メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ショルティの「魔笛」

2011-12-15 14:46:56 | インポート
モーツアルト: 歌劇「魔笛」
ゲオルク・ショルティ指揮ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団
演出:ヨハネス・シャープ
デオン・フォン・デア・ヴァルト(タミーノ)、ルース・ツィーサク(パミーナ)、アントン・シャーリンガー(パパゲーノ)、エディット・シュミット・リンバッハ―(パミーナ)、ルチアーナ・セーラ(夜の女王)、ルネ・ハーペ(ザラストロ)、フランツ・グルントヘーバー(弁者)、ハインツ・ツェドニク(モノスタトス)
1991年8月8日、ザルツブルク祝祭大劇場
2011年10月NHK BSプレミアム「ハイビジョンアーカイブス」で放送されたもの
  
魔笛は劇場でじかに、また映像でもなんどか見てきたが、今回久しぶりに見て、このオペラの主人公はパパゲーノかな、と思うようになった。少なくとモーツアルトはそうしようとした、と。
 
夜の女王のザラストロに対する恨み(この二人は以前結婚していた、という解釈に基づく演出があったような気もする)、それに対する娘パミーナの服従、その世界は感情をもとにした世界(たいては外部に対する怨恨に結びつく)、それの否定、克服としての昼、賢さ、試練の対置、その象徴としてのザラストロ、娘の動機付けとしての王子タミーノ、ということなのだろうが、どう見てもザラストロは魅力にとぼしく、小説、戯曲ならともかく、これはオペラとなると音楽で救うというも難しい。
 
これを我慢して、いろいろ解釈しながらこれまで聴いてきたのだが、今回こういうことはあまり気にせず、この状況を打開していくのはパパゲーノの天性、と考えれば納得いくし、見ていて、聴いていて楽しい。ザラストロのいうことをきくものばかりでは、事態は進まないのである。
最後に夜の女王が敗れるのが雷のせいではこっちは納得しないが、パパゲーノを見ていれば、生き残るのはこっち、というわけだ。
 
この演出、よくあるおどろおどろしい、あるいは子供っぽいところはなく、透明感のある舞台、歌唱は悪くないが容姿も衣裳も地味なタミーノとパミーナに比べ、パパゲーノのシャーリンガーは躍動感もあり、衣裳もはっきり目立つものとなっている。
 
1991年ですでに歌手で記憶のある名前がハインツ・ツェドニク(モノスタトス)だけとは、メトロポリタンと同様、こっちの鑑賞体験に空白があるようだ。
 
ショルティ(1912-1997)はこのとき78歳、この人の魔笛はやはりウイーン・フィルとのスタジオ録音を聴いているけれど、今回その指揮ぶりとともに聴くと、この曲の演奏として最高に精妙であり、あのウイーン・フィルも磨きに磨いたという感じの演奏である。これほどのレベルの演奏はほかにないかもしれない。
 
そしてパパゲーノにスポットライトがという意味では、最後のアリアのところでパパゲーノはオーケストラピットに降りてきて、ショルティはパパゲーノと仲よさそうにチェレスタを自ら弾きながら伴奏指揮をする。主役はパパゲーノ、ととってもいいですよ、とでもいうように。
 
ショルティはもともとピアニストでコンクールにも出たこともあり、自信たっぷりでうまい。晩年にいい映像を残してくれた。
 
ところで、日本語歌詞のスーパーが妙に小さい、と思っていたら、これは1991年放送時のまま今回も放送しています、と表示があった。そう、この鮮明なハイビジョン画面はすでに20年前に放送されていたのである。
このところ大学でデジタルアーカイブの概論を講義しているが、主対象は3年生でほとんど1990年生まれである。どうりでアナログだデジタルだといっても、理解しやすい話かたに苦労するわけだ。
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