Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

十和田観光電鉄 七百駅(しちひゃくえき)跡 8月27日 2016年

2016-11-30 | Weblog
くりはら田園鉄道の観賞の次にやってきたのは、「十和田観光電鉄線 七百駅(しちひゃくえき)跡」です。

石越駅から東北自動車道~八戸自動車道路を進む260Kmほどのコースです。

青森圏内は朝の天気が嘘のような夏の青空が広がっています。



東北の廃線を歩くのは本日が初めてです。

十和田観光電鉄線は、営業キロ数14.7Km 駅数11駅の鉄道で、2012年4月1日に廃止となった“廃線”です。

廃止となってまだわずか4年という“新しい?廃線”であります。

しかし、沿線で保存されている遺構はこの「七百駅」が唯一となるようです。

駅舎入り口には「七百駅」駅名標が掲げられています。

周りには「トラ・ロープ」が張られていて構内には入ることは出来ません。

今の時代、廃止になった駅まで電話を使いに来る人が居るのか?不思議ではありますが、公衆電話ボックスがあります。

電柱からの引込み線を見るとまだ“生きている”ようであります。



倉庫のような建物は「七百車両区」です。

蒸機ばかり訪ね歩いていて「電機」のことは全然知りません。

蒸機の場合は「機関庫」とかいいますが、電機の場合は「車両区」とか「車両基地」とかの呼称になるようですね。

シャッターが少し開いているので、中を覗いてみました。



中には「電機」や沿線各駅の駅名標が保存されています。



表面的な塗装の状態はあまり良好には見えませんが、「屋根付き」「シャッター付き」の抜群の環境におかれている電機たちは、見るからに機械としてのコンディションが良さそうです。

ここに保管されている電機たちはすこぶる幸せな保存環境にあります。

やはり機械にとって「野晒し保管」は極めて厳しい環境ですからね。



さて…「覗き見」は程ほどにして、車両基地の周りを歩いてみます。



車両基地のもう一方にやってきました。

シャッターやドアーが開放されています。

「おや?どなたか中で作業をされているのかな?」などと思います。




駅構内の様子を観賞します。

広々とした構内の路盤にはレールも残されています。

「七百駅」は十和田観光電鉄線で唯一列車交換の可能駅でした。



扉はフルオープン状態。

近付くと中から人が出てきました。

すかさずこちらから大きな声で「こんにちは~」と声を掛けます。



写真赤矢印のツナギを着用したエンジニアの方。

一目でレールファンと分かる私の格好を見て「どうぞ中を見ていってください」と「車両基地」の中へ招き入れてくださいました。

*「一目でレールファンと分かる格好…って何なんだ? と突っ込まれそうですが、鉄道イベントで良く見掛ける“あの手の格好”でしょうか。

やはり最初の元気の良い挨拶は初対面の方に対しては必要ですね。(*普段オジサンの話し方は低い声で“ボソボソ喋り”であります。)

「車両基地」の車両のこと、もうじきイベントが近くそれに向けて準備作業を進めていること、他に何処の鉄道を見てきたのですか?…などなど、鉄道ネタの話をしました。

「どうぞご自由に見ていってください」と促され、「車両基地」の中の展示物やら車両を存分に見せていただきました。



ガレージ作業をする身にはじつに羨ましい環境です。(*ここまで広大な作業スペースを個人で所有するなどレア・ケースだと思いますが…でも羨ましい)







沿線各駅の「駅名標」が展示されています。



作り物ではない歴史の重みを背負っているように見えます。



無蓋車の“トラ300形”

