Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

東京→函館 北海道旅行 第一日目-02 8月30日 2014年

2014-10-31 | Weblog
八甲田丸の外観の鑑賞を程々にして入館料金を支払って乗船します。

入り口の正面には、いつものように「リンゴ娘」がお出迎えです。

ほっぺがリンゴみたいで青森らしくて良いですね~



昔の警察官…お巡りさんはまさにこのような感じでしたね。



焼き芋屋さんの店頭を再現したものだと思います。

ご主人は“お洒落!”だと思いますよ。

格好良いですね。

まるで“PaPas Company”のモデルさんみたいです。



ブリッジの船員風お人形…後姿は“ドキッ”とするくらいリアルなのですが、前に回って表情を見るとちょっと“漫画”みたいですね。



ブリッジには「号鐘」が展示されています。



その「号鐘」の由来が書かれたパネルです。

本来の機能よりも船のシンボル的存在であると説明されています。



ブリッジのコンソールに並んだ計器類の隣には「余裕ある操船」という額が…

交通機関の一大命題である…「安全」ですね。

オデ君のコンソールにも常に視界に入る位置に「安全第一」とカードを貼ってあります。

少し離れた位置には「索敵」のカードも貼ってありますけれど…これはF-104Jスターファイターのコクピットの張り紙のまねっこです。



桟橋から列車を引き込み格納する船倉です。

昨年は三脚を担いで夢中で写真を撮りました。




天井を見上げると、複雑な形状をしたパイプ配管が見られます。

蒸気圧で稼動する機材に蒸気を供給する配管なのでしょうか…

じつに見事な曲線で配管がされています。



ここには、私の中では“ヒーロー的存在”の「控車」が展示されています。



DD16機関車に連結された控車。

現役時の働く姿の再現だと思います。

ただし、控車と機関車は桟橋からフェリーの船倉には入らなかったのだとは思います。




先の屋外展示の控車に比べれば、抜群の保存環境です。

いつまでもこの勇姿をお客さんに見て頂くことが出来ると思います。



控車の説明パネルです。

桟橋で働く控車の勇姿をビデオで紹介してあげたいですね。

控車の存在理由がより鮮明に伝わると思います。



八甲田丸の入り口を右側に行きますと多目的ホールがあります。

そこには、当船の運航に関する各種の書類や日誌、報告書などが展示されています。

この船を運航するためにこれほどの書類と多くの専門員の方々が尽力していたと実感させられます。

日誌などを見ていますと、「昔の方は字が上手!」という印象を受けます。

それはそうでしょうね…PCは勿論、“ワードプロセッサー”なども無い時代、ペンで書くしかないですからね。

オジサンはPCに頼り過ぎていて、簡単な漢字もろくに書けない体になってしまいました。



デッカいピストン!

勿論、この船の船舶エンジンのものなのでしょうが、それにしてもデカイです。



国鉄時代の時刻表も展示されていました。

この時代特有の描画感を感じました。



さて…フェリー乗り場にやってきました。

割と余裕を持って来たはずでしたが、すでに乗船待ちの車列の最後尾でありました。

いつもはそんなに多くの乗船客が並んではいないのだけれど…と思いましたが、本日はまだ8月夏休みの最終週です。

なるほどね…道理で混雑している訳です。



4時間ほどの航海をへて函館に上陸です。

もう函館は夕闇に包まれています。

函館駅前のホテルにチェックイン(昨年と同じ最上階に温泉のあるホテルです)してから、駅弁を買いに駅に行きます。

例によって、人気の弁当は売り切れです。

今回はこんな駅弁を購入してみました。



北海道旅行第一日目はこうして無事に終了です。

本日の走行距離は742Kmでした。





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東京→函館 北海道旅行 第一日目 8月30日 2014年

2014-10-29 | Weblog
ようやく2014年度の北海道旅行記事が書き始められます。

2013年の北海道旅行記事は長かったですね~(人事みたいに言っていますけれど…)

特に青函トンネルの記事が長かったです。

今思えば、今後二度と一般人が足を踏み入れることの出来ない場所ですから、もっと真剣に取材をしておけばと残念に思っています。

果たしてそのような教訓が2014年の北海道旅行には生かされているのでしょうか…

楽しかった2014年北海道旅行の余韻を噛み締めながら記事を書かせていただきます。




岩手山SAで給油&休憩です。

真っ青な空とキラキラした陽射し…スタートはまずまずの手応えです。

朝4時頃に東京を出発し、10時前にはこちらのSAに到着しました。



東北道青森ICを出てフェリーターミナルへ向かいます。

フェリーの出航時間までにはまだ間があるので、青森港旅客船ターミナルに係留・展示されている八甲田丸を鑑賞に訪れます。

青函連絡船、特に八甲田丸はこの“リア・ビュー”が大好きです。

この船の一番の特徴的な部分でもあります。

ホイッスルやベルの音、忙しく動き回る係員、控車やDD51ディーゼル機関車のエンジン音等、様々な音が混じりあった喧騒…

桟橋から伸びるレールの上の車両が滑るように船の船倉に吸い込まれていく…そんなシーンが蘇るようです。



「青森桟橋記念碑」のある方向から「八甲田丸」を見ます。

綺麗にメンテナンスを受けている船です。

まるでこれから航海に出航するかのような佇まいです。

青い空に「日の丸」が綺麗です。



「青い海公園」にあるモニュメントです。(時計台らしいです。11時50分を指しています)

