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戦後左翼史 その14 1962年② 白鳥事件 キューバ危機

2016-03-19 09:09:57 | Weblog

 2012.3.16に吉本隆明が亡くなってから4年。札幌市内では「横超忌」というイベントもあるようですが、僕はひとり「幻想忌」と名付けています。そして、相変わらず古書店やネット古書店から購入して読んでいます。氏の「独断と偏見」による大胆な論理の追っかけから考えるヒントを得ています。「吉本さんならどう考えるかなあ?」と。

 

 戦後左翼史 その14 1962年② 白鳥事件 キューバ危機

1962.9.1道新夕刊 険悪化するアルジェリア 民衆の平和の声よそに“流血寸前”が続く

1962.9.2道新社説 社会党のこんごの課題

1962.9.2道新夕刊 アルジェリア両派が武力衝突 仏軍は警戒体制に まさに内戦前夜

1962.9.3道新 韓国紙報道 ガリオア・エロア資金を転用? 請求権の一部に

1962.9.12道新 ガリオア・エロア対米債務返済協定発効する 大平外相とライシャワー駐日大使承認文書を交換

1962.9.18道新 人民日報 チトー(ユーゴスラビア大統領)を現代修正主義と攻撃 中ソ論争に新たな波紋

1962.9.26道新夕刊 ソ連・ユーゴ“友好的”空気の中で公式会談を開始 ブレジネフ議長のユーゴ訪問

1962.9.29道新 中共中央委コミュニケ発表 人民公社強化を決定

1962.10.1道新 久野収(評論家)10月の論壇から 原水禁への反省 “平和運動の不在証書”にずり落ちる 

1962.10.14道新社説 決定版にならぬ石炭調査団の答申

1962.10.20道新 二つに割れた平和運動 全道労協、共産党と一線を 道民大会不参加を決める

1962.11.7道新 向坂氏、江田理論(「新しい社会主義のビジョン(未来像)」論)を批判、右寄りの改良主義、“旧左社綱領”に戻れ、社会主義的に改憲が必要

1962.11.17道新 フリードマンIMF為替制限局長 IMF対日年次協議終わる 為替制限認めない 早急に自由化促進を

1962.11.18道新 11団体が発表 広島大会の基礎報告 すべての核実験停止

1962.11.20道新 ソ連共産党中央委員総会開く フルシチョフ首相報告、農工生産面ですでに成功 指導組織再編へ 順調な七か年計画 明年度総工事生産高を8%増

1962.11.20道新夕刊 ソ連共産党中央委員総会 フルシチョフ新理論展開 利潤は社会に奉仕

1962.11.21道新社説 画期的なソ連の党機構改革

1962.11.22道新社説 11.21解決の道を開く中国の停戦声明(中印紛争)

1962.11.22道新 新局面迎えた中印国境紛争 インド(ネール首相)の態度微妙、中国ラダク確保ねらう

★1962.11.23道新 口頭弁論を待つ白鳥事件、1952.1発生、帰宅途中を射殺、日共の計画的犯行と断定、札幌信用金庫佐藤英明理事長、不正事件を内偵、理事長死去、佐藤直道(日共)自供から村上国治、村手宏光、高安知彦を逮捕、佐藤博、宍戸均逃亡中

(*は僕の考え)この事件について、これまで何冊か読みましたが僕の関心は、事件の真相はどこにあったのかということよりも、党と党員の関係、日共と外国党この事件の場合中国共産党との関係にある。党の方針に従って2階に上がったが、その方針は一部の党員による誤った方針だったから、梯子を外された。関係者の人生は大きく狂わされたが、その後の党は知らん顔を決め込んだ。これは、この党が政権(権力)に関与した場合、いとも簡単に同じ論理が人々に適応されることを示している。

1962.11.26道新 中ソ再燃した対立 共産圏の“黒い雲” “キューバ後退”がきっかけ 強まる東欧、アジアグループの分極化、団結にようやくヒビ

1962.12.3道新夕刊 チトー・ユーゴ大統領、訪ソ、フ首相らと会談へ 伊共産党トリアッチ書記長は中国を激しく批判

1962.12.4道新夕刊 伊共産党大会で中印紛争 ソ連、暗に中国非難

1962.12.6道新夕刊 首相、当面の問題を語る 共産主義には対抗、だが日中貿易拡大は別問題

1962.12.7道新夕刊 フルシチョフ・チトー第一回会談開く 友好発展で話し合い

1962.12.7道新夕刊 自民党内外に池田批判 外交路線論争表面化か 対中国政策に不満、波紋呼ぶ12.3ケネディ中国封じ込め発言

★1962.12.13道新夕刊 フルシチョフ首相、ソ連最高会議で演説、“平和共存”の正しさ強調、中国、アルバニアを激しく批判、キューバにみる教訓、核戦争の危機救う、ユーゴ関係改善へ米に“不侵攻宣言”実行求む

*10月に発生したキューバ危機は、ソ連が、米国のキューバ不可侵のメッセージを信頼して、ミサイル基地の撤去に応じ回避された。米国は、ソ連が譲歩しない場合は、開戦することを既に決定しており、米ソ全面核戦争、人類滅亡の一歩手前の情況にあった。僕は人間というものは困難に直面した場合、必ずや知恵を出して危機を克服しようとする生き物だと思う。結果的に、キューバ危機は、米ソホットラインを生み出し、部分核実験停止条約に繋がる。これがソ連ではなく情況認識が主観的な中国だったらどうであったか。僕は、福島第1原発問題も核を忌避するのではなく核と向かい合いうことにより必ずや人間の知恵によって克服できると思っている。

1962.12.17道新 フ首相、対印書簡で中国非難か、故意に国境紛争

1962.12.17道新 香港筋、人民日報社説を重視、フ首相と対決か、ソ連―ユーゴ攻撃を機に

1962.12.22道新社説 中ソ対立をどう理解すべきか

1962.12.22道新 チトー大統領訪ソの成果、新友好関係結ぶ、非同盟の一線は譲らず、異なる路線の“共存”で原則的一致

1962.12.23道新夕刊 フ首相、ユーゴ訪問を受諾、両国の友好関係強化、ソ連国連代表、ゾーリン氏解任、フェドレンコ前駐日大使を任命

★1962.12.24道新 新段階に入った中ソ関係、キューバ危機、中印紛争を契機に正面切って対立、“国家的利害”が結びつく

○ソ連①社会主義陣営拡大化と核兵器出現で戦争は避けられる。

   ②米帝は“張り子の虎”かも知れないが核兵器という歯をもっている。

   ③スターリン個人崇拝を徹底的に否定

○中国①戦争か平和かは帝国主義の出方にかかっているので警戒すべきだ。

   ②米帝は“張り子の虎”である。

   ③スターリンはあやまちを犯したが功績も大きかった。

 これまでの経緯

 1953.6   スターリン死去

 1956.3   フルシチョフ首相、スターリン批判(第20回ソ連党大会)

 1957.11 12か国共産党、モスクワ宣言を発表

 1958.8  フルシチョフ・毛沢東会談

 1960.4   中国、フルシチョフ路線の間接批判開始

 1960.12 81か国共産党会議、モスクワで開催

 1961.10  フルシチョフ、アルバニア批判(第22回党大会)

 ★1962.10  キューバ危機発生

 1962.12  フルシチョフ首相、中国批判、チトー訪ソ

 

 


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