Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

C58 407 号機 大塚台公園 1月3日 2013年

2013-06-27 | Weblog
 2013年のファースト・ショットは、豊島区内の大塚台公園に静態保存されている、C58 407号機です。



JR山手線「大塚駅」から、都営荒川線に沿って歩きます。
お正月だからでしょうか?人気の少ない道を5~6分歩きますと、大塚台公園に到着します。

公園に入ると、巨大な“ケージ”のようなものが見えてきて、その中にC58 407号機は展示されています。
はたして、これが展示といえるのか…「猛犬 注意!」みたいな印象を受けました。



四方をこうしたフェンスで囲われています。
公園に遊びに来ている子供たちや親子連れも、いつもの当たり前の光景なのでしょう、C58 407号機に注意を払う人もいません。



屋根付きの展示の割りには、状態はあまり良くなさそうです。
やはり、近隣に国鉄のOBや熱心な愛好家の方々が存在しないと、美しいままの状態で維持するのは困難なのでしょう。



このショットで思い出すのは、北海道赤平スキー場に展示されていたD51 566号機です。
スキー場は閉鎖され、もう訪れる人もなくひっそりと佇む蒸機です。

しかし、ここの蒸機は都心のしかも山手線の内側という超一等地にありながら、埃を被りフェンスでグルグル巻きにされているのが一層哀れさを誘います。




写真は、2011年に訪れた留辺蘂のD51 311号機です。
外観はかなり荒れているにも関わらず、その存在感、迫力は相当のものを感じました。

またぜひ訪れてみたい蒸機の一つです。





すっかり油が抜け切ってしまって、干乾びちゃったような外観です。





フェンスの中を見ると、プラットフォームと階段…

このC58 407号機が設置された当時は、このフェンスも無くホームから自由にキャビンも見ることが出来き、子供たちもじかに蒸機に触れ大喜びしたのでしょう。
しかし、時代も変化し「危険」ということで、「寄るな触るな」状態にされてしまったのでしょうね。





このトゲトゲのフェンスの意味が良く分かりません。
鳥避け?それとも猫避け?…何のためなのでしょう。



フェンスでグルグル巻きにされてさらにトゲトゲ・フェンスまで…見ていて寒くなってきてしまいました。



かなりマニアックな詳細図面です。
ここまで細かい数値を表示した説明パネルはあまり見たことがありません。



ここに展示されるようになったのは昭和49年5月5日…子供の日に展示されているのですね。
やはり、子供たちの夢のためにという想いがこもっています。
しかし、40年近い月日の移り変わりに、それも風化してきたのでしょう。



全国の静態保存の蒸機を見て歩いていると、それを保存・管理する地域、自治体、団体の、それぞれの考え方、関わり方が保存状態に表れていて、実に興味深いです。


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航空自衛隊 浜松広報館 エアパーク 9月20日 2012年-02

2013-06-25 | Weblog
今度は“展示格納庫”のF-104J の鑑賞です。



キャノピーもそのフレームも“サラサラのピカピカ”ですよ。
屋内展示という環境もそうでしょうが、航空自衛隊の「本職」の方々が心血を注いでメンテナンスしているのですから、むしろ当然といえば当然でしょうね。

やはり、バルカン砲の射出部は、何事も無かったように綺麗にカバーされています。




やはり、見ずにはいられませんね。



おぉ~
こういう展示は初めて見ますね。

これが、エンジン本体か~



J-79エンジンの説明パネル…
この巨大なエンジンがF-104Jに搭載されているわけですね。
って、いうか…F-104Jの機体って、ほとんど“エンジン”じゃないですか。

J-79 エンジンっていうのか…
大きさの割には、1380Kgしか重量が無いのですね、意外だな。

しかも、F-4EJ に搭載されている“J-79-IHI-17 エンジン”は、このエンジンの発展型だと説明されています。

へぇ~そうだったんだ…



細部までピカピカですよ。
近くで見ても、何がどうなっているのか、全く分かりませんけれど。



初めて見る J-79 エンジン を夢中になって鑑賞していると…

航空機のエンジン音が…
振り向くと、T-4 が、離陸していくところでした。



おぉ…!
慌ててレンズを向けてみました。

乗り物が大好きなのに、乗るのは大嫌い…特に飛行機は“見るだけ!”なオジサンです。
写真撮影も、“動きもの”の撮影は苦手だし下手くそです。

飛行機の写真は、本職の方が撮ったのを見ているのが一番!なんて思っていたのですが、最近、ちょっと自分でも綺麗な航空機の写真撮影にチャレンジしてみたくなってきました。



エアパークには、このようなフライト・シミュレータなども設置されています。

ちょっと、体験させていただきましたが、うっかり「眼鏡」をオデ君の車内に置いてきてしまったので、画面のインジケータ類が全然見えません。
「コクピット・ドリル?」で、指定の対地速度になったら操縦かんを引くようにと指示されたのですが、全く数字が見えなくて、いきなり「チュド~ン」です。

シミュレータの係官は女性自衛官の方々でしたが、「なんだかなぁ~」って、呆れていたと思います。




他にも、興味深い展示がたくさんの「航空自衛隊 浜松広報館 エアパーク」でありましたが、また長くなりそうなので、この辺で終了!です。

ふぅ~

2012年の夏休みシリーズ…これでようやく「終了!」です。
何とか、2013年夏休みが始まる前までに、ブログのアップが間に合いました。

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航空自衛隊 浜松広報館 エアパーク 9月20日 2012年

