ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

今日は義士祭

2010年12月14日 06時40分48秒 | Weblog
 12月14日、今日はいよいよ義士祭というのに、今、外は雨が降っています。
 もう40年余り前のことになりますが、社中学校時代、加東郡の中学校駅伝大会に出場しました。江戸城松の廊下の刃傷事件を知らせる早籠にちなんで駅伝大会が行われたと聞いていました。社小学校を起点に環状線を走り、中墓地から嬉野へ、さらに藤田ヘ下り、千鳥川の堤を走って、赤岸へと回ってくるコースだったと思うのですが、沿道には応援の人も出て、小雪がちらつくなか、タスキをつないで走ったことを思い出します。
 さて、観音寺(加東市家原の赤岸交叉点)では、法要、剣道大会、甘酒接待、福引き、駅伝大会などが行われる予定です。また、明治館(加東市社の市街地南端)では佐保亭落語会も開催されます。
 今日この歴史ブログで紹介したいのは、観音寺菩提所へと通じる通路の右手にある碑です。野之口正武の歌碑で、四十七義士を称える歌が刻まれています。嘉永三年と刻まれていますから、西暦1850年のこと、義士の墓碑が建立されてから3年後のことで、この菩提所を訪れた野之口正武が詠んだ歌が刻まれているのです。野之口正武は小野藩の藩校の教授だと聞いていますが、義士の忠義こそ「やまとごころ」の発するところであると称えています。  志貴しまのやまとこころはいひもかね名付てしらに尊かりけり
 
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