Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

小幌駅 駅廃止の危機 室蘭本線 9月1日 2015年

2016-01-29 | Weblog
ようやく「小幌駅」についてレポートを始めますが…



まず最初に重要なお知らせがあります。

「なんと!」小幌駅はどうやら廃止の危機を免れたようです。

上図は試しに「乗り換え案内」で洞爺→小幌 の経路検索を行ったものですがしっかり検索結果が示されました。
つまり…まだ営業中ってことですね。

報道によりますと、

JRから小幌駅廃止の意向を受けた豊浦町は町の観光資源のキーとして「小幌駅」存続を申し出て、両者で協議した結果、町が維持管理費などの負担を条件に両者で協定の締結が行われるようです。

小幌駅があるエリアは「洞爺湖有珠山ジオパーク」として「日本ジオパーク」「世界ジオパーク」に認定されていますが、小幌駅から徒歩でしか訪れることが出来ない「岩屋観音」がその重要なジオサイトの一つとして認定されていることが今回の駅存続の一つの大きな理由でもあります。

決してレールファンの秘境駅としての人気に阿る(おもねる)結果ではないというのがポイントですね。

理由はともあれ、レールファンにとっても嬉しい結果であります。

また豊浦町にとっても観光資源としてレールファンのみならず海外からも多くのジオパークファンを町に誘致するきっかけとして今回の「廃止騒動」はプラスの報道となったようです。

…という訳で、これからも普通の景色として観ることができる小幌駅ですが、それを踏まえて御覧ください。



洞爺駅から乗車したその列車にはおよそレールファンと思しき人の姿は無いと思っていました。

先頭車両(2両編成ではありますが)の最前面でかぶり付きで車窓を見ている人など私以外いませんでしたから…

ところが、小幌駅に停車すると「あれ?」って思うほど降車客いたのにビックリ!

そしてすでに多くのレールファンが駅にいるのにもまたビックリです。

自分独りで静かな時間を過ごせると期待していましたが、甘過ぎました。

背中に背負ったバッグには「トラベラー」を格納していたのですが、この賑わいでは出せるはずもありません。



構内踏切の近くの小屋窓にはこのような注意が貼られています。

「マムシ」が生息しているようです。

秘境駅ですからね、そのくらい居るでしょう。

千葉のガレージにだってマムシ居ますもん。



構内踏切から洞爺方面を見ます。

ホームはトンネルを出てすぐに設置されています。

小幌駅に停車する列車は一日5便ほどですが、ここは室蘭本線別名“特急街道”

