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From Dryden, Aureng-Zebe

ジョン・ドライデン(1631-1700)
『オーレン=ジーブ』より

皇帝:
神々よ、証言してくだされ、
わしは苦しんできた。耐えてきた。
すべてを支配する愛が攻めてきたからじゃ!
恥ずかしいこととはわかっておる、
忠実な者を裏切るなんての。自分の名誉を傷つけるなんての。
おまえの武勲に報いておらんこともじゃ。
ほんとにいろいろ考えた。あらゆることを天秤にかけた。が、無駄なんじゃ。
愛は強いんじゃ。現実的な考えなど通用せん。
理性なんかすっ飛んじまった。わしに見えるのはインダモーラの瞳だけなんじゃ。
これ以上何をいえというんじゃ? わしの罪は遺憾に思っておる。
罪深く、恥ずかしいことじゃ。
だがの、それでもあの子を求めずにはおれんのじゃ。

* * *
John Dryden
From Aureng-Zebe

Emperor.
Witness, ye powers,
How much I suffered, and how long I strove
Against the assaults of this imperious love!
I represented to myself the shame
Of perjured faith, and violated fame;
Your great deserts, how ill they were repaid;
All arguments, in vain, I urged and weighed:
For mighty love, who prudence does despise,
For reason showed me Indamora's eyes.
What would you more? my crime I sadly view,
Acknowledge, am ashamed, and yet pursue.

* * *
形式はheroic couplet, 弱強五歩格で二行ずつ
脚韻を踏む。セリフが詩で書かれているという
詩劇で、そのなかでも特に端正に様式化された
かたち。(たとえば、特に後期シェイクスピアの
かなり自由な、散文に近い詩劇とは正反対のスタイル。)

* * *
およそ以下のような状況での皇帝のセリフ。

1
オーレン=ジーブ(Aureng=Zebe)は皇帝(Emperor)の子で
すぐれた軍人。皇帝の支配を守るために勇敢に戦ってきた。

2
皇帝はオーレン=ジーブの恋人インダモーラ(Indamora)を
好きになる。

3
そこで皇帝はオーレン=ジーブにいう、「インダモーラは
オレによこせ、オレは皇帝でおまえの父だ。おまえには
忠誠の義務があるはずだ・・・・・・」。

(上のセリフでは、わし=皇帝、おまえ=オーレン=ジーブ)

* * *
ドライデンの生きた17世紀のイギリスは、次のような事情で
政治的にかなり混乱していた。

1
1640年代の内乱(国王チャールズ一世 x 議会)

2
1649年の国王チャールズ一世の処刑

3
1650年代の(粛清されたりしていて国民の代表とはいえない)議会や
クロムウェルによる法的正当性のない統治

4
1660年の王政復古以降のチャールズ二世のいろいろダメな統治
(正直頭のなかでまだきちんと整理できていませんが、
女性関係、第二次/三次英蘭戦争など外交関係、カトリック寄りの
宗教政策関係など)

これらが突きつける問題--
支配者が悪、あるいは愚かだったらどうする?
反乱を起こすべき? つかまえて処刑する?

しかし逆に、1649-60年の共和国期(国王のいなかった時期)の
経験からイギリス人が学んだ教訓--
反乱は悪政以上の混乱と不幸をもたらす。

ということで、『オーレン=ジーブ』の、悪で愚かな皇帝=父が
すぐれた息子の恋人を奪おうとする、という一見くだらないシナリオは、
とても深刻な政治的/社会的問題を突きつけている。

忠誠か、抵抗か?
義務か、愛か?

(伝統的に、「国王=国家の父」という考え方もあった。)

* * *
歴史的文脈を抜きにしても、上のセリフにはいろいろ考えさせられる。
けっして美しくはない、表には出せない部分を誰でももっていて、
そういうところをあえてえぐり出しているので。

だから、ドライデンのものをはじめ、王政復古期、
1660年代以降の劇作品は、今では人気がない。
たとえば、シェイクスピアの劇なら、どんな悲劇でも
ある程度の距離をもって、安心して見ていられるのに対し、
ドライデンなどのものでは、心の底の底にしまっておくべき
言葉や気持ちがポンポンと、実に軽やかに飛びかっている。

* * *
(以下の記述は要修正。記録として残す。)

ドライデンなどこの時代の演劇作品、
ある種の社会的な絶望感を感じる。
1640年代以降、政治的によかれと誰かが考える
統治形態が順番に実現し、そしてそれらがみな
失敗に終わる、死や不幸をもたらす、少なくとも
社会的安定や幸福をもたらさない、という状況が
つづくなかでの絶望感。努力が報われない、
善と信じてきたものが善をもたらさない、
という理解不能な現実を突きつけられて。

おそらくそれゆえ、ドライデンの劇作品の登場人物は、
頻繁に、軽々しいほど頻繁に、"fate" 「運命」という
言葉を口にする。人間の主体性や、その価値/意義が
疑われている、ということ。

* * *
英文テクストは、The Works of John Dryden,
ed. W. Scott (1808), vol. 5より。
http://www.gutenberg.org/ebooks/16208

* * *
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