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『レッド1969-1972』第2巻

2014-05-02 21:29:46 | Weblog

 『レッド Red 1969-1972』第2巻(山本直樹著 講談社イブニングKCDX 2008年刊)           

 永田洋子、坂口弘、吉野雅邦、川島豪らの「日本共産党(革命左派)神奈川県委員会」、その合法組織「京浜安保共闘」、銃から革命が生まれるという毛沢東思想にもとづき銃器奪取作戦などを実行する。

 大菩薩峠での大量逮捕、ハイジャックによる国外脱出で、ほぼ壊滅状態にあった、植垣康博、青砥幹夫、坂東國男、森恒夫らが所属する「共産主義者同盟赤軍派」は、G(ギャング)作戦(金融機関強盗)を実行する。

 後に、この両派が合流して「連合赤軍」となるが、第2巻は、両派とも警察に追い詰められ、次々とアジトを変え逃亡生活が続き消耗戦を強いられる。

 

 消耗とか、展望という言葉は死語なのであろうが、運動が行き詰まる典型的なパターンは、理想社会を描いてそれを実現するため革命理論を構築し、革命運動を実践する。そのための手段は、革命の大義のもと非合法でも許容され、ある程度の犠牲も革命のためには止むを得ないと考えられる。実践の中で、理論からどんどんと遠ざかる。

 この話の中で消耗戦を強いられている彼らの情況はわかるが、彼らが目指す理想的な社会像は見えない。彼ら自身も理論を持ち合わせていなかったことに気づいていたのかも知れない。

 特に、京浜安保共闘は、中国共産党に対して一方的な片思いをしていたのだろうが、国際情勢は劇的に動き始めており、冷え切っていた米中関係が卓球の国際試合などを通じながら急速に接近していく。その後、ニクソン米大統領が訪中することになるが、彼らはそれを知り驚愕することになる。(それが、第何巻に出てくるかはわからない)

 

 どこまでが政治集団、政治党派で、どこからが宗教団体で、どこを超えるとカルトなのだろうか。日共は政党?革共同は党派?オウムはカルト?創価学会は?・・

 


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