Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

「北の40」記念入場券 北見→帯広 8月30日 2020年

2020-08-30 | Weblog
本日のスタートは「摩周駅」からです。

昨日からの雨は今日も降り続いています。

時間の余裕から観光案内の方に話しかけます。

待合室横にある「飲用温泉」が止まっていました。

その訳を尋ねると「新型コロナ対策」だそうです。

また、摩周湖の観光について尋ねた際、今はマイカー規制はなく第一展望台まで行けると教えていただきました。

マイカー規制が行われていたのはもう10年以上前のことだそうです。

「年配のお客さんはいまだにマイカー規制が行われていると思っている方が多い」との話でした。

「そうか…もう10年以上摩周湖には立ち寄っていないのか…」

ならば…と、摩周湖に行ってみることにしました。



摩周湖第一展望台はこんな天気でもそれなりの観光客が来ていました。

風が強く吹き「8月とは思えない寒さだね…」などと話している人がいました。

確かに指の先が少し痺れるような気温です。



駐車場入り口で「硫黄山駐車場」のサービス券を頂きました。

「割引券」なら行かないところですが「無料券」なので立ち寄ってみました。

駐車場は硫黄の香りで満ちています。

この匂いは嫌いではありません。



まだ時間に余裕があるので「オンネトー」にも立ち寄りました。

こちらも「摩周湖」と同じくらい久々の訪問です。

さすがにこちらは観光客の姿はカップルが1組だけでした。



本日の走行は 292Km 平均燃費は16.4Km/L でした。


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「北の40」記念入場券 稚内→北見 8月29日 2020年

2020-08-30 | Weblog
最初に立ち寄ったのは「北防波堤ドーム」の愛しき「ワンコ」です。

この子達、ほんとに癒されます。

昨日は稚内の到着が予想より遅れてしまいましたので本日朝に立ち寄りました。

朝から雨と風で、ちょっと危険な状態でした。

やはり昨日のうちに来れば良かったと後悔しました。

海色や白波が見えますか?

旅行をしていれば、こんな天気の時もあります。



次に立ち寄ったのが、2021年3月ダイヤ改正で廃止が決まった「抜海駅」です。

これまでに何度も立ち寄りました。



宗谷本線の駅はみな個性的で好きな駅ばかりです。

とりわけ「抜海駅」は最高に格好良いです。

残念でなりません。

雨降りの面会?は今回が初めてです。

最後のお別れです。



稚内に訪れる最大の目的が「安田石油店」で給油し、「最北端給油証明書」と手作りチャームを頂くことです。

風が猛烈に強くて写真を撮るのも大変です。

外で作業するスタッフさんはもっと大変ですけれど…



宗谷岬で給油し遠軽まで走りました。

そこで給油した際のレシートです。

なんと!200Km 以上走って、たったの 8.9リットル、¥924 でした!

凄いなハチ君!



北見駅前のホテルに到着です。

走行距離は 422Km 平均燃費 18.0 Km/L となっています。

一般道を1800回転くらいでずっと走り続けると、むちゃくちゃ燃費が良いです。

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「北の40」記念入場券 小樽→稚内 8月28日 2020年

2020-08-30 | Weblog
本日8月28日のスタートは「岩見沢駅」からです。



「北の40」記念入場券を購入し構内の鑑賞はスルーします。



次に「滝川駅」に到着です。!

ホームからキハ40と入場券と絡めて記念撮影。



富良野駅前には国鉄時代の駅名標が展示されています。



今回「北の40」記念入場券 ともう一つ、2021年JRダイヤ改正にて消えてゆく運命の駅を最後に鑑賞する目的があります。

本日、小樽から稚内へと取材をしながら走るのはかなりハードな行程です。

本来ならば「名寄」あたりで一泊するのが楽なのですが…

「北の40」記念入場券 が8月31日で終了!と思い込んでいたのがハード・スケジュールの元でした。

しかし、親切な駅員さんが…新型コロナウイルスの影響でチケットが全然販売できず今年いっぱいまで期間延長になったと教えてくれました。

「早く教えてよぉ~」ですが、きちんと状況を調べなかった自身の責任です。



「北の40」記念入場券 の北限、名寄駅です。

ここからは、宗谷本線の廃止決定駅を観賞しながら稚内を目指します。



稚内には5時半頃の到着です。

走行距離は526Km 平均燃費は15.3 Km でありました。

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「北の40」記念入場券 函館→小樽 8月27日 2020年

