Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

松前城(福山城) 北海道旅行 2日目 8月31日 2014 -01

2014-11-28 | Weblog
石垣ファンとしては、松前まで来て「松前城」を素通りする訳にはいきません。

勿論、「北海道ファン」として松前城を訪れたことはありますが、当時は石垣の事とか城のことは知りませんでした。

松前駅跡から裏道(初めて通る道)を通って松前城に向かったので、「こんな所を通って良いのかなぁ?」と思われるような場所を抜けて駐車場に到着しました。
いつも来る時とは逆方向からです。

松前城は幕末期、江戸幕府が沿岸警備のため松前氏に命じて福山台地に築城させた日本式城郭最後の城であり、城持ち大名ではなかった松前氏悲願の城でもありました。

築城に際し、天守がロシア艦隊からの砲撃目標になり難いように、2.5m程の低石垣上に天守を築きました。

砲撃の目標になると分かりながらも天守を上げたことは松前氏にとっての城持ち大名としての思い入れの強さを偲ばせます。

幕末期に築かれたにも関わらず松前城は激しい戦闘を体験しています。

戊辰戦争の際に旧幕府の軍勢が松前城を攻撃しわずか数時間で落城してしまったそうです。

これは、松前城が海防城郭として海上からの攻撃に対して強固に設計され、半面地上からの攻撃には脆弱であったことを、土方ら攻撃方に衝かれてしまったことによります。

搦手方は敵の攻撃にはあまり注意が払われておらず、直線的でシンプルな縄張りとなっており、敵の侵入を容易にさせてしまいました。


三重三階の天守…戦禍や廃藩置県により城内の殆どの建築物が取り壊されてしまいましたが、天守や本丸施設は残されました。

しかし、その天守は1949年、松前役場の出火から飛び火し焼失してしまいました。

写真の天守は、1961年に鉄筋コンクリートで再建されたもので「松前城資料館」として公開されています。

現資料館は2011年に実施された診断で耐震基準が基準値を下回るとの結果を受け「補修工事」を行うか焼失前の木造建築の「完全復元」を行うかの選択を迫られています。

北海道で唯一の日本式城郭、そして最後の城…このような波乱万丈の歴史を生き抜いた松前城を知ると、最初「ちんまりした城だなぁ」と思った昔の第一印象が大分変わってきます。




石垣のカット・モデル?

