昭和13年(1938)、支那事変の翌年5月、徐州陥落の頃、郷土出身兵の遺骨出迎えの通知が社町長から区長などに出されています。隣の福田村出身兵が播但鉄道(現JR加古川線)の滝野町安取(現加東市河高地区安取)を通過するので多くの出迎えを、というものです。社町出身兵であれば、社町駅から福田橋を渡り、県道沿いに各種団体、学校生徒らが整列して出迎えていました。
社通号外
昭和十三年五月三十日
◎兵至急
社 町 長
区 長 殿
町会議員 殿
学校団体長殿
遺骨出迎ヘノ件
五月三十一日午后一時 福田村出身 故 玉井省一君ノ遺骨
滝野町安取(播丹鉄道踏切西)通過スルニツキ御出迎へ
相成度部内一般ヘモ伝言ノ上多数出迎ヘラレル様御示達
相願度通牒候也
社通号外
昭和十三年五月三十日
◎兵至急
社 町 長
区 長 殿
町会議員 殿
学校団体長殿
遺骨出迎ヘノ件
五月三十一日午后一時 福田村出身 故 玉井省一君ノ遺骨
滝野町安取(播丹鉄道踏切西)通過スルニツキ御出迎へ
相成度部内一般ヘモ伝言ノ上多数出迎ヘラレル様御示達
相願度通牒候也
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