



工事中だから…というわけではありませんが、割とあっさりと鑑賞を終えます。

やはり二度目というのは「もう知ってるもん!」みたいな気持ちが作用するのでしょうか。

初めて訪れた時とは“熱度”が違います。

上幌加内駅のレポートは2014年の方が真剣に書いているようですので、こちらをご覧ください。 


2014年上幌加内駅の記事はこちらから。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜桜 と 飲み…やっぱり 4月2日 2015年

2016-04-08 | Weblog
本郷界隈を歩く最後のポイント…というかハイライトはここです。

観桜の醍醐味はやはり「夜桜」と「酒宴」であります。

昼間の陽の光に透ける桜花も素敵ですが、酔っ払いのオジサンに抜群の吸引力はダイソン…じゃ無くて「夜桜&アルコール」でしょうね。

いかがでしょう?

だれも居ない静かな境内。

庭園灯に浮かび上がる櫻木。

上野のお山は今頃は大変な騒ぎとなっている時分であります。

対してこの静寂はなんでしょう?

私はここの夜桜が大好きです。

ここは神社ですから、夜桜を観に訪れる人は居ません。

このように美しい夜桜を静かに堪能できるなんて、素晴らしいです。



加賀藩上屋敷が権勢を誇ったその時代、きっと夜桜を愛でる風流もあったと思いますが、光源?は“月光”であったでしょう。

対して21世紀の夜桜は水銀灯の庭園灯であります。(*LED光源に変わりつつありますが…)

幹の苔が水銀灯でいっそう鮮やかな緑に発色します。

輝くような桜花の白と朱色(本郷界隈文中では“丹”と著されていました)の回廊。

なんともいえない美しいコントラストであります。

こんな美しい至福の時を入館料もFreeで独り占めしていて良いのでしょうか?



やっぱりこれかぁ~です。

そうなんです。

本郷界隈とか文化的…とかいっても結局、このためなんですよ!

ビールさえ美味しければ何でも良い…と。

このひと時の為に歩き回っている…

本日はじつに良く歩き回ったので、ビールが抜群に美味しいです。

最初の大ジョッキーは思わず一杯飲んでしまいました!

行儀悪いですね。

二杯目はちょっと遠慮して“中ジョッキー”で我慢しました。





さて…本日の歩数ですが Total 24311歩 でありました。

本郷界隈を歩いた全ての歩数ではありませんが、それにしても良く歩きました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湯島聖堂 4月2日 2015年

2016-04-08 | Weblog
本郷三丁目から17号線を歩き神田明神を通り抜け「湯島聖堂」までやってきました。

神田明神は相変わらずの大混雑でした。

湯島聖堂は殆ど毎年櫻の季節には訪れていますが、「大成殿」の中に入るのは初めてです。

なぜかと言いますと…拝観料¥200が掛かるからです。

大成殿屋根に乗せられている「鯱」の正体が知りたくなりました。

¥200を支払い大成殿内の展示を拝見します。



お目当ての展示です。

これが「鬼頭(きぎんとう)」といい関東大震災の際に焼け落ちた現品のようです。

上写真屋根に載せられている鬼頭には鹿の角のようなものが見られますが、次写真説明プレートのあるように「潮」を噴出している様を表現しているのでした。

現在の「大成殿」は羅災、1935年に鉄筋コンクリート造りで再建したものです。



展示の隅にはこのようなプレートがあり、鬼頭について解説しています。

内部はかなり暗くて、手持ち撮影のためにかなりブレてしまいました。



「鬼龍子(きりゅうし)」といいます。



こちらは屋根に乗せられている鬼龍子とはなんだか違うような…?

