道の駅 「阿寒丹頂の里」から博物館 炭鉱と鉄道館「雄鶴駅」にやってきました。
これは毎回「お決まり」のルートとなってしまいました。
「雄鶴駅」時計塔の示す時刻は…10時55分辺りを指していますが、画像データの時刻は13時05分でありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/06/3a227a2437eadf3d8a24ba0954767fd2.jpg)
オデ君を駐車スペースに残し、鉄道館裏を歩きます。
最近使用された形跡のない遊具や鉄道施設をぼんやり見ながら歩きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/15/89b176be05a0c134fb4f6534a8bda9a0.jpg)
始めて訪れた時にはそれなりに真剣に観賞しました。
しかし…最近はすっかり馴染んでしまい風景を見るようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/ae/fa68ceba6fe2d47e3cec309a0a07e1ee.jpg)
初めて訪れた当時のお目当てがこちら。
C11 65号機 です。
その当時は「蒸機」に機械構造としての興味があり全道の静態保存機を鑑賞して歩いていました。
「雄鶴駅」の赤屋根の反射が強烈で、蒸機の煙突や蒸機ドームにそれが写り込んでしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/e1/bafa6cced4d491a4f3dcf21df7247284.jpg)
いかにもレプリカっぽい駅名標。
阿寒駅跡に阿寒町郷土資料館としてオープンした資料館は、ここ「丹頂の里」に移設され「炭鉱と鉄道館 雄鶴駅」としてオープンしました。
以前の記事で「古潭駅跡は想像していたよりずっと地味な印象でした。」と書いています。
なぜそう感じたのかといいますと…最初にここの蒸機を観賞し「こたん」という印象をここで刷り込まれたからなのだと思います。
本当の古潭駅跡を観賞したのは本日が初めてですからね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/89/801fa9ef7fd4c4d02b704955e110b67f.jpg)
蒸機の展示されているスペースはまるでローカル駅のホームのように演出されています。
ベンチが設置されて、臨場感がぐっと盛り上がっています。
赤い色写りが気になって仕方のないオジサンです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/7a/787b60b19d1b4e87cf6668c54ec7df72.jpg)
鉄道館内は証明が落とされて結構暗く設定されています。
*単なる節電なのかも知れませんね。
初めてこの展示を見たときに薄暗闇の中のオバサンたちの姿にビビリました。
写真では明るく見えますが、実際にはかなりの暗さですよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/4e/19b511a25ff11fbc02837713a4081b28.jpg)
当時鉄道で使用されていた用具や備品等が展示されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/6e/2dd0928efbe15d97efb639f5a4528173.jpg)
雄別鉄道の見応えのある展示
炭鉱鉄道の雰囲気がとても良く伝わってきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/cf/d0b2cb85bd86ddd2a8863492669b3838.jpg)
私がこの鉄道館で興味のある展示は…記事中でも使わせていただいた当時の雄別炭鉱を記録した写真です。
この写真は「雄別炭山駅 昭和45年9月」と記されています。
路盤は枕木もレールも剥がされ、駅舎も荒廃した雰囲気が写されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ad/9cb43bb1a17aa7f9361cc214962ff544.jpg)
こちらは「解体進む選炭場付近」とあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/7e/9915b1e6dc9d1bd0ea183ce6182700c2.jpg)
いちばん衝撃を受けた写真です。
タイトルは「閉山後の廃墟 (総合ボイラー付近 昭和47年2月10日)」とあります。
大勢の人々の暮らしが廃墟へと変わっていく過程を捉えた写真です。
赤矢印に雄別炭鉱病院が写っています。
木造の建築物はあっという間に取り壊されてしまったのでしょう。
残ったのは解体に費用と時間が掛かるコンクリート製の建築物です。
ボイラー煙突をはじめ残されたコンクリート製建造物のお陰で、今でも阿寒町雄別の集落を偲ぶことが出来ます。
それぞれの位置関係を知るランドマークとしても重要です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/b6/17873af7952dfe19694d984fce84022d.jpg)
大した意味の無い写真ですが…
鉄道館エントランスからみた風景です。
薄暗い鉄道館の展示を見たあとに広がるキラキラした阿寒の風景。
何となく「ホッ」とした瞬間でありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/3d/045f23fbea1fa4649fca93605ed3a17d.jpg)
オデ君が待つ駐車スペースへ引き返す途中、「温泉入口」の標識に少し後ろ髪を引かれた瞬間であります。
