「ブラッド・ダイヤモンド」(Blood Diamond、2006年、米、143分)
監督:エドワード・ズウィック、脚本:チャールズ・リーヴィット
音楽:ジェームス・ニュートン・ハワード
レオナルド・ディカプリオ、ジェイモン・フンスー、ジェニファー・コネリー
1990年代、森と山そして太陽が美しい西アフリカのシェラレオネ、ここはダイヤモンドの産地であり、それは政府軍と反政府軍(RUF)の争いの中で、特に後者が闇の流通で武器購入費をかせいでおり、それを収奪した集落から労働力を調達し、また少年を洗脳して兵士にしている。
監督:エドワード・ズウィック、脚本:チャールズ・リーヴィット
音楽:ジェームス・ニュートン・ハワード
レオナルド・ディカプリオ、ジェイモン・フンスー、ジェニファー・コネリー
1990年代、森と山そして太陽が美しい西アフリカのシェラレオネ、ここはダイヤモンドの産地であり、それは政府軍と反政府軍(RUF)の争いの中で、特に後者が闇の流通で武器購入費をかせいでおり、それを収奪した集落から労働力を調達し、また少年を洗脳して兵士にしている。
そういう中で、アフリカ生まれの闇取引屋でそろそろ外に出ようと思っているアーチャー(レオナルド・ディカプリオ)が巨大なピンクダイヤを見つけたらしいバンディー(ジェイモン・フンスー)に目をつける。息子をさらわれて少年兵にされ、家族とも引き離され、再会を一途に求め続けるバンディー、そこにアメリカのジャーナリストで闇ダイヤ取引を追い続けるボウエン(ジェニファー・コネリー)が入ってくる。後の二人にとってはバンディーが某所に隠したダイヤそのものはどうでもいいのだが、アーチャーのうまい駆け引きで、そこへ行くことに協力することになってしまう。
このあたりの、いかにもそういう連中にありそうな雰囲気をディカプリオがうまく出しているし、この過程での内戦シーンの中をバンディーと一緒に駆け抜けていくところは、映画として見せる。
実はこの映画、この社会性、問題の摘発という性格がもっと強いものだと思い込んでいた。おそらく出すべきところは出しているのだろう。しかし見ているうちに、三人と反政府軍、そして外国人傭兵部隊のドラマとしてのうまい絡ませ方、そっちの方に頭がいってしまった。個々の描き方は常識的、類型的ではあるにしても。
それは、製作側の意図であったようだ。
ジェイモン・フンスーはこのところよく見る俳優で、姿もいいし(最初はモデルとか)、抑えるところは抑える演技もいい。ジェニファー・コネリーはいかにもこの役にはピタリでディカプリオが女として魅力を感じるというタイプかどうかを別とすれば違和感はない。ただこの二人だと、ドラマの先が想像できそうな感じがしてしまう。
そうならなかったのはアーチャーがディカプリオだったからだろう。この人は主役でも、善悪の両面がなかなか見通せない演技がこのところ多い。これは今回も期待どおり。
音響と音楽が、場面展開とともに見事で、こういうところから見る方もアフリカの音のイメージなじんでいくようだ。パーティでのダンス集団の中でアーチャーとボウエンが互いの立場をもとにやり取りをするのが、ラップのような感じにきこえるのも面白い。
この映画でもアフリカ人の描き方は類型的で、特に悪の複雑性が描かれていない。西欧社会の利益の犠牲という視点はあっても、それに乗る人、反抗する人という単純な図式からあまり出ていない。そういう意味でも「ホテル・ルワンダ」は意義ある作品だった。
三人が突破に使う車がパジェロ、続くマイクロバスがローザで、いずれも三菱。この国はパリ・ダカール・ラリーのコースからそう遠くもないからだろうか。