メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

むずかしい愛(イタロ・カルヴィーノ)

2007-05-26 19:15:17 | 本と雑誌
「むずかしい愛」(イタロ・カルヴィーノ、和田忠彦 訳)(岩波文庫)
ここに収められている12の短編はほとんど1958年に発表されている。
題名はみな「あるXXの冒険」でXXは兵士、悪党、海水浴客、写真家、詩人、スキーヤーなど多岐にわたる。
冒険というにふさわしい緊迫した状況設定は確かにあるのだが、その結末に特にひねった落ちがあるわけではなく、それを読もうとすると肩透かしを食う。もっとも3編目あたりからはそれは承知の上でということになるのだが。
 
こういう設定のなかで、主人公は相手とする人間の言葉、仕草、背景などについてあらゆる方向で可能性を考え、考えているうちに局面は変ってしまう、といったプロセスが多くあらわれる。
 
要するにこれは、主人公の側の、つまり作者の側のひとり相撲なのである。頭のなかに多くの想像がつまって膨らんで、行き場所がなくなる。それは作者の意図したものであり、おそらくそうやって言葉を連ねて書くということの困難、不可能というものを提示したのだ。
 
しかし、それでも物語と作者の策略はあやういところで、いつか読者を夢中にさせ、人と人とのコミュニケーションの難しさを感心する手管で味あわせてくれる。
 
中で、表現論というよりは、生きるということについて、行動するということについて、見事に描かれ好きなところは、作品としてはあとから追加された「あるスキーヤーの冒険」で、スキーのうまい若い娘を追いかけて、捉えることが出来ない、そして最後の文章。
 
 すると人生という無形の混乱のなかにも秘密の線分が、あの空色の娘だけが追跡できる調和が隠されていて、そして想定される何千もの動作の混沌のなかから一瞬一瞬、あんなふうに正確で明晰で容易で必要なものはひとつだけ、彼女がえらびとる、それこそが奇蹟なのではないだろうか、だとすれば、失われた幾千もの仕草のなかからえらばれたそのたったひとつの仕草、それだけが大切なのだ、そんな気がしてくるのだった。
 
カルヴィーノについては、難しい議論はいろいろあるらしいが、30年ほど前に「まっぷたつの子爵」、「木のぼり男爵」で、メルヘンを超えたつらい話でありながら、どこか慰められる読後感、という記憶がある。20世紀のなかで、やはり傑出した一人なのだろう。
 
なお、岩波文庫が創刊80周年記念でやったことのなかで、多くの有名人にその人の三冊を選んでもらった。そのいくつかを詩人の荒川洋治がラジオで紹介していて、最後にそれには参加していなかった彼が選んだ三冊の中に、この本が入っていた。あと二つは確か中勘助「銀の匙」、(多分)永井荷風「墨東綺譚」(墨にはサンズイがつく)だったと思う。
この本は10年近く前に買ってそのままになったいたのだが、この放送を聴いて思い出し、読んでみた。

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