Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

出発~ 頃は良し! 明日から北海道旅行だ!

2013-08-31 | Weblog
 台風15号も温帯低気圧になっちゃったし、東京は夏らしい凄い良い天気です。

明日はいよいよお楽しみの北海道旅行スタートです。

どんな廃線や廃駅に出会えるのか…とても楽しみです。

北海道! 待ってろよ~

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高千穂鉄道 TR300形 トンネルの駅 5月22日 2013年

2013-08-30 | Weblog
 「トンネルの駅」に展示されている“TR0300形”
喫茶店として営業していましたが…



このような張り紙がしてありました。

平成23年3月31日に閉鎖したとあります。
とうことは、前回訪れた時にはすでに閉店されていたのですね。



車内は飲食や休憩に自由に使うことが出来るようです。
それにしても、随分綺麗に維持されています。

こんなオシャレな車両も高千穂鉄道を走っていたのですね。
ビックリです。



トンネルは「神楽酒造株式会社」という酒造会社が、貯蔵庫として使っています。



中に入ると、お酒の独特の匂いに包まれます。

見学といっても、それほど中までは入ることが出来ません。



入口から30mくらいですかね。
この先は立ち入り禁止だそうです。

ここで、お酒好きの友達にお酒を買っていきました。
オデ君に積んでいくだけですから、ビン類のオミヤでも気にならないのが良いです。


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48647 号機 高千穂鉄道 高千穂線 5月22日 2013年

2013-08-30 | Weblog
 さて、ホテルの朝食を済ませたら、即出発(まだ8時前)です。
お世話になった「熊本全日空ホテル ニュースカイ」を後に、また阿蘇山方面へと向かいます。
熊本市内は、通勤のクルマや営業車で混雑が始まっています。

前回九州に来た時は、台風の影響で高千穂峡では車から外に出ることも出来ないくらいの豪雨でしたが、今日は快晴に恵まれ、高千穂鉄道の観賞に期待が高まります。

高千穂駅跡に向かう途中…「トンネルの駅」に立ち寄ります。
2011年 台風接近の最中、傘を差しながら撮影した 48647 号機… 今日は5月の風に日の丸もゆっくりと、はためいています。

この頃はレールファン暦半年くらいで、SLの写真を撮影するのが精一杯で、未成線などという言葉も知りませんでした。
なぜここにSLが…しかも橋梁の上に展示されているし…その向こうのトンネルは酒屋さんの倉庫みたいになっている…何なの?このスペースは? ってくらいのレベルでしたからね。

高千穂峡は知っていても、高千穂鉄道のこのなど、何も知りませんでした。



2年前に訪れた時と変わらず、日の丸を掲げ美しい状態で展示されています。



橋梁の上で展示されている 48647 号機 この角度から眺めると、営業路線のSLのような臨場感があります。






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ロードス君 車検 7月31日 2013年

2013-08-27 | Weblog
 うちのロードス君、再度車検を取得することにしました。

近くのディーラーでナンバーだけ取得して、後日オートプライドさんに持って行って、整備してもらおうと計画していたのですが、何と!ロードス君のクラッチ・ペダルが踏み抜けなくなってしまいました。

良くあるクラッチ板が張り付いてしまった…のとはちょっと違うみたいです。
クラッチ・ペダルが固まってしまって、びくともしないのです。
エンジンを回したまま、シフトするとエンジンはストールすること無く回り続けますが、クルマは動きません…

何とか自力で問題解決を試みたのですが、無理のようでした。

仕方なく、オートプライドさんにローダーでロードス君を迎えに来てもらいました。



エンジンは始動するのですが、クラッチが作動しないので、手押しでガレージから出しました。
暫くぶりに外の光を浴びるロードス君です。

ここからワイヤーで牽引しローダーのパレットに引っ張り上げます。



ロードス君には「T・ハウス」のセンター出しマフラーを付けていますが、これでは車検には通らないでしょうから、ノーマルのオリジナル・マフラーも積んで行ってもらいます。

