江差町でのもう一つのお楽しみ…「開陽丸」の鑑賞にやってきました。
江差町にはこれまで何度も訪れていましたが、この「開陽丸」の鑑賞は初めての体験です。
Wikiの解説によりますと「開陽」とは北斗七星の柄の部分の先端より2番目「ミザール(Mizar)」の中国名なのだそうです。
なるほど…そのような謂れのある名前なので開陽丸と星を絡めた写真が見られるのですね。
Nikonのレンズカタログにも星空と開陽丸の写真が掲載されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/23/9923040ffb32e36e8214a45c7afb443f.jpg)
「えさし 海の駅 開陽丸」という施設
開陽丸青少年センターが併設されています。
建物の中には海の駅のほか展示物や開陽丸のチケット発券機などがあります。
500円の入艦券を購入します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/30/4d5a8ac7febdd9730030e21d5e092194.jpg)
開陽丸の桟橋前にはこのようなモニュメントがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/f8/af57be7f97431b20fec28a87e367bc02.jpg)
桟橋から開陽丸の姿を見ます。
レプリカ…というか実際には船ではないのでしょうが良く出来ているなぁ~と感心します。
開陽丸は江戸幕府がオランダに依頼し建造された排水量2590トンを誇る本格的軍艦でありました。
当初はアメリカ政府に軍艦の建造を依頼したそうですが、アメリカ国内の内戦などの諸事情によりその依頼は受け入れられませんでした。
そこで鎖国時代から唯一交易のあったオランダに打診し建造が受諾されました。
軍艦建造にあたりオランダ側より鉄製の船体による建造を勧められたそうですが幕府側は木造船の建造を求めました。
そこでその折衷案として木造船の舷側に銅板を貼るという工法で開陽丸は建造されました。
こうして鉄製軍艦のような外観を持つ木造軍艦「開陽丸」が誕生しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d7/efa38149c85b81b009efa68fe66f4212.jpg)
艦内には砲撃の訓練?だか実戦だかの模様を再現した蝋人形がリアルに展示されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/07/e377f30955b05757ef04ca069112efe8.jpg)
あまりの出来栄えに最初艦内で見たときには「ギョッ」としました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/95/68b4a01b1b53a4eb99a24f8871e3ffe9.jpg)
同じフロアーには開陽丸のモデルが展示されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/32/8d468a89f73562f73967edd8ff6fe23d.jpg)
海底から引き上げられた砲弾も何箇所かに分かれて無造作に展示されています。
開陽丸には26門の大砲が装備されそのうちの18門がドイツの「クルップ砲」という大砲だったそうです。
この「クルップ砲」は“施条(ライフリング)”を持つ大砲のことで砲身内に螺旋状の溝を施すことにより砲弾に回転力を与えより遠くへ正確に砲撃を行うことが出来ます。
展示されている砲弾がその「クルップ砲」の砲弾なのかは分かりませんが…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/49/3c926efd71a64a17fea54fa9e392f787.jpg)
艦内の展示を見て甲板に上がってみます。
想像していたよりもわりとサッパリとしています。
このマストが主張するように、開陽丸は帆船でありますが補助動力に400馬力の蒸気機関を装備していました。
なので…甲板にはマストの帆を操作するロープが所狭しと張り巡らされているという先入観がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/52/7816612bee4f269bb68b62215eac269d.jpg)
甲板には「舵輪(だりん)」もそれらしく展示されています。
和名では舵輪といいますが、これは“ステアリング・ホイール”といいます。
クルマではハンドルのことを“ステアリング”とか“ステアリング・ホイール”といいますね、もともとは船舶の用語から派生していたのでしょう。
お馴染み“ミド・シップ(mid-shop)”などもモロ船舶用語ですものね。
また舵輪はラダー(Rudder)とも呼ばれるようですがこれは航空機の用語として使われています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/a1/425b5f278b076e72bb048397cb524022.jpg)
開陽丸の資料を見ますと長期航海のために海水を蒸留する装置が搭載されていて24時間で3000リットルの真水を得ることが出来たそうです。
蒸留装置の詳細については説明されていませんでしたが、時代的に見ても蒸気機関などの“熱源”により海水を蒸発させそれを冷却して真水を得ていた“蒸留装置”が搭載されていたのではないでしょうか…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/c6/662b1db92ee37c370510a57e2363fc91.jpg)
艦内入り口の受付には「ピンズ」が販売されていました。
なかなか精密に作られたピンズですが、1個¥260…とはかなりお安い印象です。
通常¥500以上のクオリティーは十分にあると思います。
勿論、購入してきましたよ。
ここに、北斗七星の「開陽」の解説が書かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/6b/1e121d2b27d51f83a6c8a917bc8d135c.jpg)