2013-06-24 | Weblog
浜松の「エアパーク」にやってきました。
F-104Jを鑑賞するのが目的です。



まずは、屋外展示のF-104J から鑑賞します。
展示資料館と展示格納庫との間にそれは展示されています。

「ペンシル」と言われるのが分かりますよね。
突き刺さりそうなほど細身です。



やはり、屋外の展示は過酷な環境なのでしょうね。
キャノピーには微細なクラックが多数見えます。



赤い背景にサソリのマーク…見るからに「危険」なイメージの部隊マークは、硫黄島で無人機を運用する部隊のものです。



ど~しても覗いて見たくなるのですよ。
奥には巨大なガスコンロみたいなバーナーが見えています。

屋外展示なのに、エンジンが搭載されているみたいです。



バルカン砲の射出部には、このようにカバーが付けられています。

今まで見てきたF-104Jでは、小松空港の「航空プラザ」に展示されているそれが、唯一、射出部がオープンになっていました。


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トヨタ博物館 9月19日 2012年 -06

2013-06-21 | Weblog
 やっぱり長くなってしまいました。
済みません。

まだまだ、美しいクルマがたくさんあるのですが、いくら好きだからって「限度」というものがありますね。

これで「トヨタ博物館」はお仕舞にしますから…

トヨタ博物館 珠玉のクルマたちの中にあって、特にAAAの美しさの TOYOTA 2000GT であります。



TOYOTA 2000GT は、台場のヒストリーガレージにも展示されていますが、こちらのそれは…佇まいからして“別格”の美しさであります。



ここに展示するために、ライン・オフしたのをそのまま保管していた…といわれても「なるほど…」と、信じてしまいそうなほどの美しさです。

近付いて「ジロジロ」観察しても、オジサン程度の観察者には全くスキを見せません。





七宝といわれる“2000GT”のバッジであります。
新品なのかな?

フェンダーのルーバーは、職人さんが一枚づつ板金していったのでしょうね。
そんな感じがプンプン漂っています。




インテリアの様子はあまり近付けなくて、よく見えません。



マグネシウム・ホイール…そして、ドアー・ハンドル。
これって、うちのSL君のドアー・ハンドルに良く似ているんですよ。




どこをどう見ても、全て美しいのですが、その中でも一番大好きポイントはここです!

「なんだ…またヒップ・ラインか…」って、言わないでください。
本当に激美しいと思いませんか?

トヨタ博物館…ここで夢中になって写真を撮っていると、自分が写真撮影が上手になったのでは…と錯覚してしまうのですよ。
決してそんなことは無くて、展示されているクルマたちが最も美しく見える様な、計算し尽くされたライティングが施されているのですね。

なので、そこに立ってシャッター・ボタンを押すだけで、誰でも綺麗な写真が撮れちゃうんです。
昔、パロディーで スタジオ撮影の場面…アシスタント達がライティングや小道具のセッティング、全て完了し、おもむろに登場した「先生」に、「お願いします」とレリーズを渡し、「うむ…」と、シャッターを切る。

まさに、全てお膳立てされたスタジオ…そんな感じを受けるのが「トヨタ博物館」なのでありました。

ぜひ、お気に入りのカメラを携えてお出掛けください。



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トヨタ博物館 9月19日 2012年 -05

2013-06-20 | Weblog
 日本車のフロアーにやってきました。
フェアレディー SP310 です。

「フェアレディー」という名前が使われるようになったモデルの二代目が、このSP310 です。
エンジンは4気筒、排気量は1500ccです。

ちょっと、フィアット・スパイダーに似た顔つきですが、日本人デザイナーによるデザインです。



博物館に展示されるクルマの多くは、サスペンションやタイヤの劣化を緩和するために「ウマ」を架っていることが多く、
若干、フロントが持ち上がってしまっていて本来のプロポーションとは異なると思います。

シャシーはトラックのを流用していますが、第1回日本グランプリで優勝しているのですね。



このクルマにも憧れましたが、残念ながら縁はありませんでした。



「エス」の登場です。
このクルマこそ私の「赤のロードスター信奉」の源流となるクルマであります。



日本自動車博物館のときにも書きましたが、従兄弟が「S600」を所有しておりまして、それに乗せてもらったことが
スポーツ・カー=「赤&オープン」という刷り込みとなったようです。



今ではちょっとありえないほど“細い”ウッド風?ステアリング。
メーター・クラスターの辺りのデザインは、今見てもスポーツしていて格好良いです。
メーターの白い針とホワイト・レターが渋いな~



「エス」のリア・スタイルは贅肉がなく、ちょっと「そっけない」感じがします。
オジサンは、もっと mature な方が好きです。



S500 とか S600 には、ヘッドライトに「カバード・グラス」みたいなのが付いていましたが、雨降りの時など、グラスの内側に水滴が付いてしまい、視界がすこぶる悪い…と、従兄弟もこぼしていました。

そのようなクレームがあったせいか、最終型のS800になると、そのグラスは廃止されていました。




TOYOTA Sports 800 Model UP15

トヨタのスポーツ800は、先のホンダS800 と名前が紛らわしくて、ホンダのそれを「エスハチ」、トヨタのは「ヨタハチ」って呼んでいました。




今の目で見ればこそ、エアロダイナミクスを意識した流麗なそのボデーも、当時中坊だったオジサンには“チャチっぽく”見えたものでした。
しかも、フロントにちょこっと搭載されるエンジンは、「パブリカ」という名のファミリー・カーのエンジンを流用していて、そのスペックたるや、空冷2気筒!…しかも水平対向エンジン!…しかもOHV! です。

