Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

宗谷岬など 9月4日 2014年

2015-02-28 | Weblog
いつものように早朝に(だいたい4時半頃…)目を覚まし、出発準備をします。

昨日の廃線巡りの疲れも全く残っていなくて、清々しい気分で起床できます。

昔の人のように、日没と共に休み、日の出と共に目を覚ます…実際には日の出よりももっと起床時間は早いわけですが…典型的な健康生活であります。

お土産店の時計を見ますと…8時20分辺りを指しています。(*昨年のデータを見ますと、お土産店の時計は8時30分辺りを指していました。)



「ホテル美雪」さんの朝食です。

典型的日本の朝食であります。

厨房のお母さんが心を込めて作ってくださる朝食です。

以前は、礼文などの離島へ出航するフェリーの時間に合わせて、「お握り」の朝食なども用意してくれたみたいですよ。

直接伺った訳ではなく、あくまでも想像なんですが、「ホテル美雪」さんの前身は民宿なのではと思います。

ご家族で運営されているような、そんな雰囲気を強く感じます。

今年のトピックは、「ホテル美雪」さんの専用駐車場がオープンしたことです。

昨年までは、市が管理する未舗装のスペースに駐車していて、それが唯一不満であったのですがそれもついに解消されました。

欲を言えば…温泉なども開設されるともっと素敵なんですが…しかし、それを言うなら宿泊料金を倍くらい払わなければなりませんね。




宗谷岬の店舗はその殆どが「最北端ネタ」で営業されているようです。



いつも思うのですが、この最北端の岬…全国区的知名度で人気も抜群です。

こんな早朝にもかかわらず、すでに大勢の観光客が訪れています。



前日にガスチャージを行わず、「安田石油店」で給油し「最北端給油証明書」とホタテ貝の貝殻で作成した交通安全のチャームをいただくのが宗谷岬に訪れる最大の目的であります。

毎年、この証明書とチャームをいただいていると、もう途中で止めることが出来なくなります。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稚内 到着 港のゆ 北防波堤ドーム 9月3日 2014年