金沢城でも石垣の種類をこうしたカット・モデルで説明していましたが、こちらは説明パネルの一枚もありませんでした。

石垣ファンであればある程度の展示趣旨も理解できるでしょうが、一般の観光客では「ただの壊れた石垣」としか写らないでしょうね。

松前城の石垣は、「緑色の石垣」が特徴です。

これは“緑色凝灰岩”という岩石を使用しているためです。

2005年、松前城の北東方面の「松前町神明の山中」で石切り場が発見されたそうです。

緑色凝灰岩は見た目も柔らかそうですが、加工が容易なため石と石との隙間をなくして積んでゆく“亀甲積み”という技法が用いられました。

また、カット・モデルからも分かるように、石垣の内部は土砂は使わず石だけで構成されています。

これは寒冷地北海道ならではの工夫で土の水分が凝固→溶解を繰り返し石垣から流れ出してしまうのを防ぐものだそうです。



搦手二ノ門跡です。

門があるのに“跡”とは…

こちらの高麗門は2000年に歴史史料を元に青森県産のヒバ材と燻し瓦を用い約6500万円の工費によって復元されたものです。



搦手二ノ門前の枡形です。

ただの矩形の敷地にしか過ぎず、鉄砲狭間の数も少数で、これでは背後から攻めてくる敵兵に対しての防御力が脆弱と言われるのも仕方がありません。



この木橋も史料に基づき復元されたものなのでしょう…



木橋を渡ったところには松前城の縄張りを示すジオラマ?が展示されています。



ジオラマの先には高麗門「天神坂門」があります。

こちらも2002年に復元されたものです。

しかし…

搦手とはいえ、この門構えでは戦では役にたちそうもありませんね。

あっという間に蹂躙されてしまうでしょう。

この辺りが松前城の生い立ちを示す所以なのだろうと思います。

海防城郭として設計された松前城は、本来想定していたロシア艦隊など海からの外敵にではなく、想定外の内敵の背後からの攻撃によって落城してしまったのです。



門の基礎付近には「天神坂門跡」のプレートがあります。



振り返って「搦手二ノ門」を見ます。

緑色の石垣が綺麗です。

中央に見える木樹は本来あったものの様には見えません。

ただの飾りのように思えます。

本来の内戦に対して設計された城ならば、これまでの城作りのノウハウを集結して絶対不落の強度を誇る城を作ることも出来た時代だと思うのですが、仮想敵が外国の艦隊であったのが不運でしたね。



緑色凝灰岩の石垣は装飾的にはその緑色が美しく加工が容易で「亀甲積み」のような技法にも適しているのですが、「加工が容易」と言うことは半面、強度的には劣るということです。

このあたりは、「搦手二ノ門」「天神坂門」の復元の際にこの石垣も築城当時の石材で復元されたのでは…と、想像するのですがすでに幾箇所に破損が見られます。



再び「搦手二ノ門」の内側から見ます。

鉄砲狭間の内側は板張りとなっているのが珍しいです。

右端に写っている「階段…武者走り?」のエッジをみると欠けてしまっている部分を見ることができます。

やはり、石材としては柔らかな石質なのでしょうね。



ここにも「搦手二ノ門跡」のプレートがあります。


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松前線 松前駅 北海道旅行 2日目 8月31日 2014年

2014-11-28 | Weblog
松前線 松前駅跡にやってきました。

駅前広場と言うか駐車スペースというか…

そこには「松前駅」の石碑が建立されています。

この石碑は、松前線松前駅の廃止によって建立されたわけではなく、現役営業路線の頃からここに存在したようです。

北海道新聞社刊の「北海道の鉄道廃線跡」の“想い出の廃線駅 松前線”に紹介されている当時の写真にも、駅舎とこの石碑が写っています。

もしこの石碑が当時から移動されていないのならば、石碑の後ろに駅舎が建っていたことになります。

そして立ち木の向こうに道路が見えていますが、そこが路盤であったようです。



駅前のスペースは舗装がされていたようですが、廃線後はメンテナンスを受けていないのでしょう、陥没している部分も見られます。




旧観光案内所と観光案内板?が残されています。

観光案内所は地元消防団の器具置き場として再利用されているみたいです。

観光案内板は…さすがに使い道は無いのでしょう。

ブランクのまま放置されています。

コンクリート製のそれは、建物と比較してもかなり大きなもので、存在感が感じられます。



庇の部分に「観光案内所」と文字跡が残されています。

消防団の器具置き場ということで、庇下には赤いライトが点灯しています。

入り口に掲げられた看板には「博多自営団器具置き場」と読めます。



観光案内所を裏側道路から眺めてみます。



松前駅記念碑の背後から海を眺めます。

松前駅で降車し駅舎を出た乗客の目に最初に映る光景がこれだったでしょうか…


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道の駅 もんじゅ 檜山郡上ノ国町 北海道旅行 2日目 8月31日 2014年

2014-11-27 | Weblog
江差駅から上ノ国駅辺りまで引き返し、追分ソーランライン228号線を松前方面に向かって走ります。

日本海沿岸部を走るルートなので綺麗な景色を堪能しながら快適なドライブが楽しめます。

道の駅 もんじゅ に立ち寄りました。

その昔…「道の駅スタンプラリー」で北海道中を走り回っていた頃に立ち寄った記憶があります。(その頃は“廃線”はもちろん、“鉄道”には全く興味がありませんでした。)