以前、このモニュメントをみて「波とその飛沫を表しているのでは…」などと適当なことを言いましたが…



モニュメントの下部にこのようなパネルが設置されていました。

以前感じたとおりの事が書かれています。

なるほど…誰が見ても「波と飛沫」ですね。

それだけ良く出来ているわけです。




時計台から少し離れた場所には、控車と車掌車が展示されています。

以前は模擬ホームに気動車が展示されていましたが、2012年に撤去解体されてしまったようです。

八甲田丸の船倉にも控車が展示されていますが、こちらは船倉に入りきらず露天の展示になってしまったのでしょうか…



せっかく多くの人の目に留まる場所に展示されてはいますが、説明パネルも無く、初めての方はこの車両が何なのか分からないでしょう。



青函連絡船という北海道と本州とを結ぶ、かつての大動脈。

物資を満載したコンテナを船に積み込む際に活躍した控車。

地味な存在ではありましたが、その桟橋には無くてはならない存在でした。

その働きを称え今こうして海の見える場所に展示されているのでしょうが、パネルの一枚でも設置してあげたいですね。



私もレールファンに目覚めるまでは、まったくその存在も働きも知りませんでした。

控車の働きはこちらからご覧になれます。

こうした地味で控えめな存在の「控車」…好きです。





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くまモンの手帳 熊本県民手帳 2015Ver

2014-10-28 | Weblog
今年もそんな季節になりましたね。

ようやく2013年北海道旅行の記事を書き終えたと思ったら、カレンダーやスケジュール帳の季節です。

毎年購入しているくまモンの手帳こと「熊本県民手帳」を発注しましたよ。(*私は東京都民ですけれど…)

まだ商品は手元に届いていませんが到着は11月初旬~中旬になるのでは…と思います。

商品が到着しましたらアップいたします。

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石川県立航空プラザ など 9月18日 *2013年

2014-10-26 | Weblog
*2013年 北陸旅行の記事です。
 
金沢城の石垣観賞をたっぷりと楽しみ、小松に戻ってきました。

ホテルに戻るには(今回はホテル・アローレに連泊しています。よほど好きなのだと思います。)まだ時間が早いので、小松県立航空プラザにまた立ち寄りました。

入館料金が無料なのでプラっと気安く立ち寄ることが出来ます。



プラザの1階ホールに展示されている“ピッツS-2B”です。

近くで見ても大変に綺麗な機体でまるで“新品”のようです。

この機体は“ロック岩崎”さんがエア・ショーに使用していた機体を再現して展示しているものです。

プラザの1等地に岩崎さんの“ピッツS-2B”が展示されているのは、訪れる子供たちに“夢”の大切さを教えるためなのでは…と、オジサンは理解しています。

岩崎さんは夢の途中で逝ってしまいましたが、あの事故がなければまだ現役で大空を飛翔していることだと思います。

ピッツァの機体はそういう岩崎さんの志や子供たちへのメッセージを発信しているのだと思います。



この機体を見るたびに感動します。

飛行機も大好きです。

でも…乗るのは大嫌いです、今でも。




航空プラザ壁面に描かれたイラスト?です。

大空への夢、未来の大空を描いたものだと思います。

夕方も遅い時間ですので、駐車場に残っているのはオデ君だけです。

さて…ホテルに戻って露天風呂→ビールタイムです。




さて…明けて19日の朝です。

景色の良いホテルでの朝食を済ませて、東京へ戻ります。

が、キャンペーンで宿泊者には「白山スーパー林道」の片道通行券がプレゼントされます。

ホテルのエレベーターにちょこっとキャンペーンの広告が貼られていますが、フロントで申告しなくてはチケットはいただけません。

あまりフロントでは積極的にお客さんにアピールしてはいないようです。

協賛金などお金の掛かることですから仕方がありません。



朝早くにスーパー林道を通行するとこんな光景に出会います。

おそらく私が今日最初のクルマだと思います。

サルたちもすっかりリラックスして道路を悠々と歩いていました。

もちろん、オジサンも最徐行でそっと近づき停車して写真を撮りました。

子ザルを連れたお母さんとその横はお父さんでしょうか…

この右側の壁面には多数のサルたちがこちらを見ていました。

日光のサルたちとは違って純朴そうなサルたちでしたよ。

こうして2013年の夏休みは終わりました。(*記事を書いているのは2014年10月27日…すでに2014年の北海道旅行も終わってしまっています。)