これは毎回「お決まり」のルートとなってしまいました。
「雄鶴駅」時計塔の示す時刻は…10時55分辺りを指していますが、画像データの時刻は13時05分でありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/06/3a227a2437eadf3d8a24ba0954767fd2.jpg)
オデ君を駐車スペースに残し、鉄道館裏を歩きます。
最近使用された形跡のない遊具や鉄道施設をぼんやり見ながら歩きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/15/89b176be05a0c134fb4f6534a8bda9a0.jpg)
始めて訪れた時にはそれなりに真剣に観賞しました。
しかし…最近はすっかり馴染んでしまい風景を見るようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/ae/fa68ceba6fe2d47e3cec309a0a07e1ee.jpg)
初めて訪れた当時のお目当てがこちら。
C11 65号機 です。
その当時は「蒸機」に機械構造としての興味があり全道の静態保存機を鑑賞して歩いていました。
「雄鶴駅」の赤屋根の反射が強烈で、蒸機の煙突や蒸機ドームにそれが写り込んでしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/e1/bafa6cced4d491a4f3dcf21df7247284.jpg)
いかにもレプリカっぽい駅名標。
阿寒駅跡に阿寒町郷土資料館としてオープンした資料館は、ここ「丹頂の里」に移設され「炭鉱と鉄道館 雄鶴駅」としてオープンしました。
以前の記事で「古潭駅跡は想像していたよりずっと地味な印象でした。」と書いています。
なぜそう感じたのかといいますと…最初にここの蒸機を観賞し「こたん」という印象をここで刷り込まれたからなのだと思います。
本当の古潭駅跡を観賞したのは本日が初めてですからね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/89/801fa9ef7fd4c4d02b704955e110b67f.jpg)
蒸機の展示されているスペースはまるでローカル駅のホームのように演出されています。
ベンチが設置されて、臨場感がぐっと盛り上がっています。
赤い色写りが気になって仕方のないオジサンです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/7a/787b60b19d1b4e87cf6668c54ec7df72.jpg)
鉄道館内は証明が落とされて結構暗く設定されています。
*単なる節電なのかも知れませんね。
初めてこの展示を見たときに薄暗闇の中のオバサンたちの姿にビビリました。
写真では明るく見えますが、実際にはかなりの暗さですよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/4e/19b511a25ff11fbc02837713a4081b28.jpg)
当時鉄道で使用されていた用具や備品等が展示されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/6e/2dd0928efbe15d97efb639f5a4528173.jpg)
雄別鉄道の見応えのある展示
炭鉱鉄道の雰囲気がとても良く伝わってきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/cf/d0b2cb85bd86ddd2a8863492669b3838.jpg)
私がこの鉄道館で興味のある展示は…記事中でも使わせていただいた当時の雄別炭鉱を記録した写真です。
この写真は「雄別炭山駅 昭和45年9月」と記されています。
路盤は枕木もレールも剥がされ、駅舎も荒廃した雰囲気が写されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ad/9cb43bb1a17aa7f9361cc214962ff544.jpg)
こちらは「解体進む選炭場付近」とあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/7e/9915b1e6dc9d1bd0ea183ce6182700c2.jpg)
いちばん衝撃を受けた写真です。
タイトルは「閉山後の廃墟 (総合ボイラー付近 昭和47年2月10日)」とあります。
大勢の人々の暮らしが廃墟へと変わっていく過程を捉えた写真です。
赤矢印に雄別炭鉱病院が写っています。
木造の建築物はあっという間に取り壊されてしまったのでしょう。
残ったのは解体に費用と時間が掛かるコンクリート製の建築物です。
ボイラー煙突をはじめ残されたコンクリート製建造物のお陰で、今でも阿寒町雄別の集落を偲ぶことが出来ます。
それぞれの位置関係を知るランドマークとしても重要です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/b6/17873af7952dfe19694d984fce84022d.jpg)
大した意味の無い写真ですが…
鉄道館エントランスからみた風景です。
薄暗い鉄道館の展示を見たあとに広がるキラキラした阿寒の風景。
何となく「ホッ」とした瞬間でありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/3d/045f23fbea1fa4649fca93605ed3a17d.jpg)
オデ君が待つ駐車スペースへ引き返す途中、「温泉入口」の標識に少し後ろ髪を引かれた瞬間であります。