「えらくモダンな造りの道の駅だなぁ~」とその時には感じました。




コンクリート打ちっ放しの建物は、建築雑誌に載っていそうな近代的な造形でしたが、暫くぶりに対面するそれは…「歳をとったね…」という印象でした。

日本海からの風雨に何年も耐え、積雪や紫外線にも晒されてきたのですから仕方がありませんね。



日本海情報交流館・文殊の施設には「道の駅もんじゅ」と「レストラン もんじゅ」「物産販売コーナー もんじゅ」とで形成されています。



施設の前には日本海が広がり、広場には彫刻モニュメントが展示されています。

非常に複雑な造形のそれですが…芸術的センスがゼロのオジサンには、何を意図しているのか理解できませんでした…残念。(もしかして“文殊菩薩をイメージしているとか…)

「もんじゅ」は福井県敦賀市の高速増殖炉が有名?で、条件反射的に「原子炉か?」と思ってしまいますが、こちらの「もんじゅ」は、施設の前に広がる一帯の浜の旧地名を「文殊浜」といい、海上からのその浜の岩肌を眺めると「文殊菩薩」に見えたとか…上ノ国町役場のホームページに解説されていました。




先の「上ノ国駅」と「道の駅 もんじゅ」とは地図のような位置にあります。

さて…松前駅へ向かいましょう。




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まことの玉子 サントクファーム 白魚 神原商店 11月23日 2014年

2014-11-26 | Weblog

千葉のガレージの近く…飯岡漁港付近にある「サントクファーム」の直売所と白魚のお店「神原商店」にSL君とお散歩ドライブに出掛けてきました。

看板犬の「わん君」は、午前中の柔らかな陽射しにうっとり…リラックス・ポーズでお出迎えです。

毛皮を着ていてもやはり日溜りが気持ちよいのでしょうね。



いつも飾り気の無いサントク・ファームの直売所ですが、赤矢印のところ…クリスマス・デコレーションがなされていました。

2013年「まことの玉子」の記事はこちらから。

本日は、8時の開店間もない時間にお邪魔したので、まだお客さんは居ませんでした。

休日のお昼も近くなる頃には、ひっきりなしにお客さんが訪れます。

一番気に入っているのは「不揃いパック」です。(*玉子パックの写真撮るの忘れました…ちなみに今回の写真はすべて iPhone で撮影しています。)

大きさのまちまちな玉子をパックしたもので大変お買い得です。

本日はこれを4パックと玉子掛けご飯用の「タレ」を3本購入しました。

さて、次は飯岡漁港の「神原商店」へと向かいます。



飯岡漁港入り口の交差点に「神原商店」があります。

飯岡には他にも白魚を販売する店舗がありますが、やはりここのお店のが一番美味しいです。



店舗奥のスペースにSL君を駐車させていただきます。

ここならオープンのままのSL君を駐車しても安心して買い物が出来ます。



購入した「白魚(小)」パック ¥1000 です。

因みに(小)とはパックが小なのではなくて白魚のサイズが(小)ということです。



東京の自宅に戻り早速「玉子ご飯」タイムです。

サントク・ファームの玉子…相変わらず綺麗なオレンジ色の黄身(*オレンジ色だから“オレンジ身”かな…)

プリプリですよ~




よし!

準備が出来ました。

千葉で精米してきたばかりのお米を炊いて、極上の玉子と白魚をセット…日本人なら誰でも大好きな「玉子掛けご飯…“トッピングに白魚”バージョン」の出来上がりです。

美味しいですよ~


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江差線 江差駅 北海道旅行 2日目 8月31日 2014年

2014-11-25 | Weblog
江差線終着駅…江差駅です。

なんだかやけに“サッパリ”してしまった印象です。

庇上の大きな駅名標も幟やマスコットも撤去されているからですね。



駐車スペースにもオデ君と一般車両が2~3台だけ。

タクシーの姿はもうありませんでした。

地元の方と思しき方が自販機で飲料を購入しているのが唯一の人の姿でありました。

去年の「江差駅」の記事はこちらから。



駅舎前には「ありがとう江差駅」の標柱が新設されていました。

帽子が載せられています。



改札からホームへの出入り口は閉鎖されホームには立ち入ることが出来なくなっています。



フェンスの外からホームの様子を見てみます。

新設されたこのフェンス以外、昨年とは殆ど変わりが無いようです。




駅隣の会社の駐車場脇からホームを観察してみます。

本日は日曜日ですが、駅を見に来ている人は居ませんでした。




薄い夏草の向こうに、第2種車止めが残されています。



昨年はコンクリートバリアー前に“車止標識”が設置されていたのですが、こちらは撤去されていました。

誰も居ない駅…路盤の夏草を弱い風がそっと撫でていきます。

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江差線 上ノ国駅 北海道旅行 2日目 8月31日 2014年

