Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

音威子府駅 天北線 9月4日 2015年

2016-05-31 | Weblog
2015年北海道旅行の記事も漸く9月4日になります。

本日は「天北線起点駅」の音威子府駅がスタートです。

昨日から降り続く雨はまだ止む気配はありません。

音威子府駅正面写真にははっきりと雨粒が映っているのが分かります。

なぜか音威子府は雨降りの印象が強くあります。

もうカメラを出すのも(濡らしたくない…)面倒なのでメモ用のGx200でサラッと義理で撮影します。



一応、本日の天北線廃線巡りのルートをアップしておきます。

音威子府から稚内までのルートなんですが、翌日のサロマ湖のルートまで表示されています…



音威子府駅はこれまでにも何度も立ち寄ったことがありますが、いつも朝が早いせいか、そば屋さんが営業しているのを見たことはありません。

本日は8時半頃駅に到着したのですが、やはりまだ営業前のようでした。(*店舗の張り紙には 営業時間 9:30~16:00 と書かれていました。)

雨降りの影響でダイヤに乱れが生じているようです。

駅待合室には列車の運行再開を待つ多くの利用客がいます。

北海道の駅でこのように大勢の利用客を見るのは珍しいことです。



「おぉ~」

幸運なことに本日は「天北線資料室」はオープンしていました。

廃線巡りの指導書?などでは何度も見ている資料室ですが、実際に鑑賞させて頂くのは今回が初めてです。



資料室内部はこのような雰囲気です。

中央ガラスケースに収められた「音威子府駅」のジオラマが展示されありし日の駅構内を偲ぶことが出来ます。



音威子府駅構内には「転車台」も存在しました。

しかし…ジオラマのレベルは極めて高いのですが、転車台と給水塔は全く別の人が作ったように見えます。

全体のジオラマとはかなりレベルが違うようなのですが…



旧音威子府駅舎は1990年に現在の駅舎に建て替えられたようです。

展示されている写真を見ると旧駅舎前には“トーテムポール”がありその頭頂部には「音威子府」のプレートが見えます。

現在の駅舎に掲げられているプレートがこの写真に見られるプレートなのでしょうか?



ホームに見られる立ち食いそばの建物。

当時音威子府駅は宗谷本線と天北線との分岐駅であり、多くの乗り継ぎや乗り換え客で賑わい、蕎麦の需要もそれなりにあったのでしょうね。

今の“寂しげな”ホームからは想像もできません。

このような「歴史」を伝える写真はとても参考になります。



グリーンの補強チャンネルが妙なアクセントとなって不思議な雰囲気の跨線橋です。

今回は…跨線橋の鑑賞はパスしてしまいました。

雨降りであまり気分が盛り上がりません。

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ローリング・ニーパッド 5月25日 2016年

2016-05-30 | Weblog
 「クルポン」と「草抜い太郎」

腰痛緩和グッズをご紹介しました。

この「ローリング・ニーパッド」も腰痛緩和というくくりでは同じカテゴリー商品であります。



商品名だけでは何のことか分かりませんが…

ガレージ作業において“中腰”作業時にこの「ローリング・ニーパッド」を使用すると“膝立ち状態”のまま作業場所を移動することが出来ます。



商品パッケージに添付された写真の拡大です。

このように膝をバッドに乗せて使用します。

長時間のガレージ作業を行った経験のある方ならこの商品のありがたさが瞬間理解できると思います。

机上でアイディアだけを練っていては絶対に思いつかない商品だと思います。

様々な分野で作業される方の悩みにこの「腰痛」は大きな問題だと思います。

まだ試作段階らしいですが、ロボット・アームみたいなものを腰に装着しモーターの力で筋力を補助するデバイスが紹介されていました。

作業者だけではなく、腰や膝に障害を抱え歩行困難な方にもこのようなデバイスが普及すれば多くの方々の助けとなるでしょう。

草抜き時にも腰に装着して腰痛を緩和してくれるデバイスが発案されると嬉しいです。

そんな雑草達にとって受難時代はもう直ぐ目の前かも知れません。

「ローリング・ニーパッド」はガレージ用品、工具などを販売している「アストロ・プロダクツ」にて購入しました。

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草抜い太郎 ドライバードリル用草抜き器 5月25日 2015年

