Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

万字炭山駅跡 万字線 9月2日 2015年

2016-02-29 | Weblog
昨年は断念した万字炭山駅の入り口にやってきました。

昨年とは異なり道道39号線からのアプローチです。

今度は万字炭山駅跡に辿り着けそうな予感がします。



こちらが道道の脇に立つ案内標識。

こんなに分かり易い標識が設置されているのに、別の標識を見たばかりに断念する羽目になってしまいました。

昨年の万字炭山駅跡へのアプローチ失敗の記事はこちらから。



駅跡を背にして、いま下ってきた道を見ています。

この辺りが駅前となっていたのでしょうか。

万字炭山駅のイメージはもっと規模の大きな駅なのだと思っていました。

例の北海道新聞社刊「北海道の鉄道廃線跡」に掲載されていた写真やネット上の写真を見ると確かにこの基礎跡が万字炭山駅跡のようです。

駅舎の写真は、あのガードレールのある橋の辺りから撮影されたものが多いようです。



駅舎跡の基礎部分のようです。

その向こうの段差に見える辺りがもしかしたら路盤かも知れませんが…

この先にはちょっと踏み込む勇気はありませんでした。



この路の先が昨年断念したもう一つの進入路となります。

昨年に増して一段と道幅がタイトになっているような気がします。



雑草の少ない基礎部分だけほんの少々…恐る恐る観察します。



フローアー跡にはなにやら配管の跡のようなものが残っています。

一般の家庭には無さそうな配管設備の跡のように見えました。

四角く見えるそれはガスのフロアーコンセントではないでしょうか?



草むらの中には埋もれかけているスチール・パイプのようなものの残骸が残っています。



この“青看”が昨年の失敗の元でした。

仕方が無いですね、万字駅から万字炭山駅へ向かってくると真っ先にこの“青看”が目に入りますから。


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万字福祉センター 万字線 9月2日 2015年

2016-02-29 | Weblog
昨年2014年に万字炭山駅跡を目指しましたが、まさかの“リタイヤ”でした。

今年こそは…と意気込んでやってきました。

その万字炭山駅跡を目指して走っている途中、ふと「黄色い物体」が目に入りました。

オデ君を停車してよく見ますとなんと!「踏切警報機」でした。

早速Uターンして近付きます。

「万字福祉センター」という建物の横に設置されています。



ガイドブックでも見た覚えの無い遺構です。

しかし後日ネットの写真を検索してみるとこの場所の写真が掲載されているのを発見しました。

周囲を観察してみます。

警報機にはカバーが掛けられてそれなりに保管はされていたようですが、ペンキは剥がれ落ちて定期的な保全はされていないように見えます。

向こうに見えている赤い屋根の建物は…“岩見沢市役所出張連絡所”ではなかったかと思います。



花壇の前にはこのような物体が展示?されています。

通称“ダルマ”といわれる錘付転換機のようです。

以前はこの花壇のある場所に、万字炭山駅の記念石碑が展示されていたようです。

このような遺構が残されているということは、万字線の遺構などが他にも無いのかと奥のほうに見える階段を上ってみます。




いかにも「路盤跡」のようなところを発見!…と思いましたが、よく考えると万字線は万字炭山駅から万字駅へと川の淵を通っていたのでこの付近に路盤が残っているはずはありませんでした。

単に万字線の踏切警報機や錘付転換機を記念に移設しただけのようです。

道理でガイドブックなどには出てこないはずです。






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美流渡交通センター2階「万字線鉄道資料館」 9月2日 2015年

