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2021衆議院議員総選挙から徒然なるままに その2 法定ハガキ 財政規律論 選挙で世の中は変わらない        

2021-11-04 16:13:38 | Weblog

2021衆議院議員総選挙から徒然なるままに その2 法定ハガキ 財政規律論 選挙で世の中は変わらない

続・立憲民主党の惨敗から考える。

選挙に勝ち切る底力とはどういうものなのだろうか。今回の選挙で僕のところに立憲民主党のある候補者から法定ハガキが来た。推薦人欄には同じ党の道議会議員の名前があった。だが、それはなんとスタンプなのだ。ふつう、はがきが何千枚あったとしても道議本人が徹夜してでも手書きで心を込めて書くだろうに。この1枚のハガキから選対の緩みが見えた。案の定、結果は予想通りだった。

僕も選挙に関わったことがあるが、運動員一人ひとりが一つ一つは単調な作業だが手を抜かず一生懸命やって当たり前である。5階建てのアパートへのチラシの投函は、1階の並んだ郵便受けでは無く、各階1軒1軒の玄関に配る。戸別訪問(違法)も気合を込めてお願いしないと熱が伝わらない。本当に小さな行動の積み重ねの先に勝利がある。今回の立憲民主党は、今まで分散していた票が選挙協力をすることによって簡単に上乗せできる(1+1=2)と考えてしまったのだろう。自公の組織力、そこに発揮された執念の凄さを侮ってしまった。

今回は、コロナ禍で特殊だったのだろうが、有権者(国民)にバラマキ政策だけを見せてしまった。今は病気なので精がつく御馳走を並べてさてどれが食べたいか。でも、家計の内実は多額のローンを抱えている。病気が治ったら、一生懸命に返済する必要があるということを語るべきだった。僕は、こんな選挙をやっていたら世の中が壊れてしまうと思う。この間に公表された財務省の矢野事務次官の財政規律論(未読)は今必要な議論の素材であり、その提起に一票だ!

立憲民主党は、政権選択を問うならば目標とする国家像を提起する必要があった。アへは「美しい国、日本」を掲げ自惚れてみせた。司馬遼太郎は勃興する明治の国家イメージを「坂の上の雲」とした。皆でこの坂をかけ昇ってあの雲の上まで行こう。僕の提案は、「ゆっくりと歩くように」、「何かが少しだけ良くなりそうならば」・・今は、カラ元気は不要、少しずつ着実に進もうというものだ。

僕は、人一倍に政治、選挙の動向に関心を持ってきた。しかし、今まで書いてきたことと矛盾するかもしれないが、僕は根本のところで選挙で世の中は変わらないと考えている。理論的な道理は理解していると思っている。この国は法治国家なので、世の中の制度は法に基づいて動いており、その法を定めるのは国権の最高機関である国会であり国会議員である。そして国会議員を選ぶのは主権者たる国民であり、その権利(参政権)を行使する場が選挙で、国民は投票する義務を負っていると。でも、これまで何度か政権交代があったが、選挙で世の中が変わったという実感が持てない。では、世の中を変えるのは何か。署名、デモ、集会・・僕らの主体的な意志の表明手段は多様だが、それらで変えられるだろうか?

 

 

 

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