2015-02-26 | Weblog
名寄駅を出発して2時間半くらいで稚内に到着。

「ホテル美雪」さんにチェックインする前にお楽しみの温泉です。

昨年と同じように本年も稚内副港市場2F 「港のゆ」で入浴することにします。

昨年の稚内「港のゆ」の記事はこちらから。

そうか…やっていることは昨年とほとんど変わらないなぁ~

露天風呂に浸かりながら風に乗って聞こえてくる船舶の航行する音やカモメの鳴き声を聞きます。

いかにも港町の温泉という雰囲気に心の緊張が解されてゆきます。

「はぁ~これで風呂上りに中生飲めたら最高なんだけど…」

やっぱし去年と同じことを考えている…



「ホテル美雪」さんにチェックインし荷物を降ろして、缶ビール1本(*一番搾りですよ)を飲んでからカメラを1台だけ持って散歩に出かけます。

昨年は結構真剣に三脚なんかを担いで夜景撮影に出かけましたが、今回は「もういいや…」と、身軽に散策です。

昨年の「稚内港北防波堤ドーム」の記事はこちらから。


防波堤ドームのプレートは写真のように新製されていました。

思っていたのとは異なりちょっと地味です。

SLのナンバープレートみたいに真鍮で作られて、金色に磨き上げられているかと思っていたのですが…




いつものようにC55 49号機の動輪などを鑑賞します。

錆びさびの外観は相変わらずです。



稚内にきて彼らに会うと本当にホッとします。

何ともいえない優しい表情がたまりません。




「PL72 巡視船 れぶん 」は ここ稚内がホームなのでしょうね。

平成25年6月25日進水、平成26年1月30日に就役した新造船です。

ピカピカですね。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名寄駅 深名線 9月3日 2014年

2015-02-25 | Weblog
深名線終着駅「名寄駅」にやってきました。

道央の交通の要衝であった名寄駅は「深名線」をはじめ、「宗谷本線」「名寄本線」、企業の専用線等がジョイントする一大ターミナル駅でありました。

そして「深名線」、「名寄本線」はそれぞれその役目を終え廃止となり、今では「宗谷本線」だけが稚内へと走る「通過駅」となってしまいました。

駅正面は往時の栄光と威厳を示すかのような堂々たる構えです。

大屋根には「ドーマー窓」風の時計塔とその下の付け庇には対称に「破風」のような装飾が施されています。

列車が到着したようですが、駅舎から出てくる人はお年寄りが数人とまばらです。



「破風?」には懸魚(げきょ)ではなくて「名寄駅」の駅名標が掲げられています。

歴史の重みを感じさせる書体です。

その奥にはメダリオンのような装飾が見えていますから、この駅名標は、後にここに掲げられたものではないでしょうか。



ホームにはキハ54形気動車が停車しています。

この車両には学生さんなど大勢の若人が乗車していました。

自身が歳をとったせいもあるのでしょうが、こうした光景を見ると「清々しい」気分になります。



キハ54形気動車とその向こうには、大好きなキハ40形気動車が停車しています。

私はこの北海道カラーのキハ40形が大好きです。




ホームから見ますと、路盤の隣にはやはりバラストが残る路盤と思しき跡を見ることが出来ます。



1番線終端部から稚内方面を見ます。

やはり路盤跡とホームを見ることが出来ます。

こちらは、貨物駅“名寄オフレールステーション”になっていますが、その前は貨物駅として列車が入線していた跡なのでしょう。

現在は貨物の取り扱いは、そのコンテナの山を見ても分かるように、鉄道ではなくトラックで搬出を行っているようです。

なるほど…「オフ・レールステーション」ってそういう意味なのですね。




「“深名線”の遺構など現在残っているものはありますか?」などと駅員さんに尋ねました。

しかし、「撤去されて今は何も残っていない」…とのことでした。

最初は、「ここが深名線のホーム跡かなぁ?」などと想像したのですが、前記のようにこちらは貨物線のホーム跡です。




旧深名線ホームは、このホームを深川方面に歩いた先にあったのではないでしょうか。




Wiki に掲載されていた国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)です。

1977年名寄駅周辺の画像ですが、名寄本線や深名線、宗谷本線のそれぞれの位置関係がはっきりと分かります。

名寄駅構内はかなり規模の大きな施設なのが分かります。

転車台や機関庫もはっきりと写っています。

駅周辺は整然と区画され繁華な街並みが広がり、多くの人々の生活がそこにあったことが偲ばれます。

ブルーの矢印…野球場のスタンド裏になりますが、この辺りが現在「キマロキ編成」が展示されている場所になるのでは…と思います。

先の「深名線ホーム」の場所も、この写真から「やっぱりあの場所かぁ~」と理解することが出来ます。




駅構内とホームを鑑賞して、再び駅前ロータリーから入場券と駅舎を撮影します。

これで「深名線廃線跡巡り 2014年」は取り敢えず終了!です。

さて…あとは日本海を横目で眺めながら「日本海オロロン・ライン」を稚内へ走るだけです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名寄市 北国博物館 9月3日 2014年

2015-02-25 | Weblog
天塩弥生駅跡からは一気に名寄駅まで行こうとしたのですが…

「待てよ…あそこに寄って行こう」と、名寄市北国博物館に立ち寄りました。

こちらは、SL観賞超初心者のころに訪れています。

この頃はD51だけで精一杯、「キマロキ編成…何のこと?」状態でした。

あれから早いものでもう3年の歳月が流れました。

SLの知識はそれなりに蓄積されたと思いますが、そこからどんどん「鉄道」への興味が広がり、今はこうして「廃線巡り」に目覚めてしまったわけです。

2011年9月 北国博物館の記事はこちらから。



キマロキ編成の絵柄はあの時と少しも変わりません。



「キマロキ編成」の説明パネルは、「本文?」の下に、新しいパネル「移設展示保存」が付け加えられています。(2011年度の写真と比べてみて下さい)

名寄本線の廃止に伴い名寄市がその用地の一部を取得し公園の一部として、「キマロキ編成」が当初展示されていた位置からこの場所へと移設した経緯が記されています。





キマロキ編成の先頭車両“59601号機”はこの時もヘッドライトが点灯されています。

いかにもな雰囲気で良いですね。

SLの写真は2011年のページに沢山アップしてありますから、そちらを参照してください。



「天塩弥生」の駅名標が展示されています。

当時はなぜここに「天塩弥生」の駅名標が展示されているのか、その訳すら知りませんでした。



このパネルは今回、初めて見ます。

それにしても、随分生々しいパネルですね。

実機と見紛うような出来栄えです。



名寄駅と北国博物館の位置関係は図のように、赤矢印が北国博物館の位置となります。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天塩弥生駅跡 深名線 9月3日 2014年

2015-02-24 | Weblog
朱鞠内湖の湖面に汚れた心を洗われ、名寄を目指して走り始めます。

朱鞠内湖を回遊する道道のルートではなく、国道をイージーに走るルートを選択します。

朱鞠内から名寄に掛けては深名線の遺構はほとんど残されていないということでしたので、「ならば…」と、ショートカットです。

やはりこのあたり、初心者というか、生粋の廃線マニアの方々とは決定的に異なる部分ですね。

目に見える“遺構”が無いと飽きちゃう、という…。

先にも書きましたが、本日は稚内で宿泊の予定です。

気分はもう…温泉とビールがチラついています。

国道を走っているとJRバス「天塩弥生」の停留所が目に入りました。

オデ君を路肩…というか停留所のスペースに駐車します。

写真進行方向が名寄方面となります。

北海道を走っていていつも感じるのですが、センターラインやサイドラインの「定規で引いたよう」な直線の綺麗さ加減です。

道内の“直線道路”というのが観光ガイドブックなどに良く紹介されています。

最初はその道路を求めて走り回りましたが、次第に馴れて飽きてきます。

しかし、その“ライン”の綺麗さには未だに感動します。



振り返って朱鞠内湖方面を見ます。

画面左側の道路を入ると「天塩弥生駅跡地」になります。

すでに鉄道遺構はすっかり撤去され草が生い茂る更地となっています。

「何も見るべきところは無いな…」と、その時は特に興味は持ちませんが今思うとそのような姿勢は廃線巡りをする上では「深名線」に対して失礼なのでは…と、思うようになりました。

次回はもう少し真剣に「深名線」の栄光と地域の貢献に対して敬意を払いつつ観賞させていただこうと気持ちを改めました。



深名線廃止後、JRバスの代替輸送が開始されました。

深名線廃止受け入れの条件として自治体がJRに対して提示したのがJRによるバス代替輸送です。

プレハブ作りの小さな待合所がそこにあります。




待合所中の壁には運行時刻表が添付されています。

一日6便の運行のようです。

7時と17時は学生さんの通学のための運行なのでしょうね。

オジサンが学生だったころ、16歳からクルマの運転が出来ました。

“軽限定免許”ですけれど…しかもその当時の軽は“360㏄”、遊園地の乗り物みたいに可愛らしいものでした…

ですので、「おクルマ通学」していたクラスメートがいました。

今の子供たちは16歳ではバイクの免許しか取得できません。

冬の北海道はバイク通学は無理でしょうね。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朱鞠内湖 深名線 9月3日 2014年