先のホンダのS500は、直列4気筒DOHC 4キャブレター 時計のような精密エンジン と、評されたそれと比べると、あまりにチープに見えたものでした。

ただの“オモチャ”と見えたTOYOTA Sports 800 でしたが、国内のレース・シーンではライバルのホンダS600を向こうに回し大活躍をするのでした。
その頃から“スペックおたく”のオジサンには少なからずショックでありました。

「そんなバカな…なぜヨタハチなんかに」ってね。

クルマって…特にレーシング・カーって、エンジンだけで走っているわけではなくトータル・バランス(総合性能)だ…ってことを知るのはラジコン・カーでレースをするようになってからでした。




よく行く台場の“ヒストリーガレージ”1Fには、浮谷東次郎さんのヨタハチが展示されていましたよ。



平板でそっけない造りではありますが、明らかに“Sports”しています。



ニッサン、ホンダ、トヨタ と、三社のオープン・スポーツを見てきましたが、いまこうして見ると視点はそれぞれ違ってもそれの彼方にある到達点…クルマの輝かしい未来を見ていたのが分かるような気がします。

この時代から「排ガス」という高いハードルを越えたクルマは、燃費、環境、安全、次世代パワー・プラントと次々と現れるハードルに挑み続けていきます。

しかし、オジサンが夢見ている「クルマ」は…手塚治虫さんのアニメやバック・トゥ・ザ・フューチャーで登場した未来交通…空を「走る」クルマの登場です。
アニメでは21世紀にはとっくに実現されていたはずなのに…




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トヨタ博物館 9月19日 2012年 -04

2013-06-19 | Weblog
Cadillac Eldorado Biarriz

キャデラックですよ。
すごい存在感!



ヒュ~ン…
コストもディメンションもほとんど関係無く、力強く自由奔放にデザインされたような外観。

未来の乗り物…空も飛べそう です。
素晴らしい造形美だと思います。

私は、この角度からキャディーを見るのが一番好きです。

アメリカが一番輝いていた時の一つの象徴のようです。



いくら車体が豪華でデカくても、ドライバーの占める空間は、やはり一人分ですね。
なんとなく、747のコクピットを思い出しました。



テール・フィンが聳えるリアビューです。
クローム・メッキと並び、キャデラックの、そしてこの時代の高級車の象徴的装備でありました。

はぁ~
格好良い!

一体、どういう技術なのでしょう?
工場から出荷しないで、そのまま保存していても、こうまで美しくはならないでしょうね。

また、溜息が出てしまいました。



Jaguar E-Type 1965 UK

“ジャガー Eタイプ”です。

正面から見ると、ひょうきんで優しげな顔つきです。

昔、業界の方々が“ジャギュア~”とか言っていましたが、ちょっとくすぐったかったです。
日本では「ジャガー」でも良いのではないですか…

トヨタ博物館のプレートにも“ジャガー”って書かれていました。



真横からの眺めは、“ロング・ノーズ ショート・デッキ”の典型みたいなプロポーションです。

フロント・バンパーからドライバーまでの間に、トヨタさんのIQくらいなら入ってしまいそうな勢いです。



“Jagua”というクルマは「薄い」という印象を受けます。
フロントもリアも、キャビンも全てに「薄さ」を感じます。



インテリアはさすがは英国車…と思わせるような、ウッドとレザーを巧みに使ってゴージャスな雰囲気に仕上げられています。




綺麗な“ボート・テール”です。
ほらね、「薄い」でしょ?

フェンダーを鋭く切り取るホイール・アーチの曲線…ワイヤー・ホイールとも雰囲気がピッタリです。

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トヨタ博物館 9月19日 2012年 -03

2013-06-17 | Weblog
 Mercedes-Benz 300 SL Coupe

だいぶ時代は現在に近くなってきましたが、それでも1955年製ですよ!
こんなクルマを1955年、すでに製作していたドイツ自動車産業…メルセデス・ベンツという会社の物凄さを感じます。



このクルマの外観上の最大の特徴…“gull wing”
カモメが翼を広げた姿に似ているので、このように呼ばれるようになったようです。

しかし、このドアーの開閉方法はレーシング・カーを市販するための苦肉の策だったようです。
レーシング・カーとしてデザインされた300SLですから、“シャシー剛性”が最重要テーマで、乗降性などは二の次だったのでしょう。




しかし、市販するにはある程度の乗降性を満たしたドアーを付けたい…しかし、シャシーを切ってしまうわけには行かない…
そこで考えられたのが、この“gull wing Door”のようです。

決して、デザインの派手さを狙ったモノではなかったのですが、近年では高性能スポーツ・カーの一つの“象徴”となったような気がします。




インテリア…チェックのファブリックのバゲット・シート、豪華さを感じさせるクローム・メッキで縁取りされたメーター・クラスター、ホワイトのエボナイト製ステアリング…乗降の際には下方にチルト出来るみたいです。



リア・スタイル…なんて艶やかなラインなのでしょう。
ライセンス・プレートの取り付け装置?などもとても素敵です。

勿論、バンパーなど本来の目的になど使える訳がありませんね。

この位置から見ると、ノック・オフのスピンナー…かなり飛び出しているように見えます。
おぉ!…007シリーズの劇中に登場したアストンを思い出します。


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トヨタ博物館 9月19日 2012年 -02

2013-06-15 | Weblog
 おっ!
珍しい展示が…ウイリスか?…と思ったのですが、説明パネルでは、フォード・モデルGPWと書かれていました。



オジサンくらいの年代だと、フラッシュ・バックするのは、テレビ・ドラマ“コンバット”そして“サンダース軍曹”…オープニングの曲が聞こえてきそうです。




この割り切りの潔さはど~です?
目的のために必要な機能しか持たない。
必要な機能のためには出資は惜しまない。

潔さのお手本ですね。




アルファロメオ 6C 1750 グランスポルト と表示されています。



やはり、“赤”はオープン・モデルに似合いますね!