2016-05-28 | Weblog
「クルポン」と同様、草抜きグッズ「草抜い太郎」であります。

先の「クルポン」は手動なのに対して、この「草抜い太郎」はドライバードリルに装着して使用する楽々グッズであります。

しかし…直接ドライバードリルに装着するとその長さゆえ結局しゃがんで作業することになり「腰痛」の解決になりません。

そこで考えたのが、ドライバードリル用の“エクステンション”を装着すれば、立ったままで作業が出来るのでは…

ということで、500mmのエクステンションも同時に購入しました。

こちらも実際に作業をしてインプレッションしたかったのですが…

なんと!ドライバードリルのバッテリーが上がってしまっていて、作業することが出来ませんでした。

次回、ガレージに行った時に使ってみて、「使用感」をご報告したいと思っております。

たぶん…笑ってお終いのような気がします。

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クルポン改良型草抜き器 5月25日 2016年

2016-05-28 | Weblog
「クルポン」?

立ったまま草抜きが出来る草抜き器の名称です。

ガレージの芝生メンテナンスは全ての作業がそれなりに大変なのですが、雑草の抜き取り作業は腰が痛くなってしまい“やる気はあるのに体が持たない”という難点?があります。

こうしたメンテナンスには多くの方々が苦労されているようで様々な方法がネットにも紹介されています。

そもそも“腰が痛くなる”のはしゃがんだ姿勢で長時間作業するからな訳で、ならば“立ったまま”作業すれば腰も痛くならないはず…という観点で開発されたのがこの商品です。

こうした商品に過度の期待は禁物です。

“バラエティーグッズ”くらいの気持ち「面白いから買って見ました」がよろしいかと思います。

3本のフォークで草を絡め取り、そしてポールエンドのノブを押すと草がポロッと落ちる…という仕組み。

で、「クルポン」というネーミングです。

サーキットから帰宅してもまだ作業が出来るくらいの明るさです。



早速、使ってみます。



確かに“立ったまま”作業が出来ます。

取りやすい草と取り難い草があるということで、対象の“草”を選びます。

フォークの直径より大きな茎の草だと“取れない”若しくは数回に分けて取らないとなりません。

3本のフォークの大きさが可変だと良いのですが…。

30分ほど面白半分で作業した“収穫”がこれ位です。

抜き取った雑草の跡には矢印のような丸い穴が残ります。

まだまだ改良の余地はあると思います。



「クルポン」を立てた周辺の雑草はなくなりましたが、この作業をずっと続けるのは…ちょっと嫌かも知れません。

周りに残った雑草を見ると「はぁ~」とため息が出ます。



結局、芝刈り機でガ~っと刈ってしまいました。

根本的な解決にはなりませんが…

ホンダのエンジニアでガーデニングが趣味の方、この芝刈り機に「クルポン」のような雑草取り機能を加えていただけないでしょうか?