開陽丸から管理棟を見ます。
この配色から何となく“オランダっぽさ”を連想させるような気がしました。
もっとも「開陽丸」を建造したのがオランダの造船会社“ピップス・エン・ゾーネン社”という解説を見てからなのでかなり先入観は強かったかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/77/1df012bd7b93730b7ce2f40ed6f6a115.jpg)
管理棟前には海底から引き揚げられた開陽丸のスクリュー・シャフト。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/be/b8905a539366a30076a868356d1851ca.jpg)
そして…こちらは、解説のプレートにあるように「船体の一部」ということです。
木造船である一つの証でもあるのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/3d/a9c30380c4fae58865465b3a9c5d9c48.jpg)
さらに管理棟前のグリーンには“大砲”が展示されています。
砲身中には“施条”のようなものが見られます。
これも海底から引き揚げられた開陽丸のものなのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/59/f7dfb03f2752fff09dedf4e2e7044ce8.jpg)
説明プレートには「16サンチクルップ砲」と書かれています。
かなり荒っぽい“施条”ではありますが、しっかりとそれが刻まれているのが確認できます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/0c/4d3e80144c65107b95997cc475cbaf48.jpg)
表面の状態からしていかにも本物っぽい雰囲気を発散しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/8e/f91a11393796e8028b854e2d39c17c0f.jpg)
「開陽丸」はオランダに留学していた学生の「内田恒治郎」という人がその命名にあたったそうです。
命名した船名をオランダ側に伝える時に「夜明け前」という意味の“フォール・リヒター(VOOR LICHTER)”と伝えたました。
日本が幕末から明治へと移り変わるそんな情景を表すのに打って付けの命名だったのかも知れません。
開陽丸は幕末期から明治維新の激しい時代の流れに翻弄され、建造されてから僅か3年という短命をこの江差の海に散らせました。
開陽丸は停泊中に座礁し沈没したために比較的浅海にその遺物が残されていました。
その沈没場所は1975年には「海底遺跡」として文化財埋蔵地域に指定されこれまでに3万点を超える遺物が回収されたそうです。
開陽丸の復元には管理棟などを含めて13億5千万円の費用が掛けられたそうです。
江差町にはこれまで何度も訪れていましたが、この「開陽丸」の鑑賞は初めての体験です。
Wikiの解説によりますと「開陽」とは北斗七星の柄の部分の先端より2番目「ミザール(Mizar)」の中国名なのだそうです。
なるほど…そのような謂れのある名前なので開陽丸と星を絡めた写真が見られるのですね。
Nikonのレンズカタログにも星空と開陽丸の写真が掲載されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/23/9923040ffb32e36e8214a45c7afb443f.jpg)
「えさし 海の駅 開陽丸」という施設
開陽丸青少年センターが併設されています。
建物の中には海の駅のほか展示物や開陽丸のチケット発券機などがあります。
500円の入艦券を購入します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/30/4d5a8ac7febdd9730030e21d5e092194.jpg)
開陽丸の桟橋前にはこのようなモニュメントがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/f8/af57be7f97431b20fec28a87e367bc02.jpg)
桟橋から開陽丸の姿を見ます。
レプリカ…というか実際には船ではないのでしょうが良く出来ているなぁ~と感心します。
開陽丸は江戸幕府がオランダに依頼し建造された排水量2590トンを誇る本格的軍艦でありました。
当初はアメリカ政府に軍艦の建造を依頼したそうですが、アメリカ国内の内戦などの諸事情によりその依頼は受け入れられませんでした。
そこで鎖国時代から唯一交易のあったオランダに打診し建造が受諾されました。
軍艦建造にあたりオランダ側より鉄製の船体による建造を勧められたそうですが幕府側は木造船の建造を求めました。
そこでその折衷案として木造船の舷側に銅板を貼るという工法で開陽丸は建造されました。
こうして鉄製軍艦のような外観を持つ木造軍艦「開陽丸」が誕生しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d7/efa38149c85b81b009efa68fe66f4212.jpg)
艦内には砲撃の訓練?だか実戦だかの模様を再現した蝋人形がリアルに展示されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/07/e377f30955b05757ef04ca069112efe8.jpg)
あまりの出来栄えに最初艦内で見たときには「ギョッ」としました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/95/68b4a01b1b53a4eb99a24f8871e3ffe9.jpg)
同じフロアーには開陽丸のモデルが展示されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/32/8d468a89f73562f73967edd8ff6fe23d.jpg)