2020-08-28 | Weblog
「北の40」記念入場券を求めいよいよ出発です。

新築物件「JRイン函館」に宿泊。

ロビーには「鉄の方々」が喜びそうなヘッドマークが展示されています。

JRのホテルですからもちろん「本物」なのでしょうね。



函館朝市はやはりこの度の感染症の影響で観光客の姿はほとんどありませんでした。



スタートは「七飯駅」からです。

みどりの窓口の営業時間6時50分に合わせてホテルをチェックアウト。



本日最終の駅は「苗穂駅」です。

9駅ほど回ってきました。



5時頃には朝里川温泉のホテルに到着。

本日の走行は 504Km 平均燃費は 14.6Km/L となっています。

立ち寄る駅の数は少ないのですが移動距離は長く、交通費も割と掛かりました。

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出発 北海道旅行  8月26日 2020年

2020-08-27 | Weblog
2019年の北海道旅行の記事を書いているうちに、2020年北海道旅行出発の日がやってきました。

世界中が感染症流行で大変なことになっている最中、予定通りの出発です。

「Go to Travel」も関係なく出発です。

家族や周りから「ホントに行くの? よくこんな時期にマジ?」などと言われますが、自身が信じる道を進むまでです。

今回は平日の出発なので、「早朝割引」の時間に合わせて出発します。



時刻は3時22分 です。



順調に距離を稼ぎ、青森には11時頃の到着です。

いつもは「八甲田丸」の鑑賞をするところですが、さすがに毎年だと飽きてきます。

今回は「三内丸山遺跡」を初めて鑑賞することにしました。



やはりこうした文化事業は私にはハードルが高すぎます。

東京とは違い、暑いのですが湿度が低いのでしょうか…日陰ではさわやかであります。



とは言っても…やはり暑さがこたえました。

レストランでソフト・クリームを食べながら涼みます。

ソフト・クリームで体温の上昇を抑える作戦です。



かなり余裕をもってフェリーターミナルに到着です。

出航までまだ2時間以上時間があります。



フェリーは夏休み中だというのに一般利用客はかなり少ない印象でした。

商業車はそれなりの台数があったようです。

函館港には予定時刻6時に接岸、下船しました。

走行距離は 711Km 平均燃費は12.9Km/L を示しています。

東北道は意外と燃費が悪くなります。

法定速度を守って走ればこんなことは無いのでしょうが、仕方がありません。

ハチ君のミッション、6速ではなく7速ならばもっと燃費も良くなるはずなのですが、無いものは仕方がありません。

明日(8月27日)から「北の40」記念入場券を求めて北海道を走ります。

楽しみです。




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川湯温泉駅 釧網本線 8月30日 2019年

2020-08-24 | Weblog
川湯温泉駅に立ち寄るのは2度目です。

2番線ホームは夏草が生え、その向こうには側線が見えています。



川湯温泉駅はヨーロッパのリゾートを想わせる外観です。*行ったことは無いですが想像です。

赤い大屋根と壁には白樺の木を思わせるような柱が形作られています。

1階部分は腰の高さくらいまで石積みがされ、教科書通りの「ハーフティンバー様式」となっています。

開駅は昭和5年(1930年)「川湯駅」としてスタートしましたが、昭和63年(1988年)に「川湯温泉駅」と改名されました。

先の「知床斜里駅」などと同じように観光を強く意識した改名だったのでしょう。

「川湯温泉駅」近郊には「硫黄山」と呼ばれる活火山がありクルマで走っていても車内に硫黄臭が入ってくるほどです。

「硫黄山」はアイヌ語で「アトサヌプリ」とも呼ばれています。

これは「アトゥサ atusa「裸である」」と「ヌプリ nupuri 山 」に由来す。つまり「裸の山」の意味のようです。*Wiki より引用



駅前通りは立派な2車線道路です。

クルマの通行はあまりありませんでした。



駅本屋棟続きには「あし湯」があります。



この部分はトイレ棟だったのを改装したそうです。



駅本屋には「Orchard grass オーチャード・グラス」というコーヒーラウンジが入居しています。

植物に関しては全く無知ですので、念のためWikiで調べてみます。

和名を「かもがや (鴨茅)」と言い、明治時代に牧草として輸入されたそうです。



旧駅長室を改装して利用しているそうで、なんだかとても居心地の良さそうな店です。



ホーム側駅本屋前には写真のような彫刻が展示されています。

ほんのりとした「人の好さそうな」クマの彫刻です。



構内踏切を渡り2番線ホームから駅本屋を見ます。

丸太を利用した「改札ラッチ」が駅の雰囲気を引き立てています。



「緑駅」方面を見ます。

レールが緩くカーブしているのが分かります。



こちらが「美留和駅」方面で、やはりカーブが良く分かります。

「川湯温泉駅」は大きなカーブの頂点のような位置にある駅です。




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南斜里駅 釧網本線 斜里つながりで… 8月30日 2019年