すごい勢いで特急列車や貨物列車がかっ飛んでいきます。



基礎だけが残された駅の建物跡。

離れた場所にあるのはトイレのようです。

使用できるのか確認はしませんでしたが、先のような理由で駅が存続されたわけですから、ジオパーク・ファンなどの観光客のためにもトイレの整備は必須でしょう。



同じ基礎の延長には新しい建物があります。

「函館保線所倉庫」とプレートが掲げられています。



この小路が海岸に行く道のようです。

岩屋観音にもこの路を使うようです。

レールファンとは少し香りの異なる山歩き系スタイルの人がこの路を歩いてゆきました。

いずれは「海岸方面」とか「岩屋観音方面」とか案内プレートが設置されるかも知れません。



構内踏切を渡って室蘭方面ホームへと歩きます。



ホーム上から長万部方面のトンネルを見ます。



駅名標の元には「駅ノート」が格納されたケースが置かれていてレールファンの方々がそれぞれの想いを書き込んでいました。

ちなみにレールファン歴の短いオジサンは、見たことも書いたこともありません。



こちらのホームとトンネルとの距離は若干離れていてそこには電気関係の保守小屋があります。



ホームには駅名標、時刻表のほかに、秘境駅ならではの駅利用の注意やマムシ注意のパネルなどが見られます。



マムシ注意のプレートです。

注意喚起にはなかなか効果的なデザインだと思います。



マムシ部分をアップしてみます。

余分な天敵とかが居ないためでしょうか、マムシの捕食環境は良好のようでかなり体格の良い固体に見えます。

場所は先程の「函館保線所倉庫」のあった基礎部分のような気がします。



ホームの終端部から「電気小屋」を見ます。

建物の入り口には「函館電気所 機器室」というプレートが掲げられています。

煙突があるところを見ますと、ここで待機することもあるのでしょう。



さらにそこから室蘭方面のトンネルを見ます。



トンネル入り口には「礼文華山」「L=2727m」というトンネル名プレートが掲げられています。

結構長いトンネルです。

礼文華山には礼文華山道、礼文華古道という道がありハイキング客に人気のルートのようです。



こちらのトンネルには二枚のプレートが掲げられています。

長万部方面のトンネルには「幌内 L=318m」というプレートが、もう一方には「美利加浜 L=563m」というプレートが掲げられています。



秘境駅としてスポットライトが当てられている小幌駅でありますが、その生い立ちは「信号場」としてスタートしました。

このわずかばかりの「明かり区間」で列車の交換を行うために設置されたのがこの小幌信号場でありました。

この写真を見ますと、洞爺方面には三つのトンネル坑道を見ることが出来ます。

その真ん中は赤いパネルで塞がれています。

そこに向かう線路も残されています。



振り返って長万部方面を見ますと、「幌内」トンネルへ向かう2条の線路がはっきりと確認できます。

「美利加浜」トンネルは、複線化のために幌内トンネルに平行して掘削された新トンネル。

小幌駅はそもそも駅としてスタートしたのではなく信号場であったので今回の「廃止騒動」も駅としての役割を廃止するのではなく、本来の姿に戻る…というほうが正しい表現だったのかも知れません。

これが小幌駅の素顔であります。


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洞爺湖の朝 9月01日 2015年

2016-01-27 | Weblog
大好きな洞爺湖の“朝が来た”です。

いつ見てもその美しさに目を奪われます。

特に夜の空が茜色からオレンジ色に そして淡いブルーのグラデーションに変化していくその様は、そのスケールにおいても最近流行の「プロジェクター・マッピング」もかくやと言うほどの「天体ショー」であります。

目の前には洞爺湖のアクセントなる「中島」が、そして遠くには「羊蹄山」の頂が見えています。

洞爺湖では朝の洞爺湖を眺めながらの朝食が楽しみの一つでありますが、本日は出発が早いので朝食抜き素泊りプランです。

ホテルから予約したタクに乗り洞爺駅へと向かいます。



朝の洞爺駅駐車スペースであります。

昨日とは様相が一変…たった2台しか駐車していません。

「くそ~ガラガラじゃん!」と悔しがりましたが利用規定では30分がその限度とされていますので仕方がありません。

諦めるしかありません。

花壇の花が綺麗ですね。

立体的なレイアウトと色の広がり感が素敵です。



1番線 長万部方面普通列車は8:07 と表示されています。

小幌駅には確か…8:33 の到着です。



小幌駅までのチケットとタクの領収書

駅の駐車場がガラガラだったのが余程悔しかったようです。



検札が開始され改札を通りホームに立ちます。

長万部方面1番線ホームには列車を待つ人の姿はありません。



向かい側2、3番線ホームには列車の到着を待つ人の姿が見られます。

古レールを再利用したホーム上屋はこうして見ると、「レールの回廊」みたいで美しいです。



列車の料金表示器に「小幌」が表示されました。

トンネルを抜けると次のトンネルとの短い区間に設置された「小幌駅」が姿を現します。



小幌駅の姿です。

日本一の秘境駅と名高い「小幌駅」ですがそのネームバリューと小幌駅廃止の報道に多くの鉄道ファンが押し寄せ秘境駅とは?マークがつくような賑わいです。

およそ鉄道ファンとは見えないようなカートを引いた女性の姿が見られる辺りは「秘境小幌駅」の今の立ち位置を表すもののようです。

Teaser campaign のようで恐縮ですが、今回は小幌駅までの【アプローチ編】ということで一旦区切り次回その詳細をお伝えいたします。




9月1日のGPSによる走行軌跡です。

列車で移動している区間はもちろん非表示です。

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洞爺駅 リサーチ 8月31日 2015年

2016-01-26 | Weblog
黒松内駅から道央道を走り本日の宿泊地である洞爺湖に到着です。

約50Kmほどの道のりですが高速道路を走っての道のりですのであっという間です。

まず、JR洞爺駅にやって来たのは、明日「羽幌駅」を鑑賞に行く為に列車に乗らなくてはならず、ホテルからオデ君に乗って駅にやって来て駐車場は確保できるのか?という問題に対処するためです。

