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Rossetti, DG, "A Superscription", The House of Life (1870) 46

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
「エピグラム」
『命の宮』(1870) 46

わたしの顔をじっと見てください。
わたしの名前は〈……だったらよかったのに〉です。
〈もうだめね〉、〈おそすぎよ〉、〈さよなら〉、とも呼ばれています。
あなたの耳もとに死の海の貝殻をあててあげます。
波の泡に侵食されてとけていくあなたの両脚のあいだに落ちていた貝殻を。
あなたの目の前に鏡を掲げてあげます。そこに映るのは、
いのちや愛とともに生きていたあなた。でも、わたしの魔法で、
今はもう、ただの震える影になってしまっています。
自分の存在に耐えられない、そんな影に。
今のあなたは、いちばんいいたかったのにいえなかったことを隠す
スクリーンのよう、そして、今にも破れそうなのです。

そう、わたしは動けません。でも、
あなたの魂のなか、〈やすらぎ〉が羽ばたいてそっと通りぬけ、
ため息がふと静まる、そんなとき、
わたしはあなたにほほえみかけます。あなたは顔を
そむけるでしょう。でも、わたしはあなたの心のなかで待ちぶせしています。
わたしは眠りません。あなたの記憶を呼びさます冷たい目をして、
いつもおきていますから。

* * *
Dante Gabriel Rossetti
"A Superscription"
The House of Life (1870) 46

Look in my face; my name is Might-have-been;
I am also called No-more, Too-late, Farewell;
Unto thine ear I hold the dead-sea shell
Cast up thy Life's foam-fretted feet between;
Unto thine eyes the glass where that is seen
Which had Life's form and Love's, but by my spell
Is now a shaken shadow intolerable,
Of ultimate things unuttered the frail screen.

Mark me, how still I am! But should there dart
One moment through thy soul the soft surprise
Of that winged Peace which lulls the breath of sighs,―
Then shalt thou see me smile, and turn apart
Thy visage to mine ambush at thy heart
Sleepless with cold commemorative eyes.

* * *
Superscription = epi (upon) + gram (write)

もとは記念物や奉納品、墓碑の上に刻まれた銘文、短い解説文のこと。
短い、気のきいた詩文のジャンルとしての「エピグラム」はここから派生。

この詩の場合、〈……だったらよかったのに〉などという名の、
擬人化された彫像、あるいは絵があって、それが見る者(「あなた」)
に語る言葉がその上(あるいは下)に記されている、という設定。

この〈……だったらよかったのに〉は、実現できなかった理想
のようなもの。これが実現できなかったがために、今、自分
(「あなた」)は心身ともに廃人のようになってしまっている。
自分の存在に耐えられない。

もちろん、この〈……だったらよかったのに〉は彫像あるいは
絵だから動かない。表情は変わらない。しかし、絶望を
ふと忘れたまさにそんなとき、この絵はほほえみかける。
そして絶望を思い出させる。

目をそらしてもだめ。絶望は、理想を実現できなかったという
記憶は、常に眠らず、心のなかにある……。

* * *
数あるロセッティのソネットのなかでもいちばん、と評価が
高い作品。実際、こんな雰囲気・内容の詩を書いたのは、
イギリスでは彼だけでは。初期テニソンよりもさらにアンニュイで
デカダン。ロセッティ自身のものよりも、フェルナン・クノップフ
(Fernand Khnopff)の絵のようなイメージ。

まちがいなくロセッティは、画家としてよりも
詩人としてのほうが優れていると思う。

* * *
ロセッティの生涯における特定のできごととこの詩を直接
結びつけることはできないし、また結びつけてもしかたがない、
そんなことをしたら、あいまいであるがゆえに多くのことを
想起させるこの詩の魅力を減じてしまう、と思うが、
妻エリザベス・シダルを不幸にした、病やアヘン中毒から
救えなかった、アヘンの過剰摂取で死なせてしまった、
ということなど、当然この詩の背景として想起させられる。

端的にいえば、この詩の「わたし」、〈……だったら
よかったのに〉は、シダルを描いたロセッティ自身の絵、
ととらえることができる。(Beata Beatrixとか。)

* * *
英語テクストは次のページより。
http://www.rossettiarchive.org/docs/1-1870.1stedn.rad.html

行1, 7-8, 14はそれぞれ日本語では二行。

* * *
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Rossetti, DG, "Willowwood", The House of Life (1870) 24-27

