「アルゲリッチ音楽夜話」という番組が10月14日NHKBS-2で放送されていた。再放送らしいが見るのは初めてである。2002年ドイツの制作でイタリア賞を取ったとか。
アルゲリッチ(1941~)の映像は演奏、インタビューともそれほど珍しくはないが、ここでは彼女の音楽に対するアプローチの本質をうかがうことが出来る。
従来から自由奔放で個性的ということがむしろポジティブに語られてきたが、必ずしもそう単純ではないらしい。
彼女は、演奏の機会ごとに、その曲に向かい、一瞬一瞬を判断し掴み取ってピアノを弾いていく、だから解釈と練習を極めて完成形を作り「どうだ」とさしだすタイプではないようだ。
それは13歳のときから、フリードリッヒ・グルダに1年半教えを受けたということとあわせるとなるほどと納得できる。グルダもそういうタイプである。
それと彼女は教わって練習に練習を重ねたタイプではないらしい。ヴィルトゥオーゾにもそういう人がいることはリヒテルを見ても明らかだが。
面白いのは、
経験は必要ないと思っていたが、次第に自分は未熟であると気がつくようになり怖くなった。
音楽を聴いた最初の感動はベートーベンのピアノ協奏曲第4番(クラウディオ・アラウの演奏)、だからその後この曲は弾けない。
ロマンチックな曲にはユーモアがない、ユーモアがあるのはハイドン、ベートーベン、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチなどで、ラベルは洗練されているがユーモアはない。
シューマンは私(アルゲリッチ)が好きなようだ。シューマンはあまり遊ばない方がいい。
一人で弾いているとまわりが見えなくなる。(これはこのところソロをやらないことを物語るものなのかどうか)
自分の150%を抑えないと自分の60%は得られない。
9歳のときから、こう弾かなければ死んでしまう、ミスしたら死んでしまう、と心に念じると失敗しなかった。
演奏会とか特別な機会でないと、曲を全部弾きとおすことはない。
(たしか、ホロヴィッツも、100回も練習するとコンサートが101回目の練習になってしまうということを言っていた)
など
バッハではパルティータの2番が好きで、これでリサイタルを始めると落ち着く、というのは何故か納得した。これから久しぶりに聴いてみよう。
若い頃から髪型もほとんど同じ。この人、ピアニストに歌姫というのはおかしいが、本当に素敵な姫である。