社名を観光電鉄線と名乗る鉄道の収益源は「観光」に重きを置いた営業形態なのでしょうが、こうした無蓋車なども鉄道には必要なのでしょう。

開業1922年とありますが、営業当時から十和田湖の観光に注力していたのでしょうか…

十和田観光電鉄線に付いてはまだまだ知らないことが多すぎます。

やはり「3回通う」ようにしないと理解出来ないでしょう。







モハ3603 11月6日の鉄道イベントに向けて、化粧直し中。

パテが盛大に盛られているのが分かります。

地層のようになった塗装面から前色が赤色系であったのが分かります。

添付されている書面にもあるように、元色の「東京急行電鉄」のグリーン その上に「十和田観光電鉄」の赤色 そして「東急復元塗装」のグリーンの三層となっています。



「まだ製作途中ですが…」といって、事務所から持ってきてくださったイベントのチラシ。

「ぜひ遊びに来てください」と誘われました。

行きたいのは山々なのですが…9月に1ヶ月近く遊び呆けている身としては、ちょっと厳しいかも。

七百駅は16:00頃に撤収、本日宿泊の十和田湖へ向かいます。



8月27日 GPSログの軌跡です。

六戸町の七百駅に立ち寄ったので最後の軌跡は“フック”みたいな形状になっています。

今回は青森市内のホテルにも予約が入らなかったので(相当選り好みはしていますが…)思わぬ空白地帯、十和田湖周辺のホテルに宿泊することにしました。

翌日は青森港に行く前に立ち寄りたいところがあるので丁度良かったです。



十和田湖畔のホテルには17:30頃に到着。

まだ夏の陽射しが明るい頃に到着できました。

東京を出発して13時間ほど…本日の走行は約829Km でした。

くりはら田園鉄道や十和田観光電鉄七百駅などの観賞をしながら、安全運転でよく走りました。

オデ君もご苦労様です。

さて…お風呂に入ってからお待ちかねの“ビール!”です。

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MIHOミュージアム に行ってきました。  11月26日 2016年

2016-11-28 | Weblog
甲賀市信楽町にある「MIHO MUSEUM」に行ってきました。

秋季特別展「ムガール皇帝とマハラジャの宝石」という展示がお目当てです。

開催は12月11日まで。

前日まで「ど~しよう」と迷っていました。

関東は11月24日、観測史上初の降雪を記録しました。

「雪」は私にとっては“天敵”です。

天気予報では週末は“晴れ”の予報です。

行くなら今しかないと思い立ち、「ま、いいか…」と、お気楽に出発しました。

毎年、神戸に出かける時には新名神を通って行くので、「信楽」は馴染みのある地名です。

狸の焼き物を見に訪れたことは何度かありますが、ミュージアムに行くのは初めてです。



足柄SAから見た富士山です。

マゼンタが被っちゃったのではありませんよ。

東の空の「朝焼け」が富士山の冠雪を茜色に染めています。

それは美しい光景でありました。



駐車スペースの花壇には2日前の残雪。

昼間でも気温が上がらなかったのでしょうね。

本日は快晴の予感です。



東京を出発する時点でナビゲーションは10時到着と計算していました。

しかし、伊勢湾岸道路から四日市~鈴鹿間で渋滞となり、予定より50分ほど余計に時間が掛かりました。

新名神道路は順調に流れ信楽インターを下りて一般道を約20分ほど走るとミュージアムに到着です。

レセプション棟には送迎用の電気自動車が用意されています。(*徒歩でもOKです)




ミュージアムはここから500mほどの距離にあります。

ここで入館料金¥1100を支払い、パンフレットと入館証を受け取ります。

*展示を見てから思いましたが、この入館料金は激安!です。

外の陽射しも気持ちがよく、私は徒歩でミュージアムへと向かいます。



ゆるいカーブの道を歩きます。

上着を着ていると汗ばんでくるほどの好天です。

気持ちよいです。



トンネルを抜けるとミュージアムのエントランスが見えてきます。

茅葺屋根の造形をモチーフとしたデザインに見えます。

このミュージアムの設計はルーブル美術館「ガラスのピラミッド」などで有名な“イオ・ミン・ペイ氏”によるものだそうです。

ミュージアムに付いての詳しい記述はこちらのサイトをご覧になると宜しいかと思います。



ミュージアムのエントランス。

天井からは明るい陽射しが柔らかく注いでいます。

ここを見ていても、ルーブル美術館「ガラスのピラミッド」がオーバーラップします。

とても気持ちの良い空間でありました。

展示の模様は勿論撮影はしてきませんでした。

ただ…不思議に思ったのは何処にも「No Photo」とかのステッカーを見掛けませんでした。

私は常時ビノキュラー(双眼鏡)を持ち歩いていますので、ガラスケースの奥に展示されている宝石などはそれでジロジロ見てしまいます。

通常の博物館・美術館では一回りすると「出口」で外に出されてしまいます。

しかし、この美術館の展示は何度もグルグル回って観賞することが出来ます。

来館者の多い展示はスルーして再び空いているころにゆっくり観賞することが出来ます。

私は3回も“回覧”してしまいました。




ミュージアムを背にしてトンネルを見ます。

「斜張橋」といえば確かにその一種なのでしょう。

しかし…トンネル自体がアートしているようです。

ワイヤーの展張がすごく綺麗です。



ミュージアムへ向かうのに「トンネル」を抜けてゆく…これ自体すごく珍しいとおもいます。

しかもそのトンネルがこのお洒落さです。

ミュージアムは「桃源郷」をイメージして設計されたそうですが、このトンネルを抜けて目の前に広がる風景自体もアートの一部として設計されているのでしょうね。

トンネルの機能自体を考えれば、このようにカーブしている必然は無いわけです。

トンネル入り口から「桃源郷」がスルーで見えないようにとの演出なのでしょう。



図録は展示されている宝飾品の美しい写真と共に解説がされています。

この素晴らしい図録が ¥3000(税別)というプライスです!

