Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

炭鉱と鉄道館「雄鶴駅」 9月3日 2017年

2018-07-31 | Weblog
道の駅 「阿寒丹頂の里」から博物館 炭鉱と鉄道館「雄鶴駅」にやってきました。

これは毎回「お決まり」のルートとなってしまいました。

「雄鶴駅」時計塔の示す時刻は…10時55分辺りを指していますが、画像データの時刻は13時05分でありました。



オデ君を駐車スペースに残し、鉄道館裏を歩きます。

最近使用された形跡のない遊具や鉄道施設をぼんやり見ながら歩きます。



始めて訪れた時にはそれなりに真剣に観賞しました。

しかし…最近はすっかり馴染んでしまい風景を見るようです。



初めて訪れた当時のお目当てがこちら。

C11 65号機 です。

その当時は「蒸機」に機械構造としての興味があり全道の静態保存機を鑑賞して歩いていました。

「雄鶴駅」の赤屋根の反射が強烈で、蒸機の煙突や蒸機ドームにそれが写り込んでしまいます。



いかにもレプリカっぽい駅名標。

阿寒駅跡に阿寒町郷土資料館としてオープンした資料館は、ここ「丹頂の里」に移設され「炭鉱と鉄道館 雄鶴駅」としてオープンしました。

以前の記事で「古潭駅跡は想像していたよりずっと地味な印象でした。」と書いています。

なぜそう感じたのかといいますと…最初にここの蒸機を観賞し「こたん」という印象をここで刷り込まれたからなのだと思います。

本当の古潭駅跡を観賞したのは本日が初めてですからね。



蒸機の展示されているスペースはまるでローカル駅のホームのように演出されています。

ベンチが設置されて、臨場感がぐっと盛り上がっています。

赤い色写りが気になって仕方のないオジサンです。



鉄道館内は証明が落とされて結構暗く設定されています。

*単なる節電なのかも知れませんね。

初めてこの展示を見たときに薄暗闇の中のオバサンたちの姿にビビリました。

写真では明るく見えますが、実際にはかなりの暗さですよ。



当時鉄道で使用されていた用具や備品等が展示されています。



雄別鉄道の見応えのある展示

炭鉱鉄道の雰囲気がとても良く伝わってきます。



私がこの鉄道館で興味のある展示は…記事中でも使わせていただいた当時の雄別炭鉱を記録した写真です。

この写真は「雄別炭山駅 昭和45年9月」と記されています。

路盤は枕木もレールも剥がされ、駅舎も荒廃した雰囲気が写されています。



こちらは「解体進む選炭場付近」とあります。



いちばん衝撃を受けた写真です。

タイトルは「閉山後の廃墟 (総合ボイラー付近 昭和47年2月10日)」とあります。

大勢の人々の暮らしが廃墟へと変わっていく過程を捉えた写真です。

赤矢印に雄別炭鉱病院が写っています。

木造の建築物はあっという間に取り壊されてしまったのでしょう。

残ったのは解体に費用と時間が掛かるコンクリート製の建築物です。

ボイラー煙突をはじめ残されたコンクリート製建造物のお陰で、今でも阿寒町雄別の集落を偲ぶことが出来ます。

それぞれの位置関係を知るランドマークとしても重要です。



大した意味の無い写真ですが…

鉄道館エントランスからみた風景です。

薄暗い鉄道館の展示を見たあとに広がるキラキラした阿寒の風景。

何となく「ホッ」とした瞬間でありました。



オデ君が待つ駐車スペースへ引き返す途中、「温泉入口」の標識に少し後ろ髪を引かれた瞬間であります。


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雄別炭山 撤収 など 9月3日 2017年

2018-07-30 | Weblog
雄別炭山駅跡周辺、跨線橋橋脚などを観賞しました。

