Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

タウシュベツ川橋梁 士幌線 9月7日 2014年

2015-06-30 | Weblog
タウシュベツ川橋梁に訪れるのは初めてではありません。

しかし、その時は「廃線巡りファン」としてではなく、観光客として北海道遺産の「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」の一つの「タウシュベツ川橋梁」を鑑賞に来たのでした。

しかし、2011年 9月9日のその日の糠平湖の水位は満水状態で、「タウシュベツ川橋梁」の姿を見ることは出来ませんでした。

2011年 タウシュベツ川橋梁の記事はこちらから。

タウシュベツ川橋梁は士幌線がタウシュベツ川を渡河するために架けたコンクリート製アーチ橋でした。

1955年に糠平ダムが建設される際にその湖畔に沿うように新線が敷設されタウシュベツ川橋梁は湖底へと沈むこととなりました。

しかし、糠平湖は人造湖であり発電量や地域の降水量によってその水位が大きく変化し、残されたタウシュベツ川橋梁は満水時には湖底に…そして渇水時には姿を現す「幻の橋梁」として人気を博するようになりました。

前回も9月に訪れ、タウシュベツ川橋梁は湖底に沈んでその姿を見ることは出来ませんでした。

今回も、「ど~せ9月は満水時で、橋梁の姿は見られないだろうな~」と、一度はその前を通過しました。(先の記事で“LTE”が受信できなくて糠平まで山を下った時のことです)

しかし、“LTE”の都合で展望台の前を何度も通過するうちに気が変わり、「せっかくだから見て行こうかなぁ~」と立ち寄る気持ちになったのが幸運でした!



ここにもクマ注意「ヒグマ出没中」の立て看板が…

「クマ多いなぁ~ブツブツ…」



展望台に向かう途中に士幌線の路盤を横切ります。

以前もこの道を歩き路盤を横切りましたが、その時にはここが士幌線の路盤とは知りませんでした。

遠くに路盤を歩く人の姿が見えます。

一人で歩いているみたいです…

怖くないのでしょうか?

この路盤は“自然遊歩道「東大雪の道」”として整備され「三の沢橋梁」の辺りまで続き、森を散策できるようですが…



そうか…今日は日曜日、どうりで人が多いわけです。

この道も一人で歩いていると本当に心細いです。

これだけ観光客がいると心強く安心です。



道路わきにはこのような丁寧な内容の案内板が設置されています。

以前はもっと簡略な表示だったような気がします。



展望台から橋梁を望みます。

今年は9月の割には降水量が少なかったのでしょうか…遠くに「タウシュベツ川橋梁」の姿がくっきりと見えています。

毎年この前の道を通っていますが、今回初めて「生のタウシュベツ川橋梁」を鑑賞することが出来ました。

“LTE”難受信地域だったお陰ですね。




長めのレンズでタウシュベツ川橋梁を見ます。

以前は林道を通って橋梁まで行くことが出来たのですが、2009年からは一般車両の通行は原則禁止され、どうしても行きたい人は徒歩で1時間ほどの距離を歩かなければなりません。
しかも「ヒグマ出没」のリスク付きですから…

比較的安全に橋梁に行くのなら、「NPO法人ひがし大雪自然ガイドセンター」の有料ツアーを利用して行くのが宜しいかと思います。

タウシュベツ川橋梁は士幌線に残された他の橋梁とは異なる外観もその人気の一つであると思います。

コンクリート・アーチ橋の「エッジの立った」いかにも人工物的な外観とは異なり、角のとれた緩い外観が特徴です。

これは、「幻の橋梁」と言われる所以のダム湖湖底に水没する特殊な環境に理由があります。

9月~10月期に水没した橋梁のコンクリートは躯体深部まで水分が浸透します。

そして水位が下がる冬季には、たっぷりと水分を含んだ躯体が姿を現し極低温の空気に曝され水分が氷結しコンクリートを崩壊させます。

そうした厳しい自然環境の営みが、タウシュベツ川橋梁の角の取れた優美な姿の要因とは皮肉なものです。

この自然の営みはこれからも繰り返され、いずれはタウシュベツ川橋梁は自然へと還っていくのでしょう。

「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」は北海道遺産に選定され保存対象となっているのですが、タウシュベツ川橋梁はその立地の特殊性から保存の対象外となっているのです。

つまり、自然の手に委ねている状態です。

毎年、年を重ねるごとに、まるで生き物のように老いて行き、いずれはその姿が「無」に還る運命なのです。

そういう儚さが鉄道遺構の中で特別な魅力を放っている理由なのかも知れません。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幌加駅 士幌線 9月7日 2014年

2015-06-27 | Weblog
幌加駅跡は今回の廃線巡りの旅で結構ハードルの高かった物件です。

それはなぜかといいますと…

先ほどの「十勝三股駅跡」から「幌加駅跡」付近は“LTE”のアンテナが立たないのです!

地形図や古地図などの資料を持ち地勢を分析できるほどの技量をもつ廃線ファンなら全く問題にならないことですが、廃線巡り超初心者のオジサンには致命的です。

自身の立ち位置、目的地の座標が分からない、困ったオジサンはど~したのでしょう?

なんと…“LTE”の電波が受信できそうな「糠平」まで山道を下り、糠平の町でネット接続して座標を読み込み再び「幌加駅跡」へ向かったのであります。*糠平では”LTE”での受信は出来ず“G3”でしたが…。

その当時、「ネットに接続していないと不安で仕方が無い若者たち」いわゆる「ネット依存症」が話題になっていましたが、若者のみならず、廃線巡り超初心者のオジサンもまさに「ネット依存症」と言わなければなりませんでした。




幌加駅跡の入り口には、その駅跡の紹介のパネルとその横にはクマ注意「ヒグマ出没中」の看板が…

北海道の「くま注意看板」はとっても臨場感がありまして、本当にビビリます。



振り返ると国道まではこの程度の距離です。

まさかこんなところまで出てこないよねぇ~なんて都合のよい解釈をします。



轍はまっすぐと森の中へと続いていきます。

当然ですが、その先へ行ってみようと思う気持ちは全くありませんでした。



パネルの先には幌加駅跡の遺構がこのように展示されています。



薄い夏草に覆われ何とも存在感のある展示です。

勿論、放置されている訳でもなく、パネルにも記載されている「NPOひがし大雪アーチ橋友の会」など保存活動に携わる方々がメンテナンスを行っているのだと思います。

放置されたままだとあっという間に夏草が覆いかぶさるように繁茂しその存在すら分からなくなってしまうでしょう。



ほとんど「腰が引けた状態」で線路の枕木を歩き始めます。

心臓バクバクです。

大袈裟と思われますか?

