「越中島支線」いよいよ越中島レールセンターに近付いてきました。
線路に沿って歩くのは困難になってきて、「明治通り」を歩くことが多くなります。
明治通りの「新砂一丁目」交差点から50m程入ったところに、JRバスとレールセンターの入り口があり、このような看板が立てられています。
入り口には、入出庫するバスを誘導する守衛さんが立っています。
夏の暑い日も冬の寒い日、雨の日もこうしてバスの誘導の仕事をされているのでしょう。
大変なお仕事です。
「都市計画運河橋梁」
名前からして、新しい橋梁なのかと思ったら…
銘板には「昭和5年」と記されています。
ks-18 鉄道省 などが読み取れます。
昭和5年当時にすでに「都市計画」という言葉が使われているのに驚きを感じました。(それまでの「東京府」から「東京都」が設置されたのが昭和18年 ということですから、昭和5年と言えばまだ「都市」という概念や言葉も一般的では無かったのではと思います)
それにしても、白いペンキの記述は「フリーハンド」で書かれたものでしょう。
ビシッと辺の揃った美しい字ですね。
職人さんの仕事…凄いな。
右側を見ると運河の正面には「Sky Perfect TV」(*オジサンは「スカパー」とは言わないんです)の社屋が見えています。
その手前のブルーの橋梁は、地下鉄東西線車庫への引き込み線のようです。
JRバスのモータープール?大量のバスが駐車しています。
勤務を終えたバスが次の勤務までの間、待機したり洗車をしたりするためのスペースだそうです。
運転手さんが休憩するための施設も用意されていて、50人くらいが待機出来るそうです。
踏切は列車が来なくても、こうして閉じられたままです。
赤い看板で「関係者以外立ち入り禁止」と書かれると「絶対に入るな!」という強い意志を感じ、「入っちゃいけないんだな~」とビビります。
ちなみに、レールセンターにストックされている「レール」はそもそもどこから運ばれてきたのだろう? と、疑問に思いましたが、船で運河を辿って運ばれてきて、ここレールセンターで長めのレールに溶接されて列車でデリバリーされるようです。
なぜかこんなに低い位置に、一日3往復の時刻表がありました。
勿論、私達一般人のためのものではないのは分かりますが、かといって「関係者」なら時刻表なんて無くても分かりきっていることでしょうし、この低さって何のためなのでしょうか?
謎です…
ここから「複線」になっています。
「ガシッ」と閉じられた門扉
これ以上先には進めません。
このスペースは、完全に周囲から孤立しているみたいで、外に出るには先程、守衛さんが立っていた出入口まで戻らなければなりません。
つまり、ここに用事のある人以外は入って来るな…という場所なのですね。
その門扉の横のスペースから、線路の終点付近を見てみます。
転轍器がポツンと立っていました。
散々引っ張って「結局、これだったのかぁ~」と言われそうですが…
確かに「お楽しみ」には違いありません。
「一口飲んじゃってから写真を撮ったの? 行儀悪いなぁ~」って…そうじゃなくて。
ビールが運ばれてきてから、もたもたカメラを用意していたので、ちょっと「泡」が引いちゃいました。
ふぅ~
「お疲れ様でした! いただきま~す。」