帰り道、炭山に居住されていた方に当時のお話を伺うなどの時間を過ごし無事に撤収です。



炭山からはだいぶ離れた現居住区周辺にもまだ炭山で働いた人々の住宅が残されています。

比較的近年の新目の集合住宅でありますが、人の住んでいる気配はまるでありません。

この辺りは現住宅地でありますから道路脇から見ている限り「怖さ指数」はほとんどゼロです。



道の駅 阿寒丹頂の里 の駐車場

駐車スペースがいつも空いていて利用しやすいので気に入っています。

こちらは農協の直売店「赤いシャッポ」という名称になっています。

以前は「赤いベレー」と言っていた気がしますが…



阿寒国際ツル・センターはこのゲートの先になります。





日曜日・祭日にはお客さんで賑わうのでしょうが…

本日は人気も無くちょっと荒れた雰囲気でした。



道の駅の案内パネルです。

ここが一応、道の駅と表示されているのですが…



実際にはこのようなレイアウトとなっています。

赤矢印が「赤いシャッポ」で農協直売所となっています。

「道の駅」とは表示されません。

現在、「道の駅」は国道を隔てた緑矢印で示した場所。

「阿寒丹頂の里 サークルハウス 赤いベレー」

「道の駅 阿寒丹頂の里」と表示されます。

どちらも「道の駅」施設の一部と考えれば良いのでしょうね。

ただ、商業活動の中心は緑矢印で示した方の「道の駅」です。

白矢印がこれから訪れる「炭鉱と鉄道館」です。






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雄別炭礦鉄道 雄別炭山駅など 9月3日 2017年

2018-07-27 | Weblog
いよいよ「雄別炭山駅」へアプローチです。

炭山駅を訪ねるのは今度で3回目です。

独特の雰囲気の鉱山跡

ビビリます。

そんなに怖ければ行かなければ良いのに…と言われるのは承知しています。

それでもやっぱり「怖い」です。*独りでは行かないほうが良いでしょう。

最初の物件はガス・スタンド廃墟です。

道路脇にあってアクセスに難はありません。*G・Sですから道路脇なのは当たり前ですね。

怖さ指数はほとんどゼロです。

雑草が生茂るシーズンでなければもっと観賞しやすい筈です。

廃墟の中で「火気厳禁」の警告表示だけが生々しいです。



林道の入り口にはゲートが設けられています。

連続降雨量が80mm で通行止めになるそうです。

本日は快晴でもちろんゲート・オープンです。



ゲート近くの川には橋梁が残されているのが見えます。



多数のボルトが立てられているのが見えます。

たぶん、枕木を固定するためのものだと想像します。

雄別鉄道橋のようです。



ダートの林道を走り始めます。



このような物件も走りながら目にします。

大きな建造物の基礎のようです。



やってきました。

怖い物件その壱であります。

初めて訪れた時には「ま、まさか病院跡?」と恐れおののきました。

今ではここが「雄別購買」という生協みたいな施設だったのは知っています。

相変わらず綺麗に除草がなされ、定期的に人の手が入っているのが分かります。

こうした処理がされていなければ、あっという間に草に埋もれてしまうでしょう。

この物件、5段階の怖さ指数でいうなら…

初めて訪れた時→4

素性を知って訪れた今回→2

といったところでしょうか。



今回はこの物件の観賞がメインではありませんので入り口付近から写真撮影して終了! です。

本当は怖がっている…

建物内部の写真は2015年の記事に詳しく書かせていただいています。

内部の状況に興味のある方はこちらを参照なさってください。

2015年の雄別購買の記事はこちらから。




この写真が「雄別購買」であった建物の特徴をよく示しています。



こちらは、「炭鉱と鉄道館」に展示されている炭山駅付近の写真で、雄別購買がよく写っています。