これくらいの作業は、事前に自身で済ませておけば良いのですが、肩の靭帯を切ってしまってからは、ハンドツールを使うにも力が入らなくて…断念しました。

9月の北海道旅行から戻る頃には、ロードス君に新しいナンバーが付いていると思います。
いい歳をして、再びサーキットへ走りに行こうと目論んでいるのです。

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熊本城の石垣鑑賞 5月21日 2013年

2013-08-27 | Weblog
 熊本博物館の蒸機「69665号機」の幸運な鑑賞のあと、熊本城の石垣の鑑賞に向かいます。

陽射しは少し傾いて影を伸ばし、オレンジ色の光が増えてきました。

親切な警備員の方にお礼を言って熊本城の方に歩き始めると、大きな声で呼び止められました。
振り返ると、母娘の親子連れと警備員さんがこちらに歩いてきます。

どうやら、警備員さんが熊本城への道順を尋ねられたようでした。
その母娘はシンガポールから観光に来たとのことで、熊本城まで案内してあげてほしいと…

親切にしていただいた警備員さんの頼みなので、快くお引き受けしました。

熊本城に来るのは初めてではありませんでしたので、方向感覚もまずまず…
彼女達(特にお母さんの方)と、当たり障りの無いシンガポールのお国の話やら娘さんの学校の話などをしながら、熊本城の入口まで案内しました。

ここで私は入城する前に石垣の鑑賞をしたかったので、それを彼女達に伝えました。

しかし…「石垣」って、英語ではなんていうんだ?
石垣好きなのに、英語ではなんて言うのか、これまで考えたことがありませんでした。
とっさに思い浮かんだ和製英語的発想で“Stone Wall”って言いましたが、石垣を指差して言ったのと状況的にも、理解してもらえたようでした。

後日、「そう言えば“石垣”ってなんて言うのかな?」と調べてみたら、概ね“ビンゴ!”だったようです。



また来ちゃいました、熊本城。
この石垣群には本当に圧倒されます。
石垣についてもっと理解が深まったら、ガイドさんに付いて鑑賞し自身の中で石垣を反芻してみたいです。
きっと来年も来てしまうだろうなぁ~



なんだか、テレビの「潜入レポ」みたいなアングルになってしまいました。
パンフレットやチケット、荷物がゴチャで手が離せずに、こんな撮り方になってしまいました。



いつもなら、多くの観光客が集う石垣の前も、このように誰もいません。

梢の影も、こんなに長くなってきました。
すぐ近くのホテルのアドバンテージといったところですね。

帰りの時間などを気にしないで、ゆっくりと熊本城石垣を独り占めしてきました。

さて…食事の後は、頂いた「晩酌セット」でまったりするかな。

「熊本全日空ホテル ニュースカイ」…ロケーション良く、スタッフの方もとても親切、料金も割安、これで、温泉露天風呂でもあれば完璧なのですがね~





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69665 号機 熊本博物館 5月21日 2013年

2013-08-26 | Weblog
 さて、今回のお目当ての一つ…熊本博物館の69665号機の鑑賞に出掛けます。

ホテルのフロントの方が、熊本博物館に電話で「展示されているSL」について確認してくださいました。

すると、なんと!
現在、博物館はリニューアル工事中で、69665号機が展示されているスペースには入場できない…ということでした。

相変わらず「詰めが甘い!」といわれればそうなのですが…。

博物館自体は開館しているということなので、とにかく現場へ向かうことにしました。
屋外展示なら、遠くからでも見ることは出来ないかな~なんて打算もありました。





予想以上に立派な正面玄関…でも、人の気配がまるでありません。

「良いのかなぁ~」なんて思いながら館内に入ります。
中庭みたいなところに出ます。
あわよくば「チラ見」が出来ないかな~なんて、諦めが悪いです。

しかし、それらしきものは見えません。

諦めて、館内に戻ろうとすると、警備員さんに遭遇。

東京からこの博物館の「69665号機」を見に来たこと、「くまモン」の県民手帳を持っていることなど、無駄話をしていたら、「そんなに見たいのなら外を迂回して見える場所があるから…」と、案内してくださいました。