2020-08-21 | Weblog
「斜里つながり」3駅目の「南斜里駅」にやってきました。

南斜里駅に立ち寄るのは初めてです。

「あれれ…」辺り一面畑が広がります。

商店はもちろん、住宅もほとんど見当たりません。

なぜここに「駅が?」と思うようなロケーションです。

2021年3月に予定されているダイヤ改正では「南斜里駅」は廃止の運命のようです。

「やっぱりなぁ~」と思いました。

*2021年ダイヤ改正では宗谷本線の13駅も廃止が決定したようです。

駅名標には時刻表が貼られています。

かなりくたびれた感じですが、黒のフォントがシャキッとしていてすごく恰好良いです。



駅前スペース?にハチ君を停車します。

ホーム階段横にはチャリが置かれています。

学生さんの利用があるのでしょうか…



踏切に立ち「清里町駅」方面を見ます。



駅前通り?かな。

辺りは畑と農業倉庫やビニール・ハウスくらいです。

定期的に駅を利用する人の気配はありません。



ここの踏切は「西2線道路踏切」という名称です。

北海道にはこのような表示をよく見かけます。

行政区画上の区切り線をそのまま名称として使用しているみたいです。

宗谷本線にも「東六線駅」(剣淵町)があります。

*残念ながら2021年ダイヤ改正で廃止が決まっています。

2018年「東六線駅」の記事はこちらから。



コンクリート製の階段を上りホームに出ます。

デッキ部分?もコンクリート製のパネルを並べたようです。



ホーム上から「中斜里駅」方面を見ます。



こちらが「清里町駅」方面となります。


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中斜里駅 釧網本線 斜里つながりで… 8月30日 2019年

2020-08-21 | Weblog
「中斜里駅」には初めて立ち寄ります。

Wikiの解説によると、開駅当初(昭和4年 1929年)は「猿澗川駅(さるまがわえき)」と名乗っていたようです。

理由は分かりませんが昭和25年 (1950年)に「中斜里駅」に改名されました。

「斜里駅」と「上斜里駅」の間なので「中斜里駅」と命名されたそうです。

大きなお世話ですが…「猿澗川駅」の方が断然格好良いと思います。



駅本屋は昭和のローカル駅の佇まいを持っています。

開駅当初からの駅舎が現在も使われているのかは分かりません。

駅正面出入口横のシャッターが昭和初期の時代と合わないような気がします。

シャッターの中はおそらく用具を格納する部屋となっているのでしょう。



振り返り、まっすぐ延びる駅前通りを見ます。

突き当りに交差するのは道道827号線です。



とても保存状態の良い端正な面立ちの駅本屋。



待合室を観賞します。

無人駅ですが窓口が残され、綺麗にデコレーションされています。

クモの巣や昆虫の死骸など全くありません。

定期的に駅のコンディションをメンテナンスしているのでしょう。

つい廃線・廃駅ファンの目線で見てしまいがちですが…立派な現役路線・現役駅ですから当然と言えばそうかも知れません。



待合室を通り抜けホーム側から駅本屋を見ます。

壁には「なかしゃり」と平仮名で駅名が表示されています。



ホームから「知床斜里駅」を見ます。



こちらが次駅「南斜里駅」となります。

どんな駅でしょう?

「南斜里駅」を目指し出発します。


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知床斜里駅 釧網本線 斜里つながりで… 8月30日 2019年

2020-08-20 | Weblog
「知床斜里駅」は何度も立ち寄るお馴染みの駅です。

北海道の静態保存蒸機を訪ね歩いていた頃から立ち寄る機会が多かった駅であります。

*「知床」繋がりで3駅の記事を書かせていただきます。

2012年知床五湖の記事はこちらから。

わがまちご当地入場券キャンペーン 知床斜里駅の記事はこちらから。

2017年知床博物館の記事はこちらから。

斜里町 59683号機の記事はこちらから。

大正時代開業当初は「斜里駅」と名乗っていました。

知床が観光地として広く認知されるのに伴い、観光における知床の玄関口である「斜里駅」を「知床斜里駅」と平成10年(1998年)に改名しました。

さらに平成17年(2005年)「知床」が世界遺産に認定されたのを機に日本中にその名前が知れ渡りました→知床?

