メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ことの終わり

2009-07-12 21:46:51 | 映画
「ことの終わり」(The End Of The Affair、1999年、英・米、101分)
監督・脚本:ニール・ジョーダン、原作:グレアム・グリーン、音楽:マイケル・ナイマン
レイフ・ファインズ、ジュリアン・ムーア、スティーヴン・レイ、イアン・ハート
 
1944年~1946年、つまり大戦前後のロンドン、内務省の役人ヘンリー(スティーヴン・レイ)とその妻サラ(ジュリアン・ムーア)、ヘンリーの旧友で作家のモーリス(レイフ・ファインズ)、この三角関係といってしまえばそれまでだが、時代、素行調査の探偵、そして作家と、グレアム・グリーンではおなじみの世界も背景としてはある。
それでも、おそらくグリーンの作品としてはこの男女三人にテーマがしぼられた珍しい部類かもしれない。それほど読んでいるわけではないが。
 
ただ、サラが揺れ動くのが二人の男の間だけでなく、そこに「神」が出てくるとなると、こっちは受け取り方もためらってしまう。
 
三人の中ではジュリアン・ムーアがいい。気品と大胆な色気と双方あわせもっていて、文句なし。スティーヴン・レイのちょっと物足りない、何かわからないが耐えている夫役もうまい。レイフ・ファインズ、こういうのははまり役だが、どうもいつも同じような気もして、予想がついてしまうのはどうなのか。男として反対の立場でのはまり役コリン・ファースと比べて、演技派と思っていたが、似たようなところもある。
 
ニール・ジョーダンが好きな夜の情景は相変わらず、同じ場面を少し違った形で繰り返して出してくるところは、ミステリーの霧が少し晴れていく良さと説明的過ぎるのとで、一長一短。
 
ところでこの原作の日本での題名、一般には「情事の終わり」(新潮社)だろう。やはり映画では少し具合が悪かったか。そのせいか、公開されたのも知らなかった。
実はグリーンのこれと「権力と栄光」は、高校時代に英語の力をつけようということもあって、自分で選んで確かペンギン・ブックスで読んでいる。「権力と栄光」はだいぶ後に翻訳で読んだ「ヒューマン・ファクター」同様、政治がらみの世界で、その分わかりやすかったが、こっちは男女の話ということで興味を持って入ったものの、いきなり「神」が出来てなんだかわけがわからなくなった記憶がある。最後まで読み通したかどうかも、本当は怪しい。
 
今回映画を見ていて気がついたのは、この三人、いずれも作者グリーンの一部を反映している。以前は作家がグリーンと単純に思っていただけだったが、どうもサラにも作者自身の反映が多くあるのではないか。
夫はこれまでの英国という旧世界と作者の育ち、作家は今の自分、そしてこの無神論者は新世界(例えば社会主義)の象徴であろう。グリーンは「ヒューマン・ファクター」に集約されるようなこうした二極、そしてその間のインテリジェンス(諜報)・スパイの世界と密接である。
その二極の間で生きていくものとしてのサラ、よって立つところは何か、自分なのか「神」なのか、と全部ではなくても読めないわけでもない。
 
高校時代、そういう楽しみ方が出来なかったのはもちろん当然である。
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