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Jonson, "Musical Strife"

ベン・ジョンソン(1572-1637)
「歌の競争--羊飼いたちの対話--」

(女)
ね、歌で戦いましょう?
天球にケンカ売ってやりましょうよ?
わたしたち二人とも星になって、
世界中に歌を聴かせてあげましょう。

(男)
そんなことしたら、けものや鳥にも
知恵がついちゃうよ?
木や石にも心が与えられちゃうよ?
逆に、人間は心奪われちゃうよ?

(女)
だったらあなたも声をあわせて歌って。わたしたちでがんばって
流れる川を止めるの。
山の石切り場の石を動かすの。
それから、森に歩いて来させるの。

(男)
でも、ぼく、いらないじゃん? 君が歌うだけで、
眠りも、死も目を覚ますよ。
きれいな歌も、とげのある言葉も、
君の口からしか出てこないよ?

(女)
天使たちは下界で人間がしていることを
ひとつひとつちゃんと見ている、っていうわ。
そして、見てわかってることでも、
聴いて味わってホントに楽しんでる、って。

(男)
だったら歌っちゃダメだよ。だって
いちばんの天使がまた落ちてきちゃうから。
君の歌っていうごちそう目あてに。
地上を天国と間違えちゃうんだ。

(女)
いいじゃない。わたしたちの魂をふりしぼって、
天使たちのご期待にこたえましょう?
そしたら、彼らは天国から落ちてこないで、逆に、
わたしたちを引きあげて天の聖歌隊に入れたいって思うかもしれないわ。

* * *

Ben Jonson
"The Musical Strife: In a Pastoral Dialogue"

She.
Come, with our voices, let us war,
And challenge all the spheres,
Till each of us be made a star,
And all the world turn ears.

He.
At such a call, what beast or fowl,
Of reason empty is!
What tree or stone doth want a soul?
What man but must lose his?

She.
Mix then your notes, that we may prove
To stay the running floods;
To make the mountain quarries move;
And call the walking woods.

He.
What need of me? do you but sing,
Sleep, and the grave will wake:
No tunes are sweet, nor words have sting,
But what those lips do make.

She.
They say, the angels mark each deed,
And exercise below,
And out of inward pleasure feed
On what they viewing know.

He.
O sing not you then, lest the best
Of angels should be driven
To fall again, at such a feast;
Mistaking earth for heaven.

She.
Nay, rather both our souls be strain'd
To meet their high desire;
So they in state of grace retain'd;
May wish us of their quire.

* * *

以下、訳注。

2 sphere
天球。昔の宇宙観では、地球を中心として
透明な球体が8-10体まわっていて、星や星座は
そこに貼りついていて、そして、これらの球体は
まわりながら和音を奏でる、とされていた。
(それが、いわゆる「天球の音楽」the music of
the spheres.)

天球にケンカを売る、とは、天球の音楽よりも自分たちの
歌のほうが上手、と主張すること。

3
わたしたちが星になる、とは、星たちよりも上手に
歌えるわたしたちが、いわばそれらを押しのけて
夜空に君臨する、というようなこと。

5-7
ちょっと話が飛んでいて、何のこと? という気が
しないでもないが、具体例が9-12, 14行目にあるような
ことをいっている。

また、きれいな音楽が人間以外の生物や無生物すら
感動させる、というのはオルペウスの神話などに
見られるお約束のシナリオ(オウィディウスの
『変身物語』など参照。)

8
9-12, 14行目の、君の歌は人間以外の生物や
無生物に魂を与える、ということは矛盾するかたちで、
君の歌は人の魂(心)を奪う、といっている。
矛盾するが、逆説的にどちらも正しい、ということで。

9 prove
試みる、がんばる(OED 4a)。

14
君の歌を聴けば、「眠り」および「死」という擬人化された
抽象概念が目を覚ます、ということかもしれないし(アレゴリー的に)、
あるいは、寝ている人や死んだ人でも目を覚ます、と
具体的な話をしているのかもしれない。

詩学/修辞学的に、「墓」で「死」をあらわすようなたとえを
metonymyとかsynecdocheとかいうが、これらおよびアレゴリーの
境界線は時として微妙で、またこれらを厳密に区別しても
詩が楽しくなるとはかぎらないので、気にしなくていいと思う。
(大学院受験のときなどを除いて。)

一応、説明だけ。

Metonymy:
王冠で権威をあらわす、など(OED, "metonymy" の例文より)。

Synecdoche:
一部で全体を、あるいは全体で一部を、あらわす。
日の光や雨で自然の恵みをあらわす、など(OED,
"synecdoche" の例文より)。