先の「ふるさと銀河線」では全く味わったことの無い緊張感、恐怖感…です。

ホント、マジ怖いですよ。

「クマ居る クマ居る プルプル…」ってね。



入り口のパネル方向を振り返って見ています。

落ち着かないですね。

画面左側にオデ君が見えています。



怯えながらさらに歩を進めます。

ホームが見えてきました。

ホーム上には、保存会の方々によって復興された駅名標が展示されています。

やはり、ホーム上に駅名標があると俄然、臨場感が湧いてきますね。



さらに近付きます、ドキドキ…



ホーム上の駅名標を正面から見ます。

とても綺麗に雰囲気良く再現された駅名標です。

プロの仕事ですね。



「いやぁ~なかなか雰囲気あるなぁ~」なんて思いながら鑑賞していますが、ホームの向こう側へいってみる勇気はありませんでした。
ビビリ~なオジサンです。



ホーム前の路盤はさらに続きます。

あの辺りですね…



ぽっかりと口をあけた森の中へと路盤は続きます。

あそこまでは行く勇気はありません。

この辺で引き返します。





ホームに上がって入り口方向を見ています。





この辺りの線路…下の写真の風景と似ているような気がします。



似ているような違うような…良く分かりませんでした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十勝三股駅 士幌線 9月7日 2014年

2015-06-25 | Weblog
境野駅に立ち寄ってきたのは、以下のようなルートを予定していたからなんです。

道道50号線から国道242号線に出て留辺蘂へと向かいさらに国道39号線で「温根湯温泉」を通り過ぎて「石北峠」を乗り越え国道273号線を「大雪ダム」の湖畔を掠めて十勝三股駅に出ようというルートです。




途中通過する「留辺蕊」には“SL D51 311 号機”がいるのですが、今回はスルーです。

D51 311号機の記事はこちらから。

もう一つのD51 311号機の記事はこちらから。

留辺蘂では暫く振りにオデ君を洗車してもらいました。



十勝三股駅跡にはログハウス風の喫茶店があり、入り口横には距離標が、その前庭に写真の「駅名標」がひっそりと展示されています。



国道脇にはこのような手作り風の看板が出ているだけで、駅名標は道路からは見えません。

店の入り口脇には、距離標が展示されています。

76の数字が見えます。

十勝三股駅は帯広を起点とする士幌線の終点で、78.3Kmの地点となります。



駅名標と距離標とはこのような位置関係になります。

白樺の木陰でひっそりと佇む駅名標は、国道を通過する車からはまず見えないでしょう。



この日の先が「大雪ダム」へと延びていきます。



こちらが「帯広」方面になります。

赤矢印のところが、十勝三股バス停とその待合所になります。



士幌線 糠平⇔十勝三股間は地域の産業衰退、人口減少に伴い利用客の大幅減少を受け、1978年にバス代行輸送に切り替えられました。

DVDでそのバス代行輸送への切り替え時の映像を見たことがあり、確か画面に写っていた待合所がこの建物だったと記憶しています。

入り口上部には、なにやらプレートを取り外したような痕跡を見ることが出来ます。

代行バス輸送は列車と同列に扱われたそうですから、もしかしたら「十勝三股駅」の駅名標が掲げられていた跡かもしれません。

後でもう一度DVDの画像をチェックしてみましょう。

…早速画像をチェックしました。

やはりここには「十勝三股駅待合所」と書かれたプレートが掲げられていました。

建物横には暖房用の燃料タンクと排気の煙突が写っていました。

30年以上にわたって使われた待合所の割には綺麗な状態です。

やはり使われ続けメンテナンスを受けているこそなのでしょう。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

境野駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月7日 2014年

2015-06-24 | Weblog
境野駅跡です。

昨日はスルーしてしまいましたが、改めてやってまいりました。

本日、次の目的地への通り道…という適当な動機でやってまいりました。

この辺りが「廃線巡り超初心者」のお気楽さです。



境野駅跡には当時を偲ばせる遺構は残っていませんが、写真のような記念碑が建立されています。

写真で見ますと旧境野駅は切り妻屋根の建物で正面に入り口を設けたごく平凡な北海道駅舎でありました。

ホーム側は一面一線でしたが、炭鉱や森林資源の積み出しで繁栄した往時は相対式二面二線の設備を有した列車交換可能駅だったそうです。



記念碑は写真のように、石版と蒸機の先輪?でしょうか…それと子供が空に向かって大きく両手を広げたようなデザインの時計台とで構成されています。



北見バスの「境野バス停」が駅跡の敷地には設置されています。

歩道に沿って色鮮やかな花々が飾られています。

日曜日の朝のせいもあるのでしょうが、道道50号線の交通量は少ないです。

画面左側に見える建物は、「境野交流センターあぐり」という施設です。

コミュニティーホールのような用途で利用されるのではないのでしょうか。



施設の庭側に回ってきました。

子供の遊具などが設置され公園のように整備されています。

二階部分は居住区のようにも見えます。



交流センターの一階はバスの待合所としても利用されているようでトイレも設置されています。



建物から張り出した付け庇は、やはり旧境野駅をインスパイアーさせるものでしょうか。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀河線車庫 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月7日 2014年

2015-06-23 | Weblog
「南大通」に今も残る「ふるさと銀河線」のレリーフが施された跨道橋。

沿線住民の方々の希望と期待を表したかのような、躍動感漲るレリーフ…今も営業路線の跨道橋のような新鮮な佇まいです。



丹尾氏のコレクションが展示されているスペースからほんの僅かな距離に、ふるさと銀河線の車庫が残されています。

画面中央に小さく見えるピンク色の四角い建物です。

この車庫は車両の整備など検修を行う施設だったのでしょう。



車庫の前にはすでに路盤は無く、事前の予備知識が無ければ通り過ぎてしまいそうです。



側道にオデ君を駐車して敷地に立ち入ってみます。

特に「立ち入り禁止」などの注意を促すプレートは無く、ロープなどもありません。

夏草に覆われている部分とそうでない部分…おそらく草の生えていないところは路盤跡ではないでしょうか。

バラストも残っています。



「ザクザク…」バラストを踏みながら車庫の前にやってきました。

僅かな長さですが、車庫からは枕木とレールが残されています。



車庫前から振り返って北見駅方向を見ます。

画面左側には先の丹尾氏コレクションの“郵便車”が見えています。



謎の物体…

想像ですが、位置的なところから、車庫に出入りする車両に何らかのメッセージを送る「電光掲示板」のような装置が取り付けられていたのでは?