当日、駐車場が無くて列車に乗れなかったのでは話になりませんからね。

駅前の駐車場は約12~3台ほどのスペースが用意されていますが本日は一台だけ空きがあってオデ君を駐車させることが出来ました。

翌日、同じような状態でオデ君を駐車させることが出来なかったらマズイなぁ~と思い、別のプランを考えることにしました。

駅には「トレイン&カー」というプランがあって、クルマで駅までやって来てJRの駐車場にクルマを預けて列車を利用する…というプランです。

「やったぁ!」まさにお誂え向けのプランではないでしょうか。

早速、窓口で手続きをしようと申し込みます。

すると「普通列車ではこのプランは利用できない」とのことです。

ならば急行料金でも特急料金でも支払うから何とかならないか粘ったのですが、やはり根っ子が国鉄のJRですから対応はあまり柔軟性がないように感じました。

「お金で済むことなら…」と思ったのですが残念な結果でした。

通勤以外殆ど列車を利用しないオジサンですからあまりナイスなプランが思い浮かびません。

今思うと…長万部辺りまで急行列車料金でチケットを購入すれば良かったのかなぁ~なんて思っています。

すでに羽幌駅までチケットを購入してはいましたが…

結論は…本日宿泊のホテルにオデ君を預けホテルから駅まではタクを利用するという方法を選択することにしました。

駅前のコンビニで買い物をしてそのままクルマをコンビニに置いて列車に乗る…なんてことも過ぎりましたが「大人のやることじゃないな」と思い直しました。

旅行途中で「駐車違反」や「違法駐車」などのトラブルにならないよう、お金で済むことなら「最も安全策」を選択するのが宜しいと判断しました。



駅舎前には2008年洞爺湖サミット開催記念碑が展示されています。

サミット開催地は世界遺産と同等の洞爺観光における集客の勲章といえるでしょうね。

外国から来日する観光客にも世界的なアイコンとなります。



洞爺駅のリサーチを終え本日宿泊のホテルにチェックインします。

洞爺湖に訪れた際には「洞爺サンパレス」というホテルが部屋からの眺めと温泉がお気に入りで利用していましたが、今回は洞爺駅に少しでも近いホテルとおもい初めてのホテルに宿泊です。

低層階のホテルなので洞爺湖の眺めはいつもと違いますが、それでも十分に美しくそれを堪能することができました。

一応、露天風呂もありましたし…



私は「和室」が大変苦手で今回のような「特別な理由」が無ければまず宿泊することはありません。

ルーム・チャージは驚くほど安かったです。

チェック・インの際には翌日のタクの手配をお願いしておきました。



本日の走行は306Kmでした。

瀬棚線と寿都鉄道…寿都鉄道は日本海側から太平洋側へと戻る帰り道の“ついで”のような鑑賞で申し訳なかったと反省しています。

次回はもっとまじめに取り組みたいと思っています。



もう一度、8月31日の全ルートを見ていただきます。

ようやく8月31日の記事の投稿が終了です。

長かったですね…人事みたいですが。

明日は2015年北海道旅行の一つのハイライト「羽幌駅」鑑賞です!


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黒松内駅(現駅?現役) 寿都鉄道 起点駅 現函館本線駅 8月31日 2015年

