江差線 終着駅「江差駅」にやってきました。
雨雲に覆われ雨が降り続く江差駅正面の風景です。
木古内駅から始まった江差線の「見てある記」…木古内駅に次ぐ立派な駅舎の江差駅であります。
駅前は意外とちんまりとしています。
列車の到着が近いのでしょうか、タクシーは意外に多く、一般車両の駐車スペースは少なめです。
白いタクシーの後ろにはオデ君の鼻先が写っています。
正面の道路の向こうには日本海が見えています。
少し位置を変えて駅の全景を見てみます。
ホームからは待合室を通らなくても出られる改札口が設置されています。
これがホームからの改札口です。
フリーにホームへと入れそうですが、取り敢えず待合室へ行き入場券を購入することにします。
ストーブを中心にそれを囲むように並べられたベンチには、利用客の姿はありません。(画面左にご婦人の姿が写っていますが、駅員の方に指定券の事を訊ねていました)
壁に掛けられた時計の時間…12時24分を指しています。
函館駅前のホテルを出発して、「トラピスト修道院」やら、知内町の「青函トンネル 出口撮影台」など寄り道をしていた割にはかなり早い時間の到着です。
窓口で「入場券」を購入します。(マルスシステム【MARS : Multi Access seat Reservation System】のです。*最近覚えました。)
確か「記念入場券」も販売されていたのですが、迷った挙句、それは見送りました。
まだ、そういう「レール・グッズ」に強い魅力を感じないのです…
マルスの印字にも「12時24分」とあります。
今度はホーム側から改札口を通して駅前の駐車スペースを見てみます。
ホーム上の終着駅特有の駅名標…
江差の次の駅名がありません。(当たり前ですけれど)
ホームから「上ノ国駅」方面を見ます。
そして…左側をみると線路の先には車止が小さく見えています。
車止の先には住宅が建ち並び、この先に線路が延伸する可能性の無いことを語っています。
ホームには名所案内のプレートが。
さて…「江差線見てある記」取り敢えずこれで終了!です。
すでに廃止が決まっている路線をこうして歩いた(オデ君で移動した)のは初めての経験でした。
これまであったものが、時代の流れと共に消えていくのは寂しいものです。
時代の移ろいとは時に残酷な一面を覗かせるものです。
しかし、消えていこうとしている、この「江差線」
大正2年に軽便鉄道として開業し23年の時を経て昭和11年に江差まで延伸し江差線となりました。
多くの人々や資材を運搬し北海道の発展に寄与してきた江差線ですが、時代の変化と共にその役目を静かに終わろうとしています。
軽便鉄道として発足し2014年廃止まで、およそ100年の鉄轍営業としての終止符が打たれ、歴史の一部となろうとしています。
ある偏った見方をすると「人間の歴史」とは種の生き残りを賭けた戦いと、その移動速度への挑戦の歴史のようにも見えます。
今日の移動とは、「個」の移動の利便性とスピードにおいて「ビークル」が脚光を浴び経済の中核をなしていますが、いずれその「ビークル」もまだ見ぬ「未来の移動手段」に主役の座を明け渡し静かに消えていく日が、確実に待ちうけています。
表現が適切かどうか、自信はありませんが一種「娘を嫁がせる父親の心境」にも通ずるものがあるような気がします。
最愛の娘を“馬の骨”に持っていかれる…しかし、かつては自分が“馬の骨”としてやったことが身に降り掛かってきただけで、また新しい“馬の骨”もいずれ“新たな馬の骨”によって、同じような想いをすることとなる訳です。
永遠に繰り返される「輪廻」のようなものですね。
*ちなみにオジサンにも娘はいますが、「相手*馬の骨」を連れてきた時には全然平気でしたよ。
結婚式の時も「あ~ぁ…やれやれ清々した…」なんて思っていて少しも寂しくも悲しくもなかったです。
これで好き放題、自身が遊べますから。
雨の江差駅で日本海を眺めながら、こんなことを想うオジサンでありました。