ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

義士の墓碑-吉田忠左衛門

2010年12月22日 05時32分12秒 | Weblog
 加東市家原赤岸の観音寺境内にある赤穂義士の菩提所には四十七義士の墓碑が主君を取り巻くようにコの字に並んでいます。菩提所の入口右手前には寺坂吉右衛門ら3人の墓碑があり、折れて南側の列の一番最初にあるが、四十七義士の参謀として知られる吉田忠左衛門兼亮(よしだちゅうざえもんかねすけ)の墓碑です。
 墓碑には 吉田忠左衛門の名と法名 刄仲光剱信士、年六十三 が刻まれています。吉田忠左衛門は加東市(旧加東郡)にゆかりの深い人で、加東郡奉行として穂積陣屋(加東市穂積)にあって、加東郡内の赤穂藩領地を治めていました。加東市立社中学校の前の状ヶ池、加東市多井田の聖神池などの普請を指揮したことでも知られています。江戸城で主君、浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こしたときも穂積陣屋にいたということです。映画最後の忠臣蔵の寺坂吉右衛門は吉田忠左衛門に従っていました。

辞世 君がため思ぞつもる白雪を散らすは今朝の嶺の松風
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