やけにポッチャリとしていて、「招き猫」みたいに見えます。

屋根の上の鬼龍子の方が相当にワイルドに見えます。



やはりこのような説明のプレートが添付されています。

この2体を鑑賞するための拝観料¥200でありました。

パンフレット付きであります。



見事な造形の「練塀」



櫻花などがすごく似合いそうでが、近くにはそれを引き立てるような立派な櫻木はまだ育っていません。





こちらが拝観のさいにいただけるパンフレットであります。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本郷界隈 かねやす 4月2日 2016年

2016-04-07 | Weblog
本郷三丁目交差点にやってきました。

「本郷もかねやすまでは江戸の内」という川柳の舞台となった「かねやす」を見に来ました。

先の「懐徳門」から僅かな距離です。

地元民とか言いながら、ここ本郷三丁目交差点に来るのは初めてです。

非常に交通量も多く、人の流れもなかなか途切れることがありません。

なんとか間隙をぬって?シャッター前に人影が無い瞬間を撮りました。

土曜日の午後というのにシャッターは閉ざされています。

もう営業はされていないのでしょうか?

あの銀座和光でも土曜日は営業していますからね。




店舗左側の壁面には、川柳の銅板が嵌め込まれています。

文京区のホームページには以下のように説明されています。

享保年間(1716~1736)に、現在の本郷三丁目の交差点角に、兼康祐悦という歯科医が乳香散という歯磨き粉を売り出した。
これが当たり店が繁盛していたという。
享保15年(1730)に大火があり、湯島や本郷一帯が燃えたため、再興に力を注いだ町奉行の大岡越前守は、ここを境に南側を耐火のために土蔵造りや塗屋にすることを命じた。
一方で北側は従来どおりの板や茅ぶきの造りの町家が並んだため、「本郷もかねやすまでは江戸の内」といわれた。
】…ということです。



川柳プレートの下には文京区教育委員会による説明がプレートに彫られています。

もとは歯医者さんの商売として始まった「かねやす」でしたが、今日のこのお店は「かねやす小間物店」という屋号でそれからはおよそ「歯科医院」を連想させるものはありません。



店舗前の歩道はかなり広い歩道となっていて、そこから中山道を見ます。

交差点に立てられた道路名標識…かなり込み入った表示です。

良く見ますと…「春日通り」に国道と都道の二つの表示が見られます。

国道254号線は起点を東京都文京区本郷三丁目交差点とし、終点を長野県松本市平瀬口交差点 とする一般国道です。

そしてもう一方の道路は…東京都道453号本郷亀戸線といい起点を東京都文京区とし終点を東京都江東区とする特例都道であります。

この交差点、三つの道路が交差する場所でもありました。

このような場所なら「道路元標」などもかつてはあったのでは?と、想像しますが今はその形跡は残っていません。



交差点から巣鴨方面を見ます。

視線の先が「見返り坂」となります。



交差点にある交番の壁面にはビックリするくらい立派な案内プレートが掲げられています。

ホント、こんな裏側の壁面に展示してあるのがもったいないくらいのプレート…写真では分かり辛いですが、かなり巨大です!。

赤矢印で示したのが「見返り坂」、青矢印で示したのが「見送り坂」です。



向側の交差点には「大学最中」で有名な菓子店「三原堂」があります。

和菓子がちょっと苦手なオジサンはこの最中、食べたことありません。



交差点交番の直ぐ横の「本郷薬師」参道を歩きます。

その先に小さな神社があり、薄ピンク色の花を咲かせている桜木がひっそりと佇んでいました。

あれ?神社に桜木とは珍しいな~などと思い境内に入りました。



なんというタイムリーな名称の神社でしょう!

「櫻木神社」といいます。

社の扁額にも、そして提灯にも「櫻木神社」の文字がみられます。

司馬遼太郎著「本郷界隈」には【天神の境内には梅をうえるのが、京都以来の型である】と書かれているように、本郷の湯島天神もそれに倣い「湯島天神 梅祭り」を毎年2月~3月に開催しています。

普通、梅の木を植えるようです。



石灯籠には、「梅」の花弁が彫られています。

「櫻木神社」とはいえ、さすがに「桜花」を彫るわけにはいかないのでしょうね。

なんだか楽しいです。



櫻木神社の先の角を曲がると、「十一面観音」があります。

こじんまりとした敷地に奉られています。



端正なお顔立ちの観音様

頭頂部には様々な表情のお顔がみられます。

「享保五庚子(1720)九月日」と蓮華座に紀年銘が刻まれているそうです。

この地には真光寺という天台宗の寺があり、十一面観音はそこに奉られていたそうです。

寺は太平洋戦争の戦火で焼失し世田谷区給田に移ったそうですが観音像はこの地に残りました。

こうして見ますと、非常に精密に鋳造された像であるのが分かります。



十一面観世音菩薩像と真光寺 についての 文京区教育委員会による説明パネルです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本郷界隈 4月2日 2016年 -03