これも非常にお値打ちだと思います。



図録の中のダイヤモンドのページです。

どれも素晴らしい展示でありましたが、その中で特に注目したのは、5個のダイヤモンドのルース(裸石)です。

10.46 cts The Pink Golconda は Light Pink Internary Flawless

The Arcot Ⅱ は 17.21 cts D color Internary Flawless

The Star of Golconda は 57.31 cts!

The Idol's Eye は 70.21 cts Light Blue のダイヤモンドです。

The Mirror of Paradise D color Internary Flawless のエメラルド・カットです。

ショーケースに納められたダイヤモンドには、ピンスポットが当てられ、眩い輝きを放っています。

ショー的にはそれが正道なのでしょうが、出来ればもう少し柔らかい光で観賞してみたかったです。



信楽から東京までは約420Km ほど。

日帰り出来ない距離ではありませんが、安全第一。

無理をしないで、毎度の「セントレア空港」付近のホテルに宿泊です。

当然、空港でヒコ~キ見たりして楽しんじゃいます。

日曜日の昼頃には東京の自宅でビール飲んでいます。


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都電荒川線 11月23日 2016年

2016-11-25 | Weblog
曇り空、風の冷たい祝日。

11月23日 勤労感謝の日 に「都電荒川線」を観賞に出掛けてきました。

都内を走る路面電車、都電荒川線。

よほど身近な存在ですがこうして改めて全駅を見て歩くのは初めてです。



勤労感謝の日ですから、毎日元気に働ける自身を労わりつつそれに感謝しながら、ゆっくりと自宅を出発します。(*ダラダラ出発した…という意味です)

都内の散歩はこの「お手軽さ」が魅力です。

山の手線で「大塚駅」に向かいます。

ここから荒川線に乗り換えて、起点駅の「三ノ輪橋停留場」へと向かいます。

都電荒川線の一日乗車券はなんと! ¥400 です。

これで荒川線ワンダーランドを1日中楽しめるのです。

本当に良いのでしょうか? こんなにお安くて…

6分間隔で運行される都電。

駅の周囲の風景などを楽しんでいると、もう次の都電がやってきます。

かなり濃密なトラフィックだと感じました。

車窓の景色の移り変わりを楽しみます。

ゆったりとした走りは地域の空気に溶け込んだ「トランスポーター」そのもので和みますが…

幹線道路を横断する時の信号待ちの時間が意外と長いのに驚きました。

「和む…」とか言いながら、都会の秒刻みの交通手段に体の芯まで染まってしまっている自分を発見します。(*待てない…性格です)



三ノ輪橋停留場 入り口には写真のような「ゲート」が設けられています。

奥の左側に見えるのが、乗車用の停留場です。

写真には写っていませんが、降車用のそれは30mほど手前にあります。



本日は祝日で、都電や都バスの車両には日本国国旗が掲揚されています。

都電は車両の前後に2x2 で掲揚されています。

都内を走る都バスと都電とで、いったい何セットの国旗を用意するのか…本日の営業?が終わったら取り外したりの作業もあるでしょうし…

大変だなぁ~などと思いながら眺めていました。



荒川車庫には往年の車両が展示されています。

内部はギャラリーとして開放されています。



駅名標?や備品等が展示されています。



ギャラリーの展示に、この車両の現役時の写真を発見!

「昭和42年 銀座通り 7丁目から4丁目へ向けて走る 上野駅行き 5500形」と解説されています。

昭和42年というと1967年。

1964年(昭和39年)10月10日に開催された東京オリンピックの3年後…皆が明るい未来を信じていた そんな躍動感が伝わってくるような写真です。



「梶原」という停留場があります。

駅名の由来は?

この書店名(*古書店らしいですが店頭には新書も販売しています)をとって命名されたのでしょうか。

かなり歴史のありそうな本屋さんでした。

*テントに掲載されている電話番号の局番は4桁になっていますので、テント自体はそれほど古いものではなさそうです。

鉄道や路線バスの駅名を企業に販売する「ネーミングライツ」という手法がありますが、それの“はしり”でもあるのでしょうか。



ホームとスロープが本屋さんの一角のような構造になっています。



荒川線沿線を見ているとバラの花が目に付きました。



都電荒川線沿線のバラマップ というパネルが掲げられているのは町屋駅前停留場付近の花壇です。



飛鳥山停留場から併用軌道を走る車両を見ます。

王子駅前停留場から飛鳥山停留場区間が荒川線が路面電車であることを実感できる区間です。

路線距離約12Kmのうちわずか500mほどの併用軌道。

それ以外は専用軌道を走る荒川線が今日まで生き延びた理由があるようです。

都電の歴史やその独特の軌間1372mmの理由、同じ軌間を採用する京王線との繋がりなど、そこにはとても興味深い世界があります。



いまから3年ほど前に購入した本です。

いつか日本の「路面電車」を訪ね歩いてみたい…と思っていたようです。

本日は祝日ということ、酉の市が開かれている関係なのでしょうか、利用客の多いのにはビックリしました。

混雑した車両では、降車するのに一苦労するほどでした。

季節を変えてまた観賞して歩いてみたいです。


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未来 TOYOTA MIRAI に試乗してきました。 11月19日 2016年