2016-02-26 | Weblog
「万字線鉄道資料館」は美流渡交通センター2階に設置されています。

交通センター1階は「いわみざわ商工会美流渡支所」と中央バスの待合所となっています。

商工会事務所スタッフの方に資料館の見学を申し出て2階へ案内して頂きます。



2階の展示スペースは先の「鉄道資料館」と良く似た雰囲気の展示となっていました。

万字線職員の制服と、その前には「万字駅」の駅名標が展示されています。

左端白い制服は、夏用客室乗務員のものだそうです。

こちらのマネキンは特に違和感を覚えるようなものではなく、極普通の展示であります。



踏切警報機などの電気設備の展示もあります。

何に使われたものなのか…駅名標のミニュチュア・レプリカのようなものも展示されています。



踏切警報機の操作パネルの説明プレートです。

リレーやジャンパ線、ターミナルなどアナログ・サーキットのオーラが感じられます。

デジタルのブラック・ボックスとは異なり、電気回路を目視できるのがアナログ・サーキットの美点でアートと言っても良いものです。



判子の名称を良く見ますと、職員の名前や出納科目の印鑑などで、駅内の経理等に使われたもののようでした。



当時の沿線の様子を撮影した写真が展示されています。



万字炭鉱の写真に並んで万字駅転車台での記念写真も展示されています。

駅の職員さんと若い女性達の写真です。

元万字駅勤務の方が昭和20年に撮影されたと説明されています。

1976年当時の国土交通省カラー空中写真を見ますと、確かに転車台が写っています。



乗車券箱が展示されていますが残っているホルダーの数は…僅か6個だけです。

もともと万字線は6駅の路線でしたが…



路線内の駅ではなく室蘭本線の駅の名称が書かれています。

砂川、滝川、深川 の「川」3駅 そして高文? 栗沢、美唄 とあります。

高文ってなんでしょう? 金額も変ですし…何のことか分かりません。

ちなみに「栗沢」は「志文駅」の隣の室蘭本線の駅名で、栗沢駅→栗丘駅→栗山駅 と「栗繋がり」の駅です。

石北本線白滝シリーズみたいですね。

よっぽど「栗好き」なのか「栗」が名産だったのか…面白いですね。



特に説明はありませんが秤の上にはネットが掛けられた「石炭」の原石?が展示されています。

万字炭山とかで出炭したものなのでしょうね。



交通センターの外には第2種車止めが2014年同様雨に濡れながらそこにありました。


2014年美流渡駅跡の記事はこちらから




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万字線 鉄道資料館 9月2日 2015年

2016-02-24 | Weblog
万字線鉄道資料館は道道から少し奥まった集落の一画にありました。

少々てこずりましたが資料館前のポストが目印となり無事到着です。

この資料館…もしかしたら簡易郵便局だったのだろうか?などと勝手な想像をしながら入り口に行くと、小さな張り紙がしてあります。

そこには、「資料館見学希望者はこちらへ…」というような内容で、3件の電話番号が記載してありました。

以前でしたら、この状況で「な~んだ…」で諦めてスルーでしたが、今年からは違います!



最初の電話番号に電話します。

男性の声で応答があり、資料館見学の来意を伝えます。

程なくして声の主と思しき男性が傘をさしてきて、「ご苦労様です」と声を掛けて頂き、「雨の中、ありがとうございます。」と感謝の意を伝えます。

入り口ドアーを開錠し中へと案内され、来館者ノートに氏名・住所を記載します。

ノートの記載を見ますと、一日一組~二組くらいのペースで見学者がやってきているようです。

東京からの来館者の記載もありました。

「以前はもっと展示品があったのだけれど、“美流渡”のほうに大分持っていかれてしまった」とおっしゃっていました。




展示室に案内されます。

中央のステージ?には万字線各駅で使用されていた備品や用具などが展示され周りの壁には往時の駅の姿を伝える貴重な写真が展示されています。

その中央にはさよなら列車のヘッドマークが展示されています。

画面左端、アコーディオン・カーテン横からゴーストのような不審な手が現れていますが、後にその正体が判明します。



右上の写真は「上志文停車場 大正3年撮影」とありました。

その下は「第二幌向橋梁 大正3年撮影」となっています。

右上は室内の蛍光灯が写りこんでしまって次に角度を変えて撮影してあります。

下は「幌向川橋梁」となっています。
志文停車場構内にあった橋梁と説明されています。



「志文停車場 岩見沢より5.6Km室蘭線の中間駅であった志文停車場は万字線の開通にともない、その分岐点として構内を拡張した。大正3年」 と解説されています。

駅本屋や跨線橋など、その位置関係から今の志文駅の面影が強く感じられるショットです。

すごく参考になります。



こちらは「万字停車場 万字停車場は志文より22.3Km、栗沢村字万字にあり、旅客扱いの終端停車場である。(大正3年)《注》万字炭山駅が旅客を扱ったのは大正9年からである。」 と解説されています。



