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戦後左翼史 その12 1961年⑤ 高度経済成長

2016-03-08 20:35:56 | Weblog

 昨年の3月末まで勤めていた会社の同期会に参加したのですが、現職の人たちから放たれるピリピリとした緊張感を感じました。去年の今頃は僕もこのビリビリした感じを持って仕事をしていたのだと思う。1年間で僕は少し変わったのだと思う。

 

 戦後左翼史 その12 1961年⑤ 高度経済成長 

 *(*は僕の考え)1960年7月に発足した池田内閣は、10年間で国民所得を倍増する計画を謳い、この国はここから1973年のオイルショック頃まで高度経済成長路線を突っ走ることになる。僕は、1961年4月に小学校に入学し、1973年3月に高校を卒業しているので、経済成長と自分の成長期が完全に一致する。インフレ政策では、物価高には苦しみながらも、次から次と新製品が生み出され、世の中が日ごとに確かに豊かになっていくのを実感した世代である。このため、人間は様々な困難に直面するだろうが、必ずや知恵や技術で克服するだろうという楽観論をベースに持っている。

従って、教条的な左翼が持つ資本家VS労働者観、富める資本家に対して窮乏化した労働者が反乱を起こし社会を変革するという理論に対しては惹かれるものは無かった。しかし、青年期には疎外論、物象化論にはかなり影響を受けたと思う。

1961.11.1、2アカハタ 論壇時評「日本の平和運動のあり方 坂本、日高両氏の発言について(上)」米ソ核実験に反対、日共はソ連支持 「日本人民の要求はなにか 松下氏の所論その他について(下)」星野力アカハタ編集局次長

1961.11.6アカハタ 「人事院勧告と米日反動の科学政策」木戸良雄(自然科学者)

1961.11.6道新 ワルシャワ条約機構からアルバニア追放か

1961.11.7道新夕刊 革命記念日“臨戦態勢”を強調 マリノフスキー 北京のソ連革命記念集会 中国側冷たい態度

1961.11.10道新 アラシをよぶ?尺別鉱(雄別炭鉱、音別町)、暴露された“生産阻害”の秘密指令 デッチ上げと労組、会社側は首謀者10名を解雇

1961.11.19道新 解説「低調に終わった社党中央委」①帝国主義復活論と②構造改革論は事実上タナ上げ 党内対立さらけ出す 江田書記長①は早計、②は成果を過大に認められないに批判

1961.11.20道新 フルシチョフ首相のアルバニア非難が意味するもの いぜん尾を引く中ソの対立 くい違う国家的要求、根底にひそむソ連への不信感、甘美な“連帯の時代”は過去に 1948年ユーゴはコミンフォルム脱退

1961.11.25アカハタ 国際社会保障憲章(草案)を第5回世界労働組合大会に提出 

1961.11.25、26アカハタ 労働解説 国際社会保障憲章(草案)の理解のために 社会保障はたたかいとるもの、軍拡反対、軍事費を社会保障へ

1961.11.28アカハタ 労働者教育協会が声明を発表(11.21)“学習の友”編集部更迭について 高垣礼次郎(副会長)、広田久隆(常任理事)、前野良(同)、横山不二夫(同)

(参考)・前野良:戦後入党、専従職員。大内兵衛、小林良正、今中次麿、渡辺良通、井汲卓一、松本七郎らと「社会主義政治経済研究所」を創設。綱領論争で1961年除名

1961.11.28アカハタ カナダ共産党来月1日に大会、綱領改定を主議題に、アメリカ帝国主義の支配を一掃

1961.11.28道新 社党、明年の政治方針案まとまる 非同盟、軍事中立、「この国は、帝国主義復活の過程にある」

1961.11.28道新 総評臨時大会開く、春闘方針を提案

1961.11.29道新 総評大会終わる、三池支援など10件決議

1961.11.29道新 社説「矛盾が目立つソ連の核停新提案」「総評臨時大会の残した問題点」

1961.11.29道新 春闘に臨む総評と日経連 総評:低賃金を打ち破る、“抑制論”に強気で対抗 日経連:景気低迷がタテ、自由化に不安、“定昇の線”守り抜く

1961.11.29アカハタ 「核実験停止会議再開にあたってのソ連政府声明」(全文)

1961.11.29アカハタ 労農解説「ILO87号条約 批准問題をめぐって」(守谷)

1961.11.29、30アカハタ 論壇時評「社会主義と帝国主義の真実とデマ」(上)、「政府反動にたいするたたかい」(下)石田精一アカハタ編集局次長

1961.11.30アカハタ 主張「政府の『低賃金白書』と当面する賃金闘争」

1961.11.30アカハタ 解説「総評臨時大会」(守谷)、春闘賃上げと最賃性を結合、“積極中立”論に批判

1961.12.16道新 世界労連大会閉幕、行動綱領を採択、闘争目標を“米帝”に

1961.12.16道新 国連本会議、中国の締め出し決定、5か国案(重要事項指定)を可決

1961.12.17道新 社説「中国代表権表決の意味するもの」

1961.12.17道新 中国加盟問題、来年はどうする?ゆだんできぬ西側、米国内にも二つの中国論


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