2016-11-21 | Weblog
思いがけずトヨタの「MIRAI」に試乗するチャンスに巡りあいました。

仕事で使っている「蛍光X線分析装置」の冷却に液体窒素を使っていて、そのガスのデリバリーをお願いしている「ガス屋さん」の展示会?に招待され、その展示会で「MIRAI」の試乗が出来るというのです!

それが無ければ、ガス屋さんの展示会など用事は無いのですが、「MIRAI」に釣られてザァザァ降りの雨の中を上尾まで出掛けてきました。



営業の方からいただいたチラシです。

下方に「*係員が運転しFCV…」と書かれています。

「冗談じゃない! 係員の運転なんかじゃタクおなじじゃん!」と言いましたら「いや…運転できるみたいですよ」と言うもですから「じゃ、行く」ということになりました。



上尾の現場?に到着し、受付を済ませます。

生憎の天候ですが、大勢のお客さんで賑わっています。

「試乗まで結構待たされるのかなぁ」と思いながら記帳します。

担当の営業さんが試乗の順番を聞きに行ってくれました。

「直ぐ乗れるそうです!」

「やったぁ!」早速現車「MIRAI」のところに行きます。

FCVですから「排ガス」は排出されないわけで、見慣れた「テールパイプ」は無さそうでした。

“水”を排出する「ドレーン」などがどこかにあるのかも知れません。

ガス屋さんの展示会ですので、トヨタの技術者などはいないようで、FCVの説明等はありません。

「ボンネット開けて見せてください」とお願いしても、ロック解除にもたもたしてしまう程ですから…

トヨタの技術者でもいれば色々話が聞けたのでしょうが仕方ありません。



なんとかボンネットを開けて、“エンジンルーム?”を見せていただきます。

何となく補器類も含めて“エンジン車”の絶対的な相違は見えません。

FCVの解説はトヨタのこちらのページに分かりやすく解説されています。



エンジンみたいにド~ンと見えるのは「パワーコントロールユニット」という装置だそうです。

駆動用のモータはその後方下に設置されているようですが、ここからそれを見ることは出来ません。

オレンジ色のケーブルはコントロールユニットとバッテリーを結ぶもののようです。

赤矢印のところ…なんだか見慣れたパーツに見えます。

いわゆる「ラジエターキャップ」みたいです。

FCVでもラジエターは装備しているんですね。



ガソリン車の給油コックがある位置には、ガス充填のためのノズルがあり、トヨタマークのキャップを外すとそれが出てきます。

こちらのガス屋さんは当然「水素ガス」も取り扱っているのですが、「MIRAI」の充填設備は無いそうです。

この「MIRAI」は、ナンバーを見てお分かりのように、愛知のトヨタから借りている車両だそうです。

FCVの開発協力会社として、こうして「MIRAI」の貸し出しを受けているようでした。

高圧水素タンクはリヤシート下とトランクルームと室内の隔壁の間の2箇所に設置されているようですが、一般人は見ることは出来ないようです。

ドライバーズ・シートの下あたりには、「FCスタック」と呼ばれる装置があります。

ここが「MIRAI」の心臓部…燃料電池と呼ばれるものです。

ここで水素と酸素を化学反応させ電気を取り出します。

理科の実験、水の“電気分解”の逆バージョンですね。

燃料電池のエネルギー変換率は非常に高いそうで、水素の持つエネルギーの約83%を電気エネルギーに変換できるそうです。

昔のガソリン車のように、素人さんが好き放題いじり倒すようなことは一切受け付けないような作りになっています。



室内、運転装置などはごく普通の景色です。

ここには「未来」を感じさせるような演出は一切ありません。

なにも知らずに乗り込めば、「ただのクルマ」でしかありません。

シフターもプリウス辺りのものと共通のもののようです。



足元を見ます。

こちらもただのクルマの景色であります。

運転装置の確認をして、いよいよ試乗にスタートです!