昭和31年新装なった【朝日駅】と解説されています。

後方にはホッパーでしょうか?背の高い建造物が写っています。

駅舎の庇やホーム上屋などに面影を見ることが出来ます。



こちらも石炭を積んだ専用貨車(セキ)と朝日駅の写真です。



「朝日駅構内の検炭場から搬出される石炭列車」 と説明されています。

朝日駅線路の向側にあった建物は「検炭場」という施設だったのですね。

今はその痕跡は全く見られません。



以前は博物館とか記念館などの資料館などを鑑賞するのはあまり好きではなく、つい面倒でスルーしてしまうことが多かったです。

廃線・廃駅巡りを始めたばかりの頃は、その目の前に見える遺構ばかりに注目し、埋もれた轍…のような容の残っていない遺構にはあまり興味を惹かれませんでした。
初心者ですから仕方がありませんね。

しかし、同じ廃線跡を何度か訪れるうちにそこに秘められた歴史にも興味が湧いてきました。

その手掛かりななるのはこの「鉄道記念館」のような施設に大切に保管されている資料なんだと漸く気が付きました。

特に営業時に撮影された往時の写真は物凄く参考になります。

今回はまだそのような視点で資料を鑑賞するのは初めてで、資料の写真撮影の品質もイマイチです。

次回は室内の蛍光灯照明の反射を抑えることが出来るような機材を持参し積極的にこうした地域の資料館を取材してみようと考えています。



さよなら列車に取り付けられたヘッドマークだと思います。

「鉄道廃線跡を歩くⅦ」に掲載されている写真に「万字炭山駅」でのお別れ式の後方にこのヘッドマークを付けた車両が載っていました。



ブラインド・カーテンから出ている怪しい手の正体はこのマネキンさんです。

万字線の制服をディスプレーしたものなのでしょうが、そのベースに女性のマネキンを使っているのではないのかと想像しました。

無理やり「ひげ」を付けているので中性的な怪しい雰囲気になってしまったのではないでしょうか…顎の骨格とかは妙に男性的ではありますが。

制服のディスプレーですから、マネキンの性別は大した問題ではなかったですね。

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朝日駅 万字線 9月2日 2015年

2016-02-24 | Weblog
上志文駅に続き、道道30号線の朝日駅の様子を見に立ち寄ります。

2014年朝日駅の記事はこちらから



朝日駅前の道路には工事車両が駐車しています。

駅の補修工事でも行っているようです。



オデ君を工事車両の後方に駐車し駅舎前に歩きます。



駅舎はほとんど昨年と変化はありませんが…

後方のホームに展示されているB201号機の周りには作業用のネットが張り巡されています。

201号機の記事はこちらから



ホームに近付きますとシンナーの臭いが漂ってきました。

B201号機の外装をリペイントしているようでした。

ネットの中では職人さんが作業を行っているようですが、キャブの中を養生しているのでしょうか姿は見えません。



ホームから駅舎を見ます。

手書き風の駅名標もそのままです。

庇のとよの破損部分は今もそのままです。



ネットで囲われたB201号機を見ます。

今度訪れた時にはぴかぴかになっているのでしょう。

