メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

エターナル・サンシャイン

2006-10-01 22:48:18 | 映画
「エターナル・サンシャイン(Eternal Sunshine of The Spotless Mind)」(2004米、107分)
監督: ミシェル・ゴンドリー、脚本: チャーリー・カウフマン
ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット、キルステン・ダンスト、マーク・ラファロ、イライジャ・ウッド、トム・ウイルキンソン
 
ある男(ジム・キャリー)と女(ケイト・ウィンスレット)がうまくいかなくなり、女はなんとその男に関する記憶を消してくれるという会社に仕事を頼み、その通知が男に来る。男は何故かそれならと自分の彼女に関する記憶を消してくれるように頼む。しかしその作業中に男は脳内で記憶を消されないよう戦い始め、それを追いかける会社の博士と、記憶の中に現れ彼と一緒に戦い始める彼女、多くは記憶の中の映像として描かれるそのストーリーは思いのほかよく出来ている。
 
こういうSF的なものは本来あまり好きではないのだが、記憶の中での戦いは、それでもひき込んでいく魅力をもっている。
 
実をいうと半年ほど前にDVDで見たときにはわからず、次の日に日本語吹き替えで見て、ようやくなんとかわかった。今回もう一度見てみようと思ったのは、ひとえに脚本がチャーリー・カウフマンだということにある。 
 
本質から外れるが、こう思わせてしまうから大したものである。この作品もなかなかのキャストであるが、彼の脚本だから出演したということもあるのだろう。
「マルコヴィッチの穴」(1999)、「コンフェッション」(2002)、「アダプテーション」(2002)とくれば、それもそうだろう。
 
この作品はどちらかというと「マルコヴィッチの穴」をもっとメロドラマにした、でもそんなにブラックではない、といったところだろうか。それでも、記憶の中にいいも悪いもあるが、好きになったという記憶がそんなに簡単に消えてしまうことはなく、意識的な能動的なものによってよみがえり、新しい展開に進んでいくという希望を提示している。
 
彼の脚本は前の2つで、作家としても社会的にも「自分の作家としてのスタンスは」というところが強すぎて、ちょっと引いてしまったが、今回は入っていける。
 
ジム・キャリーは今回まったくコメディアン的なものはなく、気弱な男をベースとした設定を、我慢強く演じている。考えてみると、こういうスイッチで代わってしまうとか、記憶喪失とか、二重人格とか、仕掛けを含んだ主人公を演じたことは多い。
「マスク」(マスクで)、「ライアー・ライアー」(子供のお祈りの奇跡で)、「トゥルーマン・ショー」(生まれと時からスタジオで)、「二人の男とひとりの女」(二重人格で)、「マジェスティック」(記憶喪失で)など。それと違って、脳にICチップを埋め込んでそれから逃れるためのストーリー展開も物理的、というようなものになると、結果として大した話にならない。今回の設定はぎりぎりというところだろう。
 
ケイト・ウィンスレットは「タイタニック」では、特に日本では、あまり評判良くなかったが、多少太いかどうかというのは別にして、実にいい女優に確実になっている。
 
そのほか、キルステン・ダンスト(「インタビュー・ウイズ・ヴァンパイア」の子役)はやはりなかなか、トム・ウイルキンソンも「理想の女」のタビィ同様、無理のないうまさであった。
 
この題名はなんだろう。「無垢の記憶の永遠の陽ざし」とは、、、
人間の記憶というものへの信頼なのか賛辞なのか。
そういえば「マルコヴィッチの穴」の最後もブラックではあるが何か明るく肯定的なものであった。
この映画、レンタルでの人気は今でもかなりなもので、それは納得出来る。

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