さて…これだけ煽っておいて気が引けますが、残念なお知らせです。

試乗はもちろんさせて頂いたのですが、なんと!一般道へ乗り出すことはなく、工場敷地内を“最徐行”で一回り(2~3分くらい)しただけでした。

本人は「東北道でも一っ走り…」と期待していたのですが仕方ありません。

取り敢えず運転させて頂いただけでも感謝です。

それで…「MIRAI」の走りはどうだった? と訪ねられても構内を時速10Km/h 位で走っただけでは何も分かりません。

営業の方々は口々に「静かだねぇ」と言っていました。

確かに「電気自動車」ですからエンジン音は皆無です。

未来のクルマは、ハンドルもアクセル、ブレーキなど運転装置を一切持たない「完全自動運転」の移動装置になっているでしょう。

そういう未来のクルマから見れば「MIRAI」はまだまだ人間が介在できるより“クルマらしい”自動車でありました。




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細倉鉱山駅跡 栗原鉄道 8月27日 2016年

2016-11-18 | Weblog
Wikiの解説によりますと、「くりはら田園鉄道」に至るまでの鉄道の歴史は随分紆余曲折の連続であったようです。

大正時代に開通した鉄道は“軽便鉄道規格”の「栗原軌道」として開業。

昭和になってこの細倉鉱山駅まで延伸をはたし、鉱石運搬を主体とする鉱山鉄道の「栗原鉄道」と名乗ります。

さらに戦後は軌間を1067mmの標準軌とし、またそれと同時に電化がなされ、名称も「栗原電鉄」と改称されます。

次に、電鉄事業とバス運送事業を統合し「宮城中央交通」に改称。

しかし、電鉄事業とバス事業が分離し再び「栗原電鉄」に。

さらに、事業経営の悪化により、第三セクター鉄道への移行に伴い、電化→非電化となり名称は「くりはら田園鉄道」と改称されました。

数えてみると、栗原軌道から6回の名称変更が行われ、「くりはら田園鉄道」がその最後の名称となりました。

「細倉鉱山駅」は第三セクター「くりはら田園鉄道」の時代にはすでに廃駅となっていたようです。

それでもこれまで見てきた一連の記念碑とお揃いの石碑がここに置かれています。



ネットに掲載されている「細倉鉱山駅」のレポートを拝見しているので、この坂道にも見覚えがあります。

「たぶんその先のカーブの辺りかなぁ~」などと思いながら歩きます。

「栗原鉄道時代」の路盤は右手の一段高いところ(*黄色い柵が見えているところ)だったのか、それともこの道路と平行している場所(グレーのパイプが走っている場所)だったのか…どちらだったのか良くわかりません。



見えてきました。

「細倉鉱山駅跡」の記念碑です。

右手に見えるガードレールは工場内へ向かう道なのでしょうか。



いま記念碑が置かれている場所が「細倉鉱山駅跡」とは…ちょっと違うような気がします。

鉱石の積み出しをするにしても、もっと工場内に近い平坦な場所にあっても良さそうな気がします。



記念碑のある場所から振り返って「細倉マインパーク前駅跡」方向を見ます。

かなりの勾配を上ってきているのが分かります。

この「細倉鉱山駅跡」で「くりはら田園鉄道」の観賞は終了です。

初めての東北の廃線跡巡りでした。

今回は上辺だけの観賞でしたが、路盤がしっかり残されていて駅跡には記念碑が置かれ、初心者にはとても優しい?廃線跡巡りでありました。

もっと、くりはら田園鉄道のことを調べ、来年2017年も観賞して歩きたくなりました。



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飲んじゃいましたよ~ ボジョレ・ヌーボー 11月18日 2016年

2016-11-18 | Weblog
毎年やってくる「ボジョレ・ヌーボー」解禁日

飲みすぎて酔っ払い、椅子から落ちて肩の靱帯を断裂したのもこの日でした。

一生忘れられない記念日ですね。

それでもやっぱり飲んでしまいます。

御徒町には海外の観光客にも有名な総合ディスカウントストアー「多慶屋(たけや)」さんがあります。

チラシ広告にある「メーカー希望価格50%引き」というペットボトルの商品 \890 の品を購入してきました。(*ペットボトルのワインはビンが割れるリスクが無いのでいつも選んでいます。)

ボジョレ・ヌーボーを購入する時には、「最安値」の商品を購入するようにしています。

この解禁日は、今年のワインの出来を祝い味わってみる“お祭り”のようなものだと思います。

名前からも、“ボジョレ地区の新酒”ってことですものね。

生まれたての赤ちゃんみたいなもので、美味しいワインになるのは“これから”ってことですね。

なので、最安値のワインを飲んでお祝いします。



それだけで止めておけば怪我をすることも無く平和な日々を送れるのでしょうが…

やはりそれだけでは物足りない…

せっかくだから、一人前に成長した“大人のワイン”も飲んでみたいわけです。

こうして、ダラダラと飲んでしまうだらしない酔っ払いのオジサンの“解禁日”の夜は更けていきました。


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細倉マインパーク前駅跡 くりはら田園鉄道 8月27日 2016年