もう一度先の写真の赤矢印で示した部分を見てください。

この部分の特徴を先の写真に当てはめると…



矢印部分の特徴が一致します。

ただ、赤マット部分は取り壊され、現在は大きな開口部となっています。

今は原野にポツンと取り残された建造物ですが、当時の写真を見ますとその周りに多くの商店や住居がひしめく洗練された街であったのわかります。



さらに道を進むと煙突が視界に入ってきます。



残された雄別炭山の代表的ランドマークです。



この煙突が残されているお陰で、炭山操業当時の写真を見ながらそれぞれの相対位置を想像することが可能となります。

今回はこの煙突も取材対象ではなかったので近寄りませんでした。

やっぱり怖がっている…

怖さ指数…3~4



これが今回のメインの取材対象です。

「いったいなんだったのだろう?」と、気になって仕方がありませんでした。

「索道の構造物の一部なのでは?」という説も見たことがあります。



幸いこの周辺の雑草は深くありませんので、容易に近付くことが出来ます。

*ダニ(ツツガムシ)などを極度に恐れるオジサンは基本“藪漕ぎ”はいたしません!



さらに近付いて観察します。



索道というにはあまりにスパンが短すぎてそれはないでしょうね。



ここまで来て「なるほど…」ってイメージが確信に変わります。



これですね。

正面に見える四角い物体。

これ橋台ですよね。

つまり手前の物体は「橋脚」ということになります。

因みに脚は4基でした。



そこでまた「炭鉱と鉄道館」に展示されている炭山の写真を見てください。

赤矢印の部分。



拡大したのがこの写真です。

線路が見えます。

これは鉄道を渡る跨線橋ですね。

煙突からの位置関係もピッタリのようです。



さらに跨線橋の先を見ますと…赤矢印部に雄別炭鉱病院が写っています。

その左を見てゆくと、坑道入り口らしきもの、雄別炭山駅舎らしきものが写っています。

この写真を観察するととても多くのことを確認することが出来ます。



煙突を中心に見てみます。

今は何も無くなった煙突周囲には、こんなに多くの建造物、そして鉄道、列車などが写っていて驚きます。



そして多くの人々の生活がありました。

老人大国などと揶揄される今日とは異なり、若さ溢れる躍動感ある人々の姿を見ることができます。

いまこの周囲に人の生活はありません。

観賞を終え引き返す道すがら、こちらにやってくるクルマがありました。

廃駅巡りをしていて人に会うことはめったにありません。

すれ違いさま、クルマの窓を開けて挨拶しました。

お互いクルマに乗ったまま「立ち話?」をしました。

その方はこの雄別炭山に居住されていたそうです。

炭山が閉山されてから40年ぶりに懐かしい故郷にやってきたそうです。

しかし当時の何もかもが消失してしまい、まったく分からなくなってしまったそうです。

当時の写真を見る限り、その方が仰るとおり「何もかもが消失」というのはその通りです。

わずかな時間で街が無に還ってしまうなんてことが本当にあるのですね。



Google マップには雄別炭鉱煙突、そして雄別炭鉱病院跡 を確認することが出来ます。

座標も分かります。

しかし…廃線・廃駅観賞が趣味のオジサン。

廃墟マニアさんの領域に踏み込む気持ちはありません。

独りで行くには恐ろしすぎます。

いまこうして去年の記事を書いていても心臓がバクバクしてきます。

よくよくビビリーですね。

雄別炭山の歴史については、こちらのサイトを参考にさせていただきました。

雄別の歴史 サイトはこちらから。

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雄別炭礦鉄道  新雄別駅 真澄町駅跡 など 9月3日 2017年