世界遺産に認定されるのを前に改名したのはなかなかの見識であったように思います。

確かに「斜里駅」と言われても北海道民の方以外では何のことか分からないでしょう。



とてもクールな印象の「知床斜里駅」



駅前ロータリー辺りから引いてみてみますと…

「これでもか!」と言うほどのフラット・デザインです。



駅前の‟ペーブメント”

お洒落ですね。

かなりいけてるデザインなのですが…



夢を壊すようで恐縮ですが…

裏に回るとこのような仕掛けとなっています。

撮影現場の大道具…みたいな構造です。

旧駅舎に木材を張り付けたような構造となっています。

視覚的効果は絶大です。

このアイデアの稟議書を通した担当者は切れ者ですね。



駅待合室もなかなかキリッとしたクールな印象です。

列車の発着はまだ無いようで利用者の姿はありません。



駅舎には「観光案内所」が同居しています。

こちらもデザインにかなり力を入れていて、世界遺産「知床」の観光案内らしい雰囲気です。

ある程度光の量をコントロールしながら柔らかな自然光を演出しています。



今回、構内の取材はパスしました。

何度も観賞し「飽きてしまった」のが本音です。


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釧路 つぶ焼 かど屋さん 8月30日 2019年

2020-08-18 | Weblog
「釧路」と言えばもう定番「かど屋」さんの“つぶ焼”です。*私基準です。

なぜか釧路に訪れる際には雨が多いです。

昨年(2018年)の雨はすごかったです。

ホテルにチェックインする際にクルマから荷物を降ろしているだけでずぶ濡れでした。

本年も雨降りでしたがホテルから「かど屋」さんに向かう際には雨は上がっていました。

まだあまり知られていないようですが、「釧路」は北海道の中でも最も涼しい街の一つなんです。

7月~8月の最高気温の平均が21度台ということです。

連日猛暑日や真夏日が続く首都圏とは別世界です。

阿寒摩周国立公園をはじめとする豊かな自然、そして釧路港に水揚げされる豊富な海産物。

魅力いっぱいの街、釧路。

都会の暑さを逃れショート・ステイ先として注目されているみたいです。



本日のGPS軌跡です。

北見の「愛し野駅」をスタートし石北本線、釧網本線と巡り、釧路にやってきました。



釧路に立ち寄る目的は ①かど屋さんでつぶ焼をいただく。 ②湧別鉄道など廃線の取材 の順番です。

以前、9月の釧路と言えば「サンマ」の水揚げです。

新鮮なサンマの「刺身」がお目当てでありました。

サンマを刺身で食すというのは釧路で初めて体験しました。

近年はサンマの不漁で超高級魚となってしまい刺身をいただく機会もなくなりました。

かど屋さんは日曜日が定休日です。

釧路のビジネスマンの「〆」のつぶ焼を提供している関係上、日曜日定休は仕方がありません。

つぶ焼を食べたいばかりに旅行日程で釧路到着日を日曜日以外に設定しているほどです。



まずは「生」と「つぶ焼」をいただきます。

「くぅ~ 美味しい!」

観光客や一見のお客さんには女将さんやホールスタッフのお姉さんが貝の食べ方をレクチャーします。

私も初回は教えて頂きました。

一年に一回しか訪れませんが、さすがに5回目ですから…食べ方は承知しています。

左側に見える「ぺーパー・ナプキン」で貝を押さえ、右奥に見える「竹串」で貝の身を回転させながら取り出します。

初心者は途中で身が切れてしまいますが貝が乗っているまな板みたいな板の角に「コン コン」と当てて身を取り出します。



「ラーメン」もお願いしました。

濃い色のスープです。

独特のコクがあります。

つぶ焼の貝の出汁が入っているとか聞いたような気がします。

一日二食主義なのですが、これだけ食べるとかなり満腹感があります。

釧路のビジネス・パーソンは飲みの「〆」につぶ焼を食するそうですが、私には量的に「メインディッシュ」です。



「かど屋」さんのお品書き。

食べ物は「つぶ焼」と「ラーメン」のみとシンプルです。

あとは…ビールと酒、それとジュースです。



女将さんです。

「写真良いですか?」とカメラを向けるとちゃんと目線をくださいます。

接客業のお手本のような方です。

よく見ていただくと…手は休んでいません。

毎年感心するのですが、本日も「染み」一つない綺麗なエプロンでお仕事されています。

プロですね。

壁のポスター「かど屋 おかげさまで50周年!」とあります。



焼き場の職人さん。

先代の焼き場の方から代替わりしてもうすっかり存在が馴染んできました。

以前は「若手のお兄さん」って感じだったのですが…

やはりカメラを向けると、しっかりと目線をくださいます。



店舗入り口に掲げられた「行燈」

綺麗なデザインです。

見る度に感心します。



満腹満足…「かど屋」さんから歩いて帰ります。

7~8分くらいの距離です。

ハチ君は駐車場で待ってくれています。

釧路と旭川はなかなかお気に入りのホテルが見付かりません。

*個人の好みのホテルが見付からない…という意味です。

