ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

楠木正成公と加東-くすのき伝説

2018年02月11日 06時30分45秒 | Weblog
 10日(土)、湊川神社の垣田宗彦宮司の講演を聴きました。「楠木正成公の魅力-日本人と楠公精神-」の演題で、楠木正成公の出現、湊川の合戦、楠木一族、末裔の奮戦、後世の楠公崇拝思想の広がり、湊川神社創建という内容で、日本史の流れの中で日本人と楠木正成公、楠公精神の深いつながりを知ることができました。
 講演を聴いているとき、ふと、加東市内の楠木伝説のことを思い出しました。加東市古家にある「くすのき塚」です(写真)。
 湊川の合戦で敗れた楠木一族の残党がこの地にたどり撞いて隠れ住んだといういい伝えがあり、この塚の下の地中に鎧や甲、武器を隠したというものです。地下は空洞になっていて、力を入れて足踏みをするとがーんを響くと言われています。6年前にくすのき塚をこのブログで紹介しましたが、古家地区はその歴史を辿ると中世にさかのぼる古い歴史をもっているとの話を地区の役員さんから聞いたこともあります。
 また、播州清水寺のある御嶽山上には南朝の忠臣赤松氏範と一族郎党の墓があります。そして、江戸時代の末期に建てられた加東市家原観音寺境内の赤穂義士の墓碑もこうした楠公精神につながるものといえるでしょう。
 垣田宮司さんのお話の中で、若い人が楠公さんのことどころか、楠木正成という名も聞いたことがない人が多いことや、「嗚呼忠臣楠氏之墓」の墓碑を建てた水戸光圀公すなわち黄門さんさえ知らないということに驚きました。日本遺産登録は成らなかったようですが、新たにNHK大河ドラマで正しい楠木正成公を描いてほしいという動きがはじまっていると聞きました。ぜひ実現してほしいと思いました。

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