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金沢城の石垣 9月18日 *2013年

2014-10-22 | Weblog
*2013年 北陸旅行の記事です。

金沢城は石垣観賞をするには興味の尽きない城であります。

小松空港と共に北陸旅行では外せない大好きエリアであります。

2013年の北陸旅行の記事では、蒸機の記事だけ書きますとか言っていましたが、やはり少しだけ金沢城の石垣の記事を書かせていただきます。

上の写真は、夏の太陽に白く輝く金沢城独特の「鉛瓦」です。

まるで雪が積もっているみたいですね。

この白い輝きがあの「鉛」の輝きとは…俄かに信じがたいものです。




こちらの駐車場「石川県兼六駐車場」にオデ君を預けて石垣観賞に出掛けます。

兼六園にはあまり立ち寄る機会は少ないのですが、クルマで訪れた際にはたいがいこちらの駐車場を利用させていただいております。

兼六園はもちろん、金沢城の「石川門」にも近く大変便利な駐車場です。



金沢城を訪れる多くの観光客は「石川門」から金沢城に入城すると思います。

一番無難なルートですから当然ですが、時間に余裕があったり、二回目の来城の際にはこの写真の「白鳥路」を散策することをお薦めします。

静かな小路で所々に彫刻の作品が展示されています。

そして、金沢城の大手門「尾坂門」へと続き、広大な新丸広場を通り「河北門」から入城します。



金沢城の案内地図です。

赤星印が先の「石川県兼六駐車場」です。

赤いラインが「白鳥路」小路です。

「現在地」のマークの辺りが大手門の「尾坂門」となります。

青矢印が「石川門」です。




金沢城の瓦のアップです。

遠くで見ていると、普通の瓦となんら変わらなく見えるのですが、こうしてみますとその特徴が分かります。



もっと近づいて見てみます。

鉛板を巻きつけているのが分かります。



カットモデルも用意されています。

木材の構造材の上に鉛板が巻きつけているその構造が非常に分かりやすく段階的に展示されています。

鉛瓦の登用は、戦の際に弾丸の材料を備蓄するためとか、普通の瓦では北陸の冬の過酷な気候で割れてしまうためとか説明を読んだ記憶があります。

それぞれに当時の世情を表わしたものが感じられます。





辰巳用水の石管というものが、カットされて展示されています。



以前、熊本の通潤橋を観賞に訪れた際にも、石管が展示されていました。

その構造も接続の際の使う継ぎ手も似ているような気がします。



石垣の構造も分かりやすく展示されています。



この積み方は「野面積み」といわれるもっとも原始的というか基本的な積み方です。

「ザクザク」した表面の石を乱積みしたワイルドな感じの石垣が一番好きです。

いかにも装飾を排した「戦う城」という印象を受けるからです。



「打ち込みはぎ」と呼ばれる石積みのモデルです。



「野面積み」と比べると積み石の大きさや形が揃えられ、「布積み」という積み方で目地が横に通るようになっているのが分かります。

「はぎ」とは「接」という漢字で表します。

まさに石を接いでいくという意味でしょう。



「切り込みはぎ」という積み方のモデルです。

前出の積み方に比べると非常に洗練された積み方なのが分かります。

石の成形技術が進化し、表面が平滑で各々の接合が綺麗に一致し隙間がありません。

野面積みのように敵兵が石垣を登坂する際の足場がないのでより防御性能が強化されたとも言えると思います。

しかし、この時代にはこれら石垣は「戦うための兵器」というよりも「権力と富」の象徴として「美」の性能が優先されたのではないのかと想像します。



それぞれのタイプの石垣は、このように裏面がオープンとなっていて、石垣の構造をさらに深く理解することが出来るように配慮されています。

金沢城の石垣は素晴らしいものがたくさんあります。

時間が許すなら、まずこちらで石垣の基本を理解してから実際の石垣を観賞されるとその味わいはさらに深くなると思います。

このような配慮をしている城は少なく、さすがは「教育」に投資を惜しまない石川県らしいと感心させられます。

この展示は鶴の丸広場奥の休憩所付近に展示されています。



もう一つ、金沢城で大変注目したいのがこちらです。

普通に歩いていると通り過ぎてしまいそうですが、赤矢印で示した「レンガ造りのトンネル」であります。



説明を読んでいただくと分かるように、このトンネルはもともとオリジナルの石垣に穿たれていたものではありません。



トンネルはレンガで巻かれています。

説明にもあるようにこのトンネルは旧陸軍によって改造された石垣であります。

弾薬庫からの弾薬の運搬にこの石垣が障害となり「トンネル」を穿ったようです。

今日では考えられない暴挙ともいえますが、これがこの時代を象徴するような事象だと大変興味深く見ています。

「壁柱」らしきものや「迫石」を模したかのようなアクセントも付けられていて、なかなかの出来栄えだと思います。

まさに「明治の隧道」の雰囲気を醸しています。



一般的に、城跡には桜の名所が多いですね。

これはオジサンの想像ですが、戦前は多くの城が陸軍の駐屯地として徴用されていました。

桜は日本の軍隊の象徴的シンボルでもありましたから、多くの駐屯地で植樹されたのではないのかと想像しました。



大変に見ごたえのある金沢城ですが、これだけ楽しんでも入城料金は無料であります。

しかも、ボランティアの方々のガイドも無料でお願いすることが出来ます。

ここでも「さすが石川県!」と感動します。(*隣の兼六園の入園は有料です)

初めての方なら、総合案内所でぜひガイドさんに案内をお願いするのをお薦めします。

私は北陸へ出掛けた際には「小松空港」と「金沢城」は外せません。


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D51 522号機 金沢市西部緑地公園 9月18日 *2013年

2014-10-16 | Weblog
*2013年 北陸旅行の記事です。

北陸自動車道金沢西ICを下りてすぐの「金沢市西部緑地公園」に保存・展示されているD51 522号機を観賞にやってきました。

こちらには「石川県立野球場」「石川県立陸上競技場」などのスポーツ・スタジアムを始め石川県の産業展示館、「西部緑地公園」や「平成の森」などの公園施設、そして駐車場などからなる広大な集合施設です。

このような施設を見るにつけ石川県や富山県は豊かな地域だなぁ~と感じます。



D51 522号機の「住まい」です。

まさに「住まい」と呼ぶのに相応しい、周りのスタジアム等に負けない立派なものです。



これまで見てきた蒸機の住まいとしては最高ランクの一つだと思います。

Gorgeous! です。



スノープラウにも D51 522 のペイントが…

こんなにガッツリ描かれたのは初めて見ました!

