ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

旧役場あたり

2006年06月25日 05時35分53秒 | Weblog
旧役場跡
 田町通りの西田町から北に道を折れ、社小学校に向つてしばらく歩くと、社消防会館(加東市消防団社分団詰所)と駐車場が見えてきます。関西電力社営業所から郵便局に抜ける道路と交差する地点です。
ここには、もと社町役場がありました。昭和30年の町村合併の調印式はこの役場の2階で行われたのです。それ以前は社税務署の建物だったのですが、その後町役場として使われ、昭和47年に庁舎が嬉野に新築移転したあと、解体され、駐車場になりました。
 また、消防会館の裏に消防ホースを干す鉄塔がありますが、ここには以前、古い鉄塔(火の見櫓)があり、その最上部には「鐘」が吊され、市街地の火事を知らせました。
 昭和30年代だったでしょうか。役場の南にあった銭湯の大火事の時には、半鐘が激しく打ち鳴らされました。半鐘の鐘の音に驚いて外に出てみると、空が真っ赤に染まり、火炎と火の粉が吹き上がって、風呂屋全体が大きな炎に包まれていました。写真はありし日の社町役場です。

八志路幼稚園と神田学園
 旧役場跡の北には四階建のアパートが聳えています。この地には八志路幼稚園がありました(大正7年園舎新築~昭和53年、清水寺の経営)。
 また、社小学校へ通じる道の西側に空き地があります。この地には神田学園(「私立友隣家政女学校」・昭和7年~37年)がありました。本科は高等小学校卒業程度の女子を対象にして2年間、専科は高等女学校卒業程度の女子を対象にして1、2年間、裁縫や茶道、生花など良妻賢母となるべく基礎的な実習が行われました。
 さらに小学校に向かって歩くと、十字架が目に飛び込んできます。社ルーテル教会の建物です。この辺りはもとは天理教の教会がありました。(今は嬉野に移転)
 
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