車庫の正面を見ます。

レールは左右ともこの辺りで切断されています。

向かって左側の路盤には枕木だけがなぜか残されています。



側道に戻り、車庫を斜め方向から眺めます。

建物の壁面には、ふるさと銀河線の「社章」が今も掲げられています。

ちょっと見難いですが、後半に今一度お見せします。



南大通に掛かる跨道橋。

橋台とともに残されたこの跨道橋は北海道の鉄道を紹介する多くの書籍で見ているので、初めて見る「初対面感」はありません。




橋台基部には、明治の建物を描いたようなリトグラフ (lithograph)?風の作品が残されていますが、これに付いての説明はありませんでした。

向こう側の橋台にも同じテイストの作品が2点展示されています。



南大通の側道を通って、車庫の東側に来ました。

今の時間帯(午前8:00頃)は朝の太陽の光を浴びて、壁面の淡いピンク色が青空の中にくっきりと発色しています。

日曜日ということもあるのでしょうが、建物内には全く人の気配はありませんでした。

敷地内に駐車していた営業車の雰囲気から、この建物は北見市の管理下にあるのではないかと想像しました。




たっぷりの朝日を浴びて輝いている筈だった「ふるさと銀河線の社章」です。

ふるさと銀河線を象徴するような綺麗なデザインだと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京ゲートブリッジ 6月20日 2015年

2015-06-22 | Weblog
「何を今更…」な話題ですが、梅雨の中休み…珍しく好天な土曜日に“東京ゲートブリッジ”に出掛けてきました。

かねてより1度は訪ねてみたいスポットでありますが、とにかく人の多いところに出掛けるのが苦手で様子を見ているうちに今頃になってしまいました。

東京臨海道路計画の整備区間の橋梁部として建設が進められ2012年2月に開通した「東京ゲートブリッジ」ですが、様子をみているうちにすでに3年の年月が流れてしまったわけです。

実に早いものですね~月日の流れるのは…

関東地区で新しい道路が開通すると、割と早いうちに“走りに行く”オジサンですが。

東京ゲートブリッジは、一般道ということで、“観光利用”での歩行者道路が整備されているのがポイントです。

1.6Kmほどの距離ですが、「歩いて渡れる」橋梁な訳ですね。

クルマで走れば「アッ!」という間ですが、歩いて渡れば実に多くのポイントを鑑賞することが出来ます。

…と、いう訳でオデ君は家で留守番をしていてもらい、徒歩で観賞に行ってきました。(会社の仕事帰り…でもあり、他にも目的があったりします。なぜ“徒歩”に拘るのかの理由は後半に判明しますが…)

会社から日比谷線・京葉線を乗り継いで「新木場駅」には30分弱で到着です。

梅雨の晴れ間ではありますが、不安定な天候の急変を心配しましたが、どうやら本日はその心配はなさそうです。

駅前のバスターミナル1番乗り場から「若洲海浜公園」行きのバスに15分ほどの乗車で海浜公園に到着です。

開通当初は大変な賑わいだったでしょうが、梅雨の晴れ間のギリギリ時間(昇降施設は4時半で入場終了!)ですから、お客さんの数は多くはありません。

お母さんと子供達とカップル…が殆どで、オジサンみたいな客はいません。

堤防には多くの釣り客が一列になって釣りを楽しんでいます。



バス停から公園内を歩いて「若洲側昇降施設」へ向かいますが、非常に大きなランドマークですから迷うことはありません。

この施設の利用は「無料」であります。

観光地でこのような施設を利用するとおそらくはエレベータ利用で¥200、橋梁利用で更に¥300、セットで¥500くらいの利用料金を請求されるのでは…と思いますが、流石は東京都ですね。



2F~7Fは“避難地区”の設定で通常エレベータは停止しません。



グラスセクションを多用したエレベータはシースルーのようでありますが、実際には箱から外は見えません。



8Fのエレベータ・ホールにはこのような展示がありました。

「東京ゲートブリッジは、「田中賞」の作品部門として平成24年6月14日に授与されました」と説明されています。

展示は「田中賞」のトロフィーのようなものでしょうか…


土木学会の田中賞はこちらから。




若洲昇降施設 8F から橋梁への連絡口です。



若洲昇降施設からゲートブリッジへ歩き始めます。

大型のトラックが通行すると橋が揺れるのが体感できます。

結構盛大に揺れています。



ゲートブリッジを歩いていると頻繁に羽田空港に着陸する航空機を見ることが出来ます。

当たり前と言えばそれまでですが…ゲートブリッジは羽田空港のトラフィックパターンに隣接しているのですね。

ゲートブリッジは象徴的な形状で、遠方で見ますとそれなりな姿に映りますが、こうして近くで鑑賞するとあまり刺激的な姿ではありませんでした。



本日は「東京ゲートブリッジ」という“大物”を撮影する目的でしたので[10-24mm] の“超広角レンズ”しか持っていません。

ゲートブリッジを掠めて飛行する航空機が小さく写っていますが、肉眼では結構大きく見えますよ。



のんびり辺りの風景や航空機などを鑑賞しながら小一時間をかけて「中坊昇降施設」にやってきました。

この辺りから、航空機の飛行を双眼鏡で追いかけていますと、滑走路にタッチダウンする瞬間も鑑賞することが出来ました。

肉眼ではとても見えませんが、タッチダウンの瞬間のスモークまではっきりと見ることが出来ます。

空港で観賞しているのとはまた異なるシーンを鑑賞できて大満足です。



中防昇降施設は「トラ・ロープ」で制限され入り口には近づけません。

現在整備が進む「海の森公園」がオープンすると、こちらがアクセス路のひとつとして活用されることになるのでしょう。



今はこの地点が歩道部の終端で、ここでUターンして「若洲昇降施設」へ引き返さなければなりません。



スタート地点では結構観光客の姿が多く見られたのですが、引き返す頃には殆ど人の姿は見えなくなり、結局“最後尾”で警備員さんに後ろからせかされるように「若洲昇降施設」へと戻りました。