ほらね、石垣の上を歩いていくと、「69665号機」が、チラッと見えます。

振り向いて警備員さんを見ると、「見てきて良いよ」ということでしたので、石垣を下りて近付きます。



なるほど…確かにリニューアル中の雰囲気です。
ただ本日の工事は休みのようで、工事の関係者の方はいませんでした。

もちろん、親切な警備員さんに迷惑の掛からないように、工事中の周囲に気をつけながら、最短時間で鑑賞しました。






説明パネルにもありまるように、「69665号機」は、豊肥本線を中心に活躍した蒸機です。
地元に縁のある蒸機が、こうして保存されるのはとても良いことだと思います。



せっかく見せていただいて、こんなことを言うのもなんですが…
博物館所蔵のSLにしては、保存状態はあまり良好とはいえない状態でした。

リニューアルを機にもう少し「シャキッ」とした状態にしてあげてほしいですね。









外部の状況に比べると、キャブの雰囲気は意外と良かったです。







リニューアル後の「69665号機」どのような展示になっているのか楽しみです。

また、くまモンの県民手帳を持って、全日空ホテルに泊まりに来ようかな…


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熊本全日空ホテル ニュースカイ 5月21日 2013年

2013-08-26 | Weblog
 さて、通潤橋の観賞会に満足し…一旦熊本へと引き返すことにします。

ここまで来たら、高千穂か豊後森円形機関車庫に行きたいような気もするのですが、時間的配分からすると中途半端なような気がします。

まずは熊本に戻ってホテルにチェックイン、オデ君をホテルの駐車場に預けてから、近くの「熊本博物館」の“69665”を、そのあと「熊本城の石垣」を観賞しようという作戦であります。

ホテル近くのスポットなら、帰りの時間を気にしないで、観賞することが出来ます。
この時点では、「良いアイディア」だと思いましたが…

今回、このホテルを選択したのは、目当ての「熊本博物館」「熊本城」に近いという地の利です。

チェックインの際に、「くまモン」のご当地QUOカードをいただいちゃいました。
普段、こうした「QUOカード付き」のようなプランは選択しないのですが、「くまモン」のならば、話は別です。
というか、「くまモン」欲しさに…選択したともいえます。



部屋の冷蔵庫には晩酌セット…
何だかとっても得したような…嬉しい気分です。




チェックインの際に、フロントの方に冗談で「東京都民なのに、熊本県民手帳持っていますが、何か特典はありますか?」なんて言ったら、駐車場の無料券をいただいちゃいました。

これは嬉しかったですね。
「くまモン」ありがとう!
熊本全日空ホテルのスタッフの皆さん、ありがとう!

すごく“お得”で嬉しいプランでしたよ。

来年もまた熊本に来たら、「熊本全日空ホテル ニュースカイ」 に宿泊しよう。

さて…ビールは夜まで我慢して、「熊本博物館」へ出掛けます。


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通潤橋 5月21日 2013年

2013-08-21 | Weblog
熊本から下道(したみち)を走って、ようやくお目当ての「通潤橋」に到着しました。(途中、下鶴橋で寄り道してきましたが…)

水面に映る通潤橋を撮ってみたかったのですが…失敗ですね。



道の駅手前の駐車場から眺めた図ですが、駐車場の広さと比較すると、その大きさが分かると思います。

谷を堰き止めるダムのような迫力です。





アーチを支える部分、これも“橋台”というのでしょうか…城郭の石垣をイメージさせるものです。
橋台からアーチが見え始める部分を結んだ幅が、「見え掛りアーチ幅」といって、26.5mあるそうです。

何かで読んだ記憶があるのですが、熊本城石垣造り名人の誉れ高い加藤清正が築いた石垣を参考に作られているというのです。
確かに、このカーブは、城郭の石垣そっくりですね。





この坂の先に取入口があり、橋の上端より6.8m高いところにあります。
轟川の川面からは21.4m+6.8m=28.2m の高さとなります。



こちらの先には「吹上口」があり、橋の上端より4.7m高い位置にあります。

踏み石のように見えますが、これは長さ50cm~80cmほどの石管を1列当たり200本、3列で600本の石管を繋いでいます。
3列の送水管が並んでいるのが良く分かります。

「取入口」と「吹上口」は橋の上端を基準とすると…高さの差は 6.8m-4.7m=2.1m となります。



木栓からは漏水してるのが見えます。



テレビで見たことがありますが、右側の木製のストッパーをハンマーで叩いて外し、左側の木栓を外すと、勢い良く水が噴出します。

放水後の木栓をするところも見てみたかったです。









赤矢印の枡のように見えるこれが“石管”です。
これを1列に200本繋いで水路を作ります。
3列で計600本の石管と、その各列に4本の“木管”が計12本使われています。