博物館とか鉄道記念館などの施設以外では、殆ど「同好の士」と遭遇することは無いのですが、珍しい体験です。

手ぶらで観賞しているところを見ますと、野球場にきているチームの顧問先生かも知れません。



なるほど…公園施設の管理団体「財団法人エムエス環境育英財団」という管理者がD51 522号機を管理しているわけですね。



非常に立派な展示施設でホームに立ったときの目線にセットされています。

しかし、いつものように蒸機を観賞するのにはこの「フェンス」が邪魔になります。

撮影するのにも大変邪魔臭いです。



配管の処理なども見事ですね。

定規で引いたラインのようです。

キャブ内もチラ見が出来るようにフェンスが切られています。



しかし、キャブの入り口はこのような頑丈な扉により施錠されています。

残念です。




デッキのお陰で、ボイラーの頂部にある安全弁はこのように観察することが出来ます。

それにしても“鍍金”を施したのでは…と思ってしまいそうな程の輝きです。







照明装置のレンズを保護するためのものでしょうが、ロースターの網みたいで不釣合いな印象です。



隙間からキャブ内を観察します。

先の安全弁と同様、カピカピに磨き上げられたバルブ・ハンドルや水面計カバー。



真鍮パーツのピカピカさ加減に比べると、ゲージ類は荒れた状態です。

オリジナルの姿は保っているようですが…



ワルシャート弁装置を構成するパーツには“グリース”がゴッテリと盛られています。

ペイントによる厚塗りよりは良さそうですし防錆の役割も果たせます。

でも、パーツに触れてみる勇気はありませんでした。



給水ポンプのベルト等もピカピカに磨き上げられています。

火室なども綺麗な赤色に塗られています。



非公式側からもキャブを覗いてみます。

真鍮のパーツはこれ以上ないほどに磨き上げられています。

見事ですね。



動輪に打たれた刻印

D51522 とはっきり読み取れます。

*その他の数字は意味が分かりません。







オイルラインのバルブです。

実に律儀にハンドルの方向が揃えられています。

こういうのは気持ちが良いですね。








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D51 822号機 JR松任駅緑地広場 9月18日 *2013年

2014-10-14 | Weblog
*2013年 北陸旅行の記事です。

JR松任駅前緑地広場に保存・展示されている D51 822 号機を訪ねてやってきました。



いつものように早めの朝食をとり早々に出発です。

こちらも北海道の洞爺湖やサロマ湖のホテルに負けない素敵な眺めのレストランなのですが、残念なのがテラスの「フェンス」です。

これが無ければとっても素敵な景色を眺めながら食事が出来るのですが、残念です…

*そんな余分なことを書いているから、記事を書くのに手間取るのですね。



北陸自動車道を30Kmほど走り松任駅に到着、オデ君を駅前のパーキングに預けて早速、蒸機のもとへと歩きます。

松任駅は北陸新幹線の停車駅ではなさそうですが、駅舎は“新築”の素晴らしく綺麗なものです。

切妻屋根を階段状にした駅正面の意匠は北陸の山並みをデザインしたものなのでしょうか…


富山、金沢の方々の新幹線にかける並々ならぬ想いが感じられます。



地図を見てみます。

松任駅の北部エリアには金沢総合車両所松任本所があり北陸地区の車両全般検査を担当しています。

新幹線は止まりませんが鉄道の要衝ではあるようです。

また駅を中心に多くの博物館等の文化施設、学校、公園等の公共施設が集まっている環境エリアなのが確認できます。



D51 822号機 は、このようなスペースに展示されています。

駅へと向かう歩道の一部でもあり、多くの人々の視線にさらされています。




蒸機の公式側は歩道として使われています。

非公式側はやや狭くなっていますが、植樹されたスペースもあり(おそらく桜の木でしょう?)春の開花シーズンにはD51 288号機は、ピンク色の花で彩られることでしょう。

とても良好な環境だと思います。





ディフレクターはやけに平板な印象を受けます。

このディフレクターは各機関区によって独特のデザインが施される部分でもありますが、この“真っ平”なディフレクターは整流効果が期待できるのでしょうか?

大きな点検孔が両側にあります。



いつもの連結器…

おや?

豆の鞘みたいなのが差し込まれています。

子供たちの遊び道具、忘れ物でしょうか…

蒸機に直に触れてくれて可愛いね。



キャブ前の補器類もきちんと整備され再現されています。

あっ、今頃、気がつきました。

すぐ近くには金沢総合車両所が所在しています…ということは、この蒸機の面倒を見る本職の方々が居るわけですね。

なるほど、屋根無しの屋外展示で良い状態を保っているのはこのためですね、きっと…

やはり蒸機を保存するのには、展示環境はもとより、近くに保存会やこうした本職の鉄道マンが居るというのも大変大きな要素であります。



キャブの内部も梯子を上って観賞できるようになっていますよ。

「危険」だとか「登るな」「触るな」などの注意書き等が皆無なのもとても好感が持てます。

自治体などの管理者も市民もともに公共施設に対する成熟度が高い表れだと思います。

観賞していてとても気持ちが良いです。



テンダー部は赤いナンバープレートと砲弾型の照明装置とでなかなか個性的でお洒落な印象です。







制輪子は黄色にペイントされています。



いつも注目するオイルラインのバルブ列です。

ポンプを格納する「函」はランボードの下に配置されているようです。





砂撒き装置の蒸気ラインも綺麗に再現されています。

銅パイプを綺麗に配管するのは大変そうです。







キャブ内のゲージです。

綺麗に揃っているなぁ~と、思ったら…なんと!ペイントしてあったのですね。

アイディアだとは思いますが…




それにしても…上手に描いてあります。

名人芸の域ですね。



綺麗にペイントされたキャブ内。

バルブやゲージ、レバーなどの運転室の機器類の説明書きがあります。




D51形822号 蒸気機関車 の説明プレートがあります。

薄いピンクから白のグラデーションが施されています。

右半面には、英文で説明が記載されています。

隅々までとても気持ちの良い展示でありました。






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C11 217号機 高岡古城公園 9月17日 *2013年