2016-01-23 | Weblog
寿都鉄道起点駅 そして函館本線“S30”の黒松内駅にやってきました。

現在は駅員配置の無い無人駅ですが堂々たる威容を誇る駅舎であります。

駅名が臙脂色の壁面の正面に黒い文字で「黒松内駅」と縦書きされています。

駅のデザイン・モチーフは? 何を表しているのかは分かりません。



駅待合所に入ってみます。

綺麗に清掃されています。

かつて駅業務が行われていた窓口や路線図や料金などが掲げられていたところにはパネルが張られています。

ストーブは夏の間は取り外されていて天井の煙突は不思議な形になっています。

改札ラッチを通り抜けてホームへと出てみます。



こちら1番線ホーム函館方面、隣駅は「蕨岱(わらびたい)駅」です。



こちらは札幌方面、隣駅は「熱郛(ねっぷ)駅」となります。



1番線ホームには天然記念物指定北限ブナの木が展示されています。



温帯林の主木ブナの木に付いての説明パネルが展示されています。

昨今の温暖化で「北限」も吊り上ってきているのでは?などと思いながら眺めていました。

温暖化のお陰で北海道でも“ゆめぴりか”等をはじめ上質な米が生産される時代ですからね。



さて…

目の前に跨線橋の入り口があります。

早速それを渡ってみます。



階段はコンクリートと木材の“ハイブリッド”風です。

壁面は建材パネルでカバーされています。

窓の建具はアルミサッシに交換されています。



跨線橋上部の連絡通路部分も同じような構成となっています。

通路の基部は木製の梁材が使われているようです。

通路自体はアスファルト?が敷かれています。



こちらの跨線橋入り口付近のパネル材が張られいない部分からは、往時の木部を見ることが出来ます。

ここだけパネル材を張らず木部を露出させているのには何か理由があるはずですが…それは分かりませんでした。



こちら2番線3番線ホームは島式で2線を有していますが、3番線のレール表面の状態を見るとあまりトラフィックがあるようには見えません。



同じホームから隣駅「熱郛駅」方面を見ます。

そのレールの外側には何となく路盤跡と思しきスペースが残されています。

寿都鉄道のホームは函館本線の外側に設置されていて、跨線橋もそこまで延長されていたようです。



ホームから本線を挟んで駅舎を眺めてみます。



ホームの切欠き部分も気になりますが…

黄色い花を付けた草が盛り上がって見える辺りが「寿都鉄道」のホームであったのかなぁ?などと想像しました。



線路越しの一番線ホームに「ランプ小屋」を発見!

先に「函館北斗駅」新駅舎前に残されたランプ小屋を見てきましたので「おっ!またランプ小屋ゲット!」なんて乗りでジロジロ見てきました。



このような歴史を纏った煉瓦造りの建物は雰囲気があって良いですね。

この「黒松内駅」でもぜひ大切に保存して欲しいものです。




入り口の鉄扉には、これも歴史を感じさせるような“南京錠”が掛けられています。

かつて「ランプ小屋」はその名の通り信号や列車の照明のための燃料を保存するものでした。




近年ではどのようなものを格納しているのか…もしかしたら待合所に設置するストーブなどを格納してあるのかも知れませんね。

思わず良い物件を見つけてしまいました。

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中の川駅 寿都線 8月31日 2015年

2016-01-22 | Weblog
実は…寿都鉄道にはあまり多くの期待をしていませんでした。

というか、頼りにしている北海道新聞社刊「北海道の鉄道廃線跡」には写真等は一枚も無く、その沿革について僅か1ページほどのスペースで述べられているに過ぎない路線です。