杉材で作られた木管は、石管にゴミが詰まったり凍結で割れてしまった時などに、“木管”部を切り離してメンテナンスしたり修理を行う為のものだそうです。



放水をする時の放水口です。
山都町のホームページを見ますと、「観光放水」のほかに「予約放水」というのがあり、1回 10,000円で見せていただけるようです。




「布田 保之助(ふた やすのすけ)」の銅像と説明パネルです。







ここには、先の「下鶴橋」の架橋に携わった「橋本 勘五郎」のことは触れられていません。



通潤橋…豪壮な放水シーンで全国から観光客を集める観光資源でもありますが、もちろん「水路橋」としても現役であります。

私もその「珍しい石橋」ということに惹かれて遙々東京から出掛けた訳ですが、そもそも何の為にこの橋が存在するのか…観光資源だけのためで無いのはもちろんです。

上の写真をもう一度見ていただくと…左側が「取水口」で右側が「吹上口」です。

その高度差2.1mと先ほど書きました。

ただの水路橋ならば、取水口から吹上口へ真っ直ぐに架橋すればそれで済むはずです。

しかし、1854年当時(変換アプリで見ると安政(あんせい)元年 安政とは江戸時代の1854年から1860年まで、孝明(こうめい)天皇の代の元号とあります。 江戸時代!です)の土木技術では橋高が30mに迫る石橋架橋は技術的限界を超えていたのでした。

耐震や台風などの災害時に自重による倒壊に耐えられないと判断され、橋高22mにして設計されたそうです。
それでも“釣り石”と呼ばれる、鉄製のタボで上下の石を繋いで横揺れの力を吸収する装置が28箇所設置されています。

そこで、橋高を技術的限界の22mとしたのですが、それでは「吹上口」から4.7m低くなってしまいます。
高いところから低いところへ流れる水を、4.7m上の吹上口へ持ち上げる工夫が、3本の送水管によるサイフォン方式を採用した理由だったのです。
送水管が1本ではなく3本の訳は…管内の圧力を下げるためです。

派手なパフォーマンスでどうしても注目が集まる通潤橋の“観光放水”ですが、山都町には他にも注目すべき「施設」がありました。

「通潤橋の円形分水」というものです。
円形分水とは、水田面積に応じた比率で分水する装置のことで、山都町のそれは、通潤橋へ7割、野尻・笹原方面へ3割の水源を分水することが出来ます。

解説はこちら

実は、「通潤橋の円形分水」については、東京に帰ってきてから知ったことで、もっときちんとリサーチしておけば良かったと後悔しました。


通潤橋の歴史的背景やメカニズム…実に興味深い鑑賞会でした。

そして、江戸から明治にかけての「石橋」にさらに深い興味を持ちました。
九州って、日本全国の石橋の、なんと90%近くが集中する「石橋天国」なんです。

石橋巡りには実にありがたいサイトもあります。

「日本の石橋を守る会」がそれです。

トップページはあっさりとしたつくりですが、「都道府県別一覧」を見ていただくと全国都道府県別の石橋のデータベースを見ることが出来ます。

例えば、「鹿児島」をクリックすると、鹿児島県内の石橋の一覧が表示されます。

さらに個々の橋名をクリックしていただくと、その橋の写真と解説…そして「Mapion」のロゴをクリックすると、所在地の地図が表示され、“マップコード”をGPSに入力すれば、ピンポイントで目的の橋に到達できるのです。

これはありがたいですね。

来年も九州に行って、「石橋巡り」を楽しまなければ…


九州に出かける理由がまた一つ増えてしまいました。

九州、楽しすぎます。








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下鶴橋 5月21日 2013年

2013-08-19 | Weblog
 門司港で九州鉄道記念館を鑑賞し、さらに門司港レトロの建物を鑑賞しました。
本日はこれから「通潤橋」を鑑賞に山都町へと向かいます。

九州自動車道「御船IC」から約45分ほどの距離です。

その「通潤橋」に向かって走行中偶然に、この見事な石橋が目に留まりました。

親柱には「下鶴橋」と刻まれています。

欄干の手の込んだ装飾は見事ですね。

“徳利”を思わせる透かしが施されていて、その向かい側の親柱には…実に楽しい透かしが施されていますよ。




御舟町観光協会の「下鶴眼鏡橋」説明パネルです。
この橋の素性は、パネルを読んでいただくことにして(やけに手を抜いていますが…北海道旅行出発までに九州旅行の記事を書いておこうと焦っています)話を進めます。