2014-11-24 | Weblog
上ノ国駅跡にやってきました。

昨年、初めて訪れた時には「ずいぶん立派な駅だな~」と思いましたが、実はこれは商工会館の建物で、駅はその右端から入るようになっていました。

2013年の上ノ国駅の記事はこちらから。



商工会館と観光案内所が併設された施設です。

「上ノ国駅」は檜山郡上ノ国町という地域にあった江差線の駅名ですが、何とも神々しい地域名であり駅名であります。




受付の窓口には「天ノ川駅きっぷ売り場」のプレートがまだありました。

職員の方が居ましたので、声を掛け「きっぷはまだ販売しているのですか?」と訊ねましたが「完売しました」との事でした。



こちらは観光案内所のスペースのようです。

赤矢印のところが駅の待合室になっていたようでプラスティック製のベンチが見えます。

今は施錠され入室することは出来ませんでした。



商工会館の建物の横っちょからホームに出てみます。

こちらが「中須田駅」方面です。



こちらは「江差駅」方面です。

初めて見た時、江差駅の隣駅なのになぜ列車交換の施設などがあるのだろう…と思いました。

この対面する線路やホームは、鉱山から運搬されたマンガン鉱石を積載する貨物用のものだそうです。

ホーム途中に見えるコンクリートの構造物…「橋台にしては低すぎるし方向も変だし…」と思っていましたが、きっとマンガン鉱石の積み込み用のスロープだったのではないのでしょうか?

北海道が 鉱山業、林業、漁業 等で最高に輝いていた頃の一つの名残でもありますね。



駅名標が撤去されフレームだけが残されていて、地域の風景を映す額縁のようになっています。



少し傾いた“曲線標”が残されています。

TCL(Transition Curve Length):緩和曲線長
CCL(Circular Curve Length) :円曲線長   って、その時には理解するのですが一般人のオジサンには日常生活で全く馴染みの無い用語なのですぐに忘れてしまうのでした。

「曲率を表わす何かだったかなぁ~」くらいのものですよ、オジサンは…。




線路と線路の間隔がやけに広いな…と以前感じたのですが、貨物線の線路だったとは最近知りました。

右側のホームの中程を見てください。

コンクリートの構造物が見えますでしょ?

昨年訪れた時には「何だろう?…」って思っていました。



終着駅、江差駅も晴れの区域にありそうです。


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江差線 中須田駅 北海道旅行 2日目 8月31日 2014年

2014-11-20 | Weblog
五稜郭駅から70.5Km地点となる中須田駅にやってきました。

中須田駅も車掌車を再利用した通称“ダルマ駅”と呼ばれる待合所を設置した駅でした。

このスロープを上ってホームへと歩く乗客はもう居ません。

一日の乗降客数が28人、1Km圏内の人口は450人…というデータを見たことがあります。

朝夕のラッシュ時に通勤客や学生さんたちで混雑する…という経験はこの駅には無かったようです。



道道の脇には「中須田駅」の小さなプレートがあります。

カーブ標識に比べるとなんとも控えめです。



近付いて見ます。

カーブ標識との大きさの差が良く分かります。

手作り感満点のプレートです。



警報機は残されレール部分がアスファルトで埋め戻されている以外は何も変わりはありません。



ここにも「通りません!」のパネルが設置されています。



踏み切りを撤去した際の枕木でしょうか…



ホームの前のレールには薄く夏草が生えています。

少し「廃駅」の風情に染まってきています。



待合所のペイントが以前より「白っぽく」なったような気がしました。



ホームにはピンク色の花が咲いていました。

“ルピナス”とは違うのでしょうか?