2016-04-06 | Weblog
医学部図書館開設記念の庭園には「江戸上屋敷址」と彫られ九谷焼の皿が嵌め込まれた石碑があります。

その隣には黒御影石に「大聖寺藩由来記」と彫られた板碑が並びます。

東大の敷地はかつて加賀藩上屋敷跡地なのは有名です。

その加賀藩上屋敷はその昔「江戸城 龍の口」今日の「丸の内一丁目」のあたりにあったそうです。

振袖火事と呼ばれる「明暦の大火」で加賀藩の上屋敷も焼尽してしまいます。

大火の後の都市計画防火対策として道幅を広げるなどの大規模な整備が行われることとなり、加賀藩上屋敷は本郷から不忍池に亘る広大な土地を代替地として幕府から与えられました。

この広大な敷地には「加賀藩 前田家」とその支藩 「富山藩 前田氏」「大聖寺藩 前田氏」が同居?していました。

分家である「大聖寺藩 前田氏」の一つの功績が「九谷焼」と呼ばれる色絵の磁器を地域の産業としたことといわれています。

九谷焼はその源流を「有田焼」とし藩士を技術研修のために有田へ赴かせています。

ここ大聖寺藩上屋敷跡地からは大量の磁器片が出土し蛍光エックス線分析などの化学分析が行われたそうです。

その結果、大部分の古九谷は備前産ではないのか?…とか「古九谷」を巡ってはいまだ諸説があるようですが、化学分析が全ての謎を完全に解明出来る訳でもなさそうで、真実は歴史の襞に埋もれているのかも知れません。

江戸幕府から明治政府へと時代が変わり、旧加賀藩邸跡地は文部省が買い上げたそうです。

その後、東京大学医学部が移設されるまでの一時期、その用地は「お雇い外国人居住区」として使われていて17棟の洋館があったそうです。

「1番館」から「17番館」と名称されていたのだということですが、今日もコーヒー屋さんやレストランの屋号としてのこる「2番館」とか「10番館」とかはきっとこの洋館のナンバリングから派生したものなのではないでしょうか。

東大といえばそれを代表するのが「赤門」であります。

先の学食でも「赤門ラーメン」という商品があるくらいです。

もちろん、旧加賀藩邸の遺構ですがそれに付いても司馬遼太郎著「本郷界隈」に説明されています。

それによりますと…第十代将軍家斉の娘 溶姫(やすひめ)との縁組が加賀前田家との間に決まり、前田家では「御守殿(御主殿ともいう)」を普請した。将軍家から降嫁した奥方の場合、奥には住まず、御守殿とよばれる一郭に住むのである。門も建造される。慣例として丹(に)に塗られた。現在、東京大学に遺っている赤門である。 …と、説明されています。

そう言えば今回は敷地の内側を歩いていたので「赤門」の写真はありません。

赤門ラーメンの画像ならありますけれど…



「大聖寺藩由来記」のクローズアップです。



交差点の一角には雛壇のような花壇があります。

綺麗に手入れがされています。



階段を上ると銅像があります。

外国の軍人さんの銅像かな?…などと思い説明を読みます。



なるほど…説明パネルの通りでありますが、銅像のミュルレル氏は医師であったのですね。ただし軍医であったので銅像のような軍装を纏っていたわけです。

そう言えば東大医学部を卒業し陸軍軍医総監にまで登りつめた森 林太郎こと森鴎外の一つの姿も「軍人」でありました。

東大の敷地内には実に多くの歴史に名を残す偉人の銅像が展示されています。

私のような末端の人間には全く縁の無い人々でありますが、その説明パネルを読むとそれぞれ「凄まじい経歴」で「世の中にはこのような凄い人が居たんだなぁ」と驚かされます。