2015-02-20 | Weblog
朱鞠内駅跡を後に、国道275号線から道道に入って、朱鞠内湖を目指します。

複雑な形の湖面を持つ朱鞠内湖は、日本一の湛水面積を持つ人造湖として記録されているそうです。

深名線、この路線が作られた大きな目的がこの人造湖朱鞠内湖を建設するための、ダム建材の輸送とダムに水没してしまう森林資源の搬出です。

地図上に見る朱鞠内湖の汀線は、それが人口に作られた湖とはとても信じられないような複雑さです。

以前観光目的で北海道を走っていた頃にも、「朱鞠内湖」というのは余りメジャーな観光スポットではなく、立ち寄った記憶はありません。

しかし、廃線「深名線」を辿る上では朱鞠内湖は絶対に外せない対象でした。

GPSで「名寄駅」をセットしてあるとしきりに「国道」へとルートを戻そうとします。

当然ですね、朱鞠内駅跡から名寄へ行こうとすれば、好き好んでこのルートを選択するはずはありません。

煩いのでGPSは黙らせて雨竜第一ダムへと走ります。

冬季はこの様な目的で迂闊に足を踏み入れるべき場所ではないと思いますが、夏の晴天のドライブは最高に気持ちが良いです。

写真は雨竜第一ダム付近の丘の上にある展望スペースです。



この時は、空色も綺麗で無風のため、湖面は鏡のようにその空を映し込んでいます。

すっかり心が汚れきってしまって「感動を忘れた」オジサンでも「美しい…」って、その心が洗われるようでしたよ。



朱鞠内駅跡との位置関係は図の矢印のようです。

赤矢印が「朱鞠内駅跡」、青矢印が雨龍第一ダムの横、オデ君を駐車している展望スペース、緑矢印は「湖畔駅跡」ですが、初心者には何もそれらしきものは確認できませんでした。



冬季の厳しい自然環境の中での朱鞠内湖の姿を想像させるものは何もありません。

透き通るような空と美しい湖面がそこにあるだけです。

細波一つありません。

しかし、このダム建設に従事した多くの方々が殉職されました。



もう一段、高い場所にある展望スペースから見る朱鞠内湖です。

先の写真は、下に見える道路から撮りました。

湖面に近いほうが、雲の映りこみも綺麗でした。



この展望スペースの敷地には、湖面を見渡すように慰霊塔が建立されています。

写真ではその大きさが表現しきれていませんが、見上げるような大きさで、過酷な環境下での殉職者の多さが偲ばれます。

深名線朱鞠内湖沿岸の工事では、この朱鞠内湖ダム建設工事と並んで過酷な難事業だったと思います。

多くの人々の労働とその犠牲によって開業した「深名線」は1995年(平成7年)9月4日、産業の衰退と人口減少、輸送手段の変遷により、鉄道としてのその役目を終え静かに消えてゆきました。



国道に戻り名寄に向かって走り始めると、「展望台」がありオデ君を止めて改めて「朱鞠内湖」を見てみます。

ちょっと障害物が多くて見晴らしはイマイチです。

先の雨龍第一ダム付近の景色の方が素敵でした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朱鞠内駅跡 深名線 9月3日 2014年

2015-02-19 | Weblog
朱鞠内駅跡は「朱鞠内コミュニティー公園」として整備され、写真のようにとてもモダンなスペースに変貌していました。

時計塔が特徴的な建物は、バス待合所として新設されたものです。

“You Tube”などに投稿されている「深名線」の動画を見ていましたので、その当時記録されている雪深い朱鞠内駅の情景といま目の前に広がる美しくクールな風景のギャップに戸惑いを感じます。



バス待合所の手前には、「幌加内駅跡」にもあった「庭石(ていせき)」に“朱鞠内コミュニティー公園”と彫られています。

「朱鞠内駅跡」とは彫られていないところが興味深いです。



「バス待合所」と表現するには立派過ぎる建物。

勿論、待合所として使われている部分もあるのでしょうが、こうして見ますと公園内の樹木や芝生の整備に使う器具類の格納場所としても使われているようです。

また地域の方々の集会などに使用するスペースもあるようでした。



駅名標と線路はバス待合所の向かい側、赤矢印のところに展示されています。

小さなスペースです。



黒十字線が朱鞠内駅があったところです。

側道を挟んだ赤矢印がバス待合所の場所です。

この側道が深名線の路盤だったのではないでしょうか。



レールと駅名標、その後方にはバス待合所。

レンズの効果でたいそう大きなスペースに見えますが、実際には先の写真のようにとても小さなスペースですよ。

枕木を見ると…木製のそれは長い風雪に耐えてきた風格を漂わせています。

先ほどから、バス待合所の写真を何カットか掲載しましたが、時計塔の時刻に気が付かれましたか?

ほとんどのカットで時刻が“12時20分”くらいを指しています。

その時はさほど意識はしていませんでしたが、あれだけの範囲を移動しながら撮影したのに「5分」も掛かっていないとは…

まさか、時計塔の時計は止まっていたのかな?