2018-07-26 | Weblog
新雄別駅、真澄町駅跡を観賞しようとしたのですが…

古潭駅から路盤跡の道を進めばよかったのですが道道222号線から国道274号線に出てしまいました。

国道は路盤をオーバー・パスしています。

下に路盤跡が見えているのですが近付くことが出来ません。

古潭駅まで戻って路盤跡を進もうか…迷いましたが「ど~せ何もないだろうし…」とスルーを決めました。

橋の上から見た、こちらが古潭駅方面。



こちらが 新雄別駅 真澄町駅跡 方面となります。



地図にプロットするとこのような位置関係になります。

赤矢印が写真撮影位置です。

それにしても…横着者です。




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雄別炭礦鉄道 古潭駅跡 9月3日 2017年

2018-07-25 | Weblog
古潭駅跡は想像していたよりずっと地味な印象でした。

赤矢印が駅があった座標付近になります。

周辺の地名は「布伏内(ふぶしない)」といいます。

そこに所在する駅だけがなぜ古潭と名乗るのか…理由が分かりません。

コタンといえば自動的に「神居古潭駅」を思い浮かべてしまいます。

まだ廃線というジャンルには無縁で、静態保存されている蒸機を見て歩いていたときに 96、D51、C57 を観賞するために訪れたのが最初でした。

その当時、意味はよく分かりませんでしたが音の響きがすごく荘厳な印象をうけました。

当然ですよね、「神居古潭」とは“神が住むところ”という意味ですから。

2011年 神居古潭駅の記事はこちらから。

2014年 神居古潭駅の記事はこちらから。




上写真にある「布伏内郵便局」です。

集落の規模からするとなかなか立派な郵便局です。

郵便局、簡易郵便局の所在は廃線・廃駅を訪ね歩いている際にとても大きなヒントになります。

「あぁ…駅が近くにあるな」って。



空中写真の赤矢印で示した辺りになります。

何となく駅舎があったようなスペースとなっています。



これが「雄別炭礦鉄道」の路盤跡の道路でしょう。

こちらが釧路方面となります。



そしてこちらが雄別炭山方面となります。



白い建物は…赤いライトが取り付けられているところから想像すると、消防分署か消防団の車庫・倉庫だった建物でしょうか。

人口減少で消防活動も削減されてしまったのでしょう。



駅跡のスペースをもう一度見ます。

画面中央に見える「木」

北海道の駅前には樹木が植樹されることが多かったようです。

もしかしたらこの木も「駅前の木」だったのかも知れませんね。

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雄別炭礦鉄道 阿寒駅跡 9月3日 2017年

2018-07-25 | Weblog
阿寒駅跡は街のやや外れた位置にあります。

駅跡は中央公園として整備されています。

駅跡横には広大なストック・ヤードが今も残っていて、雄別鉄道駅のかつての姿を偲ばせます。



中央公園の前に立ち撮影しているのが赤矢印の位置になります。



「湿原の夢ロード」のプレートがあります。



振り返るとサイクリング・ロードが続いています。



公園脇にはサイクリング・ロードの休憩所や距離表などの案内板が設置されています。



駅は島式ホーム1面2線のほか、貨物線やストックヤードの積み込み線がある広大な構内だったようです。

想像でペイントしてみると、きっとこんな形になるのではないでしょうか。

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雄別炭礦鉄道 山花-桜田間 サイクリング・ロード 9月3日 2017年