東大敷地の“塀”の向こうに綺麗な桜の花が見えたので行ってみました。

美しい枝振りの桜木ですが、注目したのはその横の煉瓦塀であります。

今はまったくその機能を失っているようでありますが、見事な体躯?の塀であります。

もしかしたら先の「お雇い外国人」の洋館の一部なのかも知れません。



歩道には樹木をガードするためのプレートでしょうか、このようなものが設置されています。

そして、桜の花弁がデザインされています。

上ばかりではなく足元にもこうしたお花見アイテムがありました。



東大の敷地と歩道を隔てる壁は…まるで金沢の「長町武家屋敷跡」を思わせるような風情であります。

加賀藩の上屋敷ですから共通する意匠が存在するのは不思議ではありません。



「懐徳門」は新設された門です。



アクリル・プレートの説明にある「懐徳館」の基礎…がこちらです。

説明がなければ「なんなの、この瓦礫は?」と思ってしまうほどのものですが…



ステンレス・パネルの説明を読みますと、実に重厚な建築物を支えていた基礎部分なのが分かります。

震源地を相模湾海底とする「関東大震災」はマグニチュード7.9の本震、3分後のマグニチュード7.2、さらに5分後のマグニチュード7.3 という巨大な揺れが3度も連続した巨大地震でした。

説明にもありますように、懐徳館は倒壊することなく残りました。

しかし昭和20年3月の東京大空襲で炎上し取り壊されたそうです。

この瓦礫のように見える基礎はその「懐徳館」の姿を今日に伝える遺構であります。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本郷界隈 4月2日 2016年 -02

2016-04-05 | Weblog
剣道場とサッカーグラウンドの間の路を歩くと見事な枝振りの桜木が目に入りました。

早速、近付きます。

やはり…というか案の定、ブルーシートを広げ多くの観桜客で賑わっている一角がありました。

ただ…上野のお山と異なる雰囲気なのは、飲酒されていないからのようでした。

そうですね、一応「学内」ですからね。(*禁酒・禁煙を示すプレートは見当たりませんでしたが…自主規制か?)



この庭園のようなエリアは、医学部医学図書館創立二十周年を記念して1981年に作られたもののようです。

立派なメダリオンには、その1981年の年号の他に“1961”の数字も読み取れます。

医学部図書館が創設された年号なのでしょうね。



左手は「健康と医学の博物館」という施設があります。



木立の下をハラハラと落ちる桜花を目で追っていると…あれっ!

花弁が軸の付いたまま竹とんぼのように回転しながら舞い落ちてきます。

どうやら小鳥たちが花弁の蜜を飲む為にくちばしで摘んでいるようでした。

人間がやっていると「厳重注意」でしょうが小鳥たちの営みでは仕方がありませんね。



立派な枝振りの桜木ですが、ちょうど顔の高さくらいの水平に太い枝に(枝というより水平に伸びる幹…といったほうが良さそうな太さです)注意喚起のプレートが貼られていました。

よそ見しながら歩いていて衝突したらかなりのダメージを受けそうです。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本郷界隈 まずは東大学食で腹ごしらえ 4月2日 2016年

2016-04-04 | Weblog
満開を迎えた東京の桜、近所の上野恩賜公園も大変な賑わいになっているようです。

いくら近所とはいっても、とてもそこへ観桜に出掛ける気にはなれません。

司馬遼太郎著 街道をゆくシリーズ37 「本郷界隈」を読む機会がありました。

本郷界隈は会社の直近。

人生の半分以上の時間を過ごした土地でもあります。

この著作にインスパイアーされ?静かで文化的な香り漂う地で“観桜”は如何かと曇り空の土曜日、東大構内へ散歩に出かけました。 



…ん?

「文化的な香り…」がどうのとか言っていて、いきなり“食事”ですか?

そうなんです。

本日は「本郷界隈」のまねっこで、かなりの距離を歩こうと予定しているので、まずは「腹ごしらえ」です。

安田講堂前の地下に一般人にも開放されている学食があります。

*本郷中央食堂という名称です。

せっかく東大の学食での食事です…あまりにもストレートな“食い付き”ですが、話の分かり易さから?外来者に人気の「赤門ラーメン」を食します。



チケットを購入し、「ラーメン・レーン」に並んでトレーにチケットを置くと、掛の職人さんというか職員さんが、猛スピードで各種ラーメンをトッピングしてゆきます。

これくらいの処理スピードが出なければ(*一杯の作成時間は“秒単位”ですよ!)昼食時大勢の学生さんのオーダーはこなせないのでしょう。

“猛スピード”で作られたラーメンですが、十分に美味しかったですよ!