2014-10-10 | Weblog
*2013年 北陸旅行の記事です。

高岡市の古城公園に展示・保存されているC11 217号機を観賞にやってきました。

高岡古城公園は美しく整備された水の豊かな公園です。



体育館駐車スペースの先に見えているのがC11 217号機です。



古城公園の地図を見ています。

現在地とこれから観賞に向かうC11 217号機の位置関係です。

*地図には星印やC11 217とは書かれていません。

地図を見ても明らかなように、もとが本丸を中心として濠を巧みに配置した城ですから、水が豊かなのも当然ですね。



蒸機の横にやってきました。

展示の都合なのでしょう、公式側が木林側になってしまっています。

日当たりが芳しくなく、ここでも蚊に悩まされました。

オデ君に常備している虫除けスプレーを持ってくれば良かった…



C11 217号機の展示です。

半透明の天井材のお陰で陽射しが明るく蒸機を照らしています。

屋根を支える柱の数が多くて、全体像を観賞するのには邪魔臭いです。

体育館を利用する多くの人々の出入りがあるからなのでしょうか、蒸機はナンバー・プレートなどのパーツを持ち去られることも無く良い状態で展示されています。

このような展示場所の選定も保存するうえで大切な要素の一つでしょう。



ペイントは油の抜け切った“カサカサ”した状態ですが、屋根のお陰で酷い錆等の発生は抑えられています。

観賞するのには邪魔臭い屋根ですが、蒸機のコンディションを維持するためには大変有効です。



キャブの窓ガラスも外光の反射がきつくて中の様子が良く確認できませんでした。

“窓ガラス”風に見えるのは“アクリル板”だったのかも知れません。



タンクの辺りはこのように雑木が覆いかぶさってきていて、公式側に廻るのを躊躇わせます。

蚊に刺されるのが嫌なだけですが…。








公式側は暗いし狭いし…あまりゆっくりと観賞している雰囲気ではありませんでした。



公式側にも階段が設置されていて、キャブの中の様子を見ることが出来ます。

明るさに差が無いのでこちらの方が若干見やすかったです。

内部の状態はなかなか良い状態のようでゲージなども確認できます。

枯葉が吹き溜まっているのが不思議でした。



蒸機の横には説明プレートが掲げられています。

地域の発展に活躍した蒸機への想いが述べられていて、とても好感のもてる記述です。



高岡古城公園から小松空港へと走り、航空プラザで航空機の展示を存分に楽しみ、本日宿泊の「加賀の幸ホテルアローレ」にチェックインします。

このホテルは、仙台のロイヤルパーク・ホテルと共にオジサンの好きなホテルの一つです。

「静かで何も無い」のが大好きな理由です。

しかもこちらのホテルは温泉があり、平日は運が良ければ、露天風呂に浸かりながら小松基地のF-15イーグル戦闘機の飛翔と爆音を楽しめる極楽露天風呂なんです。

それも大好きな理由の一つですね。

ホテルの周りには本当に何も無く、よくこのような場所にホテルを作ったものだと、初めて宿泊した時には思いました。

夜に繁華街へ繰り出すのが楽しみの方には全くお薦め出来ませんが、オジサンみたいにすっかり油の抜け切った年配の「お風呂好き&飛行機好き」には檄御勧めですよ。



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9628号機 富山城址公園 9月17日 *2013年

2014-10-09 | Weblog
*2013年 北陸旅行の記事です。

富山城址公園の片隅に保存されている9628号機を訪ねました。

富山県や石川県は教育・知的水準、文化水準のとても高い地域だと感じます。

それは、道路を走っていても公共施設を見てもそして県民の方々を見ても強く感じます。



富山城址公園に併設される郷土博物館は「富山城」をモデルとした建築です。

好天の空をバックに眩しいほどに白い輝きを放つ建物です。



富山市郷土博物館の来歴が記されたプレートが建物前に設置されています。

明治の廃藩置県により取り壊された富山城の史跡(城址の一部が県庁舎や学校舎として使用されていたそうです)が戦中の空襲によって受けた被害の復興事業としてこの郷土博物館が建設されたと記されています。



一部整備中の箇所もありますが、美しく整備された素晴らしい公園です。

中央に見える建物は「富山市佐藤記念美術館」であります。




こちらに9628号機が保存展示されています。

先の「富山市佐藤記念美術館」の裏手の一段低い場所が9628号機に与えられた場所です。

照りつける陽射しを和らげる木陰…とも言えますが、日当たりが悪くてジメッとした印象で実際「蚊」に刺されました。



展示当初はこのような角材による檻のようなものは無いオープン展示だったのでは…と想像します。


この“檻”のような物体のお陰で、毎度スタート・ページで使っている蒸機の「正面顔」のアップが撮影できませんでした。



模擬ホームのような物体も確認できますので、キャブの中も見ることが出来たのだと思います。

「危険です。機関車に登らないでください。」というプレートもあります。

それはそうでしょうね、これだけ放置されてメンテナンスも受けていない蒸機に登るのは危険だと思います。

このような蒸機を見るにつけて、世田谷区の大蔵運動公園に保存・展示されている「幸せな蒸機」こと C57 57号機を思い出します。

富山城址公園は先に見ていただいたように、本当に美しい見事な公園で、そこには富山市郷土博物館や佐藤記念美術館等の文化の香り高い施設が併設されています。

そのように文化に対して深い理解と愛情を示し、その整備や管理に予算を惜しまない管理者である富山市が、明治・大正・昭和と時代を牽引してきた蒸機にも同じような愛情と地域産業の貢献への感謝などを表さないのかその落差が不思議です。(北海道などに比べると北陸地方は“鉄道”というものに対する親和性が低めなのでしょうか…)