つまり…ゲートブリッジを歩いている歩行者は「私だけ…」ってことですね。




若洲昇降施設に到着して、エレベータを出ますと、警備員さん達があわただしく「閉店準備」を始めました。

6月までは最終入場が16時30分とされていて、若干せわしないですが、7月~9月期は最終入場が19時30分に延ばされ、ライトアップされたゲートブリッジや着陸する航空機を鑑賞することが出来ますね。

夏の夜に訪れるのもまた良さそうです。



最後のこのカットは、ゲートブリッジとは関係なく…結局「徒歩」でゲートブリッジを鑑賞した最大理由、帰り道にビールが飲みたいという証拠の写真でありました。

お疲れ様でした!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北見駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月7日 2014年

2015-06-19 | Weblog
一夜明けて9月7日の朝です。

昨日下見をしておいた?北見駅、今度はふるさと銀河線の北見駅、「ちほく高原鉄道本社社屋」の観賞です。

まだ朝が早いせいか利用客の姿はありません。

2014年9月7日は日曜日でした。

どおりで学生さんや通勤客の姿が無い訳です。

右側の淡いピンク色の建物が「旧ちほく高原鉄道本社社屋」です。

ホテルで朝食を済ませてから、駅の駐車スペースにオデ君を預けて観賞を始めます。

写真のデータを見ますと7:28 とありました。

相変わらず朝の早いオジサンです。



建物の壁面には「KITAMI-STATION」の駅名標が残されています。

淡いピンク色の塗色ですがちょっと「煤けた」印象でした。

一階部は北海道警察「鉄道警察隊」と「北見観光案内所」が入居?しております。

朝が早すぎて観光案内所はまだオープンしていません。



本社社屋の壁面には「ふるさと銀河線」と、ちほく高原鉄道の「社標」の跡が見えます。

更に…「Asahi」!の痕跡も…

その下には「サッポロビール 北見店」の跡も見えますよ!

ビアホールもやっていたのか!…来るのが遅かったな、残念!




駅舎跡の内部も見ておきたかったです。

昨日のうちに見ておけば良かったです。

「早朝の方が良いかな…」と思った判断ミスでした。



建物妻部も観賞したかったのですが、フェンスがあって立ち入ることは出来ません。

本社社屋は2015年に改めて観賞することにします。



実は、本日一番期待していたのがこのスペースです。

マンション横のスペースになぜか鉄道車両がストック?されています。

この車両は個人所有で、「ふるさと銀河線応援ネットワーク」によってメンテナンスされているそうです。

ふるさと銀河線応援ネットワーク はこちらから。

その応援ネットワークのHPによりますと、この車両の所有者は丹尾氏という方のようです。

内部の見学会なども不定期で開催されているみたいです。

2013年の見学会の案内はこちら。

このスペースの場所は見学会案内中に地図が掲載されています。



個人所有の車両ということで、敷地も当然個人の所有でしょう。

フェンスの外から遠慮がちに観賞させて頂きます。

DD14 312 です。

小樽の総合博物館や三笠鉄道村でも鑑賞させていただきました馴染みのある車両です。

2011年にはこの近くのC58 119号機や D51 444号機 の観賞に訪れています。

ほんとに直ぐ近くまで来ていましたね。
まだその頃は「SL」にしか興味が無く、廃線巡りなど眼中にはありませんでした。



こちらも小樽総合博物館で観賞させていただいてお馴染みの「キ754」です。



さらにこちらは北海道ではよくお目にかかる単線用ラッセル車の「キ229」です。





マンションの駐車場との境目には郵便車が展示されています。



郵便車の奥には車掌車も留置されています。

もう少し奥まで行ってみたかったのですが、駐車場とはいえ私有地ですからここまでで遠慮しておきました。



DD14 312 のところまで引き返して、フェンス越しに鑑賞します。

この敷地の右手奥が所有者の丹尾氏ご自宅のようです。



上の赤矢印部が、車両が置かれている場所です。

下の赤矢印は、これから観賞に行こうとしている「ふるさと銀河線」の車庫です。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR北見駅 石北本線 9月6日 2014年

2015-06-18 | Weblog
順番が違うようですが、大人の都合でまずはこちら…JR北見駅にやってきました。

すでにホテルにはチェックインを済ませ、オデ君を駐車場に残して気分良く?歩いてここまでやってきました。(ふふ…ご想像の通りです。)

本日の観賞対象の「ふるさと銀河線」起点の池田駅から140Kmの北見駅であります。

ふるさと銀河線はここ北見で石北本線に接続していました。



不思議な空模様です。

厚く低い雲に覆われた空ですが、西の空の雲の裂け間から北見駅舎にだけ、スポットライトのように夕日が当っています。



こちらが「ふるさと銀河線」の駅舎であり、また「北海道ちほく高原鉄道」の本社社屋でもあります。

壁面に残された「KITAMI-STATION」の駅名標はJRのそれとははっきりとテイストの異なるものであります。

窓のアクセントや“付け庇?”にも、ふるさと銀河線の「尖がりテースト」を見ることが出来ます。



駅窓口でマルス (MARS : Multi Access seat Reservation System) の入場券を購入し、他にお客さんが居ないので「ふるさと銀河線」の遺構について尋ねました。

もう当時の遺構はほとんど残っていないが、ふるさと銀河線のレールは石北本線の「北見トンネル」を掠めるようにして走っていた…と教えてくださいました。(わりと若い駅員さんでしたが、親切に教えてくれました。ふるさと銀河線営業当時はまだ学生さんくらいの年齢ではないでしょうか…)

1番線ホームには、大好きな“キハ40系”が停車しています。



跨線橋を渡って2番、3番線ホームへといってみます。

この跨線橋がふるさと銀河線に乗降する際の連絡通路となっていたのでしょう。

跨線橋の通路にはそのふるさと銀河線の痕跡を見つけることは出来ませんでした。

通路中央には白線が引かれ、拡幅のある通路です。

左右壁面の腰板辺りを見ますと、鋼板のプレートで出来ていて、プレート・ガーダー桁みたいな構造なのが分かります。

屋根部の構造材や梁などは古レールが使われています。



お目当てのホームへと出てきました。

夕方の帰宅ラッシュが始まるくらいの時間ですが、広いホームには列車を待つ乗客の姿はありません。



誰も居ないホームを先端部へと歩いてみます。

ほんと、誰もいませんよ。



ホームの先端部から「北見トンネル」方向を見てみます。

中央の色が異なる路盤が、ふるさと銀河線の切欠きホームとレールがあった辺りではないでしょうか。




さらに先端部から「レンズを伸ばして…」北見トンネル付近を観察してみます。

赤矢印部辺りを、ふるさと銀河線のレールは池田駅方面へと延びていったのでしょう。

画面右端の四角い黒い穴が「北見トンネル」です。

You Tube [Cab View]Chihoku Kougen Railway(1) ちほく高原鉄道 前面展望 北見-訓子府 の画像はこちらから

当時のレール位置や雰囲気を知るのに大変に役立ちます。

ふるさと銀河線のCR70や75形の警笛は良い音をさせていますね。

今でも「りくべつ鉄道」で生の音を聞くことが出来ます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バードウォッチング 長靴  日本野鳥の会Wild Bird Society of Japan

2015-06-17 | Weblog
昨日、こんな買い物をしました。

日本野鳥の会の「バードウォッチング 長靴」です。

昨年(2014年)の廃線巡りには、「フォールディング・バイク」のBD-1をオデ君に積んで行ったのですが、思ったほど使い道がなく2015年の北海道旅行には「長靴」と折り畳みの「脚立」を積んでいこうと思っていました。

田舎のガレージで芝刈りや裏山の樹木の伐採時に使用しているホームセンターで購入した地味な長靴でも積んでいこうか…迷っていました。

あまりにも実用一点張りのデザインでお洒落感に乏しいのがその「迷いの理由」です。

「廃線巡りにお洒落も無いだろ!」と言われそうですが…せっかくの北海道夏休み、いつもと違う長靴が…と考えていました。

そんな折、ネット・ショップをプラプラしていたら、写真の長靴を見つけました。

「おや…なかなかお洒落なデザイン、あまりヘビーでもなさそうで、良いねぇ~」と、早速購入しました。

釣り用のものよりは、ずっと歩きやすそうですし、なんだか商品名がそそられます「バードウォッチング 長靴」なんてね。

私の用途は「廃線ウォッチング」ですけれど…バードウォッチングとなんとなく通じるところがあるような気がします。

小さくたたんで付属のポーチに収納できるのも良い点です。

カラーは4色ありまして、ブラウンの他に「メジロ(ウグイス色か?)」「グリーン」「カモフラ」が用意されています。

カモフラ柄にも惹かれましたが、廃線巡りとのイメージの親和性?から「ブラウン」にしました。

長靴の正面に配された「B」マークも素敵です。

鳥のくちばしと目をデフォルメしてあり、Wild Bird Society of Japan の「WBSJ」ロゴとなっています。

足にピタリとフィットするデザインなので、歩くのも楽そうですし短い距離のポイント移動ならクルマの運転も出来そうです。

廃線巡りグッズとしても高ポイントかも知れません。

夏休みが楽しみです。



日本野鳥の会 オンラインショッピング からも購入できます。

「ネイビー」「グレー」「レッド」など、限定色もありますよ。

ショップはこちら。

【普段の靴のサイズ/バードウォッチング長靴お勧めサイズ】 の比較表がありますので購入サイズの参考にされると良いと思います。

私は、普段履いている靴と同サイズのものにしましたが、若干きつく感じました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北光社駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月6日 2014年

2015-06-17 | Weblog
アイヌ語を語源とする駅名が多かったふるさと銀河線ですが、「北光社駅」はさすがにそうではないと理解できます。

WIKIによりますと「駅名は高知県より入植したキリスト教系移民団体の名前に因む」と書かれています。

キリスト教系移民団体?…ネットにこんな記述がアップされていました。

「北光社は、1897(明治30)年、北海道北見訓子府(クンネップ)に新天地を開くため、訓子府を視察した坂本直寛(南海男)が中心となり、沢本楠弥、前田駒次、西原清東(さいばらせいとう)ら高知県の有志によって組織され、この地の向かい側にある高瀬屋(当時旅館)に開拓移住民の募集事務所を開設し、「土陽新聞」紙上で応募者を集めた。坂本直寛は龍馬の甥にあたり、自由民権運動の論客として活躍していたが、1885(明治18)年に片岡健吉らとともにプロテスタントの洗礼をうけた。「北光社移住規則」には、飲食・賭博の禁止や日曜日を休日とすることなど、キリスト教精神に基づくいくつかの条項がみえる。
移民団の第一陣となった112戸は、1897(明治30)年3月、この岸壁より船に乗り、須崎港で再編成した後、関門海峡を取って日本海に出て北上し、はるばる小樽港へと向かった。それから引き続き北進し、宗谷岬を迂回して網走港に入港し、ここから今の北見市へと、移住の第一歩をしるした。
北光社の北海道開拓は必ずしも順調なものとはいえず、3年間で221戸が入植する一方、逃亡も159戸に及び、1903年に残っていたのは62戸であった。1914(大正3)年、北光社が開拓した632町余の農場は黒田四郎の黒田農場に譲渡され、キリスト教の理想に燃えた北光社はその活動に幕をおろした。彼らが開拓の先鞭をつけた訓子府原野は現在の北見市にあたり、1986(昭和61)年北見市開基90周年を記念して、北見氏と高知市の間で姉妹都市締結の調印がなされた。」

…とあります。

文末の「北見氏と高知市」は「北見市と高知市」だとは思いますが。

ずいぶん大変な思いをして高知から“関門海峡を取って(通って)日本海に出て北上し、はるばる小樽港へと向かった。それから引き続き北進し、宗谷岬を迂回して網走港に入港し、ここから今の北見市”へ入植したと記されています。

その入植者の方々の団体名が「北光社」で、地域の名称や駅名となったわけです。

Mapionの地図上にも「北光」とか、道道27号線の信号名に「北光社」という名称を見ることが出来ます。

写真は住宅地の一角の空き地にポツンとある表示板。




「北光乗降場」と書かれています。

「あれ?北光社乗降場じゃないの?」と思いましたが…



住宅地の先に路盤らしきものが見えます。

赤矢印のところが路盤のようです。



このスペースが「乗降場」のあった処ではないでしょうか。

[Cab View]Chihoku Kougen Railway(1) ちほく高原鉄道 前面展望 北見-訓子府 で見ましても「北光社乗降場」の位置は良く分かりませんでした。



路盤跡に上がってみました。

こちらが「池田方面」になります。



そしてこちらが「北見方面」になります。

見渡してみても「乗降場」の痕跡は見つけることが出来ませんでした。

北海道新聞社刊「北海道の鉄道廃線跡」には北光社駅の写真が掲載されています。

ウッド・デッキ風の小さなホームのみの、まさに「乗降場」です。

路盤跡には枕木もレールも残っておらず、夏草に覆われたそれは“ただの土手”にしか見えません。

終点北見駅まで4.5Km 起点の池田駅から135.5Km 地点です。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上常呂駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月6日 2014年

2015-06-16 | Weblog
上常呂駅です。

日ノ出駅から道道50号線を5Km弱走った辺りです。

例によって駅舎などの遺構の残っていそうにない広郷駅はスルーしてきました。

上常呂駅は1994年にコミュニティープラザと合築で現在の駅舎に新築されました。

写真の駅部分は2階になります。

1階部はコミュニティープラザと「北見市立中央図書館ところ分室」となっています。

北海道新聞社刊「北海道の鉄道廃線後」には、ふるさと銀河線上常呂駅の旧駅舎の写真は掲載されておらず、ネット上の写真を探しましたが見つかりませんでした。

おそらく、先の日ノ出駅などと同様の北海道スタンダードの木造駅舎であったのではないでしょうか。




駅前ロータリーから駅舎を見ます。

丸窓の付いたドアーが建物の入り口となっています。

左側の階段を上がってもホームにアクセスでき、建物の内部を通ってもホームへと出られるような構造のようでしたが、このときは建物内部からのアクセスはパーテーションによって遮断されていました。



駅前ロータリーから道道50号線からのアクセスを見ます。

遠くに見える「青看板」の辺りが道道50号線からの入り口になります。



先の丸窓の入り口から建物内に入ってみます。

スカイライトから降りそそぐ光で内部は照明無しでもこの明るさです。

太陽光ってすごいですね…雲の多い夕方の空模様でも十分な光が注いでいます。

右側に見えるドアーが図書館の入り口となっています。

開館時間は火曜日~日曜日 Pm13:00 ~ 17:00 となっていました。

左側のパーテーションによって区切られているところが2階の駅部分への階段ではないでしょうか?



薪ストーブが設置されています。

別宅のリビングにでもありそうな素敵なデザインのストーブです。

雪景色とストーブの炎を見ながら、キンキンに冷えたビールを飲んだら美味しいでしょうねぇ~(やっぱそこかい!…と言われそう)

丸太のベンチって座り心地はどうなんでしょうね、あまり長い時間は辛そうです。



振り返って、入り口方向を見ます。

丸窓ドアーが見えます。

一見、カーペットに見えますが、床はタイルを敷いてボーダーの模様を演出しています。

冬季降雪時に人の出入りがあるところではカーペットは無理なのでしょうね。



廊下の一画、大きなガラス窓から外のレールと転轍機が見えます。

外の路盤とは直角方向に設置されています。



一旦、建物の外に出ます。

正面に見えるのが駅舎建物です。

左側の建物は居住区となっているみたいでした。



こちら側に回ってくると、先ほどの建物が居住区であることが良く分かります。

駅と一体になった居住区なんてビジネスマンの夢ですね!

都内だったら大変なことですよ。



赤矢印のところが、先ほど屋内から鑑賞したレールの展示部分です。

もちろん、外からも鑑賞することが出来ます。



レールは、中庭風のスペースにこのように展示されています。

左側に、北見市立中央図書館ところ分室の書架が見えています。



中に入って正面からも観賞できます。

赤矢印は…苗木を支える支え木のようです。

植樹されている樹は何だか分かりません。

しかし…ここに樹が生長してしまって採光やら通風、美観など大丈夫なのでしょうかね?



ホーム跡にやってきました。

ここが建物の2階部になる上常呂駅ホームです。

屋根部にはふるさと銀河線でいくつも見てきた特徴的な「尖ったスカイライト」とそれにデザインを合わせたアクセントが並びます。



ふるさと銀河線の残された駅がそうであったように、建物の入り口には「上常呂駅」とメタリックな駅名標が今も掲げられています。



造成工事が進行中の駅前。

路盤跡は公園か遊歩道などに整備されるのでしょうか。

こちらは池田方面となります。

まだ何となく路盤後が確認できます。



こちらが北見方面となります。

かなり大掛かりな造成工事が行われている様子です。

2015年にも再訪してどのように変貌を遂げたのか、ご報告しようと思っています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日ノ出駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月6日 2014年

2015-06-15 | Weblog
日ノ出駅跡です。

駅名は所在地が「常呂郡訓子府町字日出」というところから命名されたのではないでしょうか。

モダンなデザインの駅舎は1998年11月に新築されました。

ネットに掲載されている写真を見ますと、旧駅舎は北海道スタンダードの長閑な雰囲気の木造駅舎でありました。

新しい駅舎は、そのどこにもデザインの関連性は見られないものです。

これまで出てきたモダーンな駅舎の文法のような「尖ったスカイライト」などとは全然テイストの異なるデザインに見えます。

アーチ型の屋根が駅舎のデザインの肝になっているのでしょう。

この屋根が無いと、ただのスルッと単調な建物になってしまいます。

ふるさと銀河線廃止後は、公園施設として利用されています。

駅入り口の壁に掲げられたプレートは4コマで「日出公園」となっています。

営業当時の写真を見ますと、このプレートに「日ノ出駅」とやはり4コマ使って表示されています。




駅前にはロータリーと駐車スペースが整備されています。

北見バスの「日の出」停留所があります。

実際に利用客数のデータを見たわけではありませんが…あまり利用客は多くなさそうです。



駅正面から道道50号線を見ます。

今まで多く見てきた北海道スタンダードの駅前風景です。



マンホーラーではありませんが、駅前の道路にあったマンホールです。

ふるさと銀河線…ですから「夜空に輝く銀河」をイメージしてデザインされているのでしょうが、日ノ出駅ですからそこに「日ノ出」のイメージを盛り込みたかったのでしょうね。

しかし旭日旗的デザインにはちょっと無理な印象を受けました。



もう一度、駅正面から階段を上がってみます。

なんだかステージに上がるような晴れやかな気持ちがします。



駅入り口上部には、木製のプレートが1コマずつ「日」「出」「公」「園」と掲げられています。

以前の写真を見ますと…「日」「ノ」「出」「駅」とやはり4コマで表示されていました。



駅待合所部分は公園施設の一部として使われています。

ベンチには座布団が置かれ、床框?にはぬいぐるみが置かれています。

メンテナンスをされる方々が居るのでしょうが、とても綺麗な状態に保たれています。



ホームに出てみます。

ホームの名残のようなエッジが残され、そこから一段低いところが路盤でしょうか?

ホームが低くなったのか、路盤が高くなったのか…駅の基礎高は変わらないでしょうから、路盤が盛土されたのでしょうね。

You Tube の画像を見ますと、Lチャンネルの仕切り部分が銀河線の路盤と工場の敷地の境界みたいに見えます。

とても綺麗な画像で営業時の銀河線の様子を知るのに大変に役立ちます。

[Cab View]Chihoku Kougen Railway(1) ちほく高原鉄道 前面展望 北見-訓子府 はこちらから。

こちらは「池田方面」です。



こちらが「北見方面」となります。



ホーム側から駅舎を見ます。

やはり、「日出公園」と4コマのプレートが掲げられています。

営業時の写真を見ますと、駅舎からホームは舗装がされているようでした。



妻面にはボーダー柄にチェックのアクセントがあります。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

訓子府駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月6日 2014年

2015-06-12 | Weblog
訓子府駅です。

立派な施設です。

道道から一直線に駅前にアクセスしてきた道は、ここで大きくカーブして駅を掠めていきます。

北海道スタンダードとはちょっと異なるアクセスです。




建物の正面には象徴的な造形の“時計台”のようなところに「ふるさと銀河線 訓子府駅」と大きく表示されています。



訓子府駅前の商店街風景です。

旅館や飲み屋さんがありますね。

今度、ふるさと銀河線の廃線巡りの際には、この辺りで宿泊してみようかな…

北見のホテルまで走るよりは時間的には大分楽になるような気がします。



駅待合所があったところは「北見バス」の待合所として利用されているようです。

スカイライトから太陽の光が明るく降りそそいでいます。



ホーム側に回ってきました。

路盤は撤去されているようですが、「立ち入り禁止」の表示があります。



この辺りに踏切があったのでしょうか。

僅かですがレールが残されています。

その先に路盤はなく綺麗に平坦に整地されています。




ここから駅舎の全景を眺めますと、「鉄道駅」の雰囲気は未だに保っているように感じました。



ホームには「ふるさと銀河線」の駅名標フレームが残されています。

壁面などには駅名標が当時のままに残されているのですが、ホームの駅名標がフレームだけになってしまうのはなぜでしょう?

足寄駅や陸別駅のように、ホームに駅名標を展示してあれば、より臨場感が増すと思うのですが…。



訓子府駅は、農業交流センター「くる・ネップ」との合築で、現在も交流センターは利用されているようです。



池田方面をホームから見ます。

路盤跡は今も整備作業が進められています。

どのような施設になるのでしょうか。



壁面に残された、立派な手書き風の駅名標と停目。



ホームの階段横の壁面に残されているプレート。

置戸駅で見たものと良く似ています。

しかし、こちらはエッチング加工によるもののように見えます。

先ほどの置戸駅のプレートのような重厚感はあまりありませんでした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

置戸駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月6日 2014年

2015-06-11 | Weblog
【おけとえき】と読みます。

漢字で見ますとさほど違和感は無いのですが…

アイヌ語の音を漢字に当てはめた名前ですね。

改築前の「置戸駅」は、北海道スタンダード的な地味な木造駅でした。

小利別駅などと同様、ふるさと創生事業として、地域のコミュニティーセンターとの合築で建設された駅舎であります。

実に立派な建物です。



駅前にはロータリーが設置され、廃線となった駅前の風景とは思えません。

タクシーやバスなどが停車していないあたりが、違和感を感じる部分ではあります。



置戸町も林業で栄えた町です。

国鉄時代の置戸駅周辺は置戸営林署の広大なストックヤードが広がりその周辺には多くの木工場など木材関係の施設で占められていたそうです。



駅ホーム側には「人間ばん馬」という彫像が展示されています。

想像ですが…帯広で開催されている公営競技の「ばんえい競馬」の人間版ではないでしょうか?

「輓曳(ばんえい)競技」は、橇に木材などの重量物を積載してそれを馬に曳かせる競技ですが、森林資源を搬出する作業がそのまま競技になったように思われます。

語源の輓曳(ばんえい)の「輓」「曳」は、どちらも「そりをひく」を意味する語だそうです。

この「人間ばん馬」は競技というより地域の祭典として毎年開催され、その開催地がここ置戸町と帯広競馬場で開催される「ワールド人間ばん馬チャンピオンシップ」だそうです。




こちらが彫像の正面側になります。

像の前面には'77~'06 までの「歴代優勝チーム」の名称がプレートに書き連ねられています。

「オケトホマレ」とか「アキタホマレ」というチームが連勝して強かったみたいですね。



路盤もレールも営業時のままに残されていて、その先は叢の中へ消えていきます。

枕木もバラストも、おそらく往時のままだと想像します。



そのレールはホームへと続いていますが、そのホームはなんとも立派なステージに改装されています。

動輪をデフォルメしたようなアクセントのベンチが数脚設置されています。



ホームにはこのようなプレートが残されています。

すごく精密に鋳造されたプレートです。

ここに鉄道が通っていたという未来への証となるでしょう。



ホーム跡はこのように路盤をフラット化し広いスペースを創出しています。

ウッドが敷かれているあたりが、レールのあったあたりでしょう。



振り返って、北見方面を見ますと…カラーブロックで幾何学模様をデザインしてあります。

ホーム全体をフラット化するとこのような広大なスペースとなるのですね。



ホーム側から駅舎の入り口を見ます。

クロームのメタリックなデザインの入り口建具?であります。

キラキラしていて、高級マンションのエントランスみたいです。

ドアーの右上部には「置戸駅」の駅名標が残されています。

メタリックなサッシのところに、オジサンの姿が映っています。



中に入ってみます。

こちらはコミュニティー・センターとの共用部だったのでしょうか、シティー・ホテルのロビーのような綺麗さであります。

壁や柱に貼られたポスターなどが今の生活感を漂わせています。

木材の街を思わせるのは、フロアー中央に置かれた木製のテーフルや椅子、そしてエントランスに繋がる入り口の建具でしょうか。



駅舎を通り抜けて、駅正面ロータリー側に再び出てきました。

建物に沿った花壇には鮮やかな色とりどりの花々が植えられています。

歩道のプランターにも花が植えられ街を彩っています。

住民の方々が街を愛しているのがとても良く伝わってきます。



またホーム側路盤に戻ってきました。

このレールの先はかつて池田へと続いていました。

いまはひっそりと夏草の中へ消えてゆきます。




同じところから振り返って北見方面を見ます。

鉄道駅跡とは思えないクールなイメージの公園施設に変貌した置戸駅です。

網走線からJR池北線…そしてふるさと銀河線へと名前を変え走り続けてきた鉄道の最後の姿がここにあるようです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小利別駅 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 9月6日 2014年

2015-06-09 | Weblog
ふるさと銀河線の各駅の中でも最も楽しみにしていた駅舎の一つがこの「小利別駅」です。

第三セクターとして運営されるようになった「ふるさと銀河線」は沿線自治体がその経営に参画し、ふるさと創生事業の一環として駅舎改築などの整備が行われました。

先の勇足駅、本別駅、仙美里駅、の「そっくり3駅」などもやはり、ふるさと創生事業として整備された駅舎であります。

そうした地域活性化事業の先鞭をきって改築された、地域のコミュニティーセンターとの合築の第一号として登場したのが「小利別駅舎」でありました。

先に記事を書かせて頂いた「赤レンガ建築賞」を受賞した本別駅に先駆けたものです。

私的には、「ふるさと銀河線中最も美しい駅舎」と思い込んでおります。

変化のある直線で構成された大棟の終端が突然、曲面だけで構成されるスカイライトへと繋がります。

この計算された構成比が少しでも狂うとおそらくデザインの破綻を来たすのではないでしょうか。

色のバランスも素晴らしいです。

銀色の屋根と深い暗色の壁、連続する細長い窓、どの部分を見ても素晴らしい出来栄えです。

「赤レンガ建築賞」を受賞した本別駅も素晴らしいですが、小利別駅も建築賞を受賞しても当然の秀逸な建築であると思います。




駅待合所には「小利別駅」の手書き風駅名標が掲げられています。

トイレの入り口引き戸のガラスには、暫く振りの「定番夏スタイル」のオジサンが映っています。



駅待合所の中はガランとして木製のベンチが見えます。

中からあの特徴的なスカイライトを見上げてみたかったのですが、施錠されていて入ることは出来ませんでした。



すこし引いて、待合所とホームを見てみます。

入り口は壁に沿った曲線に導かれるようにあります。



駅舎周りは念入りに除草されているのが分かります。

路盤も除草は行われているようです。



池田方面からホームへと入ってくると「小利別駅」は、このように見えてくるわけですね。

ガラス窓がふんだんに使われ、勇足駅、本別駅、仙美里駅、の「そっくり3駅」のデザインのポイントともなっていた鋭角に張り出したグラスセクションが中央部に使われています。

青空を背景にした駅舎も素晴らしく素敵ですが…写真で見た降雪時の駅舎の写真も素晴らしかったです。

日中は白一色で変化の乏しい風景だと思いますが、夕方から夜にかけては、空は暗く沈み窓にはアンバーなあかりが灯り、窓の下の雪をオレンジ色に染めています。

冬の過酷な環境だからこその美しさですね。




さらに振ってみます。

小利別駅の全景を見ることが出来ます。

連続する直線が“三角窓”部で分断され緊張感を与えられています。

そしてその先で柔らかな曲線へと変化し流れを変えて行きます。




正面から“三角窓”を見ますと、それはかなり大胆に左右の建物の直線の流れをバッサリと分断していることが分かります。

先ほどの駅入り口があった面とは全く異なった表情を持っています。

窓のデザインも、先の「連続する細長デザイン」から「小さめな四角い窓」に変化しています。

右側壁面の窓と基礎部のホワイト・ラインの変化も面白いです。

これは中央の“三角窓”の存在を引き立てるためのデザインだと思います。

今頃気が付きましたが、「上利別駅」など北海道スタンダードの木造駅舎の入り口庇を思い出しました。

これからインスパイアーされているのかな…なんてね。



こちらから“三角窓”を見ますと、「相当尖っている…」のが良く分かります。

また、四角い窓と基礎部を這うホワイト・ラインの変化が良く分かると思います。

お洒落なデザインですね。



一回りして、駅舎正面に戻ってきました。

広い駅前スペースには、ブロック・タイルのようなものが敷き詰められて、ヨーロッパの町並みのペーブメントのような雰囲気を醸して駅舎を一層引き立てています。



小利別駅へと続く道を振り返ります。

駅敷地の洗練された雰囲気は、この境目(ブロック・タイルとアスファルトの)…から北海道のどこにでもあるような原風景に変わります。

小利別駅へは、国道から直接アクセスすることはなく、「コの字形」に迂回してこの道に接続します。

国道からのアクセスの特徴が、この静かで美しい環境を結果的に守ることとなっているのだと思います。



駅敷地の一角には子供たちの遊具と「北の花畑」と命名されたスペースがあります。

小さなプレートにもあるように「小利別婦人会」の方々が世話をされている花壇があります。



背後の駅舎と鮮やかな色の花々で飾られた花壇との風景が素敵です。

ほんとに美しいです。



駅舎のデザイン・テーストとは若干そぐわないような雰囲気の“塔”が設置され、上部にはデジタルで現在の気温が表示されています。

銀河鉄道をインスパイアーさせるよなデザインのデコレーションが施されています。

温度は26度と表示されています。



そのタワー?の基部には、“1932年 Datsun 1号車” のレリーフが。

小利別は「日産自動車北海道陸別試験場」がありその縁からこのようなモニュメントが展示されているのでしょう。



夏草の中に、あの特徴的な駅名標フレームが取り残されていました。



小利別駅舎 今は鉄道駅舎としての使命を終え地域の方々の集会所として利用されているようです。

素晴らしいデザインの建築物でありますが、地域の方々の並々ならぬ愛情が注がれ、廃止後8年を経った今日でも鉄道営業時と変わらぬ美しい姿を保っています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする