ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

県営嬉野学徒錬成場の草創の記録

2014年10月16日 04時29分46秒 | Weblog

 兵庫県立嬉野公民研修所「創立20周年記念誌」1963には、学徒錬成場時代の頃の貴重な記録や体験談などが記されています。かつて公民研修所があった加東市山国2020番地辺りは、今では、県立社高校や県立教育研修所、さらには加東市市役所の新庁舎も近くに建設され、教育や行政の中心になっています。公民研修所跡地は、臨時の駐車場として使用されていますが、今から70年余り前、嬉野の原野であったこの地に学徒錬成場の建設が決定されたのです。その草創の頃の記録から、まとめてみました。

  県立嬉野台生涯教育センターの前身は県立嬉野公民研修所。そして、その前身が県営嬉野学徒錬成場です。昭和16年(1945)の8月に「県営の青少年学徒に対する錬成道場建設」が決定され、知事と社町長との間で、建設用地の無償貸与契約が結ばれました。昭和17年には宮内省から小出侍従が建設状況の視察に差遣わされています。昭和18年4月に第一期工事の完成落成式が挙行されました。

 「錬成計画」では、滑空部、馬事部、機甲部、通信部、火砲部の5部が置かれ、グライダーの操縦技術や乗馬法技術、自動車運転技術、通信技術、各種砲の操作技術の習得が内容となっていました。しかし、戦争が激しくなるにつれ、軍用資材の不足など計画の実行に事欠く状況だったようです。そして、18年の夏には、食糧増産に重点が置かれ、農耕訓練部が置かれて開墾作業が行われました。開墾作業のため動員された学徒の数は6760人、約1ヶ月で7町歩の開墾を完了したと記されています。(写真は八紘寮)                   

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 山国の県道脇の北向き地蔵さん | トップ | 嬉野学徒錬成場の一日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事