スペアのタイヤを2本背負っているのですが、セクシーなリア・スタイルです。
当時はパンクが多かったのでしょうね…



Bugatti Type35B です。
昔、カー・グラフィックとかで登場したのを記憶しています。

本格的レーシング・カーなのに、スペア・タイヤを装備しています。
そう言えば…917とかもリア・スペースにスペア・タイアを積んでいました。
歴史的にそういうレギュレーションだったのですね。




手を触れると、ペイントが付いてしまいそうなくらいに“生々しい”ボデーです。



近代のクルマでは考えられないくらいに極端な“ボート・テール”です。
走るために必要なもの以外、何も無いシンプルなコクピット。
レーシング・カーだから当たり前ですけれど…



Bentley 4 1/2 liter
こちらも、カー・グラフィックで何度か写真を見ましたが、まさかこんな至近距離から実車を鑑賞できるなんて思ってもみなかったですね。



ベントレーといえば、現在では超高級サルーンの頂点をロールスと分け合うブランドという認識ですが、1920年代にはル・マンに参戦して優勝までしている“武闘派”だったのですね。
しかも、このモデル、オープンン4シーターですよ。



こういうクルマがル・マンを走っていたと思うと、ヨーロッパのレースって「深い」ですね。



珠玉のスポーツ・カーたち…この時代のスポーツ・カーと言えばみな、オープン・モデルですね。







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トヨタ博物館 9月19日 2012年

2013-06-15 | Weblog
 昨日(9月18日 2012年)の日本自動車博物館に続きまして、今日はトヨタ博物館にやってきました。

日本自動車博物館は、記憶の片隅に棲む身近なクルマたちが展示されていましたが、トヨタ博物館に展示されているクルマたちに、その生活感が全くありません。
「同じクルマ」なのにこれほど違うものかと思います。

おそらく、それは工場をライン・オフした時よりも美しく産業遺産…というよりも「美術品」というべきもので、「トヨタ博物館」というよりも「トヨタ美術館」というのがふさわしいと思います。

もちろん、トヨタ博物館に展示されているクルマたちが日本自動車博物館に展示されているクルマたちより「優れている」などと言うつもりは全くありません。
それぞれが、「目指す方向」が違うのですから…

短いスパンでそれぞれの博物館を見比べてみることをお勧めします。

それぞれがクルマたちを通して訴えてくるメッセージをより鮮明に受け止めることが出来ますから。

珍しく?前フリが長くなりましたが、お薦めの珠玉のクルマたちをご覧ください。



まずは、“Duesenberg Model J”であります。

息をのむような美しい姿、明らかに「限られた人」のためだけに贅を尽くして造形されたことを理解します。

このクルマを見ると、「華麗なるギャツビー」を思い起こします。



この時代(1920年代)の超高級車はクルマの土台…シャシーを供給する会社と、顧客の要望によって車体…キャビンかな…を制作するコーチビルダーという業種が分業でクルマを仕上げていました。
馬車時代の名残でしょうね。

超高額、制作数も圧倒的に少ないでしょうから、当然の方法だと思います。

このクルマもそうして作られたものの一つだと思います。
今は使われない言葉ですが、このようなオープン・スタイル(型式)のクルマをPhaeton と呼ぶことがあります。

これも馬車時代からの作法だと思います。

オープン・ボデーの呼び名には、スパイダー、ラナバウト、コンバーチブル、ドロップ・ヘッド、ロードスター、スピード・スター など多くの呼び名があり、フェートンもその中の一つですが、それらの名称の明確な使い方の決まりは特に無いようで、その語源はやはり馬車時代のコーチビルダーに根ざしているようです。



この角度から見ると、ペイントがツー・トーンで仕上げられていることが良く分かります。
ボンネット・フードからフロント・ドアーの中程でカーブを描いているツー・トーン…クリームとレモン・イエローのコンビネーションが物凄くお洒落です。




本当に美しいクルマです。
カラーリングも最高です。

そして、特に感心するのは、タイヤやウェザー・ストリップなどのゴム製品…ファイアストーンの美しいホワイト・リボン・タイヤ…どうやって見付けてくるのでしょうね?