説明パネルにあるように、二重橋や日本橋、これから見に行く通潤橋などを手掛けた名石工の手による橋となれば、この素晴らしさも「なるほど…」とうなずけます。
しかし、都会の華やかな橋の架橋を手掛けるのは分かりますすが、それほどの名石工が、なぜここ九州の山の中のこの「下鶴橋」を手掛けることになったのか…ちょっと不思議な気がしました。(地域の方には大変失礼な話ですが、素朴な疑問でもありました)

後にWikipediaで見たら…
「橋本勘五郎」で記載がありました。

それによりますと…八代の石工の家系に生まれた肥後藩の石工で兄弟一族で石橋の架橋を行っていました。
後に「通潤橋」の架橋に携わり肥後藩より苗字帯刀を許されると、「橋本勘五郎」と名乗るようになったそうです。

明治になると政府より招かれ、万世橋、浅草橋、蓬莱橋、江戸橋や京橋の架橋にも携わったそうです。

なるほど…熊本の、郷土の誇りであったのですね、橋本勘五郎さんは…

偶然ではありましたが、「通潤橋」を鑑賞に向かう途中で、橋本勘五郎さんのもう一つの作品を鑑賞できたのは、僥倖でありました。(なにを格好つけて、普段使わないような単語を使っているのでしょうね…普段なら“ラッキー”で済ませるところですが、この荘厳な石橋を見て、そんな気分になったのだと思います)




橋の装飾は「石橋」でありながら木橋のデザインを色濃く残しております。
木橋では当然の「擬宝珠」を想わせるデザインが施されています。

欄干は角柱状から丸断面の棒状のものへと形状を変化させ、それを支える部分にも寺院建築の軒先に見られるような装飾が施されています。



こちらの“モチーフ”は…盃 でしょうか?

ほら、先程の向かい側の“徳利”と対のデザインになっているのですね、きっと。

じっくり観賞していると実に楽しいです。

こちらの親柱にも、なにか彫られているようですが、読み取ることは出来ませんでした。




明治に架橋された橋ですので、その老朽化対策としてすぐ横に新橋が架けられて、国道を通るクルマはそちらを通行することになりますが、「下鶴橋」も引退してしまったわけではなく、現在でもクルマの通行も可能な“現役の橋”なのが凄いです。

橋幅は6m以上あり今日のクルマでも、相互通行は行えそうです。



ここまで来たなら、川面に下りて見上げてみたかったのですが、ちょっとビビッてしまいました。
今は後悔しています。
「なんであの時…」なんてね。


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ミニ鉄道 九州鉄道記念館 5月21日 2013年

2013-08-19 | Weblog
通常、子供達が大勢並んでいたら、絶対に近付かないところですが、本日は開館間もない平日の午前中です。

チビッ子は一人もいません。(誰も居ないってことです)
「それならば…」と、ミニ鉄道に乗っちゃいました。

たしか、1回300円だったと思います。



モデル車両は、885系かもめ 72系ゆふいんの森 787系つばめ 883系ソニック 813系 が、用意されています。

この時は、ゆふいんの森 と 885系かもめ のいずれかを選べましたが、以前から興味を持っていた “ゆふいんの森”をリクエストしました。

コンソールには「このレバーは触らないでね」と注意書きのあるレバーが…減速レバーと書いてあります。
大人としては、触ってはいけないレバーを触ったら、ど~なるのか、興味津々でしたが、勿論責任ある社会人ですから…触りませんでしたよ。

たぶん、車庫に入れるときなどに徐行する時にでも操作するのでしょうね。



これって、どうやって給電しているのかな…バッテリーを積んでいるのかな? なんてしょうも無いことを考えながら乗っていました。



1周約2~3分くらいでした。
係員以外は誰もいなかったので良かったですが、客が大勢いたら恥ずかしくて乗っていられません。

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成田山 交通安全祈願…8月18日 2013年

2013-08-18 | Weblog
 5月の関西、九州旅行の記事をダラダラ書いているのに、もうじき北海道旅行出発が近付いてきました。

これだけは忘れてはいけない…交通安全祈願です。
毎年、出発前に必ず行っていることなので、忘れてはならない重要イベントです。

8時から30分ごとに行われている御祈祷…9時半の部?に申し込みましたが、写真のようにオデ君一台だけです。
なんか…申し訳ないようです。(御祈祷が始まる直前に1台滑り込んできて結局2台でしたが…)

さて、これで今年の北海道旅行の準備も始まりました。


出発まで、あと2週間です。

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59634 号機 九州鉄道記念館 5月21日 2013年