釧路はこのところ3~4年ここのホテルにしています。

釧路市役所の向かいのホテルです。

平置き駐車場が用意されているのは嬉しいのですが、収容台数が少なく5時過ぎに到着だと満車という欠点があります。

北海道では「ルートイン・ホテル」さんを利用する機会が多いです。

たいていの「ルートイン」さんの場合、平置き駐車場が用意されているのですが、釧路ルートインは機械式駐車場なので利用したことはありません。

旭川ルートインも同じ設計なのでしょう…見た目が同じですから…機械式駐車場なのでパスです。

旭川はよほど郊外のゴルフ場などに隣接したホテルを探さないと、「平置き200台以上」などの要望を満たしてくれるホテルは無いのかも知れません。




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秋田犬の里 アオガエル 8月7日 2020年

2020-08-17 | Weblog
渋谷駅ハチ公前広場に設置されていた通称「アオガエル」

東急東横線で運用されていた5000系車両 5001 を渋谷区が譲り受け、渋谷駅ハチ公広場に観光案内所として展示・運用していました。

2006年から2020年まで、ハチ公と並び待ち合わせのコンタクト・ポイントとして親しまれてきました。

「忠犬ハチ公」として親しまれてきた秋田犬のハチ公(ハチ君…うちのハチ君と同じ名前だ!)は待ち合わせ場所として絶大な知名度を誇ります。

東京人なら知らない人はいないでしょう。

青春時代には恋人や友達と一度や二度は待ち合わせをしたことがあるでしょう。

渋谷駅大規模開発に伴い、「アオガエル」の移転先を探していた渋谷区はハチ公が縁で交流のある大館市に移転先を決めました。

「秋田犬つながり」ですね。

渋谷区と大館市は防災協定を結び、渋谷区の給食には大館市のコメを使用しているそうです。(読売新聞オンラインより)

その「アオガエル」の移転先、大館市の「秋田犬の里」に行ってきました。

「アオガエル 5001」は芝生公園の一角にポツンと置かれていました。

まだ東京から輸送されたばかりで、荷解きの間もない「アオガエル君」

「あれ?こんなに渋かった?」…渋谷駅にいた頃よりボデーの艶が引けて緑色も暗く感じました。



「秋田犬の里」はすごく立派な施設です。

ここまで立派だとは予想していませんでした。

完全に見くびっていました。

すごいなぁ…秋田犬



立地も素晴らしい「大館駅前」です!

初めて訪れる方でもロストのしようがありません。



館内を飼育員さんと歩いて?いた秋田犬

「可愛いなぁ~」と見つめていたら、飼育員さんが「触っても大丈夫ですよ」と声をかけてくださいました。

「ほんとですかぁ? やったぁ!」と撫でまわしてしまいました。

ホントに可愛いワンコです。

生後1年の女の子だそうです。

「どおりでなぁ~ 撫でている感触が柔らかくて気持ち良かったし…」*オジサン丸出し

撫でているとそっと体を寄せてきてその仕草が可愛いったらありません。

やっぱ女の子っぽい。



写真なんか取るのも忘れ、すっかり虜となってしまいました。

「可愛いなぁ~」

そろそろお仕事らしいです。

外のお客さんにも巡回して愛らしい姿を披露してくるみたいです。



さすがにこんなでっかいヌイグルミは買えないし…

本物の秋田犬の方が数億倍可愛い。



秋田犬の赤ちゃんかな?

「ワン!」が可愛い。



あまりにも「可愛い 可愛い」と言っていたら「これで我慢するように」と家内が小さなぬいぐるみを買ってくれました。

片方の目が下がってしまっています。

製品としては失敗作かな。

でもそのアシンメトリー(asymmetry)なところが気に入りました。


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日高本線を巡り想うこと 「勿体ない」 8月14日 2020年

2020-08-14 | Weblog
2018年は「わがまちご当地入場券キャンペーン」で北海道現役鉄道路線を巡り、その楽しさに目覚めました。

2019年は「函館本線」に始まり「石北本線」「根室本線」そして「日高本線」の各路線各駅を訪ね歩きました。

9月2日 3日 と二日間「日高本線」各駅を観賞して歩きました。

ゆっくりと訪ね歩きたいと憧れていた路線でしたのでとても楽しい取材となりました。

その日高本線の歴史を見ますと毎年のように大雨や台風、地震などによる土砂流出など、びっくりするほど自然災害の被害を受けています。

*よくこれまで耐えてこられたなぁ~という程です。鉄道に代わる移動・輸送手段が他に確立されていない時代にはそれも仕方が無いことだったでしょう。

「日高本線」に限らず、北海道の鉄道は過酷な自然との闘いの歴史でもあります。

様似駅の車止めを見ますと、襟裳岬を延伸し広尾線「広尾駅」に結び「帯広駅」に至る、果たせなかった志を見る想いです。
*白糠線「北進駅」を思い出します。

それも度重なる自然災害と北海道だけに限らず日本全土で「少子高齢化」による鉄道利用客の減少、産業生産物運搬のトラック輸送へのシフト等々、様々な環境変化の要因が重なり今日に至っています。