ファンシーな雰囲気の駅名標も以前のままです。

駅名標などは資料を確認して当時のままを再現して欲しかったですね。

いかにもこれは「なんだかなぁ~」という出来栄えです。

2012年に訪問したときに撮影した駅名標、これは歴史の錆を纏った素晴らしく雰囲気のあるものでしたので残念です。

ペンキを塗るのも大切な部分ではありますが、屋根の補修もそろそろ行ったほうが良さそうです。



ホームから線路の先を見ます。

本日は雨降りで、徒歩でこの先を歩く気にはなれずここで終了です。



ホーム側庇の下には、上志文駅と意匠のそっくりの長ベンチが置かれています。



パイプを組んだ改札ラッチもそのまま残っています。

白いボードに“丸ゴシック風”の手書き駅名標が北海道のローカル駅の雰囲気を醸成していてとても良い雰囲気です。

多分、オリジナルでは無いでしょうけれど…



ガラス窓から中を覗いてみます。

がら~んとしていますが、旅客や荷物取り扱いの窓口が見えています。

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上志文駅 万字線 9月2日 2015年

2016-02-23 | Weblog
いよいよ降り始めた雨の道道30号線を走り「上志文駅」にやってきました。

2014年にもこの駅に訪れています。

本日は生憎の雨になってしまいましたが、「駅はどうしているかなぁ~」と立ち寄りました。

萩の山市民スキー場の入り口辺りの上志文駅舎は昨年と変わらない姿でそこにありました。



記念の石碑もその両脇の花も昨年と同じです。



生憎の天気で人影は全くありません。

昨年、更地になっていた辺りには野菜が植えられています。

畑として手入れをされているようです。



ホーム側を見てみます。

庇の下に置かれた二脚の木製長ベンチも健在です。

しかし…庇からはみ出した部分は雨に濡れて腐ってしまわないのでしょうか。

左奥に見える煉瓦色の建物は「トイレ」です。



窓ガラスから駅舎の中を覗いてみます。

小さなトラクターのような車両が2台格納されています。

よく見ますとこれは「芝刈り機」のようです。

近くには燃料が入っているのでしょう、携行缶が置かれています。



雨を避けて庇の下から石碑を見ます。

道路にも水溜りが出来るほどに雨が降ってきました。

上志文駅は2014年の記事の参照もお薦めします。

2014年上志文駅の記事はこちらから

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志文駅 万字線 室蘭本線 9月2日 2015年

2016-02-23 | Weblog
本日は「万字線廃線跡」を歩いてみる予定です。



小樽からのルート図ですが、なにやら「余市」に向かっているプロットが見られます。

万字線は岩見沢方面で反対方面のはず…変ですね~



ホテルの朝食会場から外を眺めます。

雲が厚くてどよ~んとしています。



朝食の内容は殆ど毎日同じです。

ご飯に味噌汁、ヨーグルトとフルーツ、納豆にトマトジュースと牛乳・玉子 それに鮭などの魚と野菜 などです。

これで夕方の食事まで“無給油?”走りきります。

プリウスばりの低燃費性能でしょ?