2018-07-24 | Weblog
山花駅跡を出発し桜田駅跡を目指します。

サイクリング・ロード「湿原の夢ロード」と一般道がかなり接近してきました。

横目で見るサイクリング・ロードはとても綺麗に整備されています。



初めての体験だと思います。

なんと!「混合交通」ですと。

ここからダートの一般道と綺麗に舗装されたサイクリング・ロードが合流します。

しかし、「いいのかなぁ~これ?」

雄別炭礦鉄道路盤跡をサイクリング・ロードに転用した「湿原の夢ロード」

道幅はかなり狭いです。

オデ君が道路に進入するとチャリでもすれ違いがキツイくらいです。

もちろん、対向車が来たらどちらかがかなりバックしなければなりません。

幸い、チャリも対向車も遭遇することなく桜田駅跡まで到達することができました。

気がきではありませんでした。



サイクリング・ロードの道脇にはこうした案内標識が設置されています。

表示も綺麗で分かりやすく、サイクリストの方々も安心してサイクリングを楽しめるのではないでしょうか。

*2018年北海道旅行にはまた「dB1」をオデ君に積んでいこうかな。

釧路駅にはレンタサイクル店がありますが、ちょっと面倒かも。

オデ君で近づけなかった駅跡をサイクリング・ロードを走りながら観賞するのは魅力的です。

まだ決めかねていますが、心が揺れます。



桜田駅跡座標地点地図です。

これでは何のことか分かりませんね。



空中写真で見てみます。



地図の桜田駅跡辺りに立ち炭山駅方向を見ます。

サイクリング・ロードの桜田休憩所にはトイレなどの設備があるそうですが、ここから見渡した範囲にはそれらしき休憩所施設は見えませんでした。




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雄別炭礦鉄道 山花駅跡 9月3日 2017年

2018-07-23 | Weblog
山花駅も鉄道遺構は残されていません。

路盤はサイクリング・ロードに転用されています。

これまでの駅跡とは接近条件?が緩和され、一般道とサイクリング・ロード(路盤跡)との距離が接近しています。

写真中の駅跡マーク下に見えるのがサイクリング・ロードです。



マップにはサイクリング・ロードは掲載されていませんが…



マップにプロットすると路盤跡のサイクリング・ロードは赤ラインのようになります。



駅跡近くにあった消防団のガレージ?には「第13分団山花」の表記が見られます。



一般道路とサイクリング・ロードの間は綺麗に除草され公園のようになっています。


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雄別炭礦鉄道 北斗駅跡 9月3日 2017年

2018-07-21 | Weblog
北斗駅跡の路盤はサイクリングロードとして整備されています。

駅座標地点近くまでオデ君とやってきましたが…



サイクリング・ロード先の駅跡まで徒歩で行くことは可能ではあります。

この辺りならオデ君を路駐しても交通の障害になりそうもありません。



サイクリング・ロード入り口にはこのようなバリケードが設置され、車両の進入を阻んでいます。

ロードを歩こうかと思いました。

クマはいないようですが、距離は結構ありそうです。

*結局、面倒臭いんですよね、このオジサンは。



ちょっと横着をして、サイクリング・ロードと併走する道路から観察してみます。

夏草に遮られてあまり良く見えません。

倒壊した廃墟とレストハウスみたいなものが見えます。

駅跡とは関係無いでしょうか?

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雄別炭礦鉄道 鶴野駅跡 スルーだけど… 9月3日 2017年

2018-07-20 | Weblog
鶴野駅跡座標地点“近く”までやってきました。

Googleマップで示される「雄別鉄道鶴野駅跡」は釧路阿寒自転車道線「湿原の夢ロード」鶴野休憩所として整備されています。

駅構内島式ホーム1面2線のスペースを利用して休憩所としているようです。

地図にもその鉄道構内の構造が見て取れます。

しかし…ここで問題発生です。

地図赤矢印部分がサイクリング・ロード入り口です。

もちろん、クルマは進入できません。

オデ君を路駐して歩こうかと思いましたが…

それなりに交通量の多い道路に路駐はまずいです。



空中写真で見ていただくとこのような場所です。

周囲を見回してもクルマを安全に駐車できる場所は見当たりません。

目的の場所が見えているのに到達することが出来ない。

ある意味、ハードル高いです。

運転助手がいると助かるのですが、ないものは仕方がありません。

「仕方がないなぁ~」とスルーを決めました。

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雄別炭礦鉄道 北園駅跡 9月3日 2017年

2018-07-20 | Weblog
中園駅の次駅 北園駅跡です。



座標の示す地点近くにオデ君を停めます。

やはり鉄道遺構を連想させるようなものは何もありません。



オデ君を停車した位置から振り返って、仁々志別川方向を見ます。

路盤は川に沿って走っていました。

緑色の橋の欄干が見えている辺りが川です。

その手前に横断歩道が見えています。

路盤はおそらくその辺りになるのではないでしょうか。



「鳥取西通」という案内標識があります。

この道は新しい道路のようです。

1974~1978年の空中写真を見ますと、仁々志別川のこの位置にはまだ橋は架けられていません。

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雄別炭礦鉄道 中園駅跡 9月3日 2017年

2018-07-19 | Weblog
新釧路駅次駅が「中園駅」となります。

新釧路駅跡同様、鉄道遺構らしきものは全く見当たりません。

駅の存在を想わせるのはこの「中園通」という名称だけでしょうか。



Googoleマップを見ますと「雄別鉄道中園駅跡」と表示されます。

廃線巡りファンにこんなに優しくしていただいてよいのでしょうか?



