メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ジャズ発表会

2013-11-11 21:28:34 | 音楽一般

昨日(11月10日)、音楽教室のジャズ系発表会に今年もヴォーカルで参加した。

会場は銀座ヤマハホールの地下。今回で3回目の参加である。

もともとトランペットとサックスのコース中心に、他の楽器、ヴォーカルも少し参加という形式で、今回出た後半では、ヴォーカルは私を含めて2人、あとはピアノが数人、ギターが2人くらいであった。

 

歌ったのは I've got you under my skin (Cole Porter  1936) 、歌うならチャレンジしがいがあるものという気持ちもあった。

2か月前からヴォーカル・コースで練習していて、当初難しそうと感じていた二拍三連が延々続くところはシナトラの録音をまねていたらそれほど時間をかけずになんとか感覚をつかめたが、それより同じ音が続くさびの一つとか、半音ずつ下がっていってまた半音ずつ上がっていくところかなど、最後まで苦労はした。

 

それでも、繰り返しのところで入れるフェイクは、シナトラのまねがベースだが、普段は使わないGもファルセットを使わないで出たから、これは狙いどおり。

 

バックはピアノトリオ、ピアノはジャズピアノを習っている先生だし、ベース、ドラムも実力で定評ある講師たちだったから、これは安心してまかせられた。あがることがなかったのは、もうかなりの間ジャムセッションを経験しているからだろう。

 

ワンコーラスをふつうに歌い、次のコーラスはピアノソロ、そしてもうワンコーラスを盛り上げを工夫して歌った。

 

一か月前に喉を少し傷め、風邪と重なり、直すのに長引いて、耳鼻科で漢方を処方してもらい、あまり声を出さずにリズムとタイミングの練習中心で来て、本番では、多分他人からは、普段の声に聞こえたと思う。自分では最後のところ少し嗄れたのがわかったが。

 

今回の発表会、全体としてレベルが上がっていたと思う。特に観客も含めて楽しんでやるという空気があったという点で。

 

ところでこの曲の日本語タイトルは「あなたはしっかり私のもの」で、自分で君を能動的につかまえたという感じなのだが、実際に歌詞を読むと、むしろ好きだけれどもその一方で用心していたのに理性的であろうとしたのにあなたはもう私の中にはいってしまった、というもので、そういうぼやきというか可笑しさが軽みとして出たかというと、これはまだまだ、これからの課題だろう。

 

なお、リハーサルでベースの方の言によれば、この半世紀以上前のビッグバンド用のコード進行は今ではかなり珍しく、楽器演奏では多少慣れが必要とのことであった。

 

 


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クロールを中学生に教わる

2013-11-07 14:51:39 | スポーツ

先日、スイミング・スクールのレッスン時間、顔は見たことがあった子が初めて同じコースに来た。こういうときは声をかけることにしていて、「何年生?」ときくと中2だという。

 

この日は4種目を平均してやったのだが、彼は全部やわらかい動きと早いピッチでみごとに先頭をこなしていた。とりわけ感心したのがクロールの手でかいた後、つまりリカバリが見事に体の近くを肘がリードする形でできていること、いわゆる「ハイ・エルボー」であった。

 

終わった直後に「きれいなハイ・エルボーだね、手本になるよ」というと、うれしそうな顔をした後、なんとポイントを説明し始めた。それも的確な言葉と理屈で、かまえず自然体で。

 

そのなかで、肘が頂点に来てからは、力を抜き重力で自然に前方へ落とすようにやればよい、というのがなるほどと腑におちた。

肘を高くするところまでは普通教わるけれど、そのあとはできるだけ腕を伸ばす、そのときローリングをして手先がより前へと考えていたのだが。

これは多分、ハイ・エルボーと従来のストレート・アームすなわちあまり肘を曲げないで体の外側少し離して前に持っていく、どっちでもよいということにスクールではなっていることから、おさえるべきポイントが混合しているからだろう。

子供たちにはハイ・エルボーのようだが、私たちシニアもいれば強制はできない。そういう中で、筋力のある人は従来のやり方で、腕を最後はできるだけ前にでもいいのかもしれないが、ハイ・エルボーの利点をよくいかすには、リカバリだけでなく、キャッチまでの動きも彼の教えるようにしたほうが、エネルギー・ロスが少なくていいのかもしれない。

 

それで2日後に試してみたら、ピッチを上げやすく、それでも疲れないから、少し早くなったような気がする。当面続けてみようと思う。

 