2013-08-14 | Weblog
キュウロク…大正生まれの蒸機です。
北海道の静態保存機を訊ね歩いている時にも、よく巡り会うことがあります。

九州鉄道記念館のキュウロク…59634号機 通しナンバーでは535機目の蒸機ということになります。
製造順は必ずしもこの順番ではないらしいです。

(8620型の付け番は面倒ですね…通しナンバー=8の前の数字×80+(下二桁の数字-20)+1 ですから…つまり8620が1号機ということですね)



この正面写真を撮影するのには、一旦改札?を出なくてはなりません。

ほら、公式側はフェンスいっぱいで、ちょっと観賞は無理です。





96の動輪って、カウンター・ウエイトがデカイです。

9600形のここを見ると、こんなストーリーを思い出します。

日本の動輪クランクピンは、通常90度右側先行で設計されるそうですが、9600形は“左先行”なのだそうです。
設計段階の初期に釣合錘の位置が違っていたので修正を指示したら、釣合錘の位置修正を間違ってしまい、その設計ミスをフォローするために“左先行”として辻褄を合わせた…というよな説明がされています。








赤矢印、台枠の部分が直接見えます。
台枠とは蒸機の骨格となる部分で9600型や8620型には“板台枠”と呼ばれる25㎜厚の圧延鋼板で作られます。
以前、SL人吉 58654 が修復される工程を記録したDVDを見たことがありますが、その際に“台枠”は新造されることになりました。

オリジナルはリベット留めで作られていたのですが、今日、その治具や技術を持つ職人さんもいないため、溶接で作られることになりました。

25mm圧の圧延鋼板をプレス機で成型しているシーンを見ていますと、あの厚さの鋼板がまるでベニヤ板のようにしなっているのにはビックリしました。

因みにD51やC57などの近代蒸機では“棒台枠”と呼ばれる、90mm~100mm厚の鋼板で作られる台枠が使われます。

それにしても、今日のような近代設備の無い大正時代によくこの蒸機を作ったものだと、DVDの中でも作業担当者が言っていましたが、全くその通りだと思います。
強度計算1つにしても、PCはおろか、計算機すら存在しない時代に、どのようにして計算したのでしょうか…ソロバンとか紙に書いて計算したのでしょうか…工作機械も今日のようなPC制御の高精度な機材など無い訳ですし…とにかく、凄いことです!




大正の時代に、このSLを作り上げた技術者や職人さん…本当に凄いと思います。




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C59 1号機 九州鉄道記念館 5月21日 2013年

2013-08-12 | Weblog
ようやく辿り着きました。

C59 1号機 であります。

ここ九州鉄道記念館のどの車両も、とにかく“綺麗”というか美しいです。

やはり、JRの「本職」の方々がメンテナンスを行っているのですから、その状態は群を抜いています。

ナンバー・プレートの輝き方を見てください。
どれだけ“ピカール”で磨いたら、こんなに金色に光り輝くのでしょうか?
(相当量のピカールを使うでしょう…ドラム缶で購入するのかな…)



前面の佇まいです。
カーブミラーのように磨き上げられた、ちょっと細めのボイラー前煙扉に写っているオジサンの姿…分かりますか?

普通、ここに姿は写りませんよね。(まるでピアノ塗装のようです)



準鉄道記念物のプレート…その前にフェンスがあって、全体をしっかりと見渡せないのが残念です。



すごい迫力の連結器…大概は黒いペイントを施されていますが、鉄部剥き出しの“生連結器”です!
たっぷりと油が沁み込んでいて、水分も弾き飛ばしそうです。



先輪のタイヤ部…まるで現役で走っているみたいにピカピカです。
枕木やバラストのオイルの染み跡を見ると、いかに磨き込まれているかが分かります。



どう見ても、「現役」としか思えません。

SLメカニズムのハイライト!
先輪も動輪も…クロスヘッドも主連棒もモーションプレートも…全て美しく磨き上げられています。

綺麗過ぎます。




スポークの先輪がなんとも素敵なんです。
大好きだな…



リンクやクロスヘッドのソケット部に刻印が読み取れます。
もちろん、“C591”と読めます。

奥のタイヤ部には、井桁の刻印も見えています。



余分なペイントがされていなので、生きた鉄の質感が伝わってきます。





キャブの中は見ることは出来ませんでした。
ちょっと残念です。

キャブのナンバー・プレートも当然、ピカピカです!