地図に示された地点に立ちます。



路盤跡は道道113号「雄鉄線通」として利用されています。

片側2車線の非常に立派な道路です。



交差点脇横断歩道に立ち炭山方向を見ます。


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雄別炭礦鉄道 新釧路駅跡 9月3日 2017年

2018-07-18 | Weblog
釧路製作所からわずか100mほどの距離に「新釧路駅跡」があります。

「あります」といってもそれを示す鉄道遺構があるわけではありません。

あくまでも「座標地点」でしかありません。

今立っているこの十字路。

前方は釧路駅方面となります。

この道路が「雄別炭礦鉄道」の路盤だったのかも知れません。



Googleマップに雄別炭礦鉄道の路線をプロットしてみました。

ピンク色が雄別炭礦鉄道の路線です。*雄別鉄道本線?

こうすることで釧路駅から新釧路駅を経て街をループし雄別炭山に向かう路線が見えてきます。



先の釧路製作所と新釧路駅との位置関係です。

*赤矢印が釧路製作所です。

ほんとうに目と鼻の先という距離です。

もしかしたら、釧路製作所の「8722号機」が展示されていたあたりが本当に路盤だったのかも知れませんね。



振り返って釧路製作所方向を見ます。

社屋がすぐそばに見えます。



地図上の座標が示すのが赤矢印あたりです。

鉄道遺構を思わせるものは何も見つけられませんでした。


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雄別炭礦鉄道 8722号機 釧路製作所 9月3日 2017年

2018-07-17 | Weblog
朝一番でやってきたのは「釧路製作所」

そうです。

奥行臼停留所に展示されていたレール・バスを製作した会社です。

昨日は釧路駅「雄別炭礦鉄道」の路盤跡を観賞しました。

本日は、「雄別炭礦鉄道」の廃駅跡を雄別炭山まで辿ってみます。

スタートはここからです。

2014年 雄別炭礦鉄道 8722号機 の記事はこちらから。

8722号機についてはこちらの記事に詳しく書かせていただきました。



2017年9月3日 本日は日曜日です!

会社には社員の方の姿はありません。

初めてではないので来客用駐車スペースにオデ君を停めさせていただきます。

初めて来訪した際に大変良くしていただいたので「勝手知ったる…」ということです。



初めて8722号機を観賞させて頂いたときは、まだ「廃線」という世界の知識がほとんどありませんでした。

*変わった趣味だなぁ~くらいに思っていました。

ここになぜ、蒸機が展示されているのか?

なぜ「新釧路」の駅名標が展示されているのか全く分かりませんでした。



8722号機と暫くぶりの再会です。



一通り作法に則り観賞させていただきます。



しかし今回は蒸機の観賞ではありません。



8722号機の詳細につきましては2014年の記事をご覧ください。

釧路製作所の正門から100mほどの距離に雄別炭礦鉄道の「新釧路駅」がありました。

早速、新釧路駅跡へ行ってみます。


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つぶ焼き かど屋 釧路 9月2日 2017年

2018-07-12 | Weblog
一日のミッションを終え、これからお楽しみのビール・タイムです。

釧路駅の観賞を終えホテルに機材を置いてつぶ焼きのかど屋さんへ歩きます。

初めて釧路の街に訪れた時には不思議な印象を持ちました。

釧路駅からは徒歩で10分ほど離れたこの一帯がなぜこうして繁栄したのか?