結局、ガイドブックに取り上げられていないと自力では殆ど何も出来ない超初心者の情け無いオジサンであります。

最初から殆ど遣る気無く途中の「樽岸駅」「湯別駅」をすっ飛ばして、いきなり「中の川駅跡」までやってきてしまいました。

廃線跡を鑑賞して歩く…ということに対しての姿勢としては「いかがなものか?」と言われても仕方がありません。

初心者だから…という言い訳では通用しない遣る気無さであります。

さすがにこれではちょっとマズイだろうと反省しております。



中の川駅跡には「中の川地区集会所」のプレートが掲げられた建物があります。



その建物の壁面には、寿都駅跡で見てきたのと同じデザインの駅名標が展示されていました。



集会所の前の道のその先は道道9号線となり右に折れると黒松内駅までは約4Km弱であります。


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寿都駅跡 寿都鉄道 8月31日 2015年

2016-01-21 | Weblog
瀬棚から国道229号線を海岸線に沿って走り寿都湾を望む高台にある寿都駅跡にやってきました。

「寿都駅跡」は黒松内駅を起点とする「寿都鉄道」終着駅です。

寿都駅跡は「寿都町総合庁舎」となっています。

町役場や消防署などが入庁しています。

役場入り口の駐車スペースには寿都駅の駅名標が展示されています。

かつての寿都駅に設置されていた駅名標の写真を見ますと微妙に異なっていてこちらがレプリカなのが理解できます。

展示されている駅名標の表記は「すつ」となっていますが当時の写真の駅名標では「すっつ」と子音が挿入されています。

漢字の寿はどちらも旧字体「壽」で表されています。

壽の華やかさと威厳とを表すような美しい良い字ですね。



庁舎前に展示されている駅名標です。

駅名標前は駐車スペースとなっていて、私がその写真を撮影しているのを見たドライバーの方がそれを察してクルマを移動してくださいました。

気楽な観光客の私のために配慮して頂き感謝しています。



緩い坂を上った正面が総合庁舎となっています。



寿都町総合庁舎と彫られた石版が、定礎の石板のように設置されています。



そこから振り返ると緩い坂道のその先は、寿都湾を望む海が映ります。


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瀬棚駅 瀬棚線 8月31日 2015年

2016-01-19 | Weblog
ようやく瀬棚線終着駅「瀬棚駅」の記事に着手です。

*余分なことを書いているから2015年8月の記事がまだ書き終えません。

ブログ的に「ようやく」であって、当日の行動としてはかなりスムースに瀬棚駅跡に到着することが出来ました。

撮影データの時間を見ますと、瀬棚駅跡で撮影を開始したのが12時08分となっています。



瀬棚駅のホーム跡があったところには瀬棚駅の駅名標と瀬棚線全線の駅名が彫られた記念碑、そして“48”の距離標が展示されています。



記念碑には瀬棚線各駅のプレートとその下には「瀬棚線のあらまし」と表題された記述が見られます。

しかし、石材の色がグレーで非常にコントラストに乏しく、とても読みにくい「難読記述」であります。



駐車スペースには頼りになる「相棒」オデ君の姿が見えます。




この裏面の表情もど~なんでしょう?

廃線書籍には決まってこの石碑が登場するのでお馴染みの姿ではありますが、出来たら“デザイン・ポリシー”など製作者に伺ってみたいものであります。

右下に見える黒いプレートには「平成10年3月建立」と書かれています。



「瀬棚町総合福祉センターやすらぎ」という施設の全景です。

正面に見えるのがデイサービスのような施設で4棟目が「せたな町公営温泉浴場」という施設となっていました。



「せたな町公営温泉浴場」の入り口であります。

“ゆ”の暖簾が控えめに掛けられています。



入り口にはチケット・ベンダーが設置されています。

入湯価格は…大人¥400 高齢者¥200 となっています。



駅跡敷地のかなり広い位置を占める場所には「荻野 吟子」女史の功績を称える「荻野吟子女史顕称碑」が建立されています。

荻野吟子女史は10代にして結婚しその時受けた心身の傷から同じ悩みを持つ多くの女性を救おうと女性医師を目指します。

その志は男性社会であった医学界の多くの障害を乗り越えるモチベーションとなり、日本初の女性医師として医師免許を取得し東京湯島に「荻野医院」を開業しました。



そこまでは私のような者でも知っていましたが…その荻野吟子女史の記念碑がなぜ瀬棚町にあるのだろう?…と思いました。

早速、Wikiの解説を読んでみますと、荻野吟子女史は志方之善(しかたゆきよし)という方と再婚します。

その方は敬虔なキリスト教徒で、キリスト教徒の理想社会を作るという理想を掲げ単身北海道に渡ります。

その理想郷として選んだ地が、なんと!イマヌエル→今金町だったというのです。

先ほど訪れ「豊かな土地だなぁ~」と感想したあの今金町です。

後に妻の吟子も北海道今金町に渡り瀬棚町に診療所を開業し地域の人々の診療に専心します。

なるほど…その時の業績からこうした「顕称碑」が建立された背景があった訳です。

美しい容貌の内には鋼のように熱く真っ直ぐな「人々を救いたい」という志が秘められていたのですね。

廃線巡りをしていてこんな勉強になるとは思いませんでした。



瀬棚駅跡から229号線日本海側をわずか走ると海に聳える「奇岩」が目に入ってきます。

瀬棚町の観光シンボル「三本杉岩」です。

「せたな観光協会」のホームページの解説では、岩は30mほどの高さの安山岩でその頂頭部には「岩松」など寒冷地特有の植物が繁茂しそれがあたかも「杉」のように見えることから「三本杉」という名称がついたそうです。

写真のように「三本杉」とはいっても、寄り添う二本と一本は離れていて、それを三角関係の悲恋に見立て「主は三本杉よ、二本離れて妾しゃ独り」の民話を生み追分節にのって内地に渡り愛唱された…と解説されています。