2015年 低気圧による高波で路盤が流出、続いて2016年には台風による鉄道運行設備の被災、2018年には胆振東部地震による鉄道軌道の被害など、「これでもか!」と言うほどの被害を受けています。
「なぜ神様は日高本線ばかり虐めるのだろう?」などと思ってしまう程です。

被災直後から沿線自治体とJR北海道とによる復旧に向けての協議会が行われてきました。

沿線自治体ではそれぞれの立ち位置が異なり、「全線完全復旧」を求める自治体もあれば「部分的でも早期運行再開」を求める自治体、「代替バス輸送もやむなし」という意見の自治体とそれぞれのようです。



協議会での話し合いがまとまらないのは最終的には「お金」の問題でしょう。

「誰が」「どれほど」「負担するのか?」ということの話し合いでしょう。

JR北海道にしてみれば、復旧にかかる補修工事費用、安全運行に掛かるメンテナンス費用、運行費用等々、に対して日高本線全線の収益がそれを大きく上回る見込みがあるのなら直ちに復旧に着手するはずです。
が、現実はその逆のようです。
いくら投資をしても回収の見込みすら立たないのが現実でしょう。

移動・輸送手段は時代のテクノロジーによって様変わりしてきました。

これからも変化を続けて行くでしょう。

今の「日高本線」を見ていると、移動手段・輸送手段としての必要性が薄れているのだと感じます。

役目は終わったのかな…という印象です。



超遅咲きレール・ファンの私は「江差線廃線」「留萌本線 留萌駅⇔増毛駅間 廃止」「津軽海峡線 知内駅、吉岡海底駅、竜飛海底駅 廃止」そして函館本線、根室本線、石北本線などのメジャー路線の駅が次々と消えて行くのを見てきました。

時代とその地域がそれを必要としなくなった結果でしょう。

それは沿線住民の方々の日常が変化して行くことの結果でもあります。

レール・ファンからすれば鉄道が消えて行くのは寂しく悲しいものです。

しかし、その変化を止めることは出来ません。



写真は2015年から運休となり列車が来なくなった鉄道駅です。

何の予備知識もなく、これが列車が来ない鉄道駅と想像できる方はいないのではないでしょうか?

5年もの長きに亘りこの素晴らしい状態を維持している近隣住民の方々、自治体の担当者様、JR北海道の方々の努力があってこその現実だと思います。

「日高本線」は廃線ではありません。

北海道の廃線を訪ね歩き、鉄道が来なくなった地域がどのように変化してきたのか見てきました。

道路があるのと鉄道が繋がっているのとではその意味合いは全く異なります。

これまで「日高本線」が廃線にならなかったのはそれにも多額の費用が掛かるのが一因ではあったと思います。

良く解釈すれば、廃止にしないで現状を維持してきたのは「見識」と捉えることもできます。

*本当は一刻も早く廃止したいけれど沿線自治体の手前それも出来ない…のが現実でしょうけれど。

「日高本線全線復旧」は現実的にはまず無理でしょう。

でも「勿体ないなぁ~」と強く思います。

この状態で5年間も耐え続けたのですから、「列車が走らない現役路線」としてこの先も現状維持することは出来ないのでしょうか?

この素晴らしい路線を「世界遺産の産業遺産」として世界に紹介することはできないでしょうか?

この先、観光資源として多くの観光客を集客することも可能ではないでしょうか?

路盤が残され鉄道路線としての免許がこの先も有効なら、健全な区間で将来観光列車を運行することも可能ではないでしょうか。

「文化」として鉄道を遺し観光収益を上げる一つのビジネス・モデルにもなり得るでしょう。

「日高本線」は素晴らしかったです。

「世界遺産 産業遺産」としてのポテンシャルがあると思いました。

たかがいちレール・ファンがお金も出さずに好き勝手なことを言うんじゃない…という意見の方がいるのも承知しています。

普段は自身の想いは語らないタイプですが、それを覆させるほど「日高本線」は素晴らしく衝撃が大きかったです。

廃止してしまうには本当に「勿体ない」です。


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苫小牧駅 日高本線 室蘭本線 9月3日 2019年

2020-08-13 | Weblog
「苫小牧駅」は2018年わがまちご当地入場券キャンペーンで立ち寄りました。

*この駅名標の固定ですが…ここまでやる必要があるのかなぁ~というほどの凄さです。

「苫小牧」はあまりにもメジャーな名称で北海道以外にお住みの方でも「とまこまい」を知らない方は少ないと思います。

当たり前と思い込んでいた「苫小牧」ですが、はたしてその源流とは何でしょうか?