蒸機も19世紀から20世紀の人々の生活や文化を支えた立派な近代化遺産として保存すべき対象だと思うのですが…

富山ほどの知的水準の高い地域の蒸機がこのような状態なのが不思議でたまりません。

先の魚津市立村木小学校に保存・展示されているコッペル1号機とは対照的です。

地域の文化財に対する姿勢はそのまま知的水準を表し子供たちの未来にも反映されると思います。



「横っちょ」から“チラ見”観賞した9628号機です。

前照灯のレンズは割れ、煙室扉のナンバープレートはありません。

色の違いはそこにナンバー・プレートが存在したことを示しています。





キャブの状態も同様であるはずのナンバー・プレートも無くなっています。

このような状態のまま放置されているのも珍しいような気がします。



キャブの中も覗いてみました。

外観の状態と同じ様な状態でありました。



9628号機の経歴が記されたプレート。

とても丁寧に書かれたプレートです。

頑張れよ! 9628号機!

いつか文化財として陽の当る場所に展示される時が来るかもしれない…


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D51 260号機 東福寺野自然公園 9月17日 *2013年

2014-10-08 | Weblog
*2013年 北陸旅行の記事です。

魚津水族館などに寄り道をしながら訪れたのは「東福寺野自然公園」です。

こちらに静態保存・展示されている「D51 260」を観賞するためです。




公園入り口ゲートは駅舎を思わせる造りの建物です。

「東福寺野自然公園駅」と書かれたプレートが掲げられています。

「あれ? 駅なの?」って思いますが…



駅の窓口を思わせるところで入園料金を支払います。

それにしても…なぜ“駅”なんだろう?



2013年では消費税増税前でしたので200円でしたが現在では220円に改定されているようです。




チケットを購入して園内に入ります。

最初に目に入るのは、この時計台です。

ちょっと小さく感じますが…



建物の前に設置されたプレートを見て「なるほど…」です。

滑川生誕の音楽家「高階哲夫(たかしなてつお)」氏の功績を称えて建設された「札幌時計台のレプリカ」だそうです。

高階哲夫氏の代表作品が「時計台の鐘」だからでしょうか。

でも1/2はなぜでしょう…



綺麗に整備された園内に D51 260号機は展示されています。

やっぱ、蒸機には“腕木信号機”が似合いますね!

信号の「色」だけではなくその「形態(腕の位置情報)」でも信号状態を伝える“腕木信号機”はアナログ信号のお手本のように思います。

万が一、コントロールのワイヤーが切断した際には、セットされた錘の作用によって「赤」を表示するようになっているそうです。



ナンバー・プレートは変わった雰囲気です。

良く見かける真鍮の光沢を放つものではなくて、白っぽいマットな地にピンク色のナンバーと枠です。



連結器はいつもの「座付自動連結器」といわれるものです。



キャブへの昇降口はトラ・ロープで遮断されています。

安全への配慮なのかも知れませんが、トラ・ロープはなんだかな~と、思いました。





シリンダー・カバー下部を見ますと、意外なほど状態が良さそうです。

屋根なし屋外展示の蒸機を観察していますと、この部分は雨水が残りやすく通気が悪いせいか、殆どの蒸機が腐食のために穴が開いていたりしています。



展示方法(宿泊施設を連結しているため?)のために、いつものように公式側から非公式側へと一回りすることが出来ません。



非公式側のキャブも同様にトラ・ロープでグルグル巻きです。



キャブの中を覗いてみると、ゲージやバルブ・ハンドルなどきちんと揃っているみたいです。

トラ・ロープのお陰でしょうか?



テンダー部のバックライト照明装置は、つっかえ棒(突っ張り棒)と、例のトラ・ロープとで固定されています。



D51 260号機に連結されているのは、客車を模した宿泊施設です。

入り口受付にいたスタッフの方に、「中に入って見ても良いですよ」といわれていましたが、宿泊施設はあまり興味が無かったのでスルーしました。



ホーム側から見た印象は普通の宿泊施設…といった感じなのですが、反対側から下回りを見ますとなかなかの工夫に思わずニヤリとしてしまいます。

建物の基礎部分を車台に見立ててデコレーションしているのです。

いかにもな客車に見える、良いアイディアですね。





このような説明板が蒸機の横に設置されています。

ペイントが所々剥がれてしまって読みにくいですが、このように記述されています。

「昭和五十一年九月国鉄の完全自由化に伴い蒸気機関車の活躍の場が無くなり、小樽築港駅で解体の運命にありましたが、滑川市の強い要望と国鉄の御好意により、遠く最果ての地、北海道よりはるばる北陸の地である滑河駅を経てこの東福寺野自然公園へ運ばれ、ここでかっての往年の雄姿を再現したものであります」…と。

なるほど…「東福寺野駅」とは、そのような想いの表れだったのでしょうね。

なんとなく、このパネルを読んで納得しました。





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コッペル1号機 鹿島参宮鉄道 魚津市立 村木小学校 9月17日 *2013年