15-16
「君の歌声はすてき、でも君はぼくに対して
ちょっといじわる」、というようなこと。

「とげ」のところは、「他の女の子にいじわるされても
平気だけど、君に冷たくされるときつい」ということなど、
いろいろなニュアンスを勝手に読みこめるような書き方。
文脈にピタッとあっていなくても、軽い詩なので気にしない。
おそらく、「とげのある言葉」という定番の表現と、
singとstingの脚韻を使いたかっただけ。

17 mark
じっと見る、観察する、見張る(OED 13)。

19 out of
理由をあらわす(OED, "out of" 5b)。

19 inward
心の底からの、深い(OED 2b)。
敬虔な(OED 2c--皮肉なかたちで、天使たちが地上に落ちてくる、
という次のスタンザの内容につながっている)。

19 feed
ここでは、音楽などを「食べる」=楽しむ。
23行目のfeastにつながる。

23 feast
ごちそう(の出るパーティ)(OED 3)。ここでは、
君の歌のこと。

Feastとは、毎年おこなわれる宗教的儀礼(OED 1)でも
あって、この意味で「天使たちが・・・・・・」という
キリスト教的な話題にあっている。

26 high
天使たちの位が「高い」+天国の場所が空「高い」。

27 grace
神の「恩寵」(おんちょう)。ご加護、救済などにおいて、
無条件に与えられる神のご好意(OED 11)。
その状態にとどまって、というのは、つまりセイタンのように
神に見棄てられることがないまま、天国にいるまま、ということ。

現代のキリスト教でどこまで強調されているかはわからないが、
この恩寵は、キリスト教的な思考を理解するうえで重要。
基本的なシナリオは以下の通り。

1
アダムとイヴの原罪を受け継ぐものとして、人間は根本的に
罪びと。人間は、自力で、自分の意志で、よいことをすることが
できない。

2
そんな人間だが、神の恩寵が与えられることにより、
自分の悪を悔い改めること、よいことを考える/することなどが
可能になる。

3
このように悔い改めた人が救済される。

* * *

以上、基本的に、

(女)きれいな声で上手に歌を歌いましょう?
(男)ぼくはいいよ。君だけで歌ってよ。

という内容のたわいもない対話に、さまざまな話題や連想が
編みこまれた作品。

これらの話題/連想が古めかしいので、ややピンとこないかも
しれないが、たとえば、好きな子の声がきれいな音楽や
天使の声のように聞こえた十代とか二十代とか、
そういう甘酸っぱいような感覚(?)を思い浮かべて
(思い出して)いただければ。

* * *

さまざまな話題や連想が編みこまれているということは、
つまり知的でオシャレで宮廷的ということで、
タイトルにある「羊飼い」という設定とは(本当は)
矛盾している。(本物の羊飼いは、そもそも文字を
書いたり読んだりできなかったはず。)

羊飼いの歌(牧歌)を宮廷人が書く、というのが、
17世紀ごろまでの文学史的な慣習。

(18世紀になると、羊飼いの暮らし、田園や農村の
暮らしはホントは厳しいんだぞ、という詩が
書かれるようになる。)

* * *

20世紀前半、T. S. Eliotなどの批評以来、特にJohn Donneの詩に
ついて強調されてきた「奇想」が、Donneら一部の詩人たちの
ものではなく、16世紀末から17世紀前半の詩全体の特徴のひとつで
あることが、この詩などからわかる。実際Donneは、
この奇想を極端なかたちで用いた、どちらかといえば
例外的な詩人のように思われる。

つまり、「形而上詩(人)」などというカテゴリーは
無意味で不要ではないか。いつの時代であれ、詩人たちは、
上手い、気のきいた、新しい比喩/表現をつくることに
力を注いできた。そのなかで、特に16世紀末から17世紀前半の
詩人たちの比喩/表現はしばしばちょっと行きすぎている、
しばしば極端/悪趣味/グロテスク、というだけの話で。

また、このような時代の流れに乗らなかったMiltonなどから、
新しい詩の流れがはじまった、ということではないか。
(Miltonのスタイルは、総じて、きれいなものはきれいに描き、
醜いものは醜く描く、といういわば王道的なもの。
表現の意外性だけによって無駄に、ドキッ、とはさせない。)

そして、ここからEliotの、Miltonから詩が(悪い方向に)変わった、
という批評も出てきたのでは。

(いずれにせよ、イギリス詩の歴史は、いまだきちんと描かれて
いないように思われる。)

* * *

また少し追記します。

* * *

英文テクストは、The Works of Ben. Jonson, vol. 6
(Masques at Court, Epigrams, The Forest, Underwoods),
London, 1761より。
http://books.google.co.jp/books?id=rwngAAAAMAAJ&hl=ja

* * *

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