山猫 (IL GATTOPARDO、1963伊仏、イタリア語・完全復元版、186分)
監督:ルキノ・ヴィスコンティ、原作:トマージ・ディ・ランペドゥーサ、音楽:ニーノ・ロータ
バート・ランカスター(サリーナ公爵)、アラン・ドロン(タンクレディ)、クラウディア・カルディナーレ(アンジェリカ)、セルジュ・レジアニ(チッチョ)
久しぶりに見た。これまでは多分どこか名画座のようなところで1回、そしてビデオで1回くらいだろう。それも国際的に長期間流通していた英語版であった。
だからといって印象や評価が決定的に違うということもないだろう。長さは、特に最後の舞踏会の場面はちがうらしいが。
(と思ったが、探したら岩波ホールのプログラムが出てきて、そこから古いメモ帳を調べると1982年7月24日にここで見ている。これは今回と同じイタリア語の完全復元版であった。英語という記憶はTVで短縮版をみたときのものだろう。 以上、12月26日修正)
先にアップした原作「山猫」(1958)の映画化で、これが刊行されてからおそらくすぐに話が進んだのだろうと思われる。原作の第6章までをほぼ忠実に追っている。あとの2章はそれぞれ20年後、さらに30年後だから、これは映画としては自然である。
ヴィスコンティの映画としては、かなり淡々として進んでいくもので、それが社会の変わり目を鮮やかに、旧世代の公爵と新世代のタンクレディ、アンジェリカの対照をうまく描き出している。時が早く動いていく。そして全体として群像劇にもなっていて、その装置、衣裳、カメラなど、ヴィスコンティならではのぜいたくな作りが、映画として楽しめる。反面、ドラマとして動かされる部分は乏しい。
そうなると、やはりこれは大画面で見るものといえるだろうか。そうでないと今後あまり高い評価は得られないかもしれない。
イタリア語・完全復元版というけれども、それぞれの俳優は何語でしゃべっていたのだろうか。
バート・ランカスターはイタリア映画にもよくでているけれど英語? そしてアラン・ドロンもヴィスコンティ映画にはこれ以前も起用されているけれど仏語? どうなのだろうか。もちろんクラウディア・カルディナーレはイタリア人だからこれはそのままで(チュニジア生まれで子供のころはフランス語だったらしいが)、彼女のきわだった美貌と台詞でみせる下品な感じのアンバランスはまさにはまり役である。
セルジュ・レジアニはシャンソン歌手と思っていたが、イタリア人俳優でもあるようで、この顔は見た記憶があるけれど(確か悪人役で)、作品は思い出せない。