お薦めです。



お昼の激戦時間帯は過ぎていたので、空席も目立つ食堂席です。

土曜日ですから学生さんの姿も少なめです。

平日は、11:00~21:00 の営業

土曜日は、11:00~14:00 の営業となります。

日曜日・祝日も土曜日と同様に営業しているようですが、短縮営業や休業となる場合もあり、麺類→「赤門ラーメン」などはお休みのようなので注意が必要です。

一般の利用は可能ですが、学生さん達で混雑する 12:00~13:00 の混雑時は遠慮した方が良さそうです。

ちなみに組合員以外の食事は、メニュー価格プラス¥100(*入場料みたいなものでしょうか?) を支払う必要があります。

それでも十分に安価だと思います。

お腹を空かせた学生さんは、ラーメンなどほんの“スープ代わり”でしょうからね。



「赤門ラーメン」に満足し、歩き始めます。

静かな場所で綺麗な桜が見たい…そんな想いでやってきたのが「三四郎池」であります。

正式名称を「育徳園心字池」といいます。

池の形が「心」の字形に似ていたため「心字池」の命名でもあるようです。

加賀藩の大名庭園として造成された育徳園は、金沢兼六園の影響を濃く受け継いだ庭園であったようです。

夏目漱石の小説「三四郎」に登場し「三四郎池」の名称が一般に定着しました。

徒歩で訳もなくなく辿り着ける距離の「上野のお山」では大勢の観桜客で大変な騒ぎとなっているでしょうが、ここの静寂はどうでしょう!



池の畔を歩くと小さな“滝”がありました。

滝というか流れ込み…かな?

桜の名所で咲き誇る銘木に囲まれ大勢の人々と酒宴に浸るのも正統派“お花見”でしょうし、こうして“誰も居ないお花見”に浸るのもまた“お花見”であります。

すごく素敵な時間が流れていました。

とても気に入りました。

さて…お散歩はまだ続きます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御茶ノ水 狭小傾斜地の桜(私の大好きな桜) 4月1日 2016年

2016-04-04 | Weblog
毎年、このブログに書かせていただいております。

私の大好きな御茶ノ水の桜です。

神田川のほとり…JR御茶ノ水駅のホームから見える桜です。

中央線快速列車や総武線各駅停車列車から一日、数万人?の人々の視線が注がれていると思われるその桜の立地?は写真のように「狭小傾斜地」で表現できるほど生易しい場所ではありません。



4月1日、春の柔らかい陽射しの中を散歩開始です。

会社のある御徒町から湯島天神へと歩きます。

そして清水坂下交差点を左に折れて「神田明神」へと向かいます。

本日はアニメ関連のイベントが行われている様子で、大勢の若人で賑わっております。

まるで正月のような人出であります。

神田明神の観桜は早々に諦めて、次に向かうのは「湯島聖堂」であります。

本郷通りをたった一本隔てた「湯島聖堂」は、先の「神田明神」の賑わいが嘘のように静まりかえっています。




湯島聖堂では、「ポニー」の散歩に遭遇しました。

湯島聖堂の「関係馬ポニー」君なのでしょうか?

背中に湯島聖堂の幟を掛けていました。

湯島聖堂の前の外堀通りを横切って、ようやく「私の大好きな桜」の元に到着です。

ここにアクセスするにはちょっと面倒なんですよ。



今度は聖橋の上から俯瞰します。

「私の大好きな桜」の最高のビューポイントだと思います。

神田川の流、向こうには秋葉原のランドマーク…ダブルアーチが美しい「松住町架道橋」が見えます。

右手には御茶ノ水駅のホーム、中央線を総武線がオーバークロスしてゆきます。

その絵の中央を「丸の内線」の車輛が赤いアクセントを添えています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする