朝散歩を終えチェックアウト後に最初に向かったのが「箱館丸」(*レプリカのようです)です。
ホテルからは500~600mほどの位置になります。
路駐しているオデ君と比較すると「箱館丸」の大きさが分かります。
背後の雲がまるでマストの帆のようには見えませんか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/8b/07d68ef082aaa4a7e509127a7272a773.jpg)
箱館奉行所は箱館港に来航する船舶の管轄及び警備のために、奉行所所轄の船舶の必要性から、幕府に専用船造船を上申したそうです。
それが幕府に認められ、箱館において建造されたのが「箱館丸」です。
*展示されている「箱館丸」は1988年(昭和63年)に開催された青函トンネル開通記念博覧会において復元・展示されたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/fc/ff1eab8bb921e3518c3a28dbf7d85a8a.jpg)
今日の「函館」という名称は明治政府が開拓史出張所を設置した際に「箱館を函館と改む」いう記述が「開拓史事業報告」に記されているそうです。
*北海道マガジンの記事中に「明治2年(1969年)9月30日が函館への改称の日」とも説明されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/81/f3275e68ccc2932588ebf9b779b0d4be.jpg)
その後も暫くは「函館」と「箱館」とが混用されていたようです。
結局、「箱」→「函」に改称した本当の理由は良く分かりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/02/e35d3f2c9bc1e99b9690745e4b1c7a7e.jpg)
そもそも、この「箱館」という名称は、函館山の“館”が箱の形に似ていたから…という説明をよく目にします。
日本の一般家屋が“切り妻屋根”が多い中、函館港周辺の“洋館”が“寄棟屋根”で建築され「箱の館」のように見えたのか?…と勝手に想像します。
しかし…港町は函館ばかりではありませんから、その説明には少々「???」を感じてしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/fc/80eab915855fec64f6842d9c520ef738.jpg)
青函博に展示されたレプリカといえど、多分実物大で製作されたであろう「箱館丸」
なかなかの威容を誇っています。
制作費もそれなりの金額となったことでしょう。
*結局、そういうことが気になって仕方がないオジサンです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/07/f7707ffd10d53f0fd14693bec7b156a9.jpg)
フェンスの中ではありますが、「箱館丸」についての説明パネルが設置されています。
ネット上の資料を見ますと「日本最初の様式帆船」には反論する記述もみられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/2d/315f529f499b2687fa333306e752fac3.jpg)
箱館丸復元に尽力された方の名前が記されたプレート。
続 博氏は、箱館奉行所で船大工頭取として「箱館丸」建造に携わった 続 豊治氏の6代目 という方なのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/ba/4a30d6ff9860548dfe6234cea61ab990.jpg)
「箱館丸」の周りにはフェンスが張り巡らされています。
蒸機を観賞するときと同じように、ぐるーっと一回りします。
朝早い時間の観賞は、太陽との位置関係で思い切り「逆光」となってしまうことがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/52/294fcd04392ef422ba81b816e141c136.jpg)
箱館丸の原型を見たことはありませんが、きっと資料に照らして忠実に再現されているのでしょうね。
みなとみらいに展示されている「日本丸」などは非常に優美な佇まいの帆船であります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/1c/29c78ff1a890968fba95b22cec672436.jpg)
一方の「箱館丸」は日本の造船技術の黎明期に建造された船であったでしょう。
なんとなく実用一点張りというか…優美とかいう響きとは遠いような容であります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/28/8ab32deddc7d321be133170a0f982b9b.jpg)
航空写真で拡大して見ますと、甲板も張られているようで「ドンガラ」ではなさそうです。
江差の「開陽丸」のように内部を展示館のようにして開放したらどうなのでしょう?