1929年製のこのクルマを見ると、アメリカという国の物凄さを感じます。
いまでこそ、ピックアップ・トラックばかり作り過ぎて傾いてしまったアメリカ自動車産業ですが、かつてはこのような宝石のようなクルマを生み出していたのですから…

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東京都港湾局専用線 6月9日 2013年-02

2013-06-12 | Weblog
サラッとまとめようとしたのですが、結局いつものように“長~く”なりました。



「三つ目通り」を横断して、この字型に迂回をし、深川消防署の辺りにやって来ました。
左側に見えるのが、消防署です。
署員の方々が、消防の装備品の点検などをされていましたよ。

その消防署とマンションとの間に、ひっそりと空き地になっている路盤の跡…
ちょっと前なら「ただの空き地」にしか見えなかったでしょうが、今ならしっかりと廃線跡のスペースだと分かります。
この空き地にも「都有地」のプレートが掲げられていました。




次は、豊洲運河に残された「橋脚」を鑑賞しに移動します。
塩浜一丁目の交差点を左に折れて、枝川一丁目信号を右折すると、豊洲運河を渡る橋の袂に出ます。

何度も運河を渡っているから、だんだん方向が分からなくなってきます。

でも、大丈夫!
超高性能コンピュータ iPhone があります!
よくよく自分の立ち位置が分からなくなたら、ピピですからね…便利です。
まず、このような場所でロストすることは無いです。

マンション横の小路には線路をイメージしたデザインが施されています。
最初はやけに軌間が広いのですが、徐々に狭まって行きます。
遠近感の効果を狙ったデザインなのでしょうか…

正面の植木の先が「豊洲運河」です。



写真を撮っているのはブルーの星印の辺りです。

お目当ての「橋脚」は、赤い星の辺りになると思います。



ふ~
ようやく「橋脚」が見える場所に到着です。

橋桁のない橋脚…ってある種の悲哀を感じさせるものですね…






対岸のテラスには橋台らしきものが存在しています。
近寄って見てみたい気持ちはありますが、運河を渡って対岸まで行くにはかなり迂回をしなければならず、ちょっと面倒そうです。

“詰め”が甘いですよね…いつものことですけど。



振り返ると、豊洲運河と橋脚が見えます。



マンションと豊洲小学校との間の小路…ここも線路が敷かれ列車が走っていたのですね。
すっかりオシャレで綺麗な道に変わっています。




ここは、「新 廃線跡を歩く 2 」に掲載された写真の場所でしたので一応、押えに撮ってみました。



子供たちの元気な声が聞こえてきます。
テントの中では、「体操」の練習をしているみたいです。
この中から、将来のメダリストが誕生するかも知れませんね。

そんなスペースの一角に、こんなものが…
造船所で使われていたトロッコのものらしいです。(どう見てもSLのものには見えませんでした)



この先…東京都港湾局専用線 最高の見所…晴海橋がもうすぐ見えてきますよ。





晴海橋…ここだけは何度も見に来ましたね。
レールファンというより「橋ファン」としてね。



晴海橋は、ローゼ橋というアーチ橋の中の一形式ですね。
初めて晴海橋を見に来た時は、そんな事も知らなかったなぁ~

アーチ部と桁部の部材が受け持つ力がイーブンになるように設計されていて、そのために桁もアーチも見た目も同じように見えるのが特徴です。
それを良く表しているのが、この部分なのだと思います。



豊洲って若くてオシャレな街に見えますね。
高層マンションが聳え、ショッピング・モールを訪れるファミリー…若さとエネルギーに満ちています。

40年くらい前のことを思い出していました。
「多摩ニュータウン」です。
夜、家々の窓に明りが灯り、聖蹟桜ヶ丘の丘陵から見た暗闇のそれは、まるで未来都市のようでした。


今は生まれて間もない豊洲の街も40年経ったら、多摩ニュータウンのような姿になっているかも知れませんね。
そのとき、ニュータウンはそれこそ真新しい未来都市に生まれ変わっているかも知れない…

街ってそうやって変貌しているのですね。

晴海橋…君はずっとそこで都市の成長成熟を見守っているのかな…


晴海から吸い寄せられるように銀座四丁目へと向かい、“ライオン”の大生を飲んじゃいました。

結局、これかい…

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東京都港湾局専用線 6月9日 2013年

2013-06-11 | Weblog
 梅雨だというのに異様なほどの好天が続きます。
日曜日、こんな素敵な天気だというのに、家でビールを飲んでいるなんて“勿体無い!”と、出掛けてきました。

東京都港湾局専用線跡をプラッと歩きます。

「多分こんな感じかな…」と、東西線で木場まで行き、そこから前回「越中島支線」の終点「レールセンター」の辺りを目指して歩き始めます。

ん?地図で見ると大したこと無いけど、歩くと結構たいへんだなぁ~



「南開橋南」…なんだかややこしい名前の交差点です。
この交差点にある小さな公園のベンチで「装備品」を広げて準備します。
水分補給もして、も一度付近の地図を広げて確認します。

「よし! 出発」…なんてね。
ただのお手軽な「お散歩」ですけれど…



突き当たり正面には、東西線の車両基地が見えています。
「ふふ…いよいよだな」なんて、期待が高まります。

目指すのは、あのマンションの向こう側辺りだと思います。



赤い矢印が今回、散歩したルートです。

紫色のラインが「東京都港湾局専用線」のルートだと思います。

「新・廃線跡を歩く」の地図を参考に書きました。



さて、今回の散歩のスタート地点です。(ちょっと迷いましたが…)