どこまでやったら、こんなガラスみたいな輝きが生まれるのでしょうか…



テンダー部のナンバー・プレートは、黒地です。
こちらの方が、なんとなく雰囲気はしっくりしていると思います。

しかし…なぜボイラー部のナンバー・プレートだけブルー地なのでしょう…




C59 1号機の経歴が書かれたプレート…
なまじ、高出力機だったがゆえに、電化が進んだ本線では活躍の場所が無かったのですね。

でも、このC59 1号機は、時代を伝える準鉄道遺産としてこれからも大切に保存されていくことでしょう。





気が付きましたか?

いつもSLを鑑賞するときには、最初に正面、そして公式側、テンダー部、非公式側…と反時計回りに鑑賞していくのですが、展示の状態で、“公式側”はフェンスに邪魔をされて鑑賞することが出来ないのです。

せっかく美しい蒸機なので、それが残念です。


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月光 クハネ581-1 九州鉄道記念館 5月21日 2013年

2013-08-10 | Weblog
先ほどのキハ07 41 に比べると随分大きく見えます。
寝台特急という性格上、居住性を優先した結果なのでしょうね。

前面貫通路が設置された車両…なるほど、中央の扉が左右にパカッと開いて貫通路が現れるわけですね。
扉がオープンするところを見てみたかったですね。




なかなか居住性の良さそうなシート…しかし、良く見るとリクライニングは出来ない構造のようです。(そもそも、昔の車両はリクライニングなんて最初からありませんでしたし…)

棚の上のパネルを開くとベッドが現れるようです。
 
ベッドの収納は結構大変そうですね。
実際に収納をやってみたかったです。






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キハ481-603 にちりんさん 九州鉄道記念館 5月21日 2013年

2013-08-09 | Weblog
「にちりん」って、日輪と書いて太陽を表す言葉だそうです。




ライトの上部にはラインが引かれていて、ちょっとコミカルな顔つきになっています。
このラインがあるのと、それが無いもの、スカート部が赤くペイントされているもの…他にもビックリするほど多くの派生車両があるのですね。

そもそも、日豊本線、豊肥本線で運行していた特急「ひかり」が、東海道新幹線の愛称に「ひかり」を使用することに伴って、名称変更を余儀なくされ、「にちりん」と変更したそうです。
そんなことも、今まで全然知りませんでした。




美しく磨き上げられた車内。
床も光を反射してピカピカしています。

白矢印のところを見てください。

この方々が、朝から展示車両を手磨きしていたのです。



JNRマークが美しいです。

国鉄は、昭和33年のダイヤ改正で東京~大阪間の特急の愛称とヘッド・マークを公募したそうです。

愛称に「こだま」を、そしてヘッドマークに二つ上の写真のボンネット部に見られるような、ウイングのような形状のそれが採用されたそうです。


その後、特急電車の側面にもJNRをイメージしたシンボル・マークを付けたいという要望に、さきの一般公募では入選はしなかった、このマークが採用されたそうです。

てっきり、大手デザイン事務所か著名なデザイナーの作品だと思い込んでいましたが、「一般公募作品」だとは…ビックリです!






上の説明パネルにあるように、この車両は東北新幹線によって余剰となった車両を九州で使うこととなり、クハ481-603として運用されました。

このような経緯を知ると、あの名作CM 九州新幹線 で、九州の方々があれほど喜んでおられるのが、納得できました。

私はあの九州新幹線のCM 180秒の作品は勿論、ロング・バージョンも全て見せていただきました。

あんなに素晴らしいCMは見たことがありませんでした。
何度見ても熱いものがこみ上げてきます。
エキストラを雇って作った“作り物”ではない、「本物」だからだろうな~と思っていました。
でも、九州のこのストーリー 「ひかり」の愛称を東海道新幹線に持っていかれ、東北新幹線開業で余った特急車両を使わされたりと、「新幹線」には悔しい思いをされていたのですね。
だから、九州新幹線の開業をあんなに心から喜び、それがあのCMに結実したのでしょう。
本物の喜びが伝わってきましたもの…



もちろん、“ピンズ・コレクター”として、このピンズは見逃す筈はありません。

このピンズを買うときに、売店の方が「にちりんさん」と言っていたのが印象的でした。

この「にちりんさん」によって、鉄道初心者の私は多くのことを知ることができました。

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