ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

冷泉為勝と依藤太郎左衛門自刃の地

2011年11月14日 04時45分22秒 | Weblog
 昨日紹介した県道社東条線の加東市小沢の道標から県道を嬉野台地へと走り、長い坂道を登り切ったカーブのその少し奥に冷泉為勝と依藤太郎左衛門の墓があります。今年の7月3日に投稿したこのブログで紹介しましたが、その手前の林の中にもう一本、石碑が立っています。これが、冷泉為勝と依藤太郎左衛門自刃の碑です。県道から別荘地への進入路の脇に立っているので車を止めて写真を撮りました。

 7月3日のブログの一部を再掲します。
 
 嬉野台地の東の一帯は依藤野とよばれています。これは、15世紀から16世紀にかけて東条谷を支配していた土豪の依藤太郎左衛門がこの地で討死したことから付いた地名だといわれています。
 依藤氏は小沢城(加東市小沢)、小田城(小野市小田)を本拠とし、東条川流域を支配する土豪でしたが、嘉吉の乱(1441)で将軍足利義教が殺されてから、播磨は不安定な状況になり、各地でこうした土豪が勢力を張り合っていました。
 16世紀の前半頃には、三木を支配していた別所氏が勢力を広げ、依藤氏は敵対していましたが、天正6年(1578)に別所長治が細川荘(三木市)の冷泉為勝を攻めたときに、依藤太郎左衛門は兵を率いて別所氏と戦い、戦さに敗れてこの依藤野の地で死んだということです。
 
 およそ430年前にこの地でそんなことがあったのです。
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