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
「柳の森」
『命の宮』(1870) 24-27

I.
ぼくは〈愛〉の神といっしょに、森はずれ、泉のところにすわって、
水を上からながめていた。ぼくと彼、二人で。
彼は一言も話さず、ぼくのほうを見たりもせず、
ただリュートを弾いていた。そこから流れてきたのは
秘密の音。彼は、不思議なことをしようとしていた。
水に映ったぼくたちの目は、言葉もなく見つめあう、
かすかな波のなかで。リュートの音はしだいに
心のこもった声に変わる。それは彼女の声・・・・・・ぼくは涙を落とす。
すると、水のなかの〈愛〉の目が彼女の目に変わる。
彼は、足と羽で
泉の水をかきたてる。すると、ぼくの乾いた心が潤う。
そして、小さな波が暗く広がり、波打つ髪になった。
ぼくがかがみこむと、彼女の唇がのぼってきて、
はじける水の泡のなか、あふれんばかりのキスをぼくの唇に注いだ。

II.
〈愛〉の神は、歌い出す--思い出したい、
でも思い出したくない、そんな記憶を呼びさます歌を。
それは魂の歌のよう--死んでから長いあいだ行くあてもなく、
次に生まれ変わるのを待っている、そんな魂の歌のよう。
ふと、ぼくは気づく。ものいわぬ大勢の者が、
離れたところに立っている。木のひとつひとつの脇にひとりずつ。
みな悲しみに打ちひしがれている。そう、あれはすべてぼくと彼女、
言葉なく立ちつくす、過去のぼくたち二人。
彼らは、ぼくと彼女を見つめる。ぼくたちが誰か、知っている。
深淵から生きて出てきた彼女、そしてぼく--ぼくたちはからだをあわせ、
魂がよじられて痛いような、でもおさえられないキスを、かたく交わしつづける。
木陰の者は、自分たちを哀れみ、声ならぬうめき声をあげて、
思わずいう、「もう一度・・・・・・もう一度・・・・・・もう一度だけでいいからっ!」
〈愛〉の神は、歌いつづける、次のように--

III.
「ああ、君たち、柳の森を歩く者よ、
白く燃える、しかし虚ろな顔をして歩く者たちよ--
愛する人を失い、魂を砕かれ、君たちは深い淵に沈んで生きている!
長い、さらに長い、一生つづく夜を過ごしている!
その時まで・・・・・・かなえられることのない、失われた望みに
むなしくすがり、むなしくあの忘れられない心の糧に
唇寄せようとしている、
そんな君たちが、ふたたび希望の光を見る日まで!
ああ! 柳の森では、丘の斜面が、色あせた燈台草の流す
苦い涙に濡れている、血の草で赤く燃えている!
ああ! そんな丘を枕に、魂が、
深い眠りに浸ることができたなら! 溺れて死ぬほど深い眠りに--
今後生きているあいだ、彼女のことは忘れたほうがいい、でないと
彼女は、柳の森をさまよいつづけることになってしまう!」

IV.
このように、〈愛〉の神は歌った。薔薇と薔薇は、出会い、
風が嘆く声のなか、ぴったり寄り添って揺れる--
しばしそうしつつ、やがて一日が終わる頃、
花びらは落ち、その傷跡が、心の血で赤く、熱くにじむ--
まさにそのように歌は死に、ぼくたちの唇は離れた。
彼女は、落ちるように、溺れるように、戻っていく、鉛色の顔をして、
鉛色の目をして。もう一度その顔を見ることが
あるのか、ぼくにはわからない。〈愛〉の神は知っているのだろうか。
ぼくが知っているのは、ただ、低くかがみ、長く、たくさん、
彼女が沈んでいった水を飲んだ、ということだけ。
彼女の息を、彼女の涙すべてを、彼女の魂すべてを飲んだ、ということだけ。
それから、もうひとつ覚えている--ぼくがかがんでいた時、〈愛〉の神は、顔を
ぼくの首に押しつけて、やさしく、哀れむように、泣いていた。
ぼくと彼女、二人の頭は、彼の光輪につつまれていた。

* * *
Dante Gabriel Rossetti
"Willowwood"
The House of Life (1870) 24-27

I.
I sat with Love upon a woodside well,
Leaning across the water, I and he;
Nor ever did he speak nor looked at me,
But touched his lute wherein was audible
The certain secret thing he had to tell:
Only our mirrored eyes met silently
In the low wave; and that sound came to be
The passionate voice I knew; and my tears fell.
And at their fall, his eyes beneath grew hers;
And with his foot and with his wing-feathers
He swept the spring that watered my heart's drouth.
Then the dark ripples spread to waving hair,
And as I stooped, her own lips rising there
Bubbled with brimming kisses at my mouth.

II.
And now Love sang: but his was such a song,
So meshed with half-remembrance hard to free,
As souls disused in death's sterility
May sing when the new birthday tarries long.
And I was made aware of a dumb throng
That stood aloof, one form by every tree,
All mournful forms, for each was I or she,
The shades of those our days that had no tongue.
They looked on us, and knew us and were known;
While fast together, alive from the abyss,
Clung the soul-wrung implacable close kiss;
And pity of self through all made broken moan
Which said, 'For once, for once, for once alone!'
And still Love sang, and what he sang was this:―

III.
'O ye, all ye that walk in Willow-wood,
That walk with hollow faces burning white;
What fathom-depth of soul-struck widowhood,
What long, what longer hours, one lifelong night,
Ere ye again, who so in vain have wooed
Your last hope lost, who so in vain invite
Your lips to that their unforgotten food,
Ere ye, ere ye again shall see the light!
Alas! the bitter banks in Willowwood,
With tear-spurge wan, with blood-wort burning red:
Alas! if ever such a pillow could
Steep deep the soul in sleep till she were dead,―
Better all life forget her than this thing,
That Willowwood should hold her wandering!'

IV.
So sang he: and as meeting rose and rose
Together cling through the wind's wellaway
Nor change at once, yet near the end of day
The leaves drop loosened where the heart-stain glows,―
So when the song died did the kiss unclose;
And her face fell back drowned, and was as grey
As its grey eyes; and if it ever may
Meet mine again I know not if Love knows.
Only I know that I leaned low and drank
A long draught from the water where she sank,
Her breath and all her tears and all her soul:
And as I leaned, I know I felt Love's face
Pressed on my neck with moan of pity and grace,
Till both our heads were in his aureole.

* * *
House
占星術における十二「宮」のひとつ。

Willow
恋人や結婚相手を失った悲しみの象徴(OED 1d)。

I.
Love
擬人化された〈愛〉、愛の神。ロセッティの
エロス=クピド―はかなり独特。



この絵の左後ろにいるのがそう。
カールした赤毛、赤い羽。
(この絵では羽はよく見えない。)

次の絵なども参照。
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dante%27s_
Dream_at_the_Time_of_the_Death_of_Beatrice_by_
Dante_Gabriel_Rossetti.jpg

http://www.wikipaintings.org/en/dante-gabriel-rossetti/
tristram-and-isolde-drinking-the-love-potion-1867

II.
10-11行のwhileの節のなか、構文は、
the soul-wrung implacable close kissが主部で
Clungが動詞(過去形)。

* * *
英語テクストはThe House of Lifeより。
http://www.gutenberg.org/ebooks/3692

今後1870年版に差し替える予定。
http://www.rossettiarchive.org/docs/1-1870.1stedn.rad.html

* * *
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Rossetti, DG, "Blessed Damozel" (日本語訳)

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ (1828-1882)
「天国の女の子」 (日本語訳)

幸せな女の子は身をのり出した、
天国の金の柵の上から。
その目は深く、夕暮れ時に
静まった海よりも深かった。
その腕にはユリが三本あって、
七つの星が髪に飾られていた。
(1-6)

彼女のドレスは首から裾までゆるやかで、
つくりものの花などついていないかった。
ただマリア様にもらった白いバラを
礼拝のためにつけていた。
彼女の髪は背中になびき、
熟れたトウモロコシのような黄色をしていた。
(7-12)

彼女は思っていた、「まだ一日もたっていないみたい、
わたしが神さまの合唱隊に入ってから」、と。
そんな不思議そうなようすが、
まだ彼女の目にはうかがわれた。
地上に取り残された者たちにとって、彼女にとっての一日とは
実際には十年のことなのだった。
(13-18)

(特別長い十年・・・・・・
でも、今さっき、まさにここで、
確かに彼女はぼくにもたれていた--髪が
ぼくの顔にかかっていて・・・・・・
いや、ちがう、秋の枯れ葉が落ちてきただけ・・・・・・。
一年なんてあっという間だ。)
(19-24)