 例の北海道新聞社刊 「北海道 地名分類字典」を開きます。

苫小牧 (とまこまい 市、川、港名)
①トto・マクmak・オマoma・ナイnai=沼の・奥・にある・川
②トーto・マコマmakoma・ナイnai=沼・の後ろにある・川
③トto・マコマイmakomai=沼の・マコマイ川
古くはトウマコマイ、トフマコマフ、トマコナイとも言う。
1869年胆振国勇払郡、初め苫細村、75年苫小牧村、89年苫小牧外15村役場設置、1902年2級苫小牧村の大字村、18年 町、 48年 市制。

などと説明されています。

沼の奥の川…ってことですか。

2018年苫小牧駅の記事はこちらから。



2018年は駅南口 ドン・キホーテなどの商業施設のある側の駐車場を使いました。

本年は駅北口の駐車施設を使ってみました。

かなり古い規格の駐車場のようで、入場してから少々後悔をしました。

とにかく暗くて狭く天井が低いのです。

ハチ君のルーフが天井に干渉してしまわないかヒヤヒヤしました。

画像左側がハチ君です。



駐車場にハチ君を残し徒歩で駅に向かいます。

苫小牧駅は「北口」を中心に発展してきたようですが、近年は大型商業施設など「南口」を中心に展開されている印象を受けます。

ビルの駅名の左横、グレーの色が新しい部分…ここがかつて駅と商業施設(確かダイエーだったかと…)と結ぶ連絡通路だったところです。

連絡通路は 2018年解体撤去されました。

塔屋の辺りにはやはり看板か何かを撤去した跡が残ります。

寂しい風情です。



駅入り口と連絡通路です。



苫小牧駅は「橋上駅」です。

「発車標」には13:52 スーパー北斗 札幌行き 14:18 スーパー北斗 函館行き の列車が案内されています。

その下、1番線に様似行きの表示がありますが…鵡川駅から代行バスに乗り換えて様似駅へという意味でしょうか?



苫小牧駅1番線ホームに降ります。

日高本線起点駅のホームと日高本線鵡川行き列車を絡めて撮りたいところでしたが…

あいにく、都合の良い列車は無かったようです。

記事を書いていて「あっ、しまった!」と思い出しました。

せっかく日高本線起点駅に立ち寄ったのですから「ゼロキロ・ポスト」を撮影すればよかったと後悔しました。

いわゆる「ポスト標柱」は無さそうですが、ホーム縁にペイントされているみたいです。

次回訪れた時に探してみましょう。

東京駅ゼロキロ・ポストの記事はこちらから。



南口のドンキを見ます。

ヤマダ電機と同居のようです。



ホームから橋上駅「苫小牧駅」の全景を見ます。

右手が「北口」、左手が「南口」となります。



せっかくですので入場券は「わがまちご当地入場券」を購入しました。

9月3日の入鋏印がしっかり見えています。

*「この辺りにこうして押印してください」って駅員さんにお願いします。



2019年9月3日のGPS走行軌跡です。

新千歳空港エアターミナル・ホテルを出発し、「大狩部駅」まで引き返し「苫小牧駅」で本日の取材は終了です。

あとは本日の宿泊予定地「新函館北斗駅」のホテルまで直行です。



本日の走行距離は 391Km でした。

平均燃費は 15.9 Km/L を示しています。

日高本線各駅を観賞しながらの走行でしたが、ハチ君よく走ってくれました。

凄いなハチ君!

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勇払駅 日高本線 9月3日 2019年

2020-08-11 | Weblog
勇払駅にやってきました。

いかにもアイヌ語の音が語源と想像される駅名です。

いつもお世話になる 北海道新聞社刊「北海道 地名分類字典」を開きます。

勇払 ゆうふつ 苫小牧市の字名
①イi・プツput=それ(石狩)への・入り口
②ユyu・ペツpet・プツput=温泉・川の・口
古くユウブツ、イブツ、 幽物、 勇武津、 雄武津、 湯淵、 由宇仏、 有沸 とも書いた。
千歳川筋の鮭漁権を持つ勇払アイヌがその漁場を呼んだ。
…などと説明されています。



