晴走雨読

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「ダメ!ゼッタイ」は、ダメ―ゼッタイ 

2017-09-09 09:20:54 | Weblog

以下は、近年出会った中で最も感銘を受けそして本質を突いた文章だと思う。雑誌『世界』(2017年10月号)「読者談話室」への投稿から全文を引用したい。僕が心に残った部分に下線を引いた。読む人それぞれのアンダーラインの位置は違うと思う。

 

 「ダメ!ゼッタイ」は、ダメ―ゼッタイ   須々木真由美氏(荒川区・28歳・教員)

 世の中にはいくつか、「ダメ!ゼッタイ」と禁止されていることがある。薬物依存、売春、自死・・・。

 公益財団法人 麻薬・覚せい剤乱用防止センターは、「ダメ。ゼッタイ博士」なるキャラクターを用いて薬物の恐ろしさを警告している。内閣府や警視庁が出すJKビジネスへの警告チラシには、有名タレントの写真とともに「はしゃぎ過ぎダメ」「絶対やっちゃダメ」のフレーズが並ぶ。あるいは自死者については、古くから宗教の世界において「地獄に堕ちる」「天国には行けない」などとタブー視されてきた歴史がある。

 望ましくない行為をしそうな人々に何らかのアクションをすることで、そこから遠ざけたいという善意から発した言葉であることは疑わない。しかし、「ダメ!ゼッタイ」を繰り返すことに、どれほどの意味があるだろうか。

 私にはギャンブル依存の父親と、それを苦にして蒸発した母親がいた。いつもそのことで前向きになれず、友人の少ない学生時代だった。進路相談の面接で、担任から「あなたは暗い。自己肯定感を持ちなさい」と言われた。担任は、「自分を大切にする心がないと、自分を傷つけることに抵抗がなくなってしまう」のだと話した。

 私はうつむいて耐えるしかなかった。わかりきったことを言われ、それでもどうしようもなく孤独だったのに、誰もその「自己肯定感」を持たせてくれる大人はいなかった。

 「ダメ!ゼッタイ」のポスターを見ていると、あの時の気持ちを思い出す。ダメなのは、みんなわかっている。誰もドラッグや売春、自死を善行だとか美徳となんて思っていない。そこに至るまでに抱えきれない孤独感や喪失感を無視して、「それはやってはいけないことだよ」という正論だけを振りかざす

 弱い人が抱えている問題には向き合わないのに、正しくあれと強要してくる社会になってしまった。そうなると、友達が多くてキラキラしていて、健全で伸びやかな心を持っている子どもたちの世界と、そこには溶け込めない子どもたちの世界はどんどん隔たっていく。精神科医の松本俊彦氏は厳罰によっては薬物依存が回復しない旨をしきりに発信しているし、JKビジネスの啓蒙ポスターについての「買う側」の視点の欠如は仁藤夢乃氏が警告している。また、自死者への偏見と彼らが抱える苦悩については、杉山春氏のルポ(「世界」連載)に詳しい。

 それでも世の中は、やってしまった人に「ダメ!ゼッタイ」の烙印を押し続ける。自己責任論の極致ではないか。

 私は学生時代の担任の言葉で、教員になることを決意した。「暗い子」という結果だけを見て「自己肯定感が足りない」と一応の分析をして、「もっと自分を大切に」と当たり前の結論をさも大発見のように言うーしかしそんな教員が悪意に満ちているわけではなく、本気でいることを知ったからだ。そして、世の中にはもっともっと意図的に「自己責任」を刷り込むシステムさえある。教育の現場から変えていきたい。

 

 

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