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夏目漱石、『三四郎』

夏目漱石、『三四郎』

Samuel Richardson, Clarissaと同様、実際に連載された
時期(1908年9-12月)と物語中の時間を並行させた作品。

視点は三四郎。全知ではない。その観察や発言には
性格や気分による揺れがある。

その他の登場人物の発言も、それぞれの性格にあわせて
かたよっている。だから、たとえば美禰子に関する
彼らの言葉--「心が乱暴」、「西洋流」など--
を総合すれば正しい美禰子像が得られる、などと
考えるのは誤り。

* * *
物語の背景のひとつは「文芸と道徳」にある
旧道徳・浪漫主義と新道徳・自然主義の対立。
旧道徳をおよそ体現しているのが実は美禰子
というところが最大のポイント。「行きたい所で
なくっちゃ[嫁に]行きっこない」タイプの
新しい女はよし子のほう(12)。

美禰子はよし子が拒んだ相手と、兄の結婚にあわせて、
結婚する。おそらく多分に意に反して。だから、
この結婚話が進んでいた頃、美禰子は(精神的な)
疲れのために絵のモデルとして機能できていない(10)。

美禰子の気持ちのバロメーターは目・瞼。三四郎は
これをおよそ正確に感知。上の場面で彼は、彼女の目に
「暈が被っている」のを見る。

迷子のエピソード(5)においても同様。迷子の保護に
手を貸そうとしない野々宮、広田、よし子のようすを見て、
二重瞼に「霊の疲れ」、「苦痛に近き訴え」を浮かべ、
そして「責任を逃れたがる人」と「冷やかに」評するのが
美禰子。

この疲れや訴えを感知できるのが三四郎。しかし、
直前の乞食の場面で野々宮、広田、よし子、美禰子を
まとめて「己れに誠である」(自分に正直である)と
新道徳・自然主義の側の者と数えている点で、
彼の判断も不完全。

5-6にかけてくり返される「迷子」(ストレイ・シープ)
とは、新道徳・自然主義の潮流のなかで迷子になっている
美禰子と三四郎のこと。美禰子は三四郎に対してこの種の
共感をもっている。

が、12-13で三四郎がこの言葉を「迷羊」と誤って
思い浮かべているところに、二人のあいだの理解の差、
すれ違いを見ることができる。

もうひとつ、与次郎と広田先生の転居の際に
時間どおりに集まってきちんと掃除をするのが
美禰子と三四郎、ということも思い出すべき(4)。

* * *
上記のような新・旧の対立構図と重なるように
描かれているのが、象徴的・非論理的・断片的で
いわばロマン主義的なかたちでなされている
美禰子から三四郎へのアプローチ。ふたりが
出会った瞬間へのオマージュ。

「これは椎」(2)
「あれは椎」(6)

団扇をかざした姿(2)
その絵(7, 10)

白い花(薔薇)のにおいをかぐ(2)
白いハンカチのにおいをかぐ(12)
(9で三四郎のすすめで買ったヘリオトロープの香水)

「小川」のほとりにおける三四郎と美禰子の
「迷える子」の会話(5)。

美禰子曰く、三四郎は「索引のついている人の心さえ
あててみようとなさらないのん気なかた」(8)

* * *
新・旧の対立構図にさらに重ねられているもの--

1.
田舎・学術・女性の三世界(4)。

2.
美禰子に惹かれると同時に彼女を拒む三四郎の
複雑な心境。(いわゆる「恋愛体質」でない人が
共有・共感する・しうる経験と思われる。)

i.
「私そんなに生意気に見えますか」で霧が晴れて
生身の美禰子が見えた気がして、しかしこの霧が
晴れたことを恨めしく思う。(5)

ii.
「とうとういらしった」がうれしいと同時に、
美禰子のほほえみに甘い苦しみを感じる。(8)

iii.
「野々宮さん、ね、ね」の美術館デート。(8)

3. 死のイメージ
i. 戦争(1)

ii. 轢死の女(3)

iii. 空中飛行機の話(5)

iv. ベーン、『オルノーコー』(4)
イギリス人にだまされて奴隷となったアフリカの
王子が反乱に失敗し、自害を妨げられ、そして
残虐に処刑される、という話。

v.
オフィーリア(12)

その他多数。

4. 病と回復のイメージ
i. 美禰子の親戚(2)
ii. よし子(3)
iii. 広田先生(10)
iv. 三四郎(12)
v. その他

5. 宗教(キリスト教)の問題

* * *
私の印象では、恋愛ベクトルは美禰子<-->三四郎。
次のような描写から。

「じゃ、もう帰りましょう」と[美禰子が]言った。
厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって
自分は興味のないものとあきらめるように静かな
口調であった。(5)
(三四郎視点からはみ出し気味な、漱石側の操作の
意図が見られる表現。)

「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、
横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。
その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が
聞こえた。(10:上記のとおり縁談が進みつつある
なか絵のモデルをつとめ、そしてそれが果たせない、
という場面)

「結婚なさるそうですね」……
「御存じなの」……
女はややしばらく三四郎をながめたのち、
聞きかねるほどのため息をかすかにもらした。(12)

このような美禰子・三四郎二人の個人的な思いと
恋愛・結婚の成就は別問題、というところに
この作品のメッセージのひとつがあるように思われる。
これは個と社会という新旧道徳の問題であると
同時に、いつの時代においてもありがちな人と
人とのすれちがい、意志と結果の不整合でもある。

以上、私見まで。

* * *
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