かつては相当量の顧客扱いがあったことが偲ばれる立派な駅舎です。

近くにはフェリーターミナルがあり、そこは現在も交通・運輸の要衝でもあります。

画面左側の部分が「勇払駅」の待合室として使われています。

建物の2/3以上は窓にアルミパネルが取り付けられ、使用休止のような状態です。

大勢の利用客で賑わう「勇払駅」の写真は無いかとネット上を探してみました。

現在の姿の写真はいくらも出てくるのですが、過去のそれは見つかりませんでした。



こちらが待合室入り口となっています。

庇には透かしのブロック積みみたいなデザインが施されたパーテーションが設置されています。



駅前にはバス停留所の標識柱があります。

駅利用客のためのバス路線なのかと注視しますと「学生専用(仮停留所)」とあります。

どこの学生さん専用なのか分かりませんが一般利用客が対象ではないようです。

「スクール・バス」ってことですか…



駅待合室を見ます。

「あれ?」

ちょっとビックリです。

立派な駅舎(規模)ですが、待合室内は土間であります。

なんとなく以前は床が貼られていたような痕跡はありますが…取り敢えず現在は「土間」であります。



待合室を通り抜けホーム側に出て駅本屋を見ます。



アスファルト舗装の誘導路を歩きホームに向かいます。

島式ホーム 1面2線の駅構造は苫小牧方面に向かって左側の上り一番線の路盤は廃止されただの空き地のような状態になっています。



ホームから「浜厚真駅」方面を見ます。

駅名標の隅に駅本屋が見えています。

ここからかなり距離があるのが分かります。



こちらが「苫小牧駅」方面となります。

当時はそれなりの需要があってこれほどの規模の駅が作られたのでしょうが…なんだか無駄に長いホームに見えてしまいます。



今は夏草が生い茂り鉄道の路盤を想像できませんが、上り1番線や日本製紙工場の引き込み線、貨物引き込み線などの設備がありこれだけの広大な用地を必要としていたのでしょう。



ホームからは道路を隔てて学校施設のような建物が見えます。

授業中の放送の音や生徒さんの声が聞こえてきました。



「どんな学校なのだろう?」と門柱のプレートを見てみます。

「苫小牧市立 勇払小学校」とあります。

見た感じではかなりの規模の学校に見えました。



ホームの観賞していると、頭上を旅客機が通過して行きました。

まだメイン・ギアが格納されていません。

新千歳空港を飛び立った機材のようです。



ホーム上には写真のような花壇?がありました。

定期的に植物の世話をしている方がいらっしゃるようです。

この花々にはあまり興味が湧かなかったので、「Plan snap」で調べはしませんでした。



今の日高本線、「勇払駅」の立ち位置では、この規模の駅本屋が不思議に見えてしまします。

当時は1階部分、2階部分を含めて駅業務に必要な施設だったのでしょう。

大勢の利用客で賑わう駅本屋の写真を探して見てみたいものです。


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浜厚真駅 日高本線 9月3日 2019年

2020-08-11 | Weblog
2018年わがまちご当地入場券キャンペーンで立ち寄った駅です。

2018年浜厚真駅の記事はこちらから。

前駅「浜田浦駅」に続き駅名に「浜」を冠する「浜厚真駅」です。

よくよく「浜」に近いロケーションなのかと言いますと…確かに近いのですが、日高本線全線が海に近い路線で、この駅だけが特に浜に近いわけではありません。

むしろ「大狩部駅」など海岸の直近でしたからね。



ホーム以外に構内外に駅名標を設置してあるのは日高本線の特徴なのでしょうか…

北海道新聞社刊 「北海道 鉄道駅大図鑑」の写真を見ますと、駅待合所は取材当時はピンク色に塗色されていました。

今はベースのアイボリーに波の模様が描かれています。

近隣学校の学生さんたちがデザインしたものなのでしょうか?

旧駅舎の基礎が残っているのが分かります。



その待合所の前には「イチイの木」が植樹されています。

さすがにこれだけ現役駅や廃駅を訪ね歩き、駅前の木を観察していますから「イチイの木」だけはしっかりと識別できるようになりました。



ダルマ駅舎とかヨ駅と言われる待合所です。

ここのは「ヨ3500形車掌車」を流用したものです。



待合室内部です。

板張りの内装にアイボリーのペイントがされほんのり温かみのある雰囲気です。

駅ノートが設置されているようです。



待合所のホーム側は豆腐のようにアイボリー一色です。

せっかくですから、ホーム側も綺麗なペイントを施してあげれば良いのに…などと大きなお世話ですが…



ホームから「浜田浦駅」方面の路盤を見ます。



こちらが「勇払駅」方面となります。



駅前道路と「浜厚真駅」を見ます。

国道からは少し離れていてクルマの通行は多くはありません。



「浜厚真駅」の近くにはフェリーターミナルや「2018年北海道胆振東部地震」の際に停電障害を起こした「苫東厚真発電所」があります。

「ほくでん火力なるほど館」という施設が所内に併設されています。

いつか立ち寄ってみたいところです。


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