ちょっと引いてみるとこの様な風景にもなります。

1977年の航空写真による朱鞠内駅周辺の情景は、バス待合所がある辺りから後方には広大なストックヤードが広がり森林資源が大量に積まれています。

当時の深名線は旅客輸送よりもこの様に森林資源の積み出しに重要な役割を担っていたことが分かります。



バス待合所の内部です。

建物の中央に通路が設けられ、天井まで吹き抜けるような高さで、明るく清潔な印象です。

その両側には、休憩室やトイレなどの部屋が設けられています。

通路には、今では都内でもあまり見掛けなくなった「グリ電」が置かれています。



バス待合所から離れた場所には、写真のような遊具も設置されています。

その周りの草の勢いを見ますと、子供たちが大勢遊んでいるようには見えません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

添牛内駅跡 深名線 9月3日 2014年

2015-02-18 | Weblog
青空に映える屋根の赤さが印象的な添牛内駅跡です。

「添牛内駅」、とても不思議な響きの駅名はアイヌ語の「ソSo・ウシUs・ナイNai」→「滝・多い・川」(北海道新聞社 北海道 地名 分類 字典 より)の音に漢字を当てはめたものです。

北海道の名称でとても多い例で、「神居古潭(カムイコタン)」のように、アイヌ語と漢字の表現が“ナイス・ショット”な例もありますが、「添牛内」はその漢字の構成からは全く意味が想像できない不思議な例でもあります。

添牛内駅舎跡は国道から20mほど入ったところにありました。

駅前のアスファルトには色の異なる丸い跡を見ることが出来ます。

やはり、政和駅のタワーのようなモニュメントがあったのでしょうか?

ネット上にアップされていないか探しましたが、「これだ!」というような写真は見つかりませんでした。

屋根の色は今のような鮮やかな色ではなくて、「ミント・グリーン」の彩度を落としていったというか…カラーピッカーのRGB座標で言うと、R:177  G:190  B:198  辺りでしょうか…

壁の下見板張りもこの様な色調でペイントされていたようです。



壁の板張りは、上部が“横張り” 下部が“縦張り”となっています。

ペイントが剥がれて下地が出てしまっていますが、まだペイントが残っている部分を見ますと、確かに「ミント・グリーン」のくすんだ色に見えます。

ちなみに「国鉄制定色一覧」では“淡色1号”という塗り色が駅舎に塗られていた塗料に近いようです。

座標は R:158  G:174  B:156  ですから割と似ていると言えるでしょう。

勿論、風雨や紫外線に曝されて色調の劣化はあったでしょうから、塗装したばかりの色とは異なっているとは思います。

さて…いつものように作法に則って観賞を始めますが…

雑草と障害物が多くて気分が滅入ります。

通り抜けられるかな…?

正面から見て右側の妻の部分はパネル材などが立てかけられていて、壁の状況は見ることが出来ませんでした。



ごそごそしながら、ようやくホーム側に出てきました。

やはり雑草の勢いが相当で歩きづらいです。

壁面には鉄道関連のスイッチボックスと思しき機材が残されています。

ベニヤ板が3枚横に貼り付けられていてその上には蛍光灯の残骸みたいなのが残されています。

おそらくここが駅舎からホームへの出入り口であったと思います。

軒先を見上げると、規則正しい間隔の切り込み痕が確認できます。

ホーム側の付け庇を撤去した痕なのではないでしょうか?

右側を見ると人の歩いた跡が確認できます。

たまに訪れる人が居るようです。



気分は進みませんが、ブッシュの中へ顔を出して「ホームの縁石」を確認しました。



路盤がある辺りはこの様な状態です。

さすがにこれ以上中に分け入る気分にはなれません。

今度来る時にはBd-1ではなくて、「長靴を積んでこよう」と思ったのはこんな時でした。

長靴より、ウエーダーの方が良さそうですかね…



この辺りは雑草も少なく人の出入りがあるような雰囲気です。



ベニヤパネルが取り外されていてアルミサッシのガラス窓があります。

中にはカーテンがあり誰か住んでいるのでしょうか…




こちらの妻側の方が通り抜けは容易です。

人が通った跡があります。



写真に“普通に写ってしまう”ほどデッカイ蜘蛛です。

捕食の対象生物がかなり豊富なのでしょうね。

うっかり“ネット”に引っかからないように慎重に通り抜けます。



妻側上部は例によって 「ハーフティンバー(half timbering)真壁」の仕上げ、その下は「下見板張り横張り」になっています。

中央部も同じ仕様の横張りですが、なんとなく左右の板張りとは仕上げが違うような(後から取って付けたような)気がします。

多分、ここは「窓」か「出入り口」があった名残なのではないでしょうか…

画面左側…さっきの蜘蛛が写っていますよ。

デカイです!



駅前に戻ってきました。

この写真からは人が住んでいる雰囲気が窺い知れます。

赤矢印部を見て頂くと、今ではすっかり珍しくはなりましたが電話の“4号加入者用保安器”が見えます。

しかし、携帯電話がすっかり普及した今日では“家電(いえでん)”はあまり必要がないようで電話の引込み線は確認できませんでした。

空を見上げると“電力線”が建物の妻部に引き込まれているのが確認できます。

そして壁面には“電力量計”が取り付けられています。

これって、人が住んでいる気配としてはかなり濃厚なのではないでしょうか?

廃屋には必要の無い設備ですものね。



赤い屋根が青空と見事なコントラストの駅舎正面に戻りました。

屋根の赤さが相当インパクトあります。



駅前のスペースから国道を見ます。

左側が「朱鞠内方面」右側が「深川方面」となります。



もう一度振り返って「添牛内駅舎」を見ます。

この駅舎を見ると…なぜか童話の「赤ずきんちゃん」を思い出しました。

屋根の赤さがかなり印象的なせいでしょうか…

「赤ずきんちゃん的添牛内駅跡」…思考が結構短絡的なオジサンでありました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政和駅跡 深名線 9月3日 2014年

2015-02-17 | Weblog
「第三雨龍川橋梁」から駅跡の遺構はほとんど残っていないという「政和温泉駅跡」はすっ飛ばして、駅舎がまだ残っている「政和駅跡」へとやってきました。

結局、美味しいところだけの摘み食い状態です。

政和駅はその所在地が“雨竜郡幌加内町字政和第二”にあることから命名されたようです。

2010年頃までは「食堂」として夏季限定で営業をしていた名残を駅舎に掲げられたプレートに見ることができます。

プレートには「275 REST 飯処 せいわ」と書かれています。

空き家、物置、食堂 と利用者の変遷を経て、今は元の「空き家」に戻ってしまっているようです。(*真夏なのに営業していませんから…)

駅舎前のアスファルトに見える方形の穴は、「幌加内町開基七十周年」の記念塔を撤去した跡だと思います。

2013年の9月に留萌から「政和駅跡」を目指して走りましたが、途中道路の通行止めで断念した記憶があります。



駅入り口から国道275号線を左に見ると、深川方面となります。

黄色いコンクリート塀は北海道でよく見かける…というか北海道限定のガソリン・スタンドの跡地のようです。

そのマークは東京近郊に店舗を展開するスーパーのマークによく似ています。



右手を見ると、朱鞠内、名寄方面となります。



そして、国道入り口から見た「政和駅」です。

右手に見える「石造り」の倉庫と比べると、随分可愛らしい駅舎です。

しかし、現役時は2面2線のホームと貨物の側線を持つ列車交換可能な駅であったそうです。



もう一度、駅舎を正面から見てみます。

ここが「食事処」として営業していたのもそんなに遠い昔ではありません。



入り口には「只今 冬季休業中」とペンキ書きされたベニヤ板が立てかけられています。

勿論、今は「冬季」ではなく思い切り「夏」ではあります。

建物右横には「ネオンサイン」みたいなものが取り付けられています。



いつもの作法に則り、切妻部を見ます。

壁の上部は「ハーフティンバー(half timbering)真壁」となっていて、下部は新建材風パネル貼りとなっています。

おそらくここはオリジナルではないでしょう。

このパネルの下は、「下見板張り」 ではないでしょうか。



ホーム側を見ます。

庇の当たりはパネルで完全に塞がれていて、往時の「駅ホーム」の雰囲気はありません。

夏草の勢いも相当です。

何より不自然?に見えるのが、庇部です。

本来ならホームへの出入りのためここは“オープン・テラス”みたいな状態の筈です。

それが…パネルが貼られて「窓」まであります。

食堂を運営する上で改装し、部屋の一部にでもしたのでしょうか…

北海道新聞社刊「北海道の鉄道廃線跡」の“思い出の廃線駅 深名線”のページに「政和駅」の写真も掲載されているのですが、残念ながら正面の写真であってホーム側の写真はありませんでした。

ネットにアップされている写真を見ました。

やはり、オリジナルはこうした駅独特の庇構造のようでした。

駅写真はこちらから。



路盤があっただろう辺りに立ってみます。

こちらは「深川方面」です。

向こうに見える建物は、「政和コミュニティーセンター」です。

社会教育センターとして運営されています。

所在地は、「政和駅跡」と同じ“雨竜郡幌加内町字政和第二”となっていました。



ホーム前面辺りの風景です。

かなり深い草に覆われていて、危険動物にビビッているオジサンはこの先には進めません。



こちら側が「朱鞠内」そして名寄方面になります。

路盤はあの先に見えている林の「切れ目」に向かって伸びているようです。



路盤跡からホーム、駅舎を見ます。

屋根や庇は損傷を受けているようには見えませんが、とにかく夏草の勢いが凄いです。

先の「鷹泊駅」や「沼牛駅」の除草作業がいかに精力的に行われているか、納得です。

放置しておくとこうなってしまうのですね。



やはりこちらの妻側も改築されたようです。

食堂のトイレとして使われていたようですね。

壁の上部は「ハーフティンバー(half timbering)真壁」となっていて、かなり良い状態であります。

営業当時はそれはお洒落な外観であったでしょう。



駅舎周りは雑草が生えていて、あまり手入れをされてはいないようです。



一回りして駅正面に戻り一度駅舎を見ます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第三雨龍川橋梁 深名線 9月3日 2014年

2015-02-14 | Weblog
深名線最大の遺構といわれる「第三雨龍川橋梁」

2009年 土木学会 選奨土木遺産として登録されました。

選奨理由として、吊足場式架設(cable erection method)という架設方式を採用した珍しい工法で、施行された1931年(昭和6年)北海道では初めての例だそうです。

この吊足場式架設(cable erection method)というのは、桁下が谷間や流水部など通常工法での架設が困難で、鉄塔とアンカーブロックが設置できる場合に採用される工法だそうです。

鉄塔から渡されたケーブルにケーブルクレーンを設置し、そのクレーンで部材を吊ながら架設していく方法です。

詳細は日本橋梁協会のホームを参照してください。




大変貴重な遺構なので、見逃さないようしなければ…などと思いチラチラと横目で見ながら走ります。

しかし、そのようなことなどしなくても「第三雨龍川橋梁」は、いきなり視界に飛び込んできました。

付近には「森と湖の里ほろかない」という道の駅があります。

こちらには宿泊施設もあり泊まってみたい気持ちはあるのですが…距離的にちょっと中途半端というか深川から近すぎるというか…

なんといっても、本日の宿泊予定は「稚内」であります。

深名線の観賞を名寄までして、そこから「稚内」まで行っちゃおう…というペースです。

しかも「稚内」には明るいうち(4時頃)までに到着しようとしています。

普通の“距離感”ではないのは承知しています。



オデ君を駐車スペースに残して、カメラを襷がけにして国道を引き返します。

歩道スペースが狭くて大型トラックなどが通行する度にビビリます。



国道からゆっくりと「第三雨龍川橋梁」を観賞します。

欲を言えば…流れる雨龍川の水色が澄んだ清流であればもっと素敵でしょう。



メンテナンスが行き届いていて、盛夏の樹木の緑にも負けない鮮やかさです。



国道から眺める「第三雨龍川橋梁」の展示スペースとオデ君です。



ベンチやテーブルが設置されています。



廃レールを加工したと思しきフレームには「贈呈 東京幌加内会」と記されています。

この第三雨龍川橋梁もこうしたボランティア団体の方々の活動によって支えられています。

活動の様子を記述したブログはこちらから。

冬の積雪から橋梁を守る為にこうした活動をされています。

保存会の方々の年齢も年々上昇し、平均年齢は70代後半!だそうで、高齢化問題が深刻のようです。

*私もこうした活動に参加したいのは山々なのですが、肩の靭帯を完全断裂してしまってからは、ビールの大ジョッキも上げられないような状態なので、参加してもお邪魔になるだけです。