バラと桜以外は殆ど花の名前は知らないオジサンでした。



廃線になって初めてこのような写真が撮れますね。

草に埋もれかけた赤錆たレールと夏草の薄い緑にラベンダー色の花がとても綺麗に見えました。




中須田駅…2013年の記事はこちらから。

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東京駅 夜景撮影失敗作 11月18日 2014年

2014-11-19 | Weblog
分かっています…こんな余分なことをやっているから北海道の記事が捗らないのです。

ある日、ふと東京駅の夜景を撮ってみたくなりました。

以前から、「新丸ビル」の7階テラスからならこのような写真が撮れそうなのが分かっていましたが、なかなか出掛けるチャンス…というか面倒で実行出来ずにおりました。

湿度が30%台の日々が続くようになってきました。

本日の日没時間は16:30位です。

少し風があって雲が少ない本日、「よし!チャンス」と、新丸ビルへ出掛けてきました。

写真は17:00頃、夜景撮影のゴールデン・タイム、“ブルー・モーメント”に撮影したものですが、何と!訳あって三脚なしの手持ち撮影になってしまいました。

本当は ISO100、f11 くらい絞り込んで背景のビルのクールでメタリックなイメージをシャープに出したかったのですが、「ぼや~」としてしまって失敗作です。

データ的には…f3.5 1/20sec ISO 1600 です。




写真は日没直後の16:40頃です。

テラスに到着して重大な障壁が発覚しました。

ここでは、三脚の使用が出来ないのでした。

三脚を広げて撮影している一団がおりましたが、彼らは「撮影許可」を取得しているプレスとかの方々のようでした。

大嫌いな三脚ではありますが、夜景撮影で「三脚なし」は有り得ません。

「ど~しよう…」です。

この写真は、まだ夜景の気分は出てきません。

光量はまだあって、スピードは1/30sec でなんとか手持ち撮影範囲です。
しかし、絞りはf3.5 って開きっぱなしでISOは1400 です。



徐々に光量が落ちてきました。

f3.5 1/25sec ISO 1600 です。

まだ何とか気合でカメラを保持していますが、そろそろ限界です。



これは「諦めた」最後の写真です。

17:12頃です。

f3.5 1/15sec ISO 2200 という数値になっています。

なんとか夜景みたいなものが写っている…というレベルです。

しかし最近のデジカメって凄いですね。

探偵さん御用達のS社の“暗視カメラ”みたいなのって、人間の目では真っ暗闇でもカメラの目では「真昼」のように写せるそうです。



この写真は…実は日曜日に地下鉄博物館へ行った帰り道にロケハンとして訪れた際のものです。

「ちはく」の帰り道で“18-200”のレンズしか持っていませんでしたので、東京駅がフレームに入りきりませんでした。

「もっと広角のレンズじゃないとダメか…」なんてね。

しかし…よくよく見るとこの位の画角の方が東京駅の存在感が強調されるみたいですね。

これで良かったみたい…結局徒労ってことでした。




新丸ビルのテラスってこんなところです。

昼間の暖かな時間帯には、多少お客さんは居ますが、冬の夜間は「かの撮影隊」と私しかいませんでしたよ。

ポールの先には「防犯カメラ」がセットされています。

さて…

公共施設はもちろんですが、観光地でも「三脚使用不可」は今後も増えていくことでしょう。

夜景撮影ファンではない私には、さほど深刻なハードルではありませんが、一つの技術的ブレーク・スルーという点では興味深いです。

現在の機材での撮影という前提ですが…

①出来るだけISO感度は控えめの100~200位にしたい… 
②絞りもf8 ~ f11 位は使いたい…
③手持ち撮影だとスピードは 1/60sec ~ 1/125sec 位は欲しい…

この相反するファクターを満たす「解」と言うのはあるのでしょうか?