神の家の城壁に
彼女は立っていた。
その家があったのは、天のいちばん深く遠いところ、
空間のはじまりのところ。
本当に高いところにあったので、下を見ても、
彼女には太陽がほとんど見えなかった。
(25-30)

その城壁は、天のエーテルの川に
橋のようにかかっていた。
下では、昼と夜が、潮のように
満ち欠けしながら、炎と闇で
虚空を覆い、つつんでいた。ずっと下のほうまで、この地球が
落ちつかない虫のようにくるくるまわっているところまで。
(31-36)

彼女のまわりでは、再会したばかりの恋人たちが、
永遠の愛の喝采のなか、
たがいにずっと呼びあっていた、
心が覚えている名前で。
神のもとへとのぼっていく魂は、
細い炎のようになって彼女のそばを通っていった。
(37-42)

ずっと彼女は身をのり出し、下を見ていた。
輪になって歌う恋人たちのところから。
彼女がもたれ、その胸にあたっていた
手すりがあたたかくなるほどに。
ユリの花たちが、まるで眠るかのように、
彼女の腕に抱かれていた。
(43-48)

動かない天国から彼女は見た--
〈時〉は、激しく脈打ちながら
世界中を流れていた。彼女は、
下の虚空を貫くかのように
じっと見つめ、そして話しはじめる。
まるで空の星たちが歌うときのように。
(49-54)

太陽はどこかに行ってしまっていた。髪のようにカールした月が
小さな羽のように
ずっと下のほうではためいていた。今、
音のない空間に彼女の声が聞こえる。
その声は、星たちの声のよう。
星たちがいっしょに歌っているときのよう。
(55-60)

(ああ、たまらない! 今、あの鳥の歌のなかで、
彼女も何か伝えようとしてたのでは?
聞いてもらおうとしていたのでは? あの鐘の音が
真昼の空に響いていたとき、
彼女の足音がぼくのところまで下りてこなかったか?
こだまの階段を下って。)
(61-66)

「あの人もここに連れてきてもらえたらいいのに。
いつか来るんだし、ね」、と天国の女の子はいった。
「天国で、わたし、ちゃんとお祈りしてますよね? 地球で、
ねえ神さま、あの人もお祈りしてますよね?
二人が同じことを祈ったら最強ですよね?
心配しなくてもいいですよね?」
(67-72)

「あの人の頭にも光の輪がついて、
そして白い服を着てここに来てくれたとき、
わたし、手をつないでいっしょに行くの、
光りの泉のところに。
そして川のなかにふたりで歩いて
入っていくの、神さまの前で。」
(73-78)

「わたしたち、神殿にいくの。
誰も知らない、行ったことがない、あの神秘的な神殿に。
そこの明かりの火はいつも揺れてる、
神さまのところにのぼってくるお祈りで。
そのなかには地上にいた頃のわたしたちのお祈りもあって、それはみんな
かなえられて、溶けて小さな雲のようになるの。」
(79-84)

「わたしたち、ふたりで寝転がるの、
あの神秘的な木の陰のところで。
あの不思議な葉っぱのあいだには、ときどき
聖霊の白い鳩がいるような気がする。
その羽がふれた葉っぱは、みんな
声を出して神さまの名前を呼んでいるわ。」
(85-90)

「そしてわたし、あの人に教えてあげる。
木陰で寝転がりながら、
わたしがここで歌っている歌を教えてあげる。あの人は
それを少しずつくり返して--ゆっくり、とぎれとぎれに--
でも、ひとこと歌うたびに、新しいことを知るの。
新しいことに気づくの。」
(91-96)

(あ! 「わたしたちふたりで」、「ふたりで」っていったね!
そうそう、君とぼくはふたりでひとりだった、
ずっと昔のあの頃。神さまは、天にあげて
くれるかな? 永遠にひとつに結びつけてくれるかな?
君のとは似ても似つかぬぼくの魂を?
愛という点だけは同じはずなんだけど。)
(97-102)

「わたしたち、ふたりで」、彼女はいった、「森に行くの。
そこには、マリアさまと、
五人の召使いがいっしょにいるわ。五人の名前は、
五つのきれいな交響曲みたい。
セシリア、ガートルード、マグダレン、
マーガレット、そして、ロザリスって。」
(103-8)