2016-11-17 | Weblog
漸く“くりはら田園鉄道”の終点、「細倉マインパーク前駅跡」に辿り着きました。

実は、今回も“やっちまったぁ!”という失敗がありました。

「今回も」というのは2015年北海道旅行で、「白滝シリーズ」を見て歩いた時に、「上白滝駅」をすっ飛ばしてしまい翌日再び石北本線に戻った失敗のことです。

「鴬沢工業高校前駅」と「細倉マインパーク前駅」との間には「細倉駅」という駅があったのです。

出発前の資料準備でそれは承知していました。

「細倉マインパーク前駅」に向かう国道からも「細倉駅跡」は目視で確認していました。

「ちょっと駐車しにくそう…」と思い、まずは「細倉マインパーク前駅」の広いパーキング・エリアにオデ君を停めて、徒歩で戻ろうという作戦にしました。(*駅間距離はたった200mほどですから、充分徒歩圏内と思っていました。)

ここまでは結構冷静に行動しています。

でも…結局「細倉駅」をすっ飛ばしてしまった“やっちまった君”なのでありました。



駅の周辺はバスのロータリーや駐車スペースなどが整備されていて、その割にはほとんど利用客がいないので、駐車にはとても楽な環境でありました。

往時はマインパークを訪れる観光客で賑わっていたのでしょう。

今はひっそりとして、どんよりとした空色が一層寂しさを増幅しているようにも見えます。

駅舎横には、「ED20形電気機関車」が展示されています。



細倉マインパーク前駅舎

切妻屋根を中央で直交させたような外観になっています。

施錠されていて中には入れませんでした。

ガラス窓を通して中を覗いてみましたが、数枚のポスターと事務用品の他には駅を想わせるようなものは残されていませんでした。



屋根付きで展示されているのは、「ED20形電気機関車」です。

その横には、腕木信号機が展示されています。

鉄道展事の脇役としては不可欠のアイテムですね。



若柳駅鉄道公園に保存されている「ED203号機」と同形の機関車です。



203号機は綺麗にリペイントされていましたが、こちらはちょっと状態が良くはありません。

しかし…それが活躍していた時の雰囲気を今に伝えているようでもあります。

ED20形電気機関車は、栗原鉄道が運用していた機関車ですが、当初は軽便鉄道軌間762mm規格で製造されたそうで、ED18形電気機関車と名乗ったそうです。

やがて「栗原鉄道」→「栗原電鉄」の時代には、その軌間が1067mmの標準軌となりED18形はそれに合わせ車軸が改造され、「ED18形」から「ED20形」へと改称されました。

DE20形電気機関車は201号機から203号機の3両が栗原電鉄で活躍していましたが、「栗原電鉄」が非電化の「くりはら田園鉄道」となりそれに伴って廃車となったそうです。

3両のうちの2両はこうして観賞してきましたが、そうなると気になるのが「1号機」である「ED201」であります。

これも後で「しまったぁ!」と思いました。

石越駅の近くに「チャチャワールドいしこし」という公園施設に「ED201号機」が展示されているのを見過ごしてしまいました。

やはり「くりはら田園鉄道」も「三度参り」決定ですね。

北海道の廃線巡りでも、一度歩いただけではほとんど何のことだか分かりません。

3回以上訪れてようやく自身の中で「何となく」雰囲気が分かってきます。(*初心者なので時間が掛かるのは仕方がありません)



さて…駅舎横の階段を下りてホームに出てみます。

階段には屋根の鉄製フレームだけが残されています。

ビニール製の屋根が掛けられていたのでしょうか。



ホームから石越駅方面を見ます。

このベンチの数を見ますと乗降客数の多かったことが伺われます。



車止めが置かれた路盤の終端。

くりはら田園鉄道の「終点」となります。

細倉マインパーク前駅は確かに「くりはら田園鉄道」の終点ではありました。

しかしその前身の鉱山鉄道である「栗原鉄道」はその先の細倉鉱山の鉱石を運ぶために建設された鉄道であり、「細倉鉱山駅」がこの先にありました。



ホーム先端部から振り返ってみます。

ホームと駅舎の位置関係はこのようになります。



緩いスロープの道路に出て駅舎方面へと戻ります。

駅舎の右端に小さく写っているのは相棒のオデ君です。



駅舎のホーム側出口に戻ってきました。

戻ってきちゃダメでした。

細倉駅跡へ徒歩で行かなくちゃ!