そして結論…ですが、草抜き作業は立ったままでも結構腰に来ます。

そうでした…芝刈り機で芝刈りしていても腰は痛くなりますから。


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走行会に行ってきました。 5月25日 2016年

2016-05-27 | Weblog
お天気を心配しながら走行会に出掛けてきました。

今年は圏央道が東関道に接続されたので、筑波まで高速で行くことが出来るようになり気分的には大分楽になりました。

交通費はそれなりに掛かりますが、時間は15~20分程度短縮されます。

サーキット走行を楽しんだオマケは…タイヤに付いた“鹿のフン”みたいなゴムのカスです。

帰り道ではそのカスがボディーに当たって音をたてます。

その音を聞くと「ふぅ~今回も無事でよかった!」なんて思います。



朝4時起きで準備をし5時前にはガレージを出発します。

サーキットには7時前には到着しましたがすでに大勢のエントラントが準備に掛かっていました。

意外と知られていませんが、ゴルフや釣りなどと同様、朝の早いスポーツであります。



ほとんど何の手応えも収穫も無く、ただダラダラ走ってきました。

今回はいつに無くシフトミスが多く自分に対してイラつきます。

特にホームストレートで2速から3速にシフトする時に5速に入ってしまい全然加速できません。

なぜこんな単純なストレートでシフトミスするかなぁ~と自分に腹が立ちます。

サーキット走行のスキル・レベルがどうのこうのとか言うような以前の情け無い話です。

なんで今頃になってこんなミスが出るようになってきたのか…今まで普通に出来たことが出来なくなってくるって、もしかして「認知症」とかの始まりかな?

それが心配…

インストラクターによる同乗走行では「クルマのバランスはとても良い」とロードス君は褒められました。

ロードス君はいつも褒められ、ドライバーは褒められたことはありません。

機械的には何も悪いところが無い…「あとはドライバー次第」ということらしいです。

ティプトロニックのカレラ君で走った方が良い年齢か?


ガレージに帰ってロードス君の足を洗ってあげます。

犬の散歩みたいです。



タイヤの洗浄以外、他には大したメンテナンスはしません。

素人は余分なことはしない方が吉…と思っているからです。

1箇所だけ気を付けているのがラジエターホースの中間に取り付けた水温計のセンサー部の“緩み”です。

ここのバンドが緩んでくると当然ですが冷却水が漏れるようになってきます。

ガレージにロードス君を格納し「ふぅ~」と安堵のため息をつきます。

そんなに怖いならサーキット走行なんて止めれば良いのに、と言われそうですが…


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名寄市 北国博物館 9月3日 2015年

2016-05-24 | Weblog
上名寄駅跡から国道を名寄へと引き返します。

本日最後の寄り道は、毎年立ち寄る「名寄市北国博物館」であります。

こちらの展示の目玉…「キマロキ編成」の展示はレールファンになった初年から変わらない迫力のオーラを発散しています。



厳しい冬の北海道。

本土からの物資を道北へと輸送する生命線である鉄道網。

森林・炭鉱資源・海産物などの輸送にも欠かせない交通インフラでありますが、同時に道民の方々の生活を支えるかけがえの無いライフラインであります。

路盤の積雪は「雪掻き車」で定期的に排除するのでしょうが次第に路盤脇に排除された雪が積み重なって行きます。

そうした排雪された雪をさらに遠くへと排除するために運行されたのが、「キマロキ編成」の列車です。

先頭の9600形「59601」に続きマックレー車、ロータリー車、D51 398号車、車掌車と続きます。

何かの映像で見たことがありますが、まだ真っ暗な早朝、営業前の路線を地響きを立てながら排雪列車が雪掻き作業を行っていきます。

映像はDD53形の除雪用ディーゼル機関車のもので、キマロキ編成の画像ではありませんでしたが…それでもすごい迫力でした。

北海道の人々のライフラインを守るため黙々と働くレールマンはまさに「男の中の男」の姿と映りました。



キマロキ編成の説明パネル。

初めてみた時の印象から大分変わりました。

やけに派手…というかゴテゴテした感じです。

フレームの縁に添付された銘板や動輪の飾りはどういう意味があるのか良く分かりませんでした。

*アイキャッチかな?