古くからの街があるそのすぐそばになぜ「フィッシャーマンズ・ワーフMOO」を建設する用地が確保できたのか…?

鉄道に興味を持ち、廃線跡を訪ね歩くようになった今では、そうした疑問にも何となく答えを見つけることが出来るようになりました。

フィッシャーマンズ・ワーフMOO がある辺りに 浜釧路駅 という駅がありました。

浜釧路駅は「初代釧路駅」でしたが路線延伸に伴い駅舎は現釧路駅の場所に移転されました。

残された旧釧路駅は貨物駅となり「浜釧路駅」と改名されました。

そうした変遷をへて今の釧路の街は形成されていったのですね。

かど屋さんのあるこの栄町は旧釧路駅→浜釧路駅を中心として発展した街だったのでしょう。

釧路の街はクルマで走っているとちょっと走りにくい印象です。

道路地図を見ると街割りは矩形に整然となされているのですが、根室本線によってざっくりと斜めに遮断されているように見えます。

釧路駅正面入り口、南口を中心として街が発展しているように見えます。

反対側が北口となるのでしょうか、様相は全く異なります。

鉄道によって街の姿が分断されているように感じました。

2016年 かど屋さんの記事はこちらから。



栄町平和公園の向にある「かど屋」さん。

地味だけど味わいのある店構えです。

好きなタイプですね。

この辺りは夜の飲み屋街のようです。



のれんの向こうに店内の様子が見えます。

時間が早いのでまだ空席が目立ちます。

釧路では〆のつぶ焼きですから、当然でしょうか。



カウンター席に座り注文をお願いします。

訪れる時間帯もいつもほぼ同時刻ですし、席も同じあたりです。



メニューはこれだけです。

私には理想的です。

*レストランとかでもオーダーに迷うことはありません。

メニューの左上のでほとんどオーケーですから30秒以内に決められます。

かど屋さんでのオーダーは…

①生ビール  ②つぶ焼き  ③ラーメン  ですから10秒掛かりません。




まずは…生ビールです!

美味しそうな佇まい…

最初の一杯がたまらんですぅ



つぶ焼きが出てきました。

普段は常連のお客さんがほとんどなのでしょうが、週末土曜日はビジネスマンより観光客が多いような気がします。

女将さんは一見のお客さんを瞬時に判別し、つぶ貝の食べ方をレクチャーします。

私は一応、リピーターでありますが、一年に一度しか訪れないのでは一見さんと同じですね。

熱いのでペーパーナプキンで貝を押さえ竹串を使って取り出します。

初心者は、身が中で切れてしまうので貝が置かれている木のプレートに「コンコン」と貝を当てて身を取り出すように女将さんが教えます。

もちろん、私は常連さん並に上手に身を外すことが出来ます。



焼き場にはいつもの年配の男性の姿がありません。

女将さんに尋ねると昨年引退したそうです。

昨年の記事を見ていただくと焼き場には二人の男性がいました。

いま焼き場を担当するのはあの時のサポート役の男性です。

若手にバトンタッチしたのですね。

後継者がいて良かったです。



続いてラーメンです。

全く飾り気のないごくごく普通の正統派ラーメンです。

普通のと少し違うのは汁の色です。

かなり濃い色です。

味はおそらくつぶ貝の出汁が加えられているのでしょう。

独特の味です。



客捌きも鮮やかな女将さん。

「写真撮らせてください」とお願いしたらしっかり目線いただきました!

取材用の厳ついカメラでなくメモ用のカメラだったのが良かったのかも…

娘時代はさぞかしモテたと推察いたします。



本日は「〆」ではなく、思い切り「メインディッシュ」のつもりでしたが、満腹であります。

美味しかった!



北見を出発して釧路まで…

随分見所の多い充実した一日でした。

もちろん、ホテルに戻ってから「部屋飲み」で〆るのは言うまでもありません。



あちこち寄り道をしながらの観賞でありました。

本日の走行は 321Km でした。


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