三本杉の見える堤防にはなぜか「蛸」の彫像が展示されています。

辺りには解説のプレートも見当たらず、一体何のことなのか分からずじまいでありました。

*せたな観光協会に電話をして彫像について尋ねてみました。

かつてこの付近には「せたな水族館」という施設があったそうです。

廃止、解体されたのは「私が子供の頃だから20年ほど前…」と仰っていました。

瀬棚線が廃止されたのは1987年ですから、廃止後しばらくして水族館も廃止されたようですね。

その施設の一部としてこの彫像も作られたらしいのですが、本屋解体の際にこの彫像は残されたそうです。

なるほど納得ですが…せっかくですからかつてここに小さな「水族館」があったこと、そしてこれが残された彫像がであることを記してあげれば…と思いました。

お忙しい所、教えてくださった観光協会のスタッフの方ありがとうございました。



まだ鉄道には興味がなく観光地巡りとして北海道を歩いていた時に「道の駅スタンプラリー」に参加したさいに立ち寄った記憶があります。

懐かしかったですね。

10年経つと趣味も好みも変わるものです。

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流星号、応答せよ、流星号   1月16日 2016年

2016-01-18 | Weblog
「スーパージェッター」というSFアニメ作品をご存知でしょうか?

50歳代年配の方々ならご存知の方が多いと思います。

1965年から66年までTBS系列局で放送されていたもう50年も昔のアニメ作品です。

今頃なぜ?そんな話を…と思われるとおもいます。

先日も軽井沢で重大な観光バス事故が発生してしまいました。

ニュースでは自動車事故、飲酒運転など相変わらず絶えることがありません。

やはり人間に運転を任せていたのではこの様な事故は永遠に無くならないのかも知れません。

2020年には「完全自動運転」ではないでしょうが自動運転(多分運転者が同乗している条件付自動運転だと思います)が実用化される見通しです。

R107のブログを書くぐらいですから当然「クルマ好き」「運転好き」な私です。

「チッ、自動運転のクルマなんて…」と当初は思っていましたが、「待てよ…」と気付きました。

「なにも乗せてもらうだけが自動運転車の使い方じゃないな」…と。

廃線巡りをしていると、廃駅と廃駅との区間の路盤を歩いてみたいと思うことがあります。

しかし区間距離5Kmほどを歩いてもクルマの置いてあるところまで戻らなければなりません。

往復10Kmを歩くことになります。

これでは一日に何駅も鑑賞することが出来ません。

一度、フォールディング・バイク(折り畳み自転車)を積んでいったことがありましたが、廃線の路盤跡などブッシュの中を歩くにはかえって足枷となってしまうことを悟りました。

実際、クルマを回送してもらうバイトを雇おうか…などと考えたこともありました。

しかし…完全自動運転のクルマなら、歩いて次の廃駅跡に到着する頃はもう先回りして駅で待っていてくれる…そんな使い方も出来るはずです。

これは廃線巡りには強力なツールになります。

廃駅巡りばかりでなく、都内の買い物や食事の時も「駐車場の空き待ち」に小一時間も時間を浪費することなく、クルマにはその辺を適当に流していてもらい用事が済んだら「流星号、応答せよ、流星号」とか言って迎えに来てもらえば良いですね。(*その為の交通渋滞は取り敢えず置いておき…)

そう考えると、人間ドライバーが運転することが出来なくなる未来のクルマ決して悪いものでは無さそうです。

「どーしても自分の手で運転したい!」という方は、今の「乗馬クラブ」みたいなところ(サーキットかな?)でクルマの運転をスポーツやレジャーとして楽しむようになるでしょう。

それにしても、先の「スーパージェッター」というアニメ作品。

50年も先の未来のクルマ社会を見事に捉えているのに驚きます!

ちなみに、ジェッターが流星号に呼びかける腕時計型の発令器はまさに近年話題の「ウエアラブルPC」「siri を搭載した Apple watch」そのものです。

*当時は「PC」とか「インターネット」などの概念は無く、流星号に搭載されているのは「電子頭脳」というのが泣かせます。

冒頭、なんでロードス君の写真なのか?…といいますと私のイメージでは一番「流星号っぽい」のがロードス君と思ったからです。

それに…余分なことを書いている暇があるならさっさと北海道の記事を書き進めればよいのに…とも思われているでしょうね。

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北檜山駅 瀬棚線 8月31日 2015年

2016-01-13 | Weblog
瀬棚線終着駅の瀬棚駅まで約5.4Kmの「北檜山駅跡」にやってきました。

国道229号線から駅正面へとアプローチする道路には「北檜山駅5号線」のプレートが掲げられています。

駅導入部にこのような標識を認めると初心者としては本当に心強い限りです。

…とは言っても「北桧山駅跡」は写真のようにかなり大きな駅舎が残されておりそれが函館バスの営業所と待合所として運用されていますので鉄道廃駅などに全く興味のない方にでもそれは容易に認めることが出来ます。