この時点ですっかり「細倉駅跡」のことはすっ飛んでいます。

こういう性格は将来の免許更新時が心配になります。

「嫌なことをいつまでも覚えていない…」などと言えば聞こえは良いですが、「何でも直ぐに忘れてしまう」ともいえます。

認知症検査の時にそれが心配であります。

余分なことを書きました。

次は「栗原電鉄」の「細倉鉱山駅」です。


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くまモン 熊本県民手帳 届きましたぁ~ 11月16日 2016年

2016-11-16 | Weblog
“くまモン手帳”

2017年度版 熊本県民手帳 が熊本県統計協会さまより到着しました!

今年のカラーはアイボリーです。

2016年4月に発生した“熊本地震”により県のシンボルである「熊本城」の惨状は衝撃的でありました。

熊本県、大分県の多くの方々が被災されその復旧もまだ道半ばであります。

赤い帯とのコントラストが「がんばるけん!」のその意識の強さを表しているようです。



手帳裏面です。

いつに無くくまモンの露出が多いようです。

毎年、購入させて頂いています。

小さいお子さんのいる知り合いなどにはギフトとして喜ばれています。

ワンコインでお釣りがくる商品でこれほどのインパクトのあるものは少ないと思います。



“パラパラマンガ”のポーズのバリエーションが本年はだいぶ豊になりました。

くまモンのこんなポーズ、初めて見ました。



内容はもちろん、熊本県民に密接した内容ではあります。

熊本民謡…「五木の子守唄」「あんたがたどこさ」「田原坂」「おてもやん」など、昭和生まれの日本人なら誰でも知っている民謡です。

私はこの県民手帳を購入するようになって初めてそれを知りました。

2017年には九州にも出掛けたいです。

もちろん、熊本県にも熊本城にもです。


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羽田空港 早いねぇ~もうクリスマス…11月13日 2016年

2016-11-14 | Weblog
11月13日(日曜日)は 絶好の飛行機日和。

羽田空港の例の「人が来ないポイント」に行ってきました。

前回訪れた時には「ハロウィーン」の飾りつけでしたが、すでにクリスマス・ツリーのディスプレーがされていました。

今回は、なんと!“カメラストラップ”を忘れてしまいました。

こんな忘れ物をしたのは初めてです。

200-500㎜のレンズを装着したカメラをストラップ無しで構えるのはちょっと無謀でした。

多分落として泣きを見るのは確実でしたので、撮影は断念して双眼鏡で離着陸機を観賞して終了!としました。

傷を広げないために深入りしないいつもの用心深いオジサンでありました。

*用心深ければ“忘れ物”などしないのでしょうが…

写真は第二ターミナル・エレベータにディスプレーされているツリーであります。

とっても“Air Port”らしい素敵なディスプレーです。

おそらく、夜の灯りが入った時にはもっと素敵にな雰囲気になるのでしょう。

今は西側から射す太陽の光と館内の照明とのMix光源で変なホワイトバランスです。

ツリーの頂点には星の代わりに“ヒコ~キ”があしらわれています。

全部真っ白で、何だか良く分からないので、気の短いおじさんは、ヒコ~キのエッジをPhoto Shopで塗ってしまいました。

撮影できなかった腹いせみたいですね。

天井に見える円形のオブジェ?が太陽のようで、それに向かって発進していく昔の“スペースシャトル”みたいにも見えます。



いつものお約束…

ビールと枝豆! です。

小春日和の中でのヒコ~キ観賞(*晩秋から冬にかけて今日みたいなホカホカ陽気が続くことを言うそうですね)の後のビールは格別です。

でも、真夏のビール・パワーにはちょっと負けるかなぁ。


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細倉マインパーク前駅手前の鉄道遺構 8月27日 2016年

2016-11-11 | Weblog
くりはら田園鉄道各駅観賞も残り僅かとなりました。

細倉マインパーク前駅跡へ向かう途中、見た目が?すごく格好良い鉄道遺構が目に入りました。

交通量が少ないとは言え、国道沿道なのですがどうしてもしっかり観賞したくてオデ君を路駐して撮影しました。

国道から一段高くに路盤があります。

削り取った山肌の岩盤が露出しています。

ザクザクした肌が力強くて格好良いです。



路盤に上がってみました。

レールもしっかりと残されています。



もう一度、国道から見ます。

細川マインパーク前駅跡へ向かって大きく右にカーブして行きます。


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鶯沢工業高校前駅跡 くりはら田園鉄道 8月27日 2016年

2016-11-10 | Weblog
鶯沢工業高校の生徒さんたちの通学の為に開設された駅なのでしょうか…

Wikiの解説によりますと…岩ヶ崎高等学校細倉分校として開設された学校はその後、鶯沢工業高校となりさらに工業高校が廃校となった後には「岩ヶ崎高等学校鶯沢校舎」と変わってきた歴史があるようです。

“分校”と“校舎”と若干名称が異なりますが、結局…岩ヶ崎高等学に戻った、ということですか…

1面1線の小さな駅のホームには待合所が設置されていました。



駅跡の敷地には今まで見てきた駅跡には見られなかった特長?があります。

近隣の家庭のペットなのでしょうね。

「犬小屋」があり中には“わん君”がこちらを見ています。



細倉マインパーク前駅方面を見ます。

…ワン君、気になりませんか?