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江差線 桂岡駅 北海道旅行 2日目 8月31日 2014年

2014-11-18 | Weblog
北海道ではおなじみな“ダルマ駅”の桂岡駅です。

やはり待合所の駅名標は撤去され、窓の内側からは例のオレンジ色の合板が貼り付けられています。



道道に立てられた「桂岡駅入り口」の立派な案内板。

遠くからでもはっきりと視認できます。



駅前へと続く道。

正面に待合所がポツンと見えています。



幅の狭いホームは昨年と何も変わっていないように見えます。



線路に下りて宮越駅方面を見ます。

雲が低く青空を覆っています。

薄い草の中をずっとレールは続いているように見えます。



中須田駅方面を見ます。

江差方面は晴れのエリアに入っているようで、綺麗な青空が広がっています。



路盤からホームと待合所を見ます。

おや…カーブミラーが残されています。



やはり駅名標は撤去され、フレームだけが残されています。

奥に見える建物の窓にも例のオレンジ色の合板が貼り付けられていますが、駅の付帯施設なのでしょうか…





せっかく残されたカーブミラーです。

よし! “自撮り(自分撮り)”してあげよう。

2013年の桂岡駅の記事はこちら。


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地下鉄博物館(ちはく) 葛西駅高架下 2014年11月16日

2014-11-17 | Weblog
以前から一度行ってみたいと思っていました「地下鉄博物館(ちはく)」に行ってきました。


入館すると最初に出迎えてくれる「丸の内線1号車」の301号車。

地下鉄博物館の「顔」とも言うべき存在です。

ずいぶん綺麗に展示されています。

2002年、中野車庫に保存・展示されていた車両を「地下鉄博物館」の開館に合わせて葛西の現在地まで運搬したそうです。



301号車の経歴がこのパネルに説明されています。

初めて知りました。

この車両はニューヨークの地下鉄車両がモデルとなって製作されたのですね。



環七に面したところには、ビルの定礎みたいな「地下鉄博物館」のプレートがありました。



開館して間もない時間に訪れたのですが、すでにちびっ子を連れた家族で賑わっていました。



チケットは「切符風」のものです。

多分、以前は自動改札機が稼動していたのでは…と思われますが、今はその奥で“駅員さん”が「改札鋏(かいさつきょう)」で切符を切っていました。



*鋏を入れた痕を「鋏こん」と呼ぶそうです。

こういうの、今では地方の駅でも見られないでしょうから子供達には興味深いでしょうね。



301号車の前照灯。

こってりした上質なクロームのメッキ。(冬の黒装束姿のオジサンが写っています)

ライト・バルブも時代を感じさせる今は無き「白熱灯電球」です。

生活の周りが、省エネ的事務的光源のLEDばかりに囲まれるようになると、白熱灯の暖かな光が見直されるようになるでしょうね。

なんとも長閑なデザインで見ていて“ホンワカ”した気分になります。

ボデーの赤とライトの赤がとってもマッチしていて綺麗です。

赤燈のレンズがまた素敵です。

まるで“ジェリービーンズ”みたいなポップな発色をしています。



昭和2年に開通したときの1000形車両、1001号車だそうです。

初めて見るような気がしないのは、現在銀座線で運行している1000系ラッピングカーを毎日見慣れているせいでしょうね。

そのカラーリングのモチーフになっているのが、この1001号車というわけです。




パンフレットは豊富に用意されています。



対象年齢はだいぶ低そう(小学校低学年?)ですが、オジサンのレベルではちょうど良いです。



ミュージアム・ショップではピンズ・セットを発見!

もちろん、購入してきました。

シリアル・ナンバー入りで、“3781/5555”となっていました。

5社相互直通運転開始記念だからかな?

「地下鉄博物館」当初予想していたよりも相当展示内容が豊富で大人でも十二分に楽しむことが出来ました。

入館料金¥210では申し訳ないほどに充実した展示に大満足でした。








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江差線 宮越駅 北海道旅行 2日目 8月31日 2014年

2014-11-17 | Weblog
宮越駅にも「列車は通りません」のプレートが掲げられています。

ポツンと佇む、駅名標の外された待合所は、初めてみる方にはただの「小屋」もしくは「保線小屋」に見えるほどです。



駅のすぐ脇を「天野川」が流れています。

プレートに示されているように河川名は「天野川」が正式のようです。

「天ノ川」の方がロマンチックで素敵な響きですけれどもね。



駅前の道路も、例のプレート以外は昨年と何も変わりが無いように見えます。

2013年の宮越駅の記事はこちらから。



踏切から天ノ川モニュメント方向を見てみます。

林の中の線路は、すっかりと夏草に覆われてレールは見えなくなっています。



踏切から撤去されたレールやガードなどが置かれています。



ホームの前から「桂岡駅」方面を見ます。

ホームが途切れた辺りから、夏草が押し寄せてくる様子が見て取れます。



ホームの華奢さに比べると、やけに重厚な感じの階段も昨年のままです。

この階段…どこからか余りものを持ってきて設置したよな「取って付けた感」があります。



待合所ですけれど、これまでのそれとは異なる点があります。

これまでの待合所や駅舎は、窓や入り口をオレンジ色の合板でふさがれていたのですが、宮越駅にはそれがありません。

なぜなのでしょうね?



駅名標が撤去されフレームだけが残されています。

そのフレームを通して、バイカーの方の姿が見えます。

廃線、廃駅巡りをしていて、人に会うのはとても珍しい体験です。

静岡方面から走ってきたと仰っていました。

北海道の鉄道や廃線がお好きなようで、走ってきた道程やこれから訪ねる廃線などについて、しばらくお話をしました。

たまには“同好の士”と会うのも楽しいものです。



ホーム上を桂岡駅方面へ歩きます。



更にホーム端まで歩いてきました。

路盤に覆いかぶさる夏草の勢いが感じられます。

このまま放置すると、草の海に埋もれてしまいそうです。


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江差線 天ノ川駅じゃない…天ノ川モニュメント 北海道旅行 2日目 8月31日 2014年

2014-11-14 | Weblog
湯ノ岱駅と宮越駅の間に「天ノ川」という“駅じゃないモニュメント”があります。

「あわよくば、いつかは駅に昇華…」という願いは江差線が廃止されてしまい、永遠に叶わない夢となってしまいました。




昨年訪れたときには施設は立ち入り禁止になっていましたが、いまは「ホームみたいな所」にも立ち入ることが出来ます。

江差線が廃止になり、事故の可能性がなくなったことにより立ち入り禁止が解かれたらしいですが、なんとも皮肉なものですね。

江差線本来の?各駅の「駅名標」は撤去されてしまっていましたが、「モニュメント」である天ノ川駅のそれはしっかりと残されています。

JRの資産ではないのですから当然なのですが、これも皮肉な現実ですね。




勾配標が残されています。

レール同様、JRの資産なのでしょうか?

「L(Level)」の勾配標なのですが…



立入禁止が解除された「モニュメント」に上がってみました。

こうしてみると、線路との高さの差がまるで分かりません。

失敗作ってことですね。




先程の「第一天ノ川橋梁」を「天ノ川モニュメント」から眺めたところです。

あのカーブからキハ40が走って来るシーンは素敵だったかも知れませんね。







モニュメントの上から道道を見ます。

お天気は回復して来て青空が見えます。

例によって相棒のオデ君が見えていますよ。

「天ノ川駅」すごく素敵な名称です。

出来たら「北海道ちほく高原鉄道銀河線」の駅の一つに加えてあげたらもっと素敵だったと思うのですが…



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江差線 湯ノ岱駅~宮越駅間の天ノ川に架かる橋梁 北海道旅行 2日目 8月31日 2014年