妙に可愛らしいペイントが施された機関車が見えます。
連結されているのは、レールを搬送するための特殊な貨車ですね。
DVDとかで見たことがあります。



ちょっと引いてみますと…
この写真を撮ったのはこんな感じのところですよ。

右側の線路は京葉線です。
ここから地下に入っていくのですね。

確か「しおかぜ橋」とか書いてあったかな…(メモ代わりの写真を撮るのを忘れました)その橋の上から撮影しています。

橋の目線の高さには、近隣住宅へのプライバシーの配慮からか、パンチング・メタルのプレートが貼られていて、普通には景色が見えません。

こんな時、D5100のライブビュー・バリアングル・モニターの威力が炸裂です。



赤い星のマークで示した辺りで撮っています。



橋の反対側から線路の先を見てみます。



コンクリートの車止が見えています。
線路が光って見えていますから、この辺りまで入れ替えのために貨車が入って来るのでしょうね。

車止の先には「越中島支線」の線路が見えています。



手摺が崩落し線路も途中で途切れていて、いかにも荒れた廃線跡を演出しています。



さて、今度は高速9号線の下を走る「三つ目通り」に出て来て、「東京都港湾局専用線」の線路を金網越しに観賞します。
ここでも、「バリアングル・モニター」が活躍です。

先程の「越中島支線」のレールとは異なりすっかり光沢を失って鉄錆色に染まったレールが雑草に埋もれています。

現役路線と廃止路線の格差ですね。



こうして写真で見ると、いかにも「立ち入り禁止」のフェンスを越えて写真を撮っているように見えますが、ホントにフェンスの外からバリアングルと望遠レンズで撮影していますよ。



ほらね、フツーに撮影するとこんな感じです。
「都有地」って…東京都港湾局専用線だったから、都の所有する土地なんだ…

責任ある社会人ですからね、ルールを守って楽しまなくちゃ…



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日本自動車博物館 9月18日 2012年

2013-06-06 | Weblog
 小松空港と航空プラザに寄って、次はここ…「日本自動車博物館」です。

何度目かな~小松、金沢方面に来た時にはたいてい立ち寄っています。

相変わらず「立派な威容」をたたえる日本自動車博物館の全景です。
あまりに立派過ぎて、初めて来た時には「ほんとにここ?」って、ちょっと引いてしまうほどです。

入館料金は¥1000で相変わらずです。

館内に入ると古いクルマ特有の、オイルとガソリン、ゴムのミックスしたような「ニオイ」が立ち込めています。
クルマ酔いするような方には、ちょっと嫌なニオイだと思います。
(最近のクルマさんは、ホントにニオイが無くなりましたね)



今開催されているイベントは「徳大寺 有恒 が選んだ名車たち」と題されたもので、6月16日から展示されています。

徳大寺さんに選ばれた「名車」は、こちらの博物館常設展に展示されているクルマたちであります。

それでは、さら~っと眺めていってみましょう。

クルマに装着されているライセンス・プレート風のパネルは…上段が“和暦” 中央が“西暦” そして左端が“生産国”を表しています。



MG-A であります。
1500cc 4発 OHV スペックだけ見るとなんと言うことも無いものですが、堂々のスポーツ・カーであります。
フロント・フェンダーからリア・フェンダーへの曲線なんて、すごいマッシブではありませんか。

ポルシェの人達って、こういうのが好きなのでしょうね。
この時代は、ヘッドライトなんて「丸いの」しか無かったですから…

私はポルシェの人達が「大嫌いな」996のオーナーでもありますが、あの「涙目」と言われるヘッドライト周りのデザインこそ、歴代911のデザインでは秀逸のものと思っています。
996前期型の最高の美点の一つだと…




このクルマの生産は1955年です。
日本で言えば昭和30年!ですよ。
その時代にこうした趣味性の高いオープン・トップのスポーツ・カーを作れる国力…凄いですね。

このクルマが無かったら、30年以上後に登場するNA6CEも無かったかも知れませんね。

私は、MG-Bのスタイルの方に好感を持っています。




ポルシェ356B です。
あっ、説明パネルを撮影するのを忘れました。
未だに根強いファンが存在するクルマです。

ここのクルマだけですが、左のライトがちょっと変で違和感を感じます。
パーツが違うのかな?



ランチャ・フルビア・クーペです。
BMWの2002にも似た、細いA・B・Cピラー、グリーン・ハウスが広くて全方向、良好な視界が得られるデザインです。
現代の車ではこうした設計は、衝突安全設計の制約から実現できないのでしょうか…



この時代のイタリア車…難しそうですね。
アルファロメオなどに比べると、日本ではいまひとつ人気が無かったような気がします。



シトローエンGSです。



2CVやDSパラスなどフランスの香り満載モデルに比べると、それは幾分薄まって「フツ~のクルマ」に近くなりました。
日本でもそれなりの台数が販売されたのではないでしょうか。




トライアンフ TR-4 です。
説明にもあるように、TR-4とは、“Triunph Roadster”の略です。

とても個性的なマスクをしています。
誰とも似ていない…なんてね。




MG-Aもそうですが、1960年代にこうしたオープン・モデルを生産していたイギリスの国力は、他にアメリカあたりしか見当たらないでしょう。



おっ、言っているそばから、日本車の登場!
それもオープン・モデル!
1968年製造ですよ。

日本車も頑張っていました。



“FairLady”は現在でも生産が続けられている現行モデルでもあります。
しかし、いまの方達は、あのフェアレディーが、当初オープンモデルからスタートしたなんてご存じ無い方が多いでしょうね。

私も、サファリ・ラリーで活躍した240Z が好きですよ。



だいぶ近代的なクルマになってきました。
良く目にしたクルマでしたが、乗せてもらったことも自らドライブする機会もありませんでした。



エレガントな香りのするクルマです。



さらにこちらのクルマなど全く無縁の存在でしたね。



どんなクルマなどか想像も出来ませんでした。



こちらはかなり身近なクルマですね。
展示車はかなりくたびれ感が漂っております。



私も、“スバル”というメーカーは好きですよ。
自身で初めて手に入れた「新車」はスバルの“レオーネGS”ってクルマですから、思い出深いです。

“レオーネ”ってクルマは現在では存在しませんが、多分…レガシーの先祖では無いのでしょうか?