「みんな輪になってすわってる。髪はしばってあって、
花冠をかぶってて。
そして炎のように白い、さらさらの布をつくってるの、
金色の糸を機で織って、ね。
それで産着をつくってあげるの。
生まれたばかりで、でも死んでしまった子たちのために。」
(109-14)

「あの人、びっくりして、だまってしまうかも。
でも、そしたらわたし、頬を
あの人の頬にくっつけて、好き、っていってあげる。
はずかしがらずに、はっきり、ね。
マリアさまもほめてくれるわ。
大胆ね、でもいいわ、もっといいなさい、って。」
(115-20)

「マリアさまは連れて行ってくれるの。手をつないだわたしたちを、
あの方のところに。あの方のまわりでは、魂になった人たちが
みんなひざまずいてる。列になって、数えきれないほどの
透きとおった人たちが、頭を下げて拝んでいるの。光の輪がついた頭を、ね。
そして、天使たちは、わたしたちを見て歌ってくれるの。
シターンやキタラを弾きながら。」
(121-26)

「わたしは、そこで主なるキリストさまにお願いするの。
こんなふうに、あの人とわたしのために--
昔、地上でそうだったみたいに、愛しあって
生きていきたい--
地上では少しのあいだだけだったけど、これからはずっと、
わたし、あの人といっしょにいたい、それだけでいい、って。」
(127-32)

天国の女の子は、じっと見つめ、耳をすまし、そしていった。
寂しげ、というより、やさしい声で--
「みんな、あの人が来てからの話ね。」 そして、口を閉じた。
光が彼女に向かってやって来た。その光のなかには、
力強く飛ぶ天使たちがいた。
女の子は目でお祈りをして、そしてほほえんだ。
(133-38)

(ぼくには、ほほえむあの子が見えた。) しかし、天使たちの光は、
遠くの空にかすんで消えた。
女の子は、両腕を
金の柵の上にのせて、
両手で頬づえをついて、
泣いた。 (ぼくには、涙が聞こえた。)
(139-44)

* * *
Rossetti, DG, "Blessed Damozel" (英語テクスト)
Rossetti, DG, "Blessed Damozel" (解説)

* * *
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Rossetti, DG, "Blessed Damozel" (英語テクスト)

Dante Gabriel Rossetti
"The Blessed Damozel"

The blessed damozel leaned out
From the gold bar of Heaven;
Her eyes were deeper than the depth
Of waters stilled at even;
She had three lilies in her hand,
And the stars in her hair were seven.
(1-6)

Her robe, ungirt from clasp to hem,
No wrought flowers did adorn,
But a white rose of Mary's gift,
For service meetly worn;
Her hair that lay along her back
Was yellow like ripe corn.
(7-12)

Herseemed she scarce had been a day
One of God's choristers;
The wonder was not yet quite gone
From that still look of hers;
Albeit, to them she left, her day
Had counted as ten years.
(13-18)

(To one, it is ten years of years.
. . . Yet now, and in this place,
Surely she leaned o'er me―her hair
Fell all about my face. . . .
Nothing: the autumn-fall of leaves.
The whole year sets apace.)
(19-24)

It was the rampart of God's house
That she was standing on;
By God built over the sheer depth
The which is Space begun;
So high, that looking downward thence
She scarce could see the sun.
(25-30)

It lies in Heaven, across the flood
Of ether, as a bridge.
Beneath, the tides of day and night
With flame and darkness ridge
The void, as low as where this earth
Spins like a fretful midge.
(31-36)

Around her, lovers, newly met
'Mid deathless love's acclaims,
Spoke evermore among themselves
Their heart-remembered names;
And the souls mounting up to God
Went by her like thin flames.
(36-42)

And still she bowed herself and stooped
Out of the circling charm;
Until her bosom must have made
The bar she leaned on warm,
And the lilies lay as if asleep
Along her bended arm.
(43-48)

From the fixed place of Heaven she saw
Time like a pulse shake fierce
Through all the worlds. Her gaze still strove
Within the gulf to pierce
Its path; and now she spoke as when
The stars sang in their spheres.
(49-54)

The sun was gone now; the curled moon
Was like a little feather
Fluttering far down the gulf; and now
She spoke through the still weather.
Her voice was like the voice the stars
Had when they sang together.
(55-60)

(Ah sweet! Even now, in that bird's song,
Strove not her accents there,
Fain to be hearkened? When those bells
Possessed the mid-day air,
Strove not her steps to reach my side
Down all the echoing stair?)
(61-66)

'I wish that he were come to me,
For he will come,' she said.
'Have I not prayed in Heaven?―on earth,
Lord, Lord, has he not pray'd?
Are not two prayers a perfect strength?
And shall I feel afraid?
(67-72)

'When round his head the aureole clings,
And he is clothed in white,
I'll take his hand and go with him
To the deep wells of light;
As unto a stream we will step down,
And bathe there in God's sight.
(73-78)

'We two will stand beside that shrine,
Occult, withheld, untrod,
Whose lamps are stirred continually
With prayer sent up to God;
And see our old prayers, granted, melt
Each like a little cloud.
(79-84)

'We two will lie i' the shadow of
That living mystic tree
Within whose secret growth the Dove
Is sometimes felt to be,
While every leaf that His plumes touch
Saith His Name audibly.
(85-90)

'And I myself will teach to him,
I myself, lying so,
The songs I sing here; which his voice
Shall pause in, hushed and slow,
And find some knowledge at each pause,
Or some new thing to know.'
(91-96)

(Alas! We two, we two, thou say'st!
Yea, one wast thou with me
That once of old. But shall God lift
To endless unity
The soul whose likeness with thy soul
Was but its love for thee?)
(97-102)

'We two,' she said, 'will seek the groves
Where the lady Mary is,
With her five handmaidens, whose names
Are five sweet symphonies,
Cecily, Gertrude, Magdalen,
Margaret and Rosalys.
(103-8)

'Circlewise sit they, with bound locks
And foreheads garlanded;
Into the fine cloth white like flame
Weaving the golden thread,
To fashion the birth-robes for them
Who are just born, being dead.
(109-14)

'He shall fear, haply, and be dumb:
Then will I lay my cheek
To his, and tell about our love,
Not once abashed or weak:
And the dear Mother will approve
My pride, and let me speak.
(115-20)

'Herself shall bring us, hand in hand,
To him round whom all souls
Kneel, the clear-ranged unnumbered heads
Bowed with their aureoles:
And angels meeting us shall sing
To their citherns and citoles.
(121-26)

'There will I ask of Christ the Lord
Thus much for him and me:―
Only to live as once on earth
With Love,―only to be,
As then awhile, for ever now
Together, I and he.'
(127-32)

She gazed and listened and then said,
Less sad of speech than mild,―
'All this is when he comes.' She ceased.
The light thrilled towards her, fill'd
With angels in strong level flight.
Her eyes prayed, and she smil'd.
(133-38)

(I saw her smile.) But soon their path
Was vague in distant spheres:
And then she cast her arms along
The golden barriers,
And laid her face between her hands,
And wept. (I heard her tears.)
(139-44)

* * *
The Complete Writings and Pictures of Dante
Gabriel Rossetti, ed., Jerome J. McGann,
http://www.rossettiarchive.org/docs/1-1881.
1stedn.rad.html


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Rossetti, DG, "Blessed Damozel" (解説)

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ (1828-1882)
「天国の女の子」 (解説)

ロセッティの詩人としての代表作。

ペトラルカやダンテが描いた、死んでしまった女性に
男性が愛の歌を捧げる、というパターンを裏返して、
死んでしまった女性の視点を中心として書かれた作品。
(ペトラルカやダンテの場合、女性は自分の恋人ではないが。)

* * *
タイトル
blessed
天国にいて幸せな(OED 3b)。

1-2
絵のほうの "Blessed Damozel" を参照。
http://www.rossettiarchive.org/zoom/
s244.fogg.img.html
ロセッティの描く人物は、表情がかたまっていて
感情が読みにくい。(この絵の中心の少女は、
読めるほう。後ろの恋人たちに比べれば。)

4 waters
複数形で海や川で流れる水をあらわす(OED 6b)。

5 lilies
ユリは、純潔をあらわす聖母マリアの花。
三は三位一体の三?