2014-11-14 | Weblog
江差線で一番の撮影ポイントだそうです。

写真集や鉄道ムック本などで江差線を取り上げた記事には、必ずと言って良いほど登場する橋梁です。

湯ノ岱駅と宮越駅間の天ノ川に架かる橋梁で「第一天ノ川橋梁」というのでしょうか?…




来年は河床まで降りて橋梁の銘板か塗装の実施日などを記載したペイントを見て確認してきましょう。

一台のクルマが見えています。

ヨシ! あそこまではクルマで行けるってことですね。





雪の舞う銀世界をキハ40系列車が橋梁を渡河していく写真を見たことがあります。

すごく綺麗でした。

人気の撮影ポイントなのが分かりますね。

昨年なら、ここで列車が走るシーンを撮影できたのですが、今頃悔やんでも遅いですね。


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江差線 湯ノ岱駅 北海道旅行 2日目 8月31日 2014年

2014-11-13 | Weblog
湯ノ岱駅は駅業務を行っていた駅でした。

最初は難しい顔をしていましたが話しかけるとフレンドリーな駅員さんももう居ません。

駅舎の半分は函館バスの待合所として使われていますが、向かって右半分は例のオレンジ色のパネルで塞がれています。



道道から駅の入り口には、「湯ノ岱駅入り口」のパネルが残されています。



旧駅舎…今はバスの待合所に入ってみます。

綺麗に清掃されていて、明るい陽射しが差し込んでいます。

ベンチのレイアウトは変わりましたが、座布団は残されています。



ホーム側から旧駅舎を見てみます。

庇の下には「湯ノ岱駅」の駅名標を撤去してできた「日焼けの跡」があります。



こちらの写真は2013年の現役時の写真です。

庇の白い駅名標が見えています。

2013年湯ノ岱駅の記事はこちらから。



ホーム上から旧駅舎を見ます。

いつものことですが、右手に相棒のオデ君が写っています。

去年の写真にも同じ場所にオデ君が写っていますね。



神明駅方面を見ています。

線路は薄く夏草に覆われています。



こちらが宮越駅方面になります。



駅名標は撤去されフレームだけが残されています。

名所案内も撤去されています。

ん?…

フレームの向こうにまた相棒の「出たがりオデ君」が見えています。







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関西鉄道遺産 小野田 滋 新刊

2014-11-12 | Weblog
小野田 滋さんの新刊 「関西鉄道遺産」が「東京鉄道遺産」に続き“ブルーバックスより発刊されました。

amazonさんから“お知らせメール”があり「おっ、これは買わなくちゃ!」と早速購入しました。

北海道や関東は頻繁に出掛けますが、関西となるとなかなか鉄道遺構を訊ね歩くという機会は少なく興味深く読ませていただきました。

前作「東京鉄道遺産」に紹介されている物件?は殆どが身近で知っているものでしたが(東京都民なのだから当たり前と言えばそうですが…)「関西鉄道遺産」で紹介されているものは初めて知る物件ばかりでした。

その物件は理路整然と説明され、さすがは鉄道の専門家の書籍!と感動します。

小野田 滋さんの書籍は非常に内容が濃いのに私のような素人が読んでも理解出来、楽しむことが出来ます。

それが小野田さんのファンが多い理由の一つでしょうね。

おそらく、プロが読む土木の専門書など素人の私などは1ページも読み進めないでしょうから…

もう一つ思ったことは…レールファンに目覚めた当初は、こうした鉄道書を読んで(見ても…かな?)も「チンプンカンプン」だったのですが、最近は専門用語もそれなりに覚えてスムースに読み進める自分を発見し、「偉くなったものだ…」と感心したことです。

*小野田さんの「はじめに」の記述で1ページ中にいきなり二つも読めない字があったのがショックでありました。
「敷衍」と「妍を競う」の「姸」であります。(*姸という文字は“環境依存文字”でブラウザーでは簡略された文字に変換されてしまいます)

読書が趣味の方に聞いても、専門家の友人に聞いても、こともなげに答えた処をみると「一般常識」的なモノのようでした。

いかにオジサンは教養が無いか…ということですね。

少年の頃によく“読書をしろ”と言われましたが「少年サンデー」に夢中なオジサンは“うるせーな”くらいにしか思っていませんでした。

読書は大事ですね。


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