それにしても、14歳で体で覚えているだけでなく、頭の中でなぜこうするのかが整理されていて、大人に理論的に説明できるということに感心した。おそらく学校などで後輩に教える立場でもあるのだろうが。

 

子供のころから水泳を本格的に習う環境ができて久しいが、その効果はこういうところにもある。

 


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ヘミングウェイ「移動祝祭日」

2013-11-06 14:25:51 | 本と雑誌

アーネスト・ヘミングウェイ 「移動祝祭日」 ( A Moveable Feast )

高見 浩 訳 (新潮文庫)

 

ヘミングウェイ(1899-1961)の作品で主要なものはほとんど読んできたが、これはまだであった。またこのタイトルとパリ時代のことを書いているということから、「日はまた昇る」と同様の初期作品と思っていた。ところがその反対で、最晩年に書かれ死後の刊行である。

 

1921年~1927年、最初の妻ハドリーとパリに住み、いわば作家修行をしていた時代、その生活、出会った人たちとの交流を、そのころのパリを背景に描いている。特に、ガートルード・スタイン、エズラ・パウンド、スコット・フィッツジェラルドとの交際には多くのページがさかれており、部分的にフィクションもあるらしいが、ヘミングウェイの作家としての成長、特にその目的意識が感じられるものとなっている。有名人以外では、シェイクスピア書店のシルヴィア・ビーチ、彼女は作家にとって欠かせない人だったようだ。

ヘミングウェイに対してはいろいろなイメージがつきまとい、私もそれに影響されていないとは言えないが、本書の訳者高見浩がつぎつぎと新訳を出し、それで再読しだしてから、つくづく彼は文章の人ということがわかってきた。 形容詞を極力省略するようにしていたらしいということだが、それはそうだろう。

 

私のように、書く文章がこれまでほとんど仕事の文章であれば、形容詞には注意しなければならないのだが、それほど意識的になれたかどうか。今でも大学では「理科系の作文技術」(木下是雄 中公新書)が文科系の学生にも推奨されていて、それはいいことだと思うし、私も授業で薦めることがある。「事実と意見」という形で。

 

ただ文学でもヘミングウェイのように、というのはかなりの決意である。

 

フィッツジェラルドとの交流は、愛憎混じった変な成り行きであるけれど、おたがいその力は認め合っていたらしい。といってもそれは解説を読んで知ったことで、ここに書かれた作品では、ぼかされている感じがある。

 

ここに出てきた人たち、この時代、場所は、ウディ・アレン監督・脚本の「ミッドナイト・イン・パリ」(2011)とまさに重なっている。様々な魅力があり、アレンが惹かれるのはわかる。

 

そのうちまた初期の短編集を読んでみよう。

 


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カイユボット展

2013-11-01 21:39:22 | 美術

カイユボット 展  - 都市の印象派

ブリヂストン美術館 2013年10月10日(木)-12月29日(日)

 

ギュスターヴ・カイユボット(Gyustave Caillebotte) (1848-1894)については、ブリヂストンにある「ピアノを弾く若い男」と今はオルセーの看板の一つになっている「床削り」しか知らなかったから、今回こうしてまとまった展覧会を開催してくれたのはありがたい。

 

金持ちの家に生まれ、モネをはじめとする印象派仲間の絵を多く買い取って彼らを経済的に支え、そのコレクションは国に寄贈されたから、それが今オルセーなどの骨格にもなっている。

 

絵を見ていくと、自画像、人物などのポーズ、画角度など、同じ時期に同種のものとして参考展示されているセザンヌやルノワールと比較しても、むしろカイユボットの方がしっくりくるところがある。

 

逆にそれが、見ていて気持ちよく絵の中に自然に引き込まれていく反面、絵のタッチや視線の複雑さなどで、他の画家のように抵抗感ゆえに何かこっちに考えさせるようなところは少ない、ともいえる。微妙なところである。

 

もっとも、人間や人間に見えてくる社会の影というものが、すっと入ってくる。これはこの人の魅力である。

 

画家の弟が写真をやっていたこともあって、絵の対象を撮った写真がいくつか参考に出ている。写真をうまく使っているのもあり、また全体にあるいは部分的により広角サイドにデフォルメしたものもあり、そこらにこの画家の才覚が見られる。有名な「ヨーロッパ橋」など。

 

こういう画家にフォーカスした展覧会を企画・開催できたのは、この美術館の底力といっていいいだろう。

 

 


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