手作り感満点の説明パネル。

暖かな気持ちが伝わってきます。




そのパネルの周りには鮮やかな色の花が植えられていて、白樺の幹と綺麗なコントラストをつくっています。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上幌加内駅跡 深名線 9月3日 2014年

2015-02-12 | Weblog
幌加内駅跡から3Kmほどのところに「上幌加内駅跡」はありました。

駅跡の地には、幌加内駅のそれと同じように、短いレールとホーム、それと駅名標のフレームとなぜか“停車場接近標”が展示されています。



ほんとうに短い(5mほどでしょうか?)木製のホームが残されています。

が、デッキ部?の木材は朽ち果ててそれを固定していた“釘”だけがトゲのように残っています。



駅跡の展示は、国道からは30~40mほど奥まった場所にあります。

目的のある人以外はその存在も知らずに通り過ぎてしまうでしょう。

この3点セット、駅名標、ホーム、レール の他には「上幌加内駅」についての説明パネルとかは何もありません。

画面左端にカメラを持った人の姿がありますが、こうした同好の士と会うのはとても珍しいことです。



原っぱのようなこの場所に、上幌加内駅跡はポツンと展示されています。



正面から駅跡の全景を見てみます。



国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)で1977年の上幌加内駅の位置を見てみます。

画面中央十字に交わる道路の右上三角のスペースが「上幌加内駅」のある場所です。

赤矢印で示した小さな「点」に近いようなオレンジ色が駅待合所ではないでしょうか。

ウッド・デッキのようなホームは画面からは確認することが出来ませんでした。

碁盤の目のように配置された道路や畑を斜めに通り抜けていく深名線の線路…

中央線線路が町を斜め横断していくJR神田駅の雰囲気と似ています。

線路と平行に走る線が国道ですね。




この線路の先が「雨煙別駅跡」そして朱鞠内湖へと続いていました。

さきの「同好の士」の方が「ご存知だとは思いますが…」と前置きし話してくださいました。

この線路は営業当時の路盤をそのまま残しているもので、深名線では唯一の「本物」なのだそうです。

そう言われて見てみますと、バラストが錆び色に染まっています。

これなどは現役時のバラストである証なのかも知れません。

「私は初心者ですので何も知りません。ありがとうございました。」と、お礼を申し上げました。




いつものように、向こうには相棒のオデ君が待っていてくれます。



ホーム上のデッキはすっかり無くなってしまい梁と釘だけが残されています。

すっかり錆び色に染まったフレームの下には、デッキ木材の残骸が散乱しています。

この線路の先は、深川駅を指しています。



こちら側から鑑賞しますと“停車場接近標”も裏返しで、駅跡と分かる手がかりも見えなくなってしまいます。

万字線や幌内線の駅跡にあったような失われた鉄道を偲ぶ説明パネルでもあると良さそうですが…



長閑に広がる田園風景。

この小さな鉄道記念のスペース以外、ここに鉄道があった証はありません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幌加内駅跡 深名線 9月3日 2014年

2015-02-11 | Weblog
幌加内駅跡にはこのような「庭石(ていせき)」が展示されています。

幌加内駅舎は地域の方々の集会所とバス待合所として利用されていましたが、2000年(平成12年)火災により消失してしまいました。



駅跡は整備されこのように線路路盤と駅名表が展示され往時の雰囲気を伝えています。



Wikiに掲載されていた「国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)」を見ます。

赤矢印の部分が幌加内駅舎です。

対面する相対式2面のホームも確認することができます。

駅舎とその前のロータリーからは、放射状に広がる道路に沿って街が形成されている様子を見ることが出来ます。

まるで田園調布駅前のロータリーのようです。

線路を挟んで向こう側には広大なストックヤードのような場所が見えています。




深名線が営業時には、この幌加内駅付近が街の中心だったと思うのですが、辺りを見渡しても商店らしきものは見当たりません。

歩いている人の姿も無く風が吹いてゆきます…ひゅ~ひゅ~。





レプリカらしき駅名標の向こうには、広いグラウンドらしきスペース、その向こうには体育館のような建物が見えています。



この線路の先は「上幌加内駅」へ、そして朱鞠内湖へと延びて行きました。





駐車スペースから引いて見てみます。

こうして見ると、展示スペースは意外に小さいことが分かります。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羽田空港神社 2月7日 2015年