2014-10-07 | Weblog
*2013年 北陸旅行の記事です。

2013年の北海道旅行の記事を漸く書き終えましたが、さらに北陸へも出向いています。

あまり長々と旅行記を書いていると2015年の北海道旅行の出発にまた間に合わないことになりかねませんので、蒸機の記事だけを抜粋して書かせていただきます。

9月の3連休を東京の自宅でやり過ごし、17日からは北陸へと向かいます。

魚津市立村木小学校に静態保存されているという“鹿島参宮鉄道コッペル1号機”を観賞に向かいます。

いつものように早朝東京を出発し、9時半頃にはこちらで取材を始めている…相変わらず朝が早いオジサンです。

小学校の周辺を道路整備のための工事で目標が見えているのになかなかたどり着けないもどかしさがありました。



たどり着いた「魚津市立村木小学校」はまるで美術館かと見紛うような美しい建築物です。

「えっ、これが学校?」って印象です。

エントランスから受付に行きますが人の気配はありません。

インターフォンのスイッチを押しますが、やはり応答はありません。

観光案内に電話して訳を話すと、「見るだけなら大丈夫ですよ」というような回答だったので、「それでは…」と観賞させていただきました。




コッペル1号機はこのように展示されています。

ちょっと窮屈な印象ですが、屋根無しの屋外展示よりは相当条件が良いと思います。



入り口の柱にはこのようなプレートが添付されていました。

100周年記念授業で製作したのでしょうか…



このスペースは物置としても使われているのでしょうか、道具や材料なども置かれています。



タンク横の銘版には製造会社の“KOPPEL A.-G.”の刻印が読み取れます。

ドイツの株式会社らしいですね、A.-G.は“Aktien Gesellschaft”の略で、“Aktien”は株式を、“Gesellschaft”組合を意味するそうです。

株式会社を ㈱ みたいに表現するのと同じでしょうか?



1号機をあらわす「1」のプレートとその上の円形のプレートは、後に鹿島参宮鉄道から1938年に1号機を譲渡された「日本カーバイト工業」の社章のようです。




蒸機の車体に比べてちょっと大きく見える連結器…



連結器のベースには上下にボルト穴があいていて、高さを調節できるようになっています。

コッペル1号機は下側のボルト穴を使ってボディーに装着しています。



クロスヘッドやワルシャート弁機構のアームなど、さすがにドイツ製機械の精緻さが見られます。

沼田町に静態保存されている「クラウス15号機」も同じような「機械」という雰囲気を醸していました。



小ぶりな900mmのスポーク動輪は3軸 C形式



シリンダー部も車体と同様、コンパクトです。



キャブ部まで延長されたようなタンク部、乗降性はとても悪そうですね。

お腹の出っ張っている乗務員は大変そうです。

もっともこの頃の蒸機の乗務員はその運転に大変な体力も使ったでしょうから、肥満の乗務員などは居なかったでしょうね。



シンプルで殺風景なほどのキャブ内。

暗くてノイズが多くなってしまいました。

必要なもの以外、何も無いという雰囲気です。

潔さが格好良いです。


コッペル1号機は1923年(大正12年)に製造され鹿島参宮鉄道で活躍、その後日本カーバイト工業に譲渡され1969年(昭和44年)に廃車となり、魚津市立村木小学校で静態保存され今日に至っています。

この蒸機は、小学校の生徒さんや担当教諭によってメンテナンスされていることでしょう。

学校の子供たちは、身近に“本物の蒸機”があり日常的なメンテナンスを通じて19世紀から20世紀にかけての産業革命の担い手となった“蒸機機関”に触れられるのは幸せだと思います。



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DVD 少し昔の北海道の鉄道 08 青函連絡船 10月4日 2014年

2014-10-05 | Weblog
 
台風18号が接近している週末ですが、土曜日はまだその影響も無く穏やかな好天です。

明日は雨降りの日曜日になりそうなので、家でDVDでも見て過ごそうかと神保町の「書泉グランデ」さんに出掛けてきました。

6階は鉄道関連の書籍やDVD、グッズなどが販売されています。

いつも行くアキバの本屋さんやアマゾンとかでも見たことも無いような商品が豊富に展示・販売されています。

今回は鉄道関連のDVDを探しに来ましたが、こんなのを発見しました。

「少し昔の北海道の鉄道 Vol08 青函連絡船」です。

YOU Tube で見たことはありましたが、「青函連絡船」の着岸から離岸までの映像などが収録されています。

“民生用のビデオカメラによる撮影で、VHSビデオ相当の画質です”と注意されていますが、それがなんともその時代を表すような臨場感でとても良い感じでした。

嬉しいですね!




このシリーズは26巻まで発売されているみたいです。

天北工房さんのサイトからも購入が出来るようになっていて、サンプル画像も視聴できます。

ほとんどのシリーズは「前面展望」という画像がメインのようです。

駅の佇まいや駅前の雰囲気が分かるような映像も含まれていると嬉しいのですが…



もう一つのDVDは札幌テレビ放送が企画・製作したシリーズです。

こちらは放送局が製作したものですから卒なく綺麗な作品で安心して見ていられます。

2014年北海道旅行の際に訪ねた廃線が多数収録されていて凄く嬉しいです。


雨の日のDVD観賞には最高のものを手に入れました。


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フェリーターミナルの朝 そして青森へ… 9月13日 *2013年

2014-10-03 | Weblog

*2013年 北海道旅行の記事です。

ウイニング・ホテルの部屋から見る函館湾の夜景です。

空の低いところは赤みが差してきて高いところは綺麗なブルーになってきました。

朝の“ブルー・モーメント”です。

因みに、画像データを見ますと撮影した時間は“am3:32”となっていました。

歳をとると朝が早くなるのは本当です。



函館のフェリー・ターミナルにも余裕で到着です。

9月の平日ですから、乗船するクルマも多くはありません。

確かこの時は2台目の到着でした。



乗船するのは“びるご”です。

最初は「変な名前だなぁ~」と思いましたが、ゼウスと女神テミスの間に生まれた女神“VIRGO”から命名されたという船です。


北海道旅行では“なっちゃん”が期間限定の運行になってしまい、9月が夏休みのオジサンは、また“びるご”にお世話になっています。

“なっちゃん”の夢のような乗り心地が懐かしいです。



定規で引いたような真っ直ぐな航跡は函館港に続いています。

バイバ~イ 北海道!