展示館とするには船が小さすぎるのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/9e/93cf45d0ecbddff19d6342b720587fb9.jpg)
写真赤矢印が「箱館丸」が展示されている場所であります。
航空写真にも「箱館丸」が小さく写っているのが確認できます。
画面下中央が「金森赤レンガ倉庫」で黄色矢印は「函館市青函連絡船記念館摩周丸」であります。
緑矢印が「JR函館駅」となります。
展示されているロケーションもあるとは思いますが、「箱館」を名乗る歴史的な展示資料の割にはちょっと寂しげな展示でありました。
ホテルからは500~600mほどの位置になります。
路駐しているオデ君と比較すると「箱館丸」の大きさが分かります。
背後の雲がまるでマストの帆のようには見えませんか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/8b/07d68ef082aaa4a7e509127a7272a773.jpg)
箱館奉行所は箱館港に来航する船舶の管轄及び警備のために、奉行所所轄の船舶の必要性から、幕府に専用船造船を上申したそうです。
それが幕府に認められ、箱館において建造されたのが「箱館丸」です。
*展示されている「箱館丸」は1988年(昭和63年)に開催された青函トンネル開通記念博覧会において復元・展示されたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/fc/ff1eab8bb921e3518c3a28dbf7d85a8a.jpg)
今日の「函館」という名称は明治政府が開拓史出張所を設置した際に「箱館を函館と改む」いう記述が「開拓史事業報告」に記されているそうです。
*北海道マガジンの記事中に「明治2年(1969年)9月30日が函館への改称の日」とも説明されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/81/f3275e68ccc2932588ebf9b779b0d4be.jpg)
その後も暫くは「函館」と「箱館」とが混用されていたようです。
結局、「箱」→「函」に改称した本当の理由は良く分かりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/02/e35d3f2c9bc1e99b9690745e4b1c7a7e.jpg)
そもそも、この「箱館」という名称は、函館山の“館”が箱の形に似ていたから…という説明をよく目にします。
日本の一般家屋が“切り妻屋根”が多い中、函館港周辺の“洋館”が“寄棟屋根”で建築され「箱の館」のように見えたのか?…と勝手に想像します。
しかし…港町は函館ばかりではありませんから、その説明には少々「???」を感じてしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/fc/80eab915855fec64f6842d9c520ef738.jpg)
青函博に展示されたレプリカといえど、多分実物大で製作されたであろう「箱館丸」
なかなかの威容を誇っています。
制作費もそれなりの金額となったことでしょう。
*結局、そういうことが気になって仕方がないオジサンです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/07/f7707ffd10d53f0fd14693bec7b156a9.jpg)
フェンスの中ではありますが、「箱館丸」についての説明パネルが設置されています。
ネット上の資料を見ますと「日本最初の様式帆船」には反論する記述もみられます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/2d/315f529f499b2687fa333306e752fac3.jpg)
箱館丸復元に尽力された方の名前が記されたプレート。
続 博氏は、箱館奉行所で船大工頭取として「箱館丸」建造に携わった 続 豊治氏の6代目 という方なのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/ba/4a30d6ff9860548dfe6234cea61ab990.jpg)
「箱館丸」の周りにはフェンスが張り巡らされています。
蒸機を観賞するときと同じように、ぐるーっと一回りします。
朝早い時間の観賞は、太陽との位置関係で思い切り「逆光」となってしまうことがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/52/294fcd04392ef422ba81b816e141c136.jpg)
箱館丸の原型を見たことはありませんが、きっと資料に照らして忠実に再現されているのでしょうね。
みなとみらいに展示されている「日本丸」などは非常に優美な佇まいの帆船であります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/1c/29c78ff1a890968fba95b22cec672436.jpg)
一方の「箱館丸」は日本の造船技術の黎明期に建造された船であったでしょう。
なんとなく実用一点張りというか…優美とかいう響きとは遠いような容であります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/28/8ab32deddc7d321be133170a0f982b9b.jpg)
航空写真で拡大して見ますと、甲板も張られているようで「ドンガラ」ではなさそうです。
江差の「開陽丸」のように内部を展示館のようにして開放したらどうなのでしょう?
展示館とするには船が小さすぎるのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/9e/93cf45d0ecbddff19d6342b720587fb9.jpg)
写真赤矢印が「箱館丸」が展示されている場所であります。
航空写真にも「箱館丸」が小さく写っているのが確認できます。
画面下中央が「金森赤レンガ倉庫」で黄色矢印は「函館市青函連絡船記念館摩周丸」であります。
緑矢印が「JR函館駅」となります。
展示されているロケーションもあるとは思いますが、「箱館」を名乗る歴史的な展示資料の割にはちょっと寂しげな展示でありました。