ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

石段と神橋

2006年06月26日 11時27分28秒 | Weblog
石段と神橋
明治館(元加東郡公会堂)の敷地にある忠魂碑の南側は、急な崖になっていて、社の市街地の高台がここで切れています。ここに石段があり、崖下の小道につながっています。
 この場所に石段があるのは少し唐突な感じがしますが、この石段は、昔は佐保神社への参道として、また、明治時代のはじめに八城学校が明治館の場所にあった頃は、通学路として多くの人々が上り下りしたようです。斜面にはどんぐりの木が生えており、石段には実が落ちています。
 石段は、今から約300年前の元禄14年(1701)に造られたとの記録があります。昔は、80段の階段を登りきると、佐保神社まで真っ直ぐにのびた参道があったようです。(『佐保神社誌』)
石段を下ると下川があり、橋がかかっています。今はコンクリート橋になっていますが、昔は石橋がかかっていて、「石の神橋」とよばれていたそうです。
 神橋がかかる下川は、社市街地の南端を東から西に流れる川幅数メートルの小さな川ですが、『佐保神社誌』には「御手洗川」、「社川」などの名が記されています。
下川の名前の由来をたずねると、「白川」とよばれ、三草山合戦で平家を討つた義経軍が社まで来て休息した際、この川で米をといだために白く濁ったので白川とよんだという言い伝えがあります。
 この下川には、山国へ通じる道に「くろう橋」(源九郎義経の名にちなんだ)や、「源ヶ坂」、「ゲンジの井堰(ゆ)」など、義経伝説にちなんだ名があり、歴史の古さを思わずにはおれません。「ゲンジ井堰」辺りは、今は両側がコンクリートブロックで固められていますが、昔は子どもたちの格好の遊び場になっていたようです。
 
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