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罪は存在しない

罪は存在しない
(1650年代の反律法主義)

神においては、酒浸り、姦通、盗みなどという行為は
存在しない。罪は人間の空想のなかにあるのみである。
光と愛をもってあなたがする行為は、たとえそれが姦通と
呼ばれるものであろうと、やはり輝き、愛に満ちている。
聖書や聖人や教会が何といおうと、あなたのうちに
あるものがあなたを咎めないのであれば、あなたが
咎められることはない。

There is no such act as drunkenness,
adultery and theft in God. . . . Sin
hath its conception only in the imagination. . . .
What act soever is done by thee in light
and love, is light and lovely, though
it be that act called adultery. . . .
No matter what scripture, saints or
churches say, if that within thee do
not condemn thee, thou shalt not be condemned.
(Lawrence Clarkson, cited in Hill 215)

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キリストの王国は自由な王国であり、許されないような
罪は、そこには存在しない。

[I]n the kingdom of Christ, which is a
free kingdom, there is no sin . . . unpardoned.

(Richard Coppin, cited in Hill 222)

* * *
Hill, Christopher.
The World Turned Upside Down. London, 1972.

* * *
過去の異国における思想・思考として関心を惹くものを
紹介しているのみで、わたし個人の考えではないので、
ご理解を。念のため。

英語テクストはみな散文。適宜改行を挿入している。

* * *
反律法主義(antinomianism)とは、イエスの死により
(彼が神だと信じる)人の罪はみなあがなわれたのだから、
何をしてももはや罪とはならない、旧約聖書中のモーセの
律法を含むあらゆる法はすでに無効、という、上記通りの
考え方。

1650年代における信仰の自由の問題には、このような
思想を野放しにしていいか、という一面があった。

ちょうどこの頃、信仰の自由を主張していたミルトンの立場は、
反共和政府的・反社会的・暴動的な行動をとらないかぎり、
思想・信仰は自由であるべき、というものだった。

「罪びとのかしらに溢るる恩寵」のなかで、ジョン・バニヤンが
「その教えはわたしを大いに誘惑した。特に、その頃は
若かったから・・・・・・」というようなことをいっているのも、
この反律法主義について。

* * *
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