アップしておきました。

優しい目をした大人しそうな子(*女の子かも知れません)でしたが、用心深いオジサンは不用意に近付きません。



石越駅方面を見ます。

ゴミがまとめて捨てられているように見えます。

収集場所なのでしょうか…

路盤にもパイプのようなものが落ちています。



駅跡の全景です。

鶯沢工業高校前駅跡の記念碑とワン君、細倉マインパーク前方面へと伸びる路盤。

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二迫川橋梁 くりはら田園鉄道 8月27日 2016年

2016-11-10 | Weblog
鶯沢駅跡のその直ぐ先に「二迫川」が流れ「くりはら田園鉄道」の橋梁が残されています。



先の「三迫川橋梁」と同様の上路プレートガーダー橋です。

橋梁の銘板の写真は撮っていなかったのですが、ネット上にアップされている写真を拝見すると確かに「二迫川橋梁」とありました。

本来なら自身で橋梁の銘板など撮影してくるべきなのでしょうが、「危険 立入禁止」のプレートがあると、それ以上は深入りしませんからね。



そこから振り返ると「鶯沢駅跡」が見えます。

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鶯沢駅跡 くりはら田園鉄道 8月27日 2016年

2016-11-09 | Weblog
地図を見ますと「鶯沢北郷」という地名があります。

駅名はこの地名に由来するものなのかなぁ…と思っていました。

しかし、Wikiの解説によると、駅があった「鶯沢町」は合併により栗原市となり「鶯沢町」という名称は消滅したとあります。

駅も町名も消えてしまったということです。



オデ君を路肩に停めます。

古びた小さな石段があります。

駅の入り口にしては変だなぁと思いながら石段を上ります。



上った路盤から見る駅跡はかなり広大な敷地が残っています。

鶯沢駅は営業当初は2面2線の列車交換可能な駅で駅舎もあったそうです。

なるほど…それならこの広さは当然ですね。

路盤には1線の軌条が残されているのみで、2面あったというホームの面影はありません。



振り返って細倉マインパーク前方面を見ます。

路盤の先にはガードレールが見えそこに道路があることが分かります。



鶯沢駅跡の記念碑は敷地中程、その片隅に置かれています。

商店街の先に見える突き当たりが県道です。

駅へのアクセスはこちらがメインだったようですね。

先程の石段はどうやら「駅裏」だったようです。



こちらが石越駅方面となります。



オデ君を路駐した“駅裏”です。

砂利が敷かれたこの道は駅廃止後に簡易的に作られた“通路”みたいな作りで車両は通行出来ないようです。



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尾松駅跡 くりはら田園鉄道 8月27日 2016年

2016-11-08 | Weblog
県道から少し入ったところに尾松駅跡はあります。

ホームがあったと思しき場所は長方形の更地になっています。

当時の写真を見ますと、駅は1面1線の無人駅でホームには小さな待合所が設置されています。

くりはら田園鉄道無人駅のスタンダード・デザインのようです。



その奥まった一角に「尾松駅跡」の記念碑が置かれています。

赤矢印で示したところです。



ホーム跡地は綺麗に整地され除草もされています。

路盤は林の中へと向かっています。

こちらは石越駅方面となります。

樹木が多いせいか湿度が高く感じられます。



こちらが細倉マインパーク前方面です。



道路の向こうにも細倉マインパーク前方面に向かって路盤が残っています。


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三迫川橋梁 くりはら田園鉄道 8月27日 2016年

2016-11-07 | Weblog
栗駒駅から栗原田町駅へ向かう国道を走っていて、目に入ったのが三迫川に架かる橋梁です。

「おぉ!これは!」

国道といっても幸運なことに前後にクルマは居ません。

路肩にオデ君を止めて、長目のレンズを装着したカメラをつかんでクルマを降ります。

ホントは橋梁の直ぐ近くまで行ってみたいのですが、さすがに国道路肩にオデ君を路駐して橋梁を見に行くわけにも行きません。

国道からみた橋梁はこんな感じです。



長目のレンズを装着したカメラと言ったのは、なるべくオデ君から離れずに橋梁を撮影したかったからです。

上路プレートガーダー橋はちょっとくすんだ赤色です。

台風の影響でしょうか、幾分増水しているようで水色も濁っています。



事前に予定していたなら、オデ君を先の栗駒駅跡のスペースに置いて、歩いてでも見に来たのですが…

ちょっとリサーチが甘かったです。

また時を改めて観賞しに来ましょう。


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