実は…東京でテレビを見ていて「燻製屋」という商店の取材を見ました。

(有)南保留太郎商店 というちょっと変わった店名です。

「へぇ~こんなお店があるんだ…」と、取材に出かける前に逆方向になるのは承知で出掛けてみました。

「よし!今年のオミヤはこれにしよう!」と購入を決め東京へ発送してもらいました。

オミヤとしては変わっていて面白がられましたが…



さて…寄り道をしながら万字線起点駅であった「志文駅」に到着です。

志文駅には2014年にも訪れていて駅前の雰囲気はその時と全く変わりません。

以前は好天の一日でしたが、本日は今にも雨が落ちてきそうな天気です。

2014年志文駅の記事はこちらから

志文駅に付いては2014年の記事の方が詳細に書いていますので、そちらの方が参考になると思います。



ちいさな駅待合所を通り抜けてホームへと出ます。



ホームに出て駅待合所を見ます。

駅正面入り口とほとんどデザインが同じです。



ホームからはかなり歴史の古そうな跨線橋が見えます。



跨線橋の入り口には表札のようにホウロウ製駅名標が両端に掲げられています。



内装の壁や天井は木製で恐らく万字線営業当時のままなのではないでしょうか。

曇り空のお陰で太陽の光も少なく、蛍光灯の灯りも落とされている為にちょっと暗い印象を受けます。

窓の建具はアルミサッシに換装されています。



跨線橋連絡通路です。

右側の壁はスチール・プレートのようなもので覆われています。

左側は木製の壁材が見えます。

通路はコンクリートが敷かれています。



ホームから跨線橋を見ます。

連絡通路部は外装がグレー色のパネルで覆われています。



岩見沢方面を見ますとかなり長い歩道橋が見えます。

万字線の営業時は2面4線の規模の駅であったのが偲ばれる風景です。

今は2面2線の中間駅となってしまった志文駅ですが、線路の向こう側に行くにはやはりこの歩道橋を渡っていかなくてはなりません。





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倶知安駅 転車台 胆振線 函館本線 9月1日 2015年

2016-02-20 | Weblog
駅前のロータリーに駐車していたオデ君と線路を隔てた向こう側の公園地区に移動します。

公園内には転車台が保存・展示されています。

倶知安機関支区と転車台の歴史が書かれています。

それによると、C62形蒸機なども転回できる昭和32年製の大型電動式転車台であるそうです。



「駅周辺整備構想図」にあったようにこの一帯は公園やスポーツ施設として整備されこの転車台も保存されるようです。

右手に見えているのはたっぷりの採光が得られそうな体育館と思しきスポーツ施設のようです。

「駅周辺整備構想図」の公園ゾーンには確かに「転車台」と思しき円形のイラストも描かれています。



オデ君を駐車して転車台に近付きます。



確かに公園の一部として整備されるために周りには安全のための立派な柵が設置されています。



転回部には雑草が巻き付いているようですが、これまで見てきた転車台の中では綺麗に保存されている方だと思います。



構造上、どうしても中心部には雨水が溜まりやすくなりますからね。



転車台の先にはこうして車止めが設置されています。

実際の運用では転車台の直ぐ先が車止めというのはあまり無いように思いますが、展示スペースの都合で止むを得ないのでしょう。

雰囲気はたっぷり出ています。



転車台のこちら側から見ますと、その先に機関庫が見えます。



機関庫からのレールはそれぞれ車止めで止められています。



その機関庫の中には「キハ40系」が格納されているのが見えます。

やっぱ、現役の機関庫だったのですね。



倶知安駅で思わぬ見付けものをして、それをたっぷり楽しんでから本日の宿泊地小樽の朝里川温泉に向かいます。

下道(したみち)の走行ではありますが、軽い峠越えなどでドライブを楽しみホテルには4時過ぎには到着です。

本日は小幌駅から胆振線廃線跡鑑賞と、一日中相当楽しんだのですが走行距離は184Kmと大したことはなかったです。


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倶知安駅 胆振線 函館本線 9月1日 2015年

2016-02-19 | Weblog
内浦湾の伊達紋別駅を室蘭本線から分岐した胆振線は内陸を走り倶知安駅で函館本線と合流しました。

倶知安駅は勿論、函館本線の現役駅として今日も営業しています。

駅舎は昭和の経済発展時代に改築された、今では「昭和レトロ」とでも呼べそうな外観です。

以前は稚内駅もこのスタイルでした。

倶知安駅は北海道新幹線の停車駅6駅の一つとしてその将来が約束?されている駅でもあります。

駅舎正面のテラス部分に「北の大地に新幹線!」の横断幕が掲げられていたのですが、今は新幹線駅としての存在をアピールするものは見当たりません。
何かあったのでしょうか?