2015-02-10 | Weblog
羽田空港第一旅客ターミナルビル1Fに羽田空港神社はあります。

東京モノレール「羽田空港第一ビル駅」で下車し「北ウイング」方面の改札を出てエスカレータで1Fに行きます。

改札のほぼ真上辺りに神社は位置します。

写真の廊下突き当りを右に曲がり10mくらい歩くと左側に神社があります。



赤矢印で示した場所が神社の入り口です。

入り口上に掲げられた「扁額」が無ければ、オフィスとは思っても、とても神社があるとは思えない雰囲気ですよ。

ほとんど訪れる人の姿もありません。



入り口に掲げられている「扁額」です。

周りの事務的な空間にはミスマッチですね。



入り口から中を覗いてみます。

これは確かに神社のような雰囲気で納得ですね。



社祠の横には「羽田空港神社」の由緒を示した看板があります。



送迎デッキに出てみますと、Lufthansa の747-400 が誘導路をタキシングしています。

「おっと、こうしちゃいらんねぇ!」とあわててカメラを用意して離陸を待ちます。

やっぱ、747-400 って独特の存在感があります。

大好きです。

東京ゲートブリッジと観覧車が背景に入る位置で離陸しておくれ…

背景の位置は素敵でしたけれど、やっぱ素人写真ですね。

全然良くないな…まだまだ修行が足りない。



大好きな「Air Do 」

夜の流し撮りに挑戦してみました。

背景には、ライトアップされたゲートブリッジか観覧車を配置したかったのですが、相手の(ひこ~き)の都合もありまして思うような配置では撮影できませんでした。

水面を航行する船の航跡がスピード感を演出してくれています、が…

1/60のスピードで流してスピード感を強調したかったのですが、200mmのレンズでのそれは素人には結構難しかったです。(ちなみにISO1000 F4です。なにかセッティングが違うのでしょうね)

とってもノイジーだし透明感も無くて下手くそ写真です。

ど~やったら透明感のあるスカッとした空気感が表現できるのでしょう…

エキスパートの方に訊けば簡単な問題なのかも知れませんが、自分で解決しなければ…

暖かくなったら、羽田に通いつめてみようかな。

この日は寒くてこれ以上、体が耐えられませんでした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沼牛駅 深名線 9月3日 2014年

2015-02-07 | Weblog
「鷹泊駅跡」から10Kmほどの地点に「沼牛駅跡」はあります。

駅は1929年(昭和4年)に開業されました。

深名線の駅の中では“新しい駅”なのではないでしょうか。

駅舎は“昭和の北海道駅スタンダード”を思わせるデザインです。

国道275号線からアクセスする沼牛駅ですが、先の鷹泊駅のように国道から直接駅前にアクセス出来ず、若干回りこまなければならず、手間取りました。



駅前は綺麗に整備されていて「打ち捨てられた感」は全くありません。

屋根の色とりどりのトタンはその都度張り替えられているようです。

「北海道の鉄道廃線跡」の写真では、「赤い鱗模様」になっております。

おそらく書籍の写真の屋根がオリジナルに近いものではと想像します。

写真右寄りの地面には、色の違う丸い部分を確認することが出来ます。

これも想像でしかありませんが、タワーのようなものが建てられていた名残ではないかと思います。

JTBブックスの「鉄道廃線跡を歩くⅦ 宮脇俊三」に紹介されている深名線の政和駅前ロータリーには立派なタワーが建っている写真が掲載されていて、とても印象深く記憶に残っています。