6 seven
絵のほうの "Blessed Damozel" を参照。
http://www.rossettiarchive.org/zoom/
s244.fogg.img.html
プレイアデス星団(すばる)のように並んだ星が
髪に飾られている。この絵の星が六しかないのは、
すばるのなかのメロペーは肉眼では見えないから。

神話上では、すばるはアトラスの七人の娘。
オーリーオーンに追いかけられて困っていたので、
ゼウスによって天にあげられて星になった。

メロペーが見えないのは、彼女だけが人間と
関係をもって、それを恥じているから。
(その他の説もいろいろ。)

ロセッティの絵においては、「天国の女の子」が
このメロペー。六個の星とこの子で「すばる」、
ということ。この子は、この詩の「ぼく」の恋人だから。

次のページを参照。
http://www.theoi.com/Nymphe/Nymphai
Pleiades.html

7 from clasp to hem
from A to B の構文か、「hemするclasp」か、
少し迷う。

19-24
この詩における( )は、地上に残された
「ぼく」の視点からの言葉をあらわす。

19 of
多くのもののなかでも特別であることを
あらわす(OED "Of" 43d)。

20 the autumn-fall of leaves
顔に落ちてきた枯れ葉を、死んでしまった恋人の
髪のように感じた、ということ。

44 charms
多くの鳥たちの歌声や羽の音(OED, "charm" n2, 1)。
鳥などの群れ(OED, "charm" n2, 3)。
天国の恋人たちの魂を鳥にたとえている。

魂を鳥にたとえることについては、George Herbert,
"Death" などを参照。聖霊 = 鳩のイメージも。

50 shake
行く、旅する(OED 1, 古語、詩語)。

55-66
ロセッティはこの詩を1846年頃に書き、いろいろな
ところに掲載しながら修正を重ね、最終的に
1881年に内容を確定している。

天国の女の子が話す内容に入る直前の
この部分も、後から加えられたもの。すぐに彼女の
話した内容に入るのではなく、まず、それが地上の
「ぼく」に届いていることを示す。星の光が
天から地上に届くように。

62 accent
言葉(トーン+内容)(OED 5)。

69-71
マタイ書18章19節への言及。 「もしあなたが
たのうちのふたりが、どんな願い事についても
地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父は
それをかなえて下さるであろう」。

77 a stream
神の国にある命の川(黙示録21-22章)。

78 bathe
洗礼のイメージ。

144
タイトルを確認。ポイントは、この女の子が
全然幸せではないこと。自分は天国にいても、
恋人と離れてしまっているから。

* * *
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Rossetti, DG., "Woodspurge"

D・G・ロセッティ (1828-1882)
「トウダイグサ」

力が抜けたように、風が、急にくずれおちた。風は止まった。
まるで木々のあいだから、丘から、落ちてきた死人のように。
わたしは、風に身をまかせて歩いていた--
だから、すわりこんだ。風が止まったから。

ひざのあいだに頭を垂れた--
噛んだくちびるからは、「ああ!」、すら出てこなかった。
髪は草の上に広がっていた。
髪から出た耳は、一日が過ぎ去るのを聞いていた。

目を大きく開いて、順番に見た、
十かそこらの雑草を、目に留まるものを探して。
そのいくつかの草のなか、わたしの影の下、
トウダイグサが咲いていた。ひとつの花に三つのカップ。

何も混じらない、100%の悲しみのなか、
得られる知恵などない。思い出すら残らない。
そのとき知ったのは、ひとつだけ--
トウダイグサの花には三つのカップ。

* * *
Dante Gabriel Rossetti
"The Woodspurge"

The wind flapped loose, the wind was still,
Shaken out dead from tree and hill:
I had walked on at the wind's will,―
I sat now, for the wind was still.

Between my knees my forehead was,―
My lips, drawn in, said not Alas!
My hair was over in the grass,
My naked ears heard the day pass.

My eyes, wide open, had the run
Of some ten weeds to fix upon;
Among those few, out of the sun,
The woodspurge flowered, three cups in one.

From perfect grief there need not be
Wisdom or even memory:
One thing then learnt remains to me,―
The woodspurge has a cup of three.

* * *
トウダイグサ(「ひとつの花に三つのカップ」)

By Dean Morley
http://www.flickr.com/photos/33465428@N02/8677897023

* * *
自然と人間のあいだにある種のつながりを見る
ワーズワース的な自然観に対する返答の例。

スタンザ1:
風に流されるがままにふらふら歩く。風が止まったら、
(風が死んだら)すわりこむ。自然と一体化しているが、
ここでそれが意味するのは、人としての心身の能力の欠如、
あるいはその麻痺。風が死んだら、自分も動けない。

スタンザ4:
ワーズワース「水仙」の裏返し。「水仙」では、行くあてもなく
歩いていた「わたし」が、楽しげに咲き、風に踊る無数の
水仙を見て、心を弾ませる(自然と人の一体化)。しかも、
その情景と気分が記憶に残り、後日、ぼーっとしているときに
頭に浮かんできて、楽しい気分になる。

これに対して、ロセッティはいう--本当に悲しいとき、
心や意志が麻痺するくらい悲しいとき、花を見ても
心は躍ったりしない。もちろん、そんな記憶も残らない。
頭に残るのは、ただその物質的な形状だけ。

* * *
1 flap[ped]
突然倒れる、身を投げ出す(OED 4b)。

7
この長い髪の描写から、この詩の「わたし」は
女性と考えられる。

* * *
英語テクストは、下のURLにあるPoems (1881) より。

The Complete Writings and Pictures of Dante
Gabriel Rossetti, ed., Jerome J. McGann,
http://www.rossettiarchive.org/docs/1-1881.
1stedn.rad.html#A.R.32

* * *
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Rossetti, "Autumn Song"

D・G・ロセッティ(1828-1882)
「秋の歌」

わかりませんか、木の葉がおちるのを見ると、
どれほど心にけだるさと悲しみを感じるか、
まるでそれらを身にまとっているように。
いかに眠りが美しく感じられることか、
秋に木の葉がおちるのを見ると。

頭のなかの早い鼓動が
いかに遅くなることか、無駄ですから、
秋に木の葉がおちるのを見ると、
わかりませんか? いちばんの
幸せは痛みがないこと、と思われてくると。

わかりませんか、木の葉がおちるのを見ると、
いかに魂が、乾いた麦わらのように
根こそぎ刈られて縛られる気がするか、
どれほど死がすてきなことに思われるか、
秋に木の葉がおちるのを見ると。

* * *

D. G. Rossetti
"Autumn Song"

Know'st thou not at the fall of the leaf
How the heart feels a languid grief
Laid on it for a covering,
And how sleep seems a goodly thing
In autumn at the fall of the leaf?

And how the swift beat of the brain
Falters because it is in vain
In autumn at the fall of the leaf,
Knowest thou not? and how the chief
Of joys seems not to suffer pain.

Know'st thou not at the fall of the leaf
How the soul feels like a dried sheaf
Bound up at length for harvesting,
And how death seems a comely thing
In autumn at the fall of the leaf?

* * *

「いちばんの幸せは痛みがないこと」
なんて正しく、正しくない・・・・・・

* * *

この詩の独特な雰囲気の背後にあるのはアヘン。
これを書いた1848年(20歳)のロセッティは
まだ麻薬に溺れておらず、また彼が後年溺れたのは
クローラルだが、この詩で歌われるもの憂さ、
遅くなる脈拍、麻痺する痛覚などは、みなアヘンの
作用として知られたもの。

(当時、アヘンは、鎮痛剤として一般家庭にふつうにあった。)

---
アヘンおよびその調合剤、アヘン溶液など――
〈急性アヘン中毒の症状〉めまい、昏迷、意識の喪失。
脈は早くて弱く、呼吸も早い。しばらくすると症状が変わる。
完全に意識と感覚を失い、呼吸は遅く、いびきをかく。
肌は冷たく、脈は強く、遅い。
Isabella Beeton, The Book of Household Management
(London, 1861) 1086. 次のURLでも読める。
http://www.mrsbeeton.com/43-chapter43.html#2662
---

形式的には、「木の葉がおちるのを見ると」というリフレインが
第1、3スタンザの最終行に執拗に戻ってくることにより、
また第2スタンザのややおかしな場所に入っていることにより、
アヘンの作用で昏迷して単調になった思考と、木の葉がおちる
という情景に固着してバランスを失いつつある精神状態が
あらわされている。(構文も脚韻も単調で、それが効果的。)

けだるく、不健全で、しかしどこかはかなく美しいと
感じられないこともない、そんな絶妙な空気を漂わせる
この詩を母に書いて送った手紙における彼のコメント--

「泣き叫ぶような歌を載せておくね。昨日ぼくが書いたんだ。
どれだけ涙を流し苦悶していたか、見ればわかるよ。
ついでにいっておくと、もし偽りの装いを身にまとうことが
インチキなら、この世でいちばんのインチキは詩だね。」

William Fredeman, ed., The Correspondence of
Dante Gabriel Rossetti, 5 vols. (Cambridge,
2002) 2: 434.

* * *

テクストは大英図書館のアシュリー文庫の手稿より。 http://www.rossettiarchive.org/img/ashleyB1417c.jpg

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