メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ハウス・オブ・ヤマナカ

2011-11-14 14:10:42 | 本と雑誌
「ハウス・オブ・ヤマナカ  東洋の至宝を欧米に売った美術商」 
 朽木ゆり子 著 (2011年3月 新潮社)
 
明治から戦前にかけて、欧米特に米国に日本と中国の美術品を大規模に売った山中商会という美術商について、その活動と盛衰を詳しくえがいている。
 
山中商会の活動の結果、アメリカの大きな美術館や富豪は、日本にないのが残念なような逸品を数多く保持している。一方で、それは日本美術に対する欧米の理解、評価につながっている。そして最近のプライス・コレクションにまで間接的にはつながっているそうだから、それがなければ我々は、例えば今のように伊藤若冲の価値に気づき鑑賞することに至らなかったわけである。
 
大戦中の米国政府による接収で、山中は財産を失い、戦後ほぼ忘れられた存在になっているが、著者は詳細な調査をもとに、その足跡を見事に残したようだ。
 
美術商だからか、売り買いの客に対する配慮か、おそらく盗難や税金の心配で詳細な記録を残すことを特に当時はしていないらしいが、そこはアメリカで、美術館側の購入記録、戦争中の接収に関する米国国立公文書館の資料は多く残っており、これらのアーカイブを著者はたいへんな労力で調べたようだ。
私の仕事もアーカイブに関するものだから、このことの価値は理解できるし、またやはりアメリカという気もする。 
 
話の中で、戦前の会社名、人名に、おやっというものも多くある。日本の陶器、窯業大手ほとんどの始まりである森村商会の話、また現在は根津美術館にある光琳の「燕子花図屏風」は根津嘉一郎より前に松方が持っていたことなど。
 
もうひとつ、横浜ニューグランド・ホテルの経営者として有名だった野村洋三(1870-1965)はアメリカで「サムライ商会」という美術商をやっていたようだ。
晩年野村はニューグランドの食堂の隅でいつも食事をしており、客のなかを握手をしてまわることで有名で「ミスター・シェイク・ハンド」といわれていた。私は確か中学生のころだったと思うが、祖父に連れられて食事にいったとき、握手したことがある。やわらかい手だった。

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