海底から引き上げられた砲弾も何箇所かに分かれて無造作に展示されています。
開陽丸には26門の大砲が装備されそのうちの18門がドイツの「クルップ砲」という大砲だったそうです。
この「クルップ砲」は“施条(ライフリング)”を持つ大砲のことで砲身内に螺旋状の溝を施すことにより砲弾に回転力を与えより遠くへ正確に砲撃を行うことが出来ます。
展示されている砲弾がその「クルップ砲」の砲弾なのかは分かりませんが…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/49/3c926efd71a64a17fea54fa9e392f787.jpg)
艦内の展示を見て甲板に上がってみます。
想像していたよりもわりとサッパリとしています。
このマストが主張するように、開陽丸は帆船でありますが補助動力に400馬力の蒸気機関を装備していました。
なので…甲板にはマストの帆を操作するロープが所狭しと張り巡らされているという先入観がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/52/7816612bee4f269bb68b62215eac269d.jpg)
甲板には「舵輪(だりん)」もそれらしく展示されています。
和名では舵輪といいますが、これは“ステアリング・ホイール”といいます。
クルマではハンドルのことを“ステアリング”とか“ステアリング・ホイール”といいますね、もともとは船舶の用語から派生していたのでしょう。
お馴染み“ミド・シップ(mid-shop)”などもモロ船舶用語ですものね。
また舵輪はラダー(Rudder)とも呼ばれるようですがこれは航空機の用語として使われています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/a1/425b5f278b076e72bb048397cb524022.jpg)
開陽丸の資料を見ますと長期航海のために海水を蒸留する装置が搭載されていて24時間で3000リットルの真水を得ることが出来たそうです。
蒸留装置の詳細については説明されていませんでしたが、時代的に見ても蒸気機関などの“熱源”により海水を蒸発させそれを冷却して真水を得ていた“蒸留装置”が搭載されていたのではないでしょうか…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/c6/662b1db92ee37c370510a57e2363fc91.jpg)
艦内入り口の受付には「ピンズ」が販売されていました。
なかなか精密に作られたピンズですが、1個¥260…とはかなりお安い印象です。
通常¥500以上のクオリティーは十分にあると思います。
勿論、購入してきましたよ。
ここに、北斗七星の「開陽」の解説が書かれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/6b/1e121d2b27d51f83a6c8a917bc8d135c.jpg)
開陽丸から管理棟を見ます。
この配色から何となく“オランダっぽさ”を連想させるような気がしました。
もっとも「開陽丸」を建造したのがオランダの造船会社“ピップス・エン・ゾーネン社”という解説を見てからなのでかなり先入観は強かったかも知れません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/77/1df012bd7b93730b7ce2f40ed6f6a115.jpg)
管理棟前には海底から引き揚げられた開陽丸のスクリュー・シャフト。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/be/b8905a539366a30076a868356d1851ca.jpg)
そして…こちらは、解説のプレートにあるように「船体の一部」ということです。
木造船である一つの証でもあるのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/3d/a9c30380c4fae58865465b3a9c5d9c48.jpg)
さらに管理棟前のグリーンには“大砲”が展示されています。
砲身中には“施条”のようなものが見られます。
これも海底から引き揚げられた開陽丸のものなのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/59/f7dfb03f2752fff09dedf4e2e7044ce8.jpg)
説明プレートには「16サンチクルップ砲」と書かれています。
かなり荒っぽい“施条”ではありますが、しっかりとそれが刻まれているのが確認できます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/0c/4d3e80144c65107b95997cc475cbaf48.jpg)
表面の状態からしていかにも本物っぽい雰囲気を発散しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/8e/f91a11393796e8028b854e2d39c17c0f.jpg)
「開陽丸」はオランダに留学していた学生の「内田恒治郎」という人がその命名にあたったそうです。
命名した船名をオランダ側に伝える時に「夜明け前」という意味の“フォール・リヒター(VOOR LICHTER)”と伝えたました。
日本が幕末から明治へと移り変わるそんな情景を表すのに打って付けの命名だったのかも知れません。
開陽丸は幕末期から明治維新の激しい時代の流れに翻弄され、建造されてから僅か3年という短命をこの江差の海に散らせました。
開陽丸は停泊中に座礁し沈没したために比較的浅海にその遺物が残されていました。
その沈没場所は1975年には「海底遺跡」として文化財埋蔵地域に指定されこれまでに3万点を超える遺物が回収されたそうです。
開陽丸の復元には管理棟などを含めて13億5千万円の費用が掛けられたそうです。