メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

エルヴィス・プレスリー:ザ・サーチャー(ドキュメンタリー)

2018-09-12 21:53:33 | 映画
エルヴィス・プレスリー:ザ・サーチャー(Elvis Presley The searcher、2018米、前/後 110/100分)
監督:トム・ジムニー
 
エルヴィス・プレスリー(1935-1977)の生涯を、残っている多くの映像、音源と関係者の証言で綴ったドキュメンタリーである。今年米国で発表されるや評判となったらしいのだが、それは知らなかった。たまたまWOWOWの放送予定表で見つけ、録画して見ることができたのはラッキーだった。
ストーリー全体をまとめるならこの半分の長さでも可能だろうが、そこはプレスリーの音楽、映像を味わいたい人が多いだろうから、こうならざるを得ない。
 
プレスリーが売れ出した時期のレパートリーからすると、この人の音楽はR&Bをベースにしたロックン・ロールではあるけれど、ある程度きいた人には感じ取れるように、もっともとにあるのはカントリーとゴスペルである。特に後者については、今回より強調されていて、ここに出てくるいくつものシーンからも、それは納得できる。
 
彼の死後も含め多くの人がコメントしているように、この人は白人、黒人の間を音楽で乗り越え、融合してしまった、それはアメリカ音楽をその後豊かにしたといえるだろう。あの発声法はその面でもピッタリである。
 
それからここでsearcherつまり探索者、追求者とは彼自身であり、曲を書きはしなかったが、決して作られた偶像ではなく、セルフプロデュースの人であったようだ。
 
メンフィスでヒットを出し始め、若くしてすぐに2年の兵役で西ドイツに、除隊・帰国して多くの映画に出演、それがうまくいかなくなって、晩年あまりにも多くのライブショーと、こうしてまとめられると、ずいぶん過酷な生涯だったようだ。
 
久しぶりにまとめて続けて聴くと、声と唱法に感嘆するし、いつも真摯に(ゴスペルから発しているからか)歌っていることに感銘をうける。
 
関係者の証言も興味深いが、死の少し前、ライブであまりにも家庭を留守にした結果か、離婚した妻のプリシラが的確に多くの場面で語っているのが印象的である。この結婚は彼にとって不幸ではなかったのだろう。
 
こうしてみると、ミュージシャンとして、特に歌手として20世紀最大の一人だったことは疑いない。ただ私にとってこの人は夢中になるよりもう少し落ち着いて聴くうまい人になってしまう。それは「世代」というもので、自己規定するとプレスリーとビートルズの間で、映画「アメリカン・グラフィティー」の音楽がピタリと重なる。
 
でも、もっと一般的な話としてプレスリーがすごいのは、古今東西多くの名歌手が歌ったロックでもポップスでもない曲、たとえば「オー・ソレ・ミオ」(It's now or never)など、誰が聴いても心を打たれるのではないだろうか、ということである。
 
そんなことを考えていたら、本作のクレジットの最後に流れてきたのは、私の前後の世代だったら音楽の教科書に載っていたはずの「さらばふるさと」(Wooden Heart)、そうあの「ムシデン、ムシデン」(ドイツ民謡)である。泣けてくる。
 
なお、一つ珍しい観てもうけものだったシーンは、除隊後に久しぶりに受け入れられやすいよう選んで出演したフランク・シナトラの番組。二人とも相手をうまく立て楽しそうである。シナトラは下の世代の優れた才能の評価とその起用(共演など)がうまい人だった。

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