また来年来るからね!



北海道旅行の帰りは仙台で一泊し、旅の余韻を楽しむようにしています。

いきなり東京には帰りたくない…とも言えます。

仙台は「ロイヤル・パークホテル」が好きなホテルでしたが、震災後なかなか予約が取れなくなってしまい、最近は「モンタナ・リゾート」というホテルに宿泊しています。

「仙台東部道路」という高速道を仙台空港方面に走り次の「岩沼」というICで降ります。

小高い丘の上のホテルなのですが、周りには本当に何もなくて静かなホテルです。

静かで何も無いのが特に気に入っています。

客室も十分な広さで、ベッドのデカイのには最初ビックリしました。

ダブル・ルームのベッドもこれほどではないだろうという大きさのベッドが2台入っています。

「シングル・ユースなのにこんなバカでかいベッドが2台もあってどーするの?」と最初は思いましたが、寝心地はなかなか快適です。




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函館へ…9月12日 *2013年

2014-10-02 | Weblog
*2013年 北海道旅行の記事です。

「幌似鉄道記念公園」など、鉄道関係の観賞の後は、のんびりとドライブを楽しみつつ函館へと向かうのがいつものお約束です。

道央道を森ICで降りてそのまま5号線を突っ切って内浦湾を鹿部方面へと走るのがお気に入りのコースです。

恵山を通り函館へと走るルートは普通の観光客なら選択しないルートで交通量も少なく景色も綺麗で最高です。

道央道が函館と直結するとますますこのルートを通る人はますます少なくなると思います。




恵山の水無海浜温泉です。

露天風呂&混浴! 入浴料無料 であります。

恵山が大好きで、こちらにもよく立ち寄ります。

オデ君には常時“お風呂セット”と“水着” を積んであります。

この時は潮位も程よくて、“入り頃”、入浴を楽しんでいる先客も一人居ます。

潮風に吹かれて気持ちが良さそうです。

それなのに、オジサンは一度も入浴したことは無いのです。

温泉好き、露天風呂好きなのに、何か踏み切れないものがあるのでしょう…混浴だから恥ずかしいのかな?



道の駅“なとわ えさん”から眺めた風景です。

正面には活火山の恵山が見えています。

北海道の好きな風景の一つです。



函館の最後の夜はこちらのウイニング・ホテルに宿泊することが多くなりました。

フェリーの出航が7時20分頃ですから、フェリー・ターミナルには6時半頃には到着していたいです。

すると起床時間は遅くとも5時半頃になりますので、「朝食」を食べている時間はありません。

なので、プランは「素泊り」になります。

ホテル玄関前に「平置き」で駐車できますので、早朝出発のときでもとても便利です。

しかも、前日には「赤レンガ倉庫街」がすぐ目の前ですから、オミヤを買うのにも便利です。

両手一杯買い込んできたオミヤをオデ君にポ~ンと放り込めます。

部屋はシンプルな作りで清潔感がありオジサン一人で宿泊するには十分な広さです。

このような要素を満足させてくれるので、函館の最終日はほとんど「ウイニング・ホテル」さんに宿泊するようになりました。

しかも平日ならツインのシングル・ユースで7000円を切るくらいですから助かります。

函館は本州と青函トンネルで結ばれ、北海道新幹線が開業すると北海道の陸の玄関としてその立ち位置はより鮮明となるでしょう。

北海道民悲願の新幹線「新函館駅」は「渡島大野駅」に設置され「新函館北斗駅(しんはこだてほくとえき)」と改称し新たに開業の予定だそうです。



ホテルの駐車場横手には「金森美術館バカラコレクション」の建物があるのですが数年前に閉館してしまいました。(*右手奥に見えるのがホテルのエントランスです。)

東京丸の内のバカラ・ショップでもなかなか見られないような見事なコレクションを展示していたのに、なぜ閉館になってしまったのでしょうか?

バカラコレクションの観賞は函館の楽しみの一つだったのに残念で仕方がありません。




上の写真の赤矢印の部分には、この建物の由来が記されたステンレスのプレートが残されていました。



この建物が本当に華やかに輝いていた頃の写真がありました。

この金森美術館もそうですが、函館は年を追うごとに活力が失われていくような気がしてなりません。

函館朝市の、まるで通勤時間帯の山手線の車内のごとき混雑は鳴りを潜め、最近は観光客の姿もまばらです。

北海道新幹線開業をステップ・ボードに、バカラ美術館も函館朝市もこの写真の往時のように美しく復活して欲しいものです。




金森赤レンガ倉庫群と函館山。

函館を訪れる殆どの観光客はここで食事をしたり買い物をするでしょう。

私は十数年、毎年ここを訪れ赤レンガ倉庫と海のコンビネーションを楽しんでいます。

よく飽きないものです。



この煉瓦積みはとても変わっています。

上部の色の濃い部分は“イギリス積み”となっています。

その下は“フランス積み”となっています。

なぜこのような構造になったのか…理由は分かりません。




函館市教育委員会による“伝統的建造物”のプレートが添付されています。


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