この書籍は著された年代が若干古いので今日の駅たちの現状とは異なります。




駅前から振り返って見ます。

左手に見えている白い壁に赤い屋根の建物が以前簡易郵便局と商店があった建物です。

国道からは、その建物の手前に見える道路からアクセスすることになります。

国道は駅舎の向こうに見える蕎麦畑のその向こうの林の後方になります。



地理院地図に国道からのアクセスを緑線で描いてみました。

国道からこの様に迂回して駅にアクセスしなければなりません。

黒の十字線が「沼牛駅」です。

駅跡の周囲に広がるのは「蕎麦畑」だそうです。

地図中に記された「東六線」とか「東八線」とかの道路名は北海道特有の命名ですね。






駅正面の入り口、引き戸は南京錠によって施錠されています。

駅内部は物置として使用されているようでした。



入り口上の赤矢印庇部には駅名標を固定していた木製基部が残されていました。



いつもの作法に則り駅舎の観賞を始めます。

庇上の屋根を見てください。

赤い鱗様の屋根を確認することが出来ます。

おそらく、今はブルーのトタンが貼られている大屋根部も、この赤い鱗様の屋根材が貼られていたものと思います。




切り妻部を観賞します。

壁の上部は「ハーフティンバー」、下部は下見板張りとなっています。

この板張りも窓部は横方向の板張りで下部は縦方向の“腰板風”板張りとなっていて、3通りの仕上げを見ることが出来ます。



ホーム側から駅舎を見ます。

駅舎とホーム側に張り出された庇を見ます。

沼牛駅は屋根のメンテナンスが良く行われているようで、庇部の損傷も見られず綺麗な状態を保っています。



駅舎、ホーム、そして路盤を見ます。

路盤のバラストが鉄道の雰囲気を残しています。

除草作業も非常に丁寧に行われているのが判ります。



ホームから駅舎を見ます。

窓や出入り口はベニヤ板で塞がれていますが、ブルーシートが置かれている辺りが、ホームへの出入り口であったと思います。

庇左端の柱には、平板が貼り付けられていますが、その大きさと形、高さから、ホーロー製の駅名標が貼られていた名残ではないでしょうか。



駅舎前には「一本足」で踏ん張る駅名標のフレームの残骸?が残されています。

もう一方は根元から折れてしまっているようです。

錆びて朽ち果てたフレームは独特の旅愁を誘うものがあります。

こちら側から庇や大屋根部を見ますと、「緑色」の屋根材で覆われているのを見ることが出来ます。



切り妻側の壁面を見ます。

以前見た写真では、出窓をベニヤ板で全面が覆われていましたが、今は写真のように一部が剥がされています。



路盤に下りてホームと駅舎を見ます。

とても綺麗に整備された路盤を見ることが出来ます。

この先、農道として使われている道と合流しているのが見えます。

画面右側、ホームの終端部は損壊が見られます。

駅舎前部辺りのホーム縁石も崩落している部分があります。



振り返って深川方面を見ます。

視界の限り路盤跡が続いているように見えます。

本格的廃線巡りマニアの方なら、この路盤跡をずっと歩いて探索するところでしょう。



もう一度、路盤から駅舎を見ます。

ホーム縁石は一部危うい状態の部分も見られます。

路盤にはかなり密にバラストが敷かれているのが分かります。



こちらから朱鞠内方面を見ます。

右側から轍が路盤に合流して農道となって利用されています。

路盤のバラストはホームの終端部で終わっているようです。



朱鞠内方面のホーム終端部です。

バラストがかなりギッチリと敷き詰められています。

路盤に敷くというより、むしろホーム基盤の補強のために敷かれているように見えます。



もう一度切妻側側面からホームと蕎麦畑と、その向こうの林は「白樺」の林でしょうか…幹が白く見えますので。



一回りして駅前広場に戻りました。

ここから見ますと、「色とりどり」の屋根材が使われているのが良く分かります。


「沼牛駅」を一言で表現するならば、「シンプル」でしょうか。(表現力が乏しくて済みません、もっと語彙が豊富だと良いのですが…)

華美に飾り付けられているわけでもなく、かと言って風雨に晒され朽ちていくのに任せている訳でもない。

「沼牛駅」の現況って、かつて深名線が現役であった頃そのままの「空気感」がそっくり残されているのでは…と、感じました。

好感度“大”な駅跡でありました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鷹泊駅 深名線 9月3日 2014年

2015-02-06 | Weblog
幌成駅や下幌成駅跡などはすっ飛ばして、鷹泊駅跡にやってきました。

鷹泊駅の名前は「深川市多度志町字鷹泊」の地名から由来しているようです。

きっとこの地域は「鷹」が多く生息していたのでしょうね…安易な推測ですが。

鷹泊駅は駅舎やホーム、路盤などが保存されていています。

廃線巡り初心者のオジサンにも大変に分かり易い目標です。




冒頭の写真、国道275からの入り口には“693”のヘキサを確認できます。

赤矢印の国道との入り口付近に標識はあります。

私のような初心者には、この「鷹泊鷹泊停車場線」という標識はとても心強いものであります。

「ふぅ~やったぁ!」なんてね。



鷹泊駅跡はこの様な佇まいでそこにありました。

先の標識から200mほど入った辺りです。

駅舎前のスペースは舗装はされていませんが広いスペースが残されています。

駅舎入り口や窓には“ベニヤ板”が貼り付けられています。

万字線や幌内線の駅たちに比べると、保存状態はあまり良いとは言えない状態です。



駅舎入り口です。

「う~ん」な状態ですが、これが今の深名線鷹泊駅の「立ち位置」であり真の姿でもあります。



工事車両が出入りしているような跡の残る駅前のスペースです。

鉄道廃線跡などに全く興味のない方が見たら、ただの壊れかけの倉庫にしか見えないかもしれません。



駅の正面、全景の佇まいを確かめてから、SL観賞のいつもの作法のように、ゆっくりと一回りしてみます。

側面には、多分暖房用の石油タンクと排気の煙突が残されています。

煙突の先端は「切りっぱなし」の状態ですが、これでよいのでしょうか?

雨がモロ入ってしまうのでは…と心配になりますが、今は使われていないのでしょうから、関係ないのかな?



駅舎ホーム側にきました。

庇の一部が損傷しています。

おそらく冬季の積雪でその重さを支えきれず傾斜してしまったのかなぁ~などと想像しました。



ホームと路盤とを見てみます。

しっかりと除草作業が行われているようで、路盤跡もはっきりと確認することが出来ます。

駅舎前のホーム部分の雑草は、草色から想像すると除草剤が散布されているのだと思います。

除草作業もとても大切だと思いますが、先の庇の補修もやってあげたいですね。



ホームから路盤に下りて深川方面を見ます。

画面右隅に見えているのは、別棟のトイレです。

広大な敷地の構内は、それが以前は交換可能な駅で貨物取り扱いも行っていた規模の大きな駅であった名残でしょう。

除草作業のあとが見て取れますが、もう雑草の“新芽?”が顔を覗かせています。

雑草って本当に生命力が強いですね!



今度は同じ位置から朱鞠内方面を見ます。

ずっと先に見える林の中へと路盤が続いているのが見えています。



路盤から駅舎ホーム側の全景を見ます。

ここから見ると庇の損傷部分がはっきりと確認することが出来ます。

大雪で積雪が繰り返されるとそのうちに倒壊してしまうのではないでしょうか…



近くに寄ってみます。

あの柱一本で辛うじて支えているようです。



この辺りはホームを補修しているのでしょうか、縁石が取り外されている部分があります。

画面右側が本来の夏草の繁茂状態だと思います。

除草作業をしていなければ、ホームや路盤はすべてこの様に夏草に覆われてしまうでしょう。



こちら側から観察すると、状態はかなり深刻なのでは…と思われます。





側壁の一部は切り取られて、内部の構造材が見えてしまっています。

補修中の状態なのでしょうか。




覗き込むと、竹材と土とで作られた土壁のうえに、断熱材のグラスウール、その上には湿度を避けるためでしょうか透明のビニール材が貼られています。



駅舎を一回り鑑賞して駅前広場にと戻ってきました。



その駅前ロータリー?部から、道道、そして国道方面を見ます。

舗装が途切れている部分が、道道「鷹泊鷹泊停車場線」と駅敷地との境界線なのでしょうね。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする