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Keats, "To Autumn" (Comp.)

ジョン・キーツ (1795-1821)
「秋に」

〈秋〉--君は、霧と、甘く熟した果実の季節、
恵みの太陽の心の友。
君は太陽とたくらむ、藁ぶき屋根の軒下をつたう
ブドウの実を、どれくらい重く実らせようか--
小さな家の脇、コケに覆われた木々を、どれくらいリンゴでしならせようか--
果実の芯の芯まで、どれくらい熟れさせようか--
ヒョウタンや、ヘーゼル・ナッツの殻を、どれくらいふくらませようか、
その中の実はおいしくて--そしてどれくらい、さらに咲かせようか、
さらにさらに咲かせようか、ハチたちのために遅咲きの花を--
するとハチたちは、あたたかい日々がずっとつづくと思いこむだろう、
夏が過ぎても、ねっとりした蜜が巣からあふれているから。
(ll. 1-11)

収穫されたもののなかによくいる君を、見たことない人がいるだろうか?
探しに行けば、君は必ず見つかる。
たとえば、納屋の床に何気なくすわって、
もみがらを飛ばす風に、やさしく髪をなびかせていたり。
畑の列の途中で眠りこけていたり。
ケシの香りに酔ってしまい、鎌の次のひと振りで、
作物を、からみつく花ごと刈りとることも忘れて。
またあるときには、落穂拾いをする人のように、
作物をのせた頭を支えつつ小川をわたっていたり。
あるいは、リンゴしぼりのところで、辛抱強く、
何時間も何時間も、最後までリンゴがしぼられるのを見ていたり。
(ll. 12-22)

〈春〉の歌はどこにある?そう、それはどこへ行った?
いや、忘れよう。君には君の音楽がある。
雲を通る夕日の筋が、静かに死にゆく一日に花を添え、
刈り株の広がる畑をバラ色に染める。
そんなとき、小さなブユの悲しげな合唱団が歌い、嘆く、
柳の枝のあいだで。柳は川辺で高く舞い、あるいは沈む、
穏やかな風が生まれ、死ぬのにあわせて。
丸々育った子羊の大きな鳴き声が丘のほうから聞こえ、
垣根の下でコオロギが歌う。今、やさしい高音にのって
コマドリの口笛が庭の畑から聞こえてくる。
空に集うツバメも軽やかに鳴いている。
(ll. 23-33)

* * *

John Keats
"To Autumn"

Season of mists and mellow fruitfulness,
Close bosom-friend of the maturing sun;
Conspiring with him how to load and bless
With fruit the vines that round the thatch-eves run;
To bend with apples the moss'd cottage-trees,
And fill all fruit with ripeness to the core;
To swell the gourd, and plump the hazel shells
With a sweet kernel; to set budding more,
And still more, later flowers for the bees,
Until they think warm days will never cease,
For Summer has o'er-brimm'd their clammy cells.
(ll. 1-11)

Who hath not seen thee oft amid thy store?
Sometimes whoever seeks abroad may find
Thee sitting careless on a granary floor,
Thy hair soft-lifted by the winnowing wind;
Or on a half-reap'd furrow sound asleep,
Drows'd with the fume of poppies, while thy hook
Spares the next swath and all its twined flowers:
And sometimes like a gleaner thou dost keep
Steady thy laden head across a brook;
Or by a cyder-press, with patient look,
Thou watchest the last oozings hours by hours.
(ll. 12-22)

Where are the songs of Spring? Ay, where are they?
Think not of them, thou hast thy music too,―
While barred clouds bloom the soft-dying day,
And touch the stubble-plains with rosy hue;
Then in a wailful choir the small gnats mourn
Among the river sallows, borne aloft
Or sinking as the light wind lives or dies;
And full-grown lambs loud bleat from hilly bourn;
Hedge-crickets sing; and now with treble soft
The red-breast whistles from a garden-croft;
And gathering swallows twitter in the skies.
(ll. 23-33)

* * *

以下、訳注。

タイトル
「(擬人化された)秋に(対して歌う)」ということ。
英語の詩のタイトルによくある "To. . . . " は
みなこのパターンで、「(詩人/わたしが)・・・・・・に(対して歌う)」
という意味。

1-11
1行目の "Season. . . fruitfulness" と
2行目の"Close . . . sun" は、どちらも「秋」を
いいかえた表現。このようにいって(擬人化された)「秋」に
対して呼びかけている。そして、3-11行目でそんな秋のようすを
具体的に描写。

3 bliss
贈りものをしてよろこばせる(OED 7b)

5 cottage
(自営ではない)農民などが住む小さな家(OED 1)。

By Joseph Mischyshyn
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rathbaun_Farm_-_
200_year_old_thatched-roof_cottage_-_geograph.org.uk_-_
1632126.jpg
(200年前、ちょうどキーツの生きていた頃のもの。
アイルランド。屋根は藁ぶき。)

7 hazel

By Fir0002
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hazelnuts.jpg
(ふくらんでる・・・・・・。)

12- thee
第一スタンザに引きつづき、「秋」が擬人化され、
「君」と呼びかけられて、描写されている。
15行目で長い髪が想定されていることから、
「秋」は女性。

英文テクストを使用した1900年版の全集には
巻頭にこんな絵が。

(いろいろ誤解があるような気がする。)

14 granary

By Derek Harper
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Tetcott_granary_-_geograph.org.uk_-_606575.jpg

17 poppies
畑に生えるのはヒナゲシ(英語では、field poppy,
corn poppyなどと呼ばれる)だが、文学作品のなかでは
しばしばアヘン用のケシ(opium poppy)と混同される。
(マイナーな詩人だが、Francis Thompsonの "To Monica"
など参照。)

Field poppy

By Fornax
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Papaver_rhoeas_eF.jpg

Opium poppy

By Zyance
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Mohn_z10.jpg

19-20
ニコラ・プッサン(プーサンとも)の絵「秋」が
この二行の背後にあるといわれる(Ian Jack,
Keats and the Mirror of Art, 1967)。


http://www.nicolaspoussin.org/
Autumn-1660-64-large.html
右のほうで頭に作物をのせてあちらを向き、
その向こうの川の流れを見ている女性が、
この二行の「秋」の描写につながる、とのこと。

21 cider-press

By Man vyi
http://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Cider_press_in_Jersey.jpg

25-
引きつづき、君=擬人化された〈秋〉への呼びかけから
第三スタンザがはじまる。

25 barred clouds
雲のあいだから差す光が棒状になっていて・・・・・・などという
説明より、画像のほうがわかりやすい。


By Spiralz
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Crepuscular_rays_with_clouds_and_high_contrast_fg_FL.jpg


By Fir0002/Flagstaffotos
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Crepuscular_ray_sunset_from_telstra_tower.jpg
次のライセンスにて。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Commons:
GNU_Free_Documentation_License_1.2

ただの秋の夕暮れの風景と見てもいいが、おそらく、
「ヤコブのはしご」的なイメージとして用いられているのかと。
つまり、ここを死者が天に昇っていく・・・・・・というような。
(実際の聖書中の「ヤコブのはしご」を昇り降りするのは天使。)

25 the soft-dying day
今日が「静かに死んでいく」・・・・・・もちろん、夕暮れのこと。
あえてdyingということばを使っているところがポイント。
他の描写も死の暗示として読め、というサイン。

26 stubble-plains
刈り株の広がる平らな土地(畑)

By Andrew Smith
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Farmland,_Lockinge_-_geograph.org.uk_-_938209.jpg

ただの秋の夕暮れの風景と見てもいいが、おそらく聖書における
「刈り株」stubbleの比喩を思い出すべき。

---
神の怒りがエジプト人を刈り株のように焼き尽くした。
(出エジプト記15:7)

悪人が風の前の刈り株のように吹き飛ばされることがあるか。
(ヨブ記21:18)

あなた(神)の敵を、風の前の刈り株のようにしてください。
(詩篇83:13)

地上の王たちは、刈り株のようにつむじ風に巻きこまれて消える。
(イザヤ記41:24)

見よ、占星術師(?)は刈り株のように炎に焼き尽くされる。
(イザヤ記47:14)
---

また、「刈り株」は第二スタンザの「鎌hookで刈りとる」という
イメージにもつながる。つまり、鎌で麦などを刈りとる ≒ 死神が
鎌で人間を刈りとる。


http://commons.wikimedia.org/wiki/File:
Drick_ur_ditt_glas.jpg
18世紀のものとのこと。

26 rosy
夕陽の色、炎の色(上記、聖書からの引用参照)、血の色・・・・・・。

29 the light wind lives or dies
風が生まれたり死んだり・・・・・・もちろん、風が吹いたりやんだり、
ということ。25行目と同様、あえてdieということばを使っているところが
ポイント。他の描写も死の暗示として読め、というサイン。

30 full-grown lambs
丸々太った子羊は・・・・・・もちろん、殺されて食卓へ。
加えて、子羊 = 神の子羊 = イエス・キリスト = 殺される。

33 swallows
集まったツバメはどこかに行ってしまう(渡り鳥だから)、
というところがポイント。

(また追記します。コオロギ、コマドリにも死のイメージが。)

* * *

以下、全体を要約。

第一スタンザは、「実り」という秋の側面を描く。
やや甘ったるく感じるほど豊かな言葉で。

第二スタンザでは、実りをあらわす表現のなかに、
少しずつ陰のある言葉が散りばめられてくる。
[D]rowse, poppy, hook, swath (flowers), lastなど。

第三スタンザは、表面的に秋の風景や音を描きつつ、
その裏で一貫して、執拗なまでに、暗示的なことばで「死」を描く。
死について、語らずに語る。

そもそも秋とはどんな季節?--恵みの季節、
収穫の季節であると同時に、冬の直前。

その冬とは、花が散り、草木が枯れ、虫たちが死に、動物も眠り、
あたり一面が雪に覆われたりもする、いわば死の季節。

第三スタンザは、そんな冬=死の直前の風景/心象風景を描く。

そして、特に印象的なのは、一貫して象徴的な言葉を
用いているため、死に関する叙情性/感傷性がまったく、
あるいは必要以上に、感じられないこと。

下記のように、死とは、キーツ本人にとってもっとも身近な
ものであったはずなのに、それがまるで他人ごとであるかのように。

* * *

1818年12月
弟トムが結核で死去。彼の看病をしていたキーツには
それ以前に結核がうつっていたと思われる。

1819年
一年を通じてキーツは体調不良を訴える。

1819年9月
「秋に」が書かれる。

1820年2月
結核発症。

1820年 秋以降
療養のためにイタリアにわたるが、医師の誤診なども
あってかなり苦しむ。錯乱状態のなか、「アヘンをよこせ!」
(痛み止めとして)とわめいた、などのエピソードが残っている。
(そういわれた友人は、これを与えなかった。)

1821年2月
キーツ死去。死後の解剖では、「肺がほぼ完全に
破壊されていた」とのこと。

* * *

後日、情報の出典など、少しずつ追記していきます。

* * *

英文テクストは、Keats, Keats: Poems Published
in 1820
, ed. M. Robertson (Oxford, 1909) より。
<http://www.gutenberg.org/files/23684/23684-h/23684-h.htm>

* * *

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