終着駅のひとつ前の駅ですが…かなり立派な駅舎であります。



駅舎前から商店街を見ます。



駅舎内に入ります。

北海道駅に良く見られる景色です。

室内中央に置かれたストーブを囲むようにベンチが配置されています。

そのカラフルなプラスティックベンチには手製の座布団が置かれています。

今も函館バスの待合所として運用されていますので「廃駅」の香りは全くありません。



駅舎からホーム側…今はバスの乗り場となったところから駅舎出口を見ます。

床を見ますとそこには「改札ラッチ」が設置されていたのでは…と想像される補修跡があります。



ホーム側から駅舎を通して駅前ロータリーを見ます。

駅舎はしっかりと残されていますが周囲は綺麗に舗装され、そこに瀬棚線の路盤あったとは想像出来ません。



構内の片隅には函館バスのタクシーでしょうか…「廃車」らしきクルマの残骸が置かれていました。


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丹羽駅(にわえき) 瀬棚線 8月31日 2015年

2016-01-08 | Weblog
北海道の地名らしくない丹羽駅はこの地を開拓した会津藩士「丹羽五郎」という人の名前に由来するとWikiに解説されています。

北海道の地名はアイヌ語の発音や意味を漢字に当てはめたもの、開拓に携わった人の名前や出身地などに由来するものが多いですが、こちらは後者に属する地名のようです。

丹羽駅はやはり初心者に分かり易い鉄道遺構は乏しい物件でありました。

座標が示す地点では、「確かにこの辺なんだけどなぁ~」と思うのですが、ちょっと自信が揺らぎます。



この空き地の状況や周囲の農業倉庫など、駅前の雰囲気はあるのですがWikiに掲載されている国土交通省のカラー空中写真と見比べると「うん~」と唸ってしまいます。

何となく微妙にずれているような…

空き地の中央部にはなにやら人工の構造物らしきものが見えます。



近くに寄って見ます。

コンクリートで形成された構造物のようで、想像ですがホームの上屋を支えるチャンネルの基礎などではないのでしょうか?

丹羽駅のかつての写真を見ますと何となくそれらしき鉄骨材が見て取れました。



空き地の前から瀬棚方向を見ます。

この道路は瀬棚線の路盤跡ではないような気がします。

地図と比べると…この空き地が駅跡とすると路盤はこの向こう側にあるはずなのですが…

やはりこの辺りは初心者レベルの所感ですので全然当てにはなりません。

もう少し勉強してまたいずれ鑑賞してみたいです。




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神丘駅 瀬棚線 8月31日 2015年

2016-01-07 | Weblog
今金駅跡ではようやく鉄道遺構といえる展示を鑑賞して気分良く「神丘駅跡」にやってきました。

座標が示す「神丘駅跡」は初心者の私が見ても分かる、ホーム跡の土塁といい路盤の跡といい、まさに廃駅の遺構の雰囲気が残されています。



オデ君を路駐してホーム跡の土塁に近付きます。

国土交通省のカラー空中写真にも写っているホーム脇に植樹された樹木がすっかり成長して、ホームに覆い被るような勢いです。



さらに近付いてみます。

白い標柱のようなものが残されています。

「おぉ~!これは距離標かな?」と期待をしましたが、表面は真っ白で何だか分かりません。

Wikiの記述には「25Km/h の速度制限表?が残存していた」と記述されていましたが「そ~かなぁ?」と半信半疑であります。



この路盤の先を遠望してみます。

道路の向こうにも林の中へと続く路盤が見えるようです。

「見えるようです」?…そこまで行って確かめてこなかったのかい?と、突っ込まれそうですが、実はそこまではけっこう距離があったので、まさに望遠レンズで“遠望”している「横着者」でありました。



ホーム跡から瀬棚方面を振り返って見ます。

道道で寸断されたその向こうにも築堤が続いています。



瀬棚方面に向かって右側を見ます。



同じく左側を見ます。

一時停止の道路標識が見えているところが「道道936号線」です。



いかにも路盤があったと思わせる築堤です。



その築堤は20mほどで藪の中へと消えてしまっています。


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今金駅 瀬棚線 8月31日 2015年

2016-01-05 | Weblog
国縫駅をスタート後、廃線駅を訪ね歩いてきましたが、鉄道遺構らしきものに出会わないままここまでやってきました。

初心者にとっては「分かり易い」鉄道遺構にようやく巡りあいました。

今金駅跡地は「De Molen Imakane 」という施設になっています。

その施設の外観ですが…なぜか写真のように「風車」をモチーフとした建物となっています。

最近地方でよく見かける風力発電の風車とは全く異なる、本家オランダ?の風車の外観にソックリです。

なぜなのでしょう?