初期のプレートの方が説明の内容が強調されスッキリしていて見易かった気がします。



説明パネルのアップであります。

銘板はここよりも、博物館内で展示したほうが良さそうです。

博物館本館内には鉄道関連の展示は殆どありません。



本日の走行距離…214Km でありました。

例年ですと、ここからさらに稚内まで160Kmほど走らなければならず?走行距離は370Kmほどになりました。

今年はほんとに楽チンです。





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上名寄駅 名寄本線 9月3日 2015年

2016-05-24 | Weblog
中名寄駅跡から国道を遠軽方面に4Km弱走ると「上名寄駅」駅名標が展示されている「名士バス 上名寄12線」というバス停の待合所があります。

国道を走っていても直ぐに目に入ります。

展示されている駅名標フレームの上部には「上名寄駅跡」という小さなプレートが添えられています。



バス待合所横に駅名標はこのように展示されています。

なかなか立派な待合所です。

辺りに鉄道遺構を想わせるものは何も見えません。

1977年国土交通省カラー空中写真の画像を見ますと、駅舎、路盤は国道から30mほど入ったあたりにあったようです。

ここから見ますと、草むらになっている辺りでしょうか…



待合所前から名寄方面を見ます。

灰色の空と黒く濡れた国道…寂しさ満点の風景です。

交通量は少なめでたまに1台、2台と営業車が通り過ぎる程度です。



この路線を走る「名士バス」とは、名寄~士別間を運行していた路線バス会社の名称で名寄と士別から1文字ずつ文字をとって命名されました。

現在、士別の路線は別会社に譲渡したようです。



待合所の中に入ってみます。

営業路線の待合所ですから綺麗にメンテナンスされています。

奥には“トイレ”も完備していて待合所としてはなかなかグレード高く、居住性は優れています。



駅名標の裏面には「上名寄駅」の沿革が記されています。

この駅名標レプリカは平成14年6月30日建立 と記されています。

プレートは確かにレプリカでしょうが、フレームは何となくリアル感が漂っていますがど~でしょう?


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中名寄駅 名寄本線 9月3日 2015年

2016-05-23 | Weblog
名寄本線廃線巡り…は今回の予定には入っていませんでした。

ホテルのチェックインにはまだまだ早い時間です。

名寄に宿泊できる今回はスケジュールに大分余裕があり「それなら…」と、手近なところで名寄本線の廃線跡を「ちょこっと」歩いてみることにしました。

まず名寄本線起点駅の「名寄駅」から営業キロ数で約5.8Kmに位置する中名寄駅跡にやってきました。

国道239号線沿線にある「プレハブ待合所」はすぐに発見することが出来ました。



1989年、名寄本線が廃止されて本年(2015年)で26年となります。

中名寄駅は開設当初は駅員配置の有人駅でしたので「木造駅舎」を持つ駅でした。

その後、無人駅となった中名寄駅舎はプレハブ待合所として改築されました。

小さな階段があるこちら側がホーム側だと思われます。

標柱が壁に立て掛けられています。



ガラス窓からプレハブの内部を覗いてみます。

工事のプレートやポスターなどが保管されています。

殺風景な内部ではありますが定期的に使用されている雰囲気が感じられます。

名寄本線が廃止されて約27年、プラス木造駅舎から改築された年数を経たプレハブとは思えないほど良好な保存状態は定期的に使用されていることがその理由だと思います。



入り口前に設置されたガラスで構成された壁が無機的になりがちなプレハブ建物のアクセントとなり、ただの“プレハブ物置”ではない駅としての表情を与えています。

「中名寄駅」の駅名ロゴもしっかりと残されています。

その先に見えるのが「国道239号線」です。



こうして見るとプレハブの前から名寄方面に向かって路盤が残っているようにも見えますが…

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名寄町道路元標 と 西名寄駅跡 深名線 9月3日 2015年

2016-05-19 | Weblog
天塩弥生駅跡の劇的な復活を目にして結構ルンルン気分です。

深名線廃線巡りも残すは「西名寄駅」そして終着駅となる「名寄駅」となりました。



西名寄駅跡は座標で見ますと右手に見えている巨大工場敷地内のようです。

天塩弥生駅の衝撃が鮮烈だったのか、単にやる気無いだけなのか…西名寄駅跡リサーチはもう上の空です。



本日は名寄のホテルに宿泊です。

昨年末にオープンしたホテルを発見し名寄泊初めての体験です。

これまでは名寄まで来ても適当な宿泊施設が見当たらず、稚内まで走ったことを思うと楽な展開です。

そして今回の北海道旅行から新たに加わったお楽しみが「道路元標巡り」であります。

市内のガスステーションで給油を行いスタッフさんに「名寄町道路元標ってしってる?」と訪ねたのですが「道路元標? なんですか、それ?」という反応です。

実はそのGSの斜め向側の交差点に「名寄町道路元標」は消火栓に隠れるようにひっそりと佇んでいました。

地元の方も殆ど注意を払うことの無い地味な存在の「道路元標」…気に入りましたね。

それと、「道路元票」という標識の性格上、幹線道路等の“交差点”に設置されるケースが多い点です。

道路の拡張工事やバイパス工事などで本来の場所から移設されるような例外もあります。

屋内に展示されていた道路元標もありました。



天塩弥生駅跡では青空が見えていた空が再び暗くなって雨粒が落ちてきました。



低い姿勢で道路元標の裏側を観察します。

道路元標に興味を持って初めて知った文字…「庁」の旧字「廳」の文字が彫られた裏面?には、「昭和三年建設 北海道廳」と記されています。

随分難しい字を使っていたのですね…石工の職人さんも彫るのが大変だったことでしょう。

ちなみに…廳は読めるようにはなりましたが、書くのは無理です。

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天塩弥生駅跡 深名線 9月3日 2015年

2016-05-19 | Weblog
北母子里駅跡をだらけた態度で鑑賞し、道道を名寄方面へと走ると見慣れた光景の中にJR北海道バス「天塩弥生」バス停留所が見えてきます。

昨年もこの停留所には立ち寄りましたが、特に鉄道遺構というようなものは見当たりませんでした。



名寄方面のバス停留所スペースにオデ君を駐車して、かつて天塩弥生駅があった方向を見ますと…「あれ?昨年と違う!」



近付いてみます。

赤い屋根の木造建築物…どう見ても「国鉄北海道スタンダード」の駅舎に見えます。



ちょうど昼食を終えて現場に戻ってきた工事関係者の方に声を掛けます。

「これってどういうことですか?」なんてね。

工事管理者風のその方の話によりますと、この敷地内にある家の方が建て主だそうです。

現場に入って建物の写真を撮影させて欲しいとお願いすると快諾してくださいました。

作業のお邪魔にならないようになるべく現場に近寄り過ぎないように注意しながら撮影させて頂きました。



こちらがその「建て主さん」のお住まいだそうです。



なるほど…壁面に貼られたプレートを見ても只者ではなさそうですね。

それにしても…趣味が嵩じて駅舎を再現してしまうとは凄い方がいらっしゃるものです。



2016年3月28日 名寄新聞の記事に 田舎食堂&旅人宿「天塩弥生駅」営業スタートの記事がありました。

そのページのPDFを掲載しておきます。

…なるほど、そういうことだったのですね。



作業中の現場を拝見させて頂きます。

外壁工事は概ね終了しています。

横板張り(鎧張りとも言うらしい…)の壁面処理は木造駅舎の大きなアイデンティティーといえます。



建物内部では職人さんが作業を行っているのが見えます。

入り口建具はその年季の度合いから、もしかしたら当時の「オリジナル」なのかも知れません。



こちらが駅舎ホーム側になります。

ホーム側には“付け庇”が綺麗に再現され、レールファンなら思わず“にやり”としてしまいます。



庭には“だるま転轍機”が置かれています。

取り付けられた枕木もきっと営業時のオリジナルなのでしょうね。

営業オープン時にはそれなりの雰囲気を醸しているのだと思います。



これだけの広いスペースを開業時にはどのように演出するのか、楽しみです。



廃線巡りをしていると、遺された遺構は“消えてゆく”のがごく普通のパターンです。

「昨年まではそこにあったのに今年は跡形も無く…」なんてことが珍しくない世界です。

しかし…まれにこのようなパターンもあるのですね。

無くなったと思っていた遺構がある日突然復活する!なんてことが…

2016年の夏休みには一つ楽しみが増えました。

先程まで雨を降らせていた空の一部に青空が戻り薄い陽射しが注いでいます。


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蕗の台駅 白樺駅 北母子里駅跡 深名線 9月3日 2015年

2016-05-18 | Weblog
雨脚はますます強くなってきました。

朱鞠内湖北部を目指して道道を走ります…

そんな中?…見えてきたのは「通行止め」のゲートであります。

「やられた!」

道路脇で待機している職員の方に伺うと、この先で道路に土砂崩れが発生し復旧工事中とのことでした。

仕方なく今来た道を引き返します。

諦めたわけではありません。

国道を迂回して名寄側から表題3駅にアクセスしようという魂胆であります。



地理院地図の地形図を見ていただくとその位置関係が良く分かって頂けると思います。

地図にある「雨竜第二ダム」の手前が通行止めの地点であります。

そこから引き返し、国道275号線を名寄方面に走り「北母子里駅」とある地点から再び道道に入り逆回りでアクセスしようという作戦です。



北母子里駅跡はNTTの中継基地となっています。

かつての鉄道駅跡が携帯電話データ中継基地と姿を変えて人々のアクセスを繋いでいるのが実に不思議な感じがしました。

先程から「写真」が変だと思いませんか?

朱鞠内湖辺りから降り始めた雨がますます雨脚を強めて、カメラを持って車外に出るのが嫌になってしまっているのです。

それで横着してオデ君の車内から適当に撮影しているわけです。

もう「初心者ですから」では済まされない横着振りです。

「そんなにカメラが可愛いのか!」と言われそうですが、濡らしたくないのは本音です。



中継基地となった駅跡敷地内からアクセス道を見たところです。

さて…「白樺駅」「蕗の台駅」へと向かおうとしたのですが、当たり前と言えば当たり前ですが、こちら側からもその2駅に向かう道道は通行止めとなっていました。

ちなみに土砂を積載したダンプカーが通行止めゲートを通り抜けて復旧工事現場へと走って行きます。




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湖畔駅跡 深名線 9月3日 2015年

2016-05-18 | Weblog
朱鞠内湖へのアクセス道の入り口に「湖畔駅」跡はあります。

鉄道遺構としては殆ど何も残っていないようです。

駅跡は画面右手になります。

道路を隔てて広いスペースがありますが、ここはJR北海道バスの停留所兼転回場であります。

朱鞠内駅跡では青空と陽射しがありましたが、いよいよ雲が厚くなり雨が落ちてきてしまいました。



雨の朱鞠内湖展望に一応立ち寄ります。

昨年の朱鞠内湖とは大きく印象が異なります。



昨年の朱鞠内湖の印象は「本当に美しい湖…(人造湖だけれど…)」というものでしたが、本年のそれは重苦しい印象だけが残りました。

2014年朱鞠内湖の記事はこちらから。

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朱鞠内駅跡 深名線 9月3日 2015年

2016-05-16 | Weblog
朱鞠内駅の風景は昨年と殆ど変わりません。

昨年ここを訪れたのも、9月3日でした。

しかも12時20分前後と同日、同時間であります。

まるで定期運行バスのようです。

2014年朱鞠内駅の記事はこちらから。



昨年の記事中写真を見ますと、突き抜けるような青空が広がっています。

本日の天気はグレーの雲が広がるちょっと重苦しい空です。

花壇には鮮やかな色取りどりの花が植えられています。

毎年、こうして草花の世話をしている方がいらっしゃるのですね。

朱鞠内駅がかつてあった場所には、駅名標と路盤を再現したモニュメントがあります。



「朱鞠内コミュニティー公園」と彫られた庭石(ていせき)も全く昨年と同じようにそこにあります…っていうか当たり前ですけれど。

勝手に動いたら怖いですものね。

後方に見えるバスの待合所。

その屋根の時計塔の時間を見てください。

12時15分頃を指しています。

2014年朱鞠内駅の記事をご覧になったら、この時計塔の時刻を見てください。

12時20分前後を指していると思います。



かつての朱鞠内駅構内と木材のストックヤードがあった場所は「パークゴルフ場」となって地域住民の方々の憩いの場として美しく整備されています。

これほど美しく素晴らしいパークゴルフ場でありますが、利用者の方の姿が全く見当たりません。

「もったいないなぁ~」と思いましたが、よく考えますと…時刻は12時。

昼食で皆さん一旦帰られているのかも知れませんね。

昨年も誰の姿もありませんでしたが、やはり12時だったからでしょうね。

朱鞠内駅構内の名寄よりには「転車台」があったそうですが、それを偲ばせるものは何も残されていません。

1977年国土交通省カラー空中写真には確かに転車台が写っています。

連続2年目の深名線のレポートとなりますと…かなり手を抜いている感はあります。


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京都鉄道博物館 5月12日 2016年

2016-05-15 | Weblog
4月29日 2016年 にグランド・オープンした「京都鉄道博物館」に行ってきました。

そのオープン当日は京都の旅館に宿泊していたのですが、さすがにオープン当日の混雑や家人と一緒ではなぁ~ということで、この度独りで訪れました。

新しく作られたエントランスは超モダーンな造形が施されていて未来的な息吹を感じさせるものではあります。

が、だから何なの?ともいえます。

この施設、以前は梅小路蒸機機関車館とかの名称だったと思います。

個人的には…「梅小路蒸機機関車館」の名称のほうがずっとカッコ良いとは思いますが…

2011年 梅小路蒸機機関車館の記事はこちらから。


蒸機ファンとしましては、この蒸気機関車館だけで興味の中心は十分満足できるのですが、新しい時代の鉄道ファンに対してはこのような施設も当然必要なんだろうと理解できます。

素晴らしい施設ですし展示内容もとても素晴らしいものがあります。



入館料金は¥1200 でありました。

期間内は「特別入館記念券」という硬券付の入館券がいただけます。

硬券の日付は“2016-4.29.”となっています。

いつまで配布するのかは不明であります。



入館してまず真っ先に目に付くのが「C62 26号機」であります。



本職の方々が整備し復元された蒸機はこれまで見てきた静態保存された蒸機たちとはステージがまるで違うな…という印象です。

どこを見ても全く一部の隙も無く整備されたその様はさすが!としか言い様がありません。



本館3階は展望デッキとなっています。

正しくは「スカイテラス」という名称です。

ここは気持ちが良いですね~新しい施設の中では一番気に入りました。

ここからは新幹線、JR京都線、嵯峨野線など途切れることなく運行するさまざまな車両を鑑賞することが出来ます。



梅小路といえば「扇形庫」

日本に現存する全ての扇形庫を見てきたわけではありませんが、その規模も“現役度”も最高のものではないでしょうか。

転車台もバリバリ現役です!

収蔵?されている蒸機の数もグレードも最高だと思います。



扇形庫に収蔵される「B2010号機」

周りの蒸機と比べるとその小ささが際立ちます。

B形は2軸の動輪を有する蒸機であります。

非常に小さなこの蒸機、ここ梅小路ともう一両は北海道万字線朝日駅に静態保存されています。

万字線は何度も訪れている廃線で朝日駅の「B20 1号機」にも何度も対面していますので、とくに親しみを感じます。

ピカピカの煙室扉には夢中のオジサンが映っていますよ。



ピカピカに磨き上げられ整備された「義経号」

いかにもアメリカ西部開拓史を連想させるようなそのスタイルはもちろん「アメリカン」

アメリカから輸入された7100形蒸機10両はそれぞれ和名が付けられ、1号機が「義経号」6号機が「「しずか号」と銘々されました。

小樽市総合博物館に展示されている「しずか号」とともに北海道の開拓史に名を残す蒸機がまるで現役のように美しく保存されているのは素晴らしいことであります。



旧二条駅舎は「出口」として梅小路蒸機機関車館時と同様に使われていました。

歴史という時間を纏った建築物というのは無言の存在感を放っています。

カッコ良すぎる。

この度は、「京都鉄道博物館」に行きたいばかりに、京都駅前の「新・都ホテル」に宿泊しました。

独りではまず宿泊しようとは思わないのですが、当日13時~翌日13時まで駐車場が使用できるのでそれに釣られて利用しました。

駐車場にクルマを駐車する…ということが京都では大問題で、ならばここなら歩いて梅小路公園まであるいて15分くらいの距離ですので助かります。

本当はリーガロイヤルが最近距離ホテルだと思うのですが、残念なことにリニューアル工事中であまり客室数を販売していない模様でした。

ベストはリーガロイヤルに宿泊して線路沿いを歩き梅小路公園を突っ切れば最短コースだと思います。

梅小路公園からは動態保存のSLスチーム号の勇姿を堪能することも出来ますよ。

もちろん、動画も撮影してきました。

こうして、2日間にわたり「京都鉄道博物館」を思い切り堪能し、最終日は例によって「セントレア」に宿泊です。

伊勢志摩サミット開催間近とありその警備は最高潮に達し飛行場周辺には至る所で警察官の姿がみられました。

新たに開通した岡崎辺りの新東名を通り東京へと無事到着です。


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ネコ姫城?(姫路城) 5月11日 2016年

2016-05-13 | Weblog
小松のホテルを出発し雨の北陸道を姫路を目指して走ります。

昨年も北陸道は台風の影響で土砂降りの雨でした。

今回は北陸道→舞鶴若狭自動車道経由のルートを選んでみました。

北陸道→名神高速道路経由のルートより約30Km、30分ほど短縮できるはずでしたが…

しかし舞鶴若狭自動車道は片側1車線道路で、前走車があるとなかなかペースが上がらないという落とし穴があったのが残念でした。

のんびり走って姫路に到着する頃には雨が上がり青空も見えてきました。

舞鶴若狭自動車道走行中は寒くてSAで長袖シャツに着替えていたのですが、姫路では暑くてまた半袖シャツに着替えたほどです。

姫路城は相変わらずの超人気で続々と観光バスが到着し乗客を降ろして行きます。



一応、城内の鑑賞を済ませお濠を「男山」に向かい歩きます。

こちらには「千姫天満宮」が祀られている山であります。

観光客の姿は全く見られません。

とても静かで気持ちの良いルートであります。

写真は「男山配水池公園」という「近代化産業遺産」に登録されている施設入口であります。



配水池公園までは、かなりストレートな階段を黙々と上らなければなりません。

段数は数えませんでした…それどころではなかった、ともいえます。



急な階段を必死で上るとようやく頂上?

このような標柱が立っています。



さて…お楽しみの景色であります。

姫路城をこうして眺めることができます。

この景色を見れば、あの急な階段のことなどど~ってことなくなります。



先の写真は広角レンズでデフォルメされた景色で、肉眼で眺めるとこんな感じだと思います。

平山城である姫路城の特徴が良くわかります。

それにしても…巨大な建築物です!

約670年も前に6階地下1階の建築物を木造で作り出した技術とは一体どういうことなのでしょう。

城はそもそも戦争のための“兵器”であります。

戦うための道具に美意識など本来必要ないはずですが、このあまりの美しさはどうしたことでしょう。

世界遺産登録も当然なのかも知れません。



さて…タイトルの「ネコ姫城」であります。

ネコのグループがやけに目に留まりました。



大手門(桐二の門)裏手にもこんなにネコグループが…

見ると誰かが餌やりをしているように見えました。

観光地でよくある、異常繁殖で結局駆除されてしまうような悲惨なことにならなければ良いのですが…

ちょっと心配ではありました。


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