こちらも懐かしいクルマです。
軽自動車…360ccのクルマでしたが、今見るとホントに小さいですね。




しかも、当時は「軽免許」というのが16歳で取得できましたから、高校生のクラスメートで「クルマ通学」している人もいましたよ。

バイク通学なんて当たり前で、今みたいに「あれするな、これするな」なんて時代ではありませんでしたね。



従兄弟が赤いS600 に乗っていました。
私のロードス君、NA6CE…ロードスターは“赤”じゃなくちゃ…って言うのはこの頃に「刷り込まれた」のだと思います。

凄くカッチョ良くて羨ましかった…



今でも、ホンダの“S”を見ると、あの頃従兄弟に乗せてもらったことを思い出します。



「へぇ~」って思って横目で見ていましたね。
まだ免許取得できる年齢ではありませんでしたから。






タクシーで乗るしか縁の無かったクルマでした。
ほら、このクルマも、タクシー出身のクルマだと思いますよ。

フロント・スクリーンのところ、見てください。
「空車」って書かれた円形の物体が見えるでしょ?
「賃走」のときはそのレバーをガシッて倒すんですよ。





こちらも思い出深いクルマです。

免許を取得して初めて運転した車ですから…

勿論、相当な中古のくたびれたクルマでしたけれど、初めて「ぶつけた」クルマでもありました。
確か個人宅の垣根代わりの「木」に擦ったように記憶しています。

ピニンファリーナによるデザイン…ということはそれからだいぶ経って知りました。
ダルマみたいなシェープにテールが下がり気味…アメ車のテールフィンがカッチョ良いと思っていた当時のオジサンには、そのデザインは理解できなかったですね。

あとから知ってみると、「ん~、なんとなくアルファーにも似ているみたいで、カッチョ良いかもね…」なんて…適当ですね。




日本自動車博物館のクルマたちって、みんなこのような感慨を与えてくれるんですよ。

来館しているお客さんの話し声を聞いていると(オジサンくらいの年齢の方々が多いような気がしますが…)「あの頃は、あ~だった」「この頃は、こ~だった」「このクルマは、あ~だった」って楽しそうに語り合っています。

タイム・マシーンみたいに、その当時の自らの生活環境の記憶を呼び戻してくれるのですね。

今のクルマたちが「性能」「快適」「安全」「環境性能」など、時代が要求する要件と引き換えに失ってしまったものを思い出させてくれるのも、ここに展示されているクルマ達です。

クルマたちはこれからどう変わって行くのでしょうか…
電気や燃料電池などを使用する、より効率の良い動力装置、完全な自動運転により、事故などの無い、誰もが快適で安全な環境でクルマと生活することが出来る社会がもうすぐ目の前にあります。

でも…それと引き換えに失うもの 免許を取得した40年ほど前、あの青い翼の410で得た「自らの手で運転する」という掛け替えの無い喜びは、確実に失われます。

それは仕方の無いことです。
子供やお年寄りを巻き込んだ悲惨な事故などを無くすためには、正しい選択だと思います。

将来、「クルマの運転」…というのは、乗馬クラブみたいに古典的なスポーツとして、限られたスペースでそれを愛する人たちだけが楽しむものとなるでしょう。

そんな時代に「日本自動車博物館」を訪れたら…
LFAとかの展示を見て、年配の人は(今、幼稚園児くらいか…?)「昔はこういうクルマが街を走っていたなぁ~」と、懐かしみ、子供達は「へぇ~クルマって自分で運転できたの? ずいぶん危険で野蛮な乗り物だったんだね」などと言うかもしれません。


「日本自動車博物館」に展示されているクルマたちは、そのようなことを考えさせてくれるのでありました。



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東京鉄道遺産 「鉄道技術の歴史」を巡る 小野田 滋  

2013-06-04 | Weblog
 「鉄道構造物探見」という書籍があります。
こんなに「隅から隅まで為になる本」というのは珍しいです。(鉄道構造物に興味のある人は…という前提ですけれど)

ほんと、夢中になって読みました。

その著者「小野田 滋」さんの最新刊が「東京鉄道遺産」です。
小野田さんの著書だからつまらない筈はない…と、早速アマゾンで購入しました。

おぉ…「BLUE BACKS」かぁ~
懐かしいな~
中坊の頃に読んだな~

さて、本書は「Ⅰ駅」「Ⅱ橋梁」「Ⅲ高架橋」「Ⅳトンネル」から構成されています。
どれも最近、興味津々なジャンルばかりです。

「わぁ~い、楽しいなぁ」って…

東京の鉄道遺産ですから、物凄い身近なテーマです。
東京に半世紀も住んでいますから、どれも知っているものばかりです。

しかし、本書を読み進むうちに、「なるほどなぁ~そういう見方もあるのか…」と、感心することしきりです。
小野田さんは鉄道土木のエキスパートで工学博士でもある方ですが、超ド素人の私などが夢中になるような展開でどんどん興味の渦に巻き込まれます。

特に「駅」のパートで、「東京駅」→「上野駅」→「御茶ノ水駅」の展開には感動しました。
「御茶ノ水駅と言ってもどんな建物か思い出せない人も多いが、それこそが御茶ノ水駅の真価だ」という書き出しで始まる解説は、本当に「何て事の無い駅」という認識だった御茶ノ水駅の凄さを認識させてくれました。

九州の「高千穂鉄道」をお昼休みにちょこっと見てこよう…という訳にはいきませんが、これらは殆ど毎日通勤で接している鉄道施設ですから、わざわざ出掛けなくても説明を読んで即、イメージすることが出来ます。

また、そういう「目」で改めてそれらを見てみるのも凄く楽しいですよ。

本書のもう一つの魅力…当時の工事中や完成直後の写真と現在の写真が並べて配置されていて、「おぉ…こんなんだったの?」って感動しきりです。
写真を見ているだけでも楽しいですよ。

いや~為になるなぁ~

小野田 滋 さんの本は全部読んでみたくなりました。

東京鉄道遺産 「鉄道技術の歴史」をめぐる … お薦めですよ。

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オデ君の車検 6月1日 2013年

2013-06-03 | Weblog
 九州旅行から帰ってきて荷物を下ろしたら、そのままホンダさんにオデ君を車検で預けてきました。
もう、あれから2年が経つのか…毎回そう思いますね。



最近のクルマはATFも無交換で良いらしいのですが、オデ君は車検ごとにATFを交換しています。
チェンジャでの交換ですが¥8400 と、普通でした。



フィルターの交換はちょっと間が開いてしまいました。
燃費にも影響する大切な部分です。
それでも「目も当てられない」程には汚れていないみたいです。



これもお約束のエンジンオイルの交換です。

こうしてみると「真っ黒」に見えますが、どんなものでしょう…



タイヤの状態です。
たまに気にして見てはいるのですが、「5分山」くらいかな…数値的にはフロントが4.8mm リアが4.5mm …思ったよりも残量は多かったです。
しかし、FWDのオデ君のフロントよりリアの減りが早いと言うのは良く分かりません。

出来れば早目の交換を…それは分かるのですが結構無理して買った「レグノ」、もう少しは使いたいです。



タイミング・ベルト交換は今回は見送りましたが、パワステとコンプレッサーのベルトは交換していただきました。

タイミング・ベルトの交換までお願いすると、それだけで10万円コースですからね…メーカーの推奨は10万キロとのことですから、マージンを見て25万キロは大丈夫かな…などと甘く考えています。



補器類のベルト交換と同時にお願いしたのは、テンショナー・プーリーASSY です。
常にベルトのハイテンションが掛かる部分ですので、ベアリングのガタも出やすいようです。
ベルト類の単価は、パワステ用が¥2520 コンプレッサー用が¥3255 テンショナー・プーリーASSY が、¥9660でした。



ブレーキフルードも、毎車検ごとに行っています。
納品書を見ると DOT-4 を使用しています。
ロードス君とかは、ノーマルの DOT-3 から DOT-4 に交換していましたが、オデ君も DOT-4 使っているんだ…



前回の車検の時にブレーキ周りのオーバー・ホールを行っていまして、パッドもその時に交換しました。



前後のパッドの残量は充分のようでしたので、分解・清掃・給油 で済みました。
やれやれ…

オートプライドさんでの作業は、写真撮影を毎度お願いしています。
ホンダのディーラーさんでも、こうして作業の進捗状態を撮影していただいてありました。

クルマの引渡しの時に、その作業の写真をプリント・アウトして作業内容を説明してくれます。

後日、その写真データをメールで送っていただきブログで使わせていただいています。
勿論、ブログに使用させていただくことは事前に断ってありますよ。
工賃やパーツ代は標準料金みたいなので、明記しました。

九州旅行は約3000Kmほどの走行距離でした。

これからも、オデ君と日本中走り回って、距離を重ねていくと思います。

オデ君、これからもよろしくね。

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県立航空プラザ F-104J 9月18日 2012年

2013-06-02 | Weblog
早速、お目当てのF-104J を観賞します。

屋内展示でもあり、機体はバリバリのピカピカです!
こんなに美しいF-104Jを間近に見るのも初めてかもしれません。



コクピットの下方にはバルカン砲の射出部が…



もう少し近寄ってみましょう…
これほど「生々しい」射出部を見るのも初めてです。
大抵はプレートで塞がれてしまっています。



AOAベーンの説明もこんなに本格的ですよ。
為になるなぁ~

子供達だけでなく、大人のマニアの方も存分に楽しめるかと思います。
(ちなみに、オジサンは細部までは理解出来ていません)



うわぁ~
エンジン部もこんなに生々しいです。

巨大なガスコンロのバーナーみたなのが内部に見えます。

大概の民間の博物館に展示されている機体は、エンジンは積んでいなくて「ドンガラ」状態かパネルを貼ってありました。
やっぱ、本物の臨場感は凄いな~




バーナーのシャッターってこうなっているんだ…
細々としたメカの集積ですね。

これも、こんなに間近で観察できるなんて、嬉しいですね!



キャノピーの射出装置の説明です。
へぇ~ このボタンを押すと…



…って、ホントに開いちゃったけど…
ここの機体は、どこもかしこも、ホントにリアルですね!



おっ! コクピットには“索敵”のシールが!



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