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Milton, _Paradise Lost_ (11: 689-97)

ジョン・ミルトン (1608-1674)
『失われた楽園』(11: 689-97)

なぜなら、この時代には力だけが驚嘆と称賛の対象となり、
勇敢さ、英雄性などと呼ばれるからです。
戦闘に勝利し、国々を征服し、
戦利品をもって帰る、もちろん、数えきれないほどの
人を殺して……そういうことが、最高の
栄誉とされるでしょう。そして栄誉ある
勝利者は、偉大なる征服者、
人類の守護者、まさに神、あるい神の子、などと呼ばれるでしょう。
本当はただの破壊者、人類の害悪そのものなのですが。


* * *

John Milton
Paradise Lost (11: 689-97)

For in those dayes Might onely shall be admir'd,
And Valour and Heroic Vertu call'd; [690]
To overcome in Battle, and subdue
Nations, and bring home spoils with infinite
Man-slaughter, shall be held the highest pitch
Of human Glorie, and for Glorie done
Of triumph, to be styl'd great Conquerours,
Patrons of Mankind, Gods, and Sons of Gods,
Destroyers rightlier call'd and Plagues of men.

* * *

将来起こるであろうことを映像のようなかたちで
アダムに見せながら、天使ミカエルが語ることば。

ホメーロスの『イリアス』におけるアキレウスのような、
武勲にすぐれた英雄の否定であると同時に、
1640-50年代のイギリス内乱における戦闘の批判。

* * *

訳注。

689 those dayes
エノクやその前後の世代が生きた時代。
エノクは、ノアの曾祖父(創世記5: 21-28)。
[D]ayes = days.

この場面の前の11巻638行目以降に、
どのような時代であったかが描かれている。
政治的対立、戦争と殺戮・・・・・・。

689 Might
身体的/精神的な力、大きな影響力や
武力(OED 3b)。自分の思い通りに人や
ものごとを動かすために用いられる「力」。
正当性rightの反意語(OED 4)。

689 shall be
アダムにとって未来のことだから。読者にとっては、
(ミルトンの創作もあるが)聖書のなかに記された
過去のできごと。

690 Vertu
Virtue. 男性的な力(OED 7; vir = man)。

691-
構文は以下の通り。

---
(節1)
主部(誰が/何が):
To overcome in Battle, and subdue Nations,
and bring home spoils with infinite Man-slaughter

述部(どうする):
shall be held the highest pitch Of human Glorie

V: shall be held
C: the highest pitch Of human Glorie

"and" でつないで--

(節2)
主部:
to be styl'd great Conquerours, Patrons of Mankind,
Gods, and Sons of Gods
(for Glorie done Of triumphはこの理由)

述部(どうする):
shall be held the highest pitch
Of human Glorie

(補足部分)
[though they are actually] Destroyers and Plagues of men
[if] rightlier call'd
---

693 pitch
最も高い点(OED n2, IV)。

* * *

上の一節で、世俗的な利害のための戦闘は
批判しつつも、ミルトンは、ピエモンテのソネットや
『サムソン』など、神の意にかなう戦闘を支持するかの
ような作品を残している。また、『第二弁護論』の
ような政治論文でも、神に支持された軍の
指揮者としてクロムウェルを称賛していたりする。(注)

その際に、人間的な利害による戦闘と、神の意に
よるものをどう区別するか、実際区別できるのか、
ということを考えないのは、そういう時代だったから、
というのが半分、ミルトンがそういう人だったから、
というのが半分(おそらく)。

ミルトンよりも宗教的、道徳的に冷めた人々は、
強い者にしたがえばいい、とか、海外での征服は
国の威信と利益の点でおおいにけっこう、
いいぞいいぞ!行け行け! というようなことを
書いている。(マーチャモント・ニーダムとか)。

「武力」をめぐる問題意識を共有しつつ、
ミルトンよりも冷めていたドライデンは、
たとえば、「人が考える神の意は、たいてい
その人の意志なのよ」というようなセリフを、
劇中の人物にいわせている(『恋する暴君』
Tyrannick Love 4幕より、聖カタリナのセリフ。)

これらのようなことや、さらには、当時すでに
西インド諸島あたりへの武力による進出や、
それにともなう奴隷貿易が動きはじめていたことを
考えれば、上の『失われた楽園』からの一節は、
理念的すぎてもの足りないと同時に、
もの足りないからこそ説得力があるようにも見える、
といったところではないか。

---
(注)
主人公サムソンのいわゆる自爆テロ的な行為を
描く『サムソン』の評価は、現在でも(現在だからこそ)
定まっていない。

また、『第二弁護論』は、共和政府のプロパガンディストという
立場から半ば書かれたものなので、そこに記された見解が
ミルトン個人のものとは、必ずしもいえない。

* * *

英文テクストは、Paradise Lost (1674) より。
http://www.dartmouth.edu/~milton/
reading_room/contents/index.shtml

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