駅舎前から駅前ロータリーを見ます。

オデ君も見えていますよ。

その後方には頂頭部に雪だるまのマスコットが載った観光用の標柱が見えます。

真夏でもこの雪だるまのマスコットのままなんですね。

新幹線が“やって来る”とその駅舎は現在の駅舎のある辺りに建設されるのではないでしょうか…



この図は倶知安町のホームページに掲載されている「駅周辺整備構想図」であります。

北海道新幹線の新函館北斗駅→札幌までの開業は平成47年度と予定されていますので、駅前の整備事業の開始までにはまだ間があるのでしょう。

この原稿を書いている今現在、2016年3月26日の新函館北斗までの開業は1ヶ月少々と間近です。

そこ(新函館北斗駅)から札幌駅までの延伸にはさらに約20年もの歳月を必要とします。

それに付いては様々な意見を聞きます。

すでに品川→名古屋間のリニアモーターカーの整備事業が開始された現在、20年後に新幹線という交通手段が果たして必要とされるのか?という意見もあります。

私はこうして廃線に興味を持ち北海道の各地を歩くようになった今、「それでも新幹線に来て欲しい!」という道民の方々の気持ちがとてもよく分かるようになりました。

私たちが生活する首都東京にはあらゆる交通手段が用意されています。

例えば北海道に移動するにも、ビジネスであれば飛行機という選択肢、観光であればフェリーやカシオペアなどのスローな移動手段、北海道の風に吹かれたいバイカーやサイクリスト、私のような目的であればクルマに機材を積んで走り回ることも出来ます。
「20年後でもまだ新幹線?」というのは、便利尽くしの生活にどっぷりと浸かった私達の視点でしかありません。

夏の気候が穏やかなシーズンにポロ一枚でプラプラ観光(廃線巡りですけど…)している私には想像も出来ないような冬季の過酷な生活環境に安全・安定的な高速移動手段である新幹線はまさに北海道道民の悲願でもあると思います。

首都圏の利便性の拡大とかではなく、北海道が本州の高速交通のネットワークに繋がれるという視点で考えれば、それが平成47年だろうが「それでも新幹線に…」というのは当然の気持ちであると思います。

クルマにしか興味の無い頃の私だったら「何で今更新幹線なのかねぇ~」などとほざいていたかも知れません。



駅舎内を鑑賞します。

北海道駅スタンダード通りのクールで清潔感溢れる待合所です。

駅員配置駅ですので改札業務が行われています。

グリーンに塗られたやけに重厚感のある改札ラッチがあります。

ステンレス製ではなさそうです。



近くに寄って観察します。

…ペンキの剥がれた部分を見ると、どうやら外装は「木製」みたいです。(*本体はコンクリート製“Reinforced Concrete”かも知れませんが…)

現役の駅でこのようなクラシカルな改札ラッチを残してあるなんて珍しいと思いました。

発車時刻案内パネルの隣には「構内案内図」が掲げられていますが、何となく変な感じがしませんか?

1番線の表示が無いという…



駅員配置駅ですので「入場券」を購入し駅員さんにチェーンを外して頂きホームへと出ます。

“1番線ホーム”に出ましたが、何か変だと思いませんか?

なんと1番線の路盤はレールが剥がされていて使われていないのです。

ここがかつての「胆振線」ホームでありました。

こちらが函館方面。



そしてこちらが小樽、札幌方面であります。

おっと、跨線橋がありますね。

「渡らなくちゃ!」であります。



この跨線橋で2番、3番線ホームへと向かいます。



窓の建具はアルミサッシに換装されていますが、なかなかクラシカルな雰囲気を留めている跨線橋です。

天井は木製で古レールが梁材として使われているのが分かります。



跨線橋の連絡通路部です。

逆Ⅴ字型の屋根も木材と梁は古レールのハイブリッド?です。

通路にはセンターラインが引かれていて右側通行のようです。

はたしてセンターラインが必要なほどの乗降客の往来があるのかなぁ?などと失礼なことを思い浮かべましたが、通路の轍?というか色の変わった足跡を観察すると、やはりレーンに従って通行しているように見えます。



通路正面には2番線、3番線の行き先表示があります。



2番線、3番線ホームへとやってきました。

本日は小学生?の課外授業らしく子供達が引率の先生方とスケッチに取り組んでいました。

教育熱心な地域のようで、先生との会話とかを聞いていてもとても礼儀正しく教育レベルの高さを感じました。



跨線橋を函館方面に向かって見てみます。

かつてはこちらにも出入り口があったようですが、パネルによって塞がれています。



井桁の駅名標の前にはプランターの植えられた花々が置かれています。

無機質な雰囲気の強いホームに人の温もりが添えられ、とても和む演出です。



どこかで見た記憶のある展示があります。

「むかい鐘?」

「確か小樽駅のホームでも見たことあるなぁ」と説明パネルを読みます。



「やっぱそうだったのか!」

小樽駅のミニュチュア・レプリカだったのですね。

しかし…「鐘の由来」に続く文章、文頭…なぜ「こ」が抜けているのでしょうか?



ホーム上屋の構造材にふんだんに利用されている古レール。

実に見事なRで曲げられているレールに職人技を感じます。



さらにこちらのホームからは「機関庫」を観察することが出来ます。

現役で使用されているように見受けられました。



そして、その先に思わぬ構造物を発見!

「あれ?もしかして…あれは転車台?」

思わぬ見付け物です!

廃線の胆振線ばかりリサーチしていて現役駅の「倶知安駅」のことはろくにリサーチしていなかったので、まさか「転車台」が残っているなんて思っていませんでした。

全く期待していなかったのでその喜びもひとしおです。

背後にはかなり傾斜のきついゲレンデがあります。

駅裏にいきなり上級者向けのゲレンデか?

転車台の鑑賞はページを改めてお伝えします。



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六郷駅 胆振線 9月1日 2015年

2016-02-17 | Weblog
胆振線沿線で唯一本格的鉄道遺構が保存、展示されているのがこの「六郷鉄道記念公園」です。

公園内には車掌車と客車、ホームには駅名標 腕木信号機、踏切警報機、9600形蒸機の動輪などが展示されていて、かつての胆振線駅構内の様子が再現されています。

現在展示されているホームはレプリカで、実際のホームは公園西側に残されている…と、Wikiの解説にありますがそれらしいものは発見できませんでした。

この点に付いては2016年の北海道旅行の取材の際にもう一度、自治体や観光案内に訊ねて確認してこようと思っています。

*六郷鉄道記念公園訪問は今回が初めてではありません。



2013年に訪れた際には、公園内の整備作業が行われていました。

「工事標識」に記載されている工事名は「6号鉄道記念公園トイレ改修工事」と記載されています。

自治体の登記上の名称は「6号…」なんでしょう。

2013年 六郷駅の記事はこちらから。



公園の入り口の姿です。

2013年に訪れたときに「トイレ改修工事」が行われていましたが…そのトイレの屋根にはブルーシートが掛けられています。



公園の雰囲気は全く変わりが無いように見えます。



9600形の動輪もそのままです。



車掌車と客車がホームに停車してそこには駅名標が掲げられています。

胆振線廃線跡に設けられた記念公園としては素晴らしいものです。




踏切警報機と第三種車止め…

かなり偏見かも知れませんが、北海道の廃線にはこの「第三種車止め」が似合います。


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参郷駅 胆振線 9月1日 2015年

2016-02-17 | Weblog
前を走る道路「西三号線」から命名した参郷駅の遺構はアスファルトの道路に刻まれた補修跡と残された踏切警報機の基礎部分だけでありました。

畑の中へと真っ直ぐに伸びる路盤跡の先は「寒別駅跡」へと続きます。

駅待合所は路盤跡左側…雑草が黄変している辺りにあったのではないでしょうか。



同じ場所から倶知安方面を振り返ります。

遠くに見える山は「ニセコアンヌプリ」です。

路盤との境目は分からなくなっていて広い砂利置き場として利用されているようです。

砂利山に轍があるところを見ますと、キャリヤ・カーに車両を積載する時のスロープとして使われているのかも知れません。



さらに同じ場所から左を見ると一時停止の標識が見えているところが国道276号線になります。



右手を見ますと遠くには山頂が雲に覆われた「羊蹄山」が見えます。

踏切の修復跡の近くには踏切警報機の基礎部分が残されています。

路盤を挟んだ向こう側にも同じような基礎部分を見ることが出来ます。



コンクリートの基礎部分には切断されたアンカー・ボルトが4本残されています。

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寒別駅 胆振線 9月1日 2015年

2016-02-16 | Weblog
南京極駅から北岡駅までは、初心者にはちょっとハードルが高くて分かり易い遺構に遭遇することもなく悶々としていたところに漸く一目で分かる鉄道遺構が残されているのが「寒別駅」です。