今金駅→風車…?

ユネスコの世界遺産に登録されたオランダの「キンデルダイク」の写真で見る風車網の外観にそっくりです。

「キンデルダイク」の風車網は干拓によって造成された国土の排水システムとして必要不可欠なものでその姿は機能の要求によって決定した外観でした。

もちろん内陸の今金町には「干拓地の排水システム」など必要ありません。

それがいま…目の前にあります。*そっくりさんではありますが…



「De Molen Imakane 」は、今金町商工会、観光協会 などが入居する複合施設であります。

「ふむ…観光協会かぁ~」と、良いことを思いつきました。

この風車の経緯を尋ねてみよう…と。



遠くに見える「青看」の辺りが国道230号線と道道686号線との分岐地点です。

1976年当時の国土交通省のカラー空中写真を見ますと、この辺りが駅前のロータリーとなっていたようです。



瀬棚線の路盤があった跡は「オランダ通り」という名称の遊歩道に整備されています。

さて…先の風車とこの「オランダ通り」

何かオランダと姉妹都市とかの関係でもあるのでしょうか?

ますます興味津々であります。



ここまで来てようやく目の当りにする鉄道遺構。

ホッとします。

駅名標のフレームだけが残された展示ですが、順番からするとここが「今金駅」の駅名標の展示となるはずですが…

パネルを取り外してリペアー中なのでしょうか?



線路の敷設された路盤に沿って、今金町内に所在した6駅の駅名標が展示されています。











美利河駅までが今金町内となるわけですね。

今金町ってかなり大きな町のようです。

向こうに例の「風車」が見えています。

ここから駅名標の裏側に回ってみます。

何となく「レプリカ」っぽい駅名標でしたので…



路盤の下に降りて駅名標の裏側を確かめてみます。

「真っ白」でした。

やっぱ、展示されている駅名標は「レプリカ」でしたね。

大切な駅名標ですから「本物」はどちらかに大切に保管されているのでしょう。



遊歩道の途切れた先はグリーンのスペースが続いています。

いかにも路盤の跡という雰囲気を残しています。

とても気持ちの良いスペースでありました。



こちらは引き返してきて、風車の建物の裏側?にあたるスペースです。

煉瓦と芝生のグリーンのコンビネーションがとても綺麗です。



こちらにも線路が敷設された路盤が展示されています。

この路盤は瀬棚線の路盤の位置そのものだそうです。

ここで風車の建物の2階にある観光協会へ行き、この「風車」と「オランダ通り」の経緯に付いて職員の方に訊ねてみました。

今金町の町花が「チューリップ」ということで「チューリップ」といえば「オランダ」ということで「オランダ通り」という名称が付けられたそうです。

そして「オランダ」といえば「風車」ということであの風車の建物がデザインされたようです。

ちなみに今金町の町花「チューリップ」は町民のアンケートにより昭和52年、開基80周年町制施行30周年を記念して決められたそうです。

町の印象から「今金町」はとても裕福な町と感じました。

古くは江戸時代より砂金やメノウ・マンガン等の鉱業が営まれ、近代では男爵いもや米、大豆、軟白長ネギや大根等の農産物の産出が行われているそうです。



ここが、遊歩道として整備された終点です。



道路を挟んで瀬棚方面に向けて路盤跡はまだ続いています。



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2016年 明けましておめでとうございます 

2016-01-03 | Weblog
明けましておめでとうございます。


いつもブログを閲覧して頂きありがとうございます。

穏やかな新年の幕開けです。

年末から年始にかけて朝から飲み続け食べてはゴロゴロの毎日です。

ジーンズがだいぶきつくなってしまいました。

2015年12月に神宮外苑に銀杏並木の黄葉を鑑賞に行ったときの画像が2016年年賀状になりました。

画像のカフェは年に一度、「Porsche Cafe」と姿を変えオーナーさん達で賑わいます。

私も一度だけ訪れたことがありますが…ちょっと違う空気を感じました。


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