これなら、廃線巡り初心者でも直ぐに「おぉ!」と感動できます。

ホームの遺構に車を停めて作業をされているのは、近くの河川で「ラフティング」を指導しているショップの方でした。

先程、オデ君の車窓から川面のボートが見えました。

私がこの遺構を写真撮影していると不思議に思われたようで「どうしたのですか?」と訊ねてこられました。

「ここは胆振線寒別駅のホームが残されているのでそれを撮影しているのです。」と説明すると「ここがホーム跡だとは全然知らなかった」と仰っていました。

確かに、鉄道などに興味の無い方には、ただの「石垣」にしか映らないでしょう。

「もし撮影に邪魔になるなら車を移動しましょうか?」と気を遣っていただきましたが、趣味の撮影のために仕事を中断して頂くわけには行かないので「大丈夫です!」と遠慮しました。

これが地域と共存する今の寒別駅跡の姿なので“ありのままの姿”が良いです。



すっかり生活の一部となった寒別駅ホームです。

ボートを積載するのにも便利なスロープなのかも知れません。



ホームの端部まで鑑賞しながら歩いてきました。

振り返って倶知安方面を見ます。

路駐のオデ君が見えます。

通りすぎるクルマはありません。



見渡すと畑一面で住む人も少ないようです。

この畑の中を胆振線が走って行ったのですね。


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北岡駅 胆振線 9月1日 2015年

2016-02-16 | Weblog
座標が示す北岡駅跡にやってきました。

辺りは畑と農家の倉庫と思しき建物が数棟あるだけで鉄道遺構を思わせるものは見当たりません。



道路のアスファルトの継ぎ目など「もしかかたら…」と思わせるような部分もありましたが…



畑の向こうに赤い片持ち屋根の小さな建物が雑草の隙間から見えています。



矢印で示した部分です。

もしかしたらこれが北岡駅の待合所として使われていた建物だったのかも知れません。

国土交通省のカラー空中写真を見ますと、単式ホーム1面の棒線駅であった北岡駅の待合所は、ホームから少し離れた場所にありました。

今立っている場所から方角も距離もピッタリのように見えます。

近付いて見てみたかったのですが畑の中にポツンと残され、そこへ無断で立ち入るのには憚られ道路からの観察だけにしました。

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京極駅 胆振線 9月1日 2015年

2016-02-15 | Weblog
東京極駅からわずか1.2Kmほどの距離に「京極駅跡」はあります。

駅跡…というか駅があった跡にはJAの貯蔵施設となっています。

時折、大型車両が施設に出入りしていきます。



2車線の道路ではありますが、その大型車両の出入りに邪魔にならない場所にオデ君を駐車します。

ここは「人参」の搬入路となっているみたいです。

もう一方の搬入路は「馬鈴薯 受入」と書かれた看板が出ています。

列車交換可能駅であった京極駅ですが、JAの施設として再利用されている現在は、「廃線・廃駅鑑賞」など個人の趣味で敷地に立ち入ることは出来ません。

道路から遠目に施設を眺めるだけです。


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東京極駅 胆振線 9月1日 2015年

2016-02-15 | Weblog
東京の極み?

東京極駅は→“ひがしきょうごく”と読みます。

京極駅の東に位置する駅…という意味でしょう。

駅入り口の前を走る道道784号線には道南バスの待合所が設置されています。



道道から駅への入り口に続く道を見ます。



正面が駅舎があったと思われる場所であります。

舗装が途切れるところが自治体と駅の敷地との境界であったと思われます。



工事中の場所から振り返って道道の方向を見ます。



かつて駅舎があった辺りには建機が入りなにやら工事中でありました。



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