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戦後左翼史 その19 1964年① 日共中国寄りへ 宮本顕治の中国長期滞在

2016-05-06 20:43:59 | Weblog

 米国大統領選でトランプ氏が共和党候補に決定。この国の報道は、氏をトリックスターのように扱っているが、近年は、民主党クリントン⇒共和党ブッシュ⇒民主党オバマときているので、次は共和党の可能性が大。トランプは米国の本音を語っている。アへは米国への片思いを続けるのか、対米自立へ舵を切るのか。非力な野党は、外交のオルタナティブを示せるか。

 

戦後左翼史 その19 1964年① 日共中国寄りへ 宮本顕治の中国長期滞在

1964年(僕9歳、小学校4年生、世の中の出来事は子ども心にしっかりと記憶されている。)に国内外であったこと。

◎4.17ゼネスト中止、志賀義雄らソ連派を除名、米国がベトナムに軍事介入、東海道新幹線開通、東京オリンピック開催、ソ連フルシチョフ第1書記解任、中国核実験など

 

1964.1.4道新 前途多難な護憲平和運動 社共のミゾ深まろう

1964.1.12道新夕刊 イタリア社党 事実上分裂 左派が新党結成へ

1964.1.21道新社説 仏の中国承認と国際政局の動向

1964.1.22道新 人民日報社説で呼びかけ 反米統一戦線の結成

1964.1.23道新夕刊 ソ連―キューバ共同声明 攻撃されれば援助

1964.1.25道新夕刊 ソ連 中国非難の書物発行 公開論争を再開か

1964.1.30道新 どうなる中国の国連加盟 “共存論”再燃しそう 情勢、明白に国府(台湾国民政府)に不利

1964.2.3道新夕刊 人民日報 フ首相を非難 論争停止はゴマカシ 

1964.2.4道新 中共が7度目の公開状批判 ソ連指導者を攻撃 “最大の分裂主義者”

1964.2.4道新夕刊 中共のソ連批判論文要旨 公開論争やめない ソ連の声明は明らかに脅迫 中共、フ首相の“転向”迫る フランスの承認で自信

1964.2.4道新夕刊 周首相 米TVで放送 中ソ対立 最終的には解消

1964.2.11道新 ウオロチェンコ農相 中委基調演説 ソ連共産党中委総会開く 生産性の向上図る 農業の化学化必要

1964.2.14、15道新 近づく社会党大会 論争の焦点 「構造改革論」たたく 反主流派、党活動で執行部批判 人事問題 微妙な各派の思惑 佐々木更三氏(反主流派)処遇に焦点

 

(れんだいこ氏のHPに学ぶ)袴田氏の著作によると、総評が中心となり、2.1スト以来の『半日ゼネスト』を目指して胎動を続けている最中に宮本は静養先に行きたいと言い出した。それも妻子はもちろん、代々木病院の医者、二人の看護婦(うち一人は、もう十数年も党本部で宮本の身辺の世話をしている)、防衛、お手伝いなど総勢7人を連れて行くという。重大な政治闘争が盛り上がっているとき国内を留守にするという宮本に政治的指導者としての資質や政治感覚を怪しんだが、その大名旅行振りにはなおのこと呆れた。

2.15~5.18 宮本御一行は病気保養の為に中国に長期滞在。

(*僕の疑問:当時、医療水準が決して高くはない中国でわざわざ長期間の病気保養をすることに対して理解できない。中国には、伊藤律や白鳥事件関係者などがいたが、彼らと接触を持ったのか。滞在の真の理由及び目的は何だったのだろうか?まさか、ゼネスト及びその後の弾圧が恐ろしくて逃亡したのではないでしょう。)

2.26~4.30 党代表団(団長袴田幹部会員、団員松島治重、西沢富夫、米原)がソ連、中国、朝鮮、ベトナムを訪問。

3.2~3.11 (3.2)日ソ両党(ソ連団長ブレジネフ幹部会員、団員・スースロフ・クーシネン・ポノマリョフら)会談は対立状態のまま終わる。この時日共側は、中共と下交渉した上で、ソ共に訣別状を叩きつける目的で訪ソしていた。袴田は内政干渉非難等10数か条からなる抗議文を突きつけ、用意されていた協同コミュニケ案を拒否、大激論の末席を蹴って会議を終了させている。(3.13)深夜の飛行機でモスクワを引き上げ、宮本書記長の待つ北京に向かった。北京では、袴田、宮本らは「反ソ英雄」として大歓迎を受けた。

3.19 宮本.袴田連名の「当面の活動のうえで注意すべき点についての手紙」を中国から幹部会に送り、反米闘争の一面的強調などを批判。

3.21~3.25 中国共産党代表団(団長劉少奇中央委員会副主席)と会談。

3.23 毛沢東中国共産党主席と会見。

4.2 朝鮮労働党代表団(団長金日成委員長)と会談。

4.14~4.17 ベトナム労働党(代表団レ.ズアン第一書記)と会談。

5.18 中国で療養中の宮本は、志賀問題の知らせを聞くや予定 を切り上げ早早に帰国の途についた。

 

1964.2.15道新 フ首相 中共に反論 平和共存推進強調 唯一の“現実的”道 

1964.2.15道新 プラウダ論文 中国を全面援助

 

1964.2.18道新夕刊 ソ連 人民日報批判に反論

1964.3.1道新 モスクワ筋で観測 ルーマニア代表の北京訪問 中ソ間に新たな一石 経済関係の改善か

1964.3.2道新 向坂氏が江田批判論文 階級闘争を忘れる (「社会主義政党の近代化について」社会主義協会『社会主義』)

1964.3.4道新 社党 反ばくの教宣局長談話~誤解かつ有害な言辞 新華社“社党右派への攻撃”の論評(北京放送)

1964.3.2道新 二つのビキニ10周年集会 静岡、焼津の両市で 日本原水協「ビキニ被災10周年原水禁全国大会」と社会党・総評「ビキニ被災10周年核武装阻止、被爆者救援全国集会」

1964.3.8道新夕刊 フ首相 農業会議で要求 農民に大幅な自由を

1964.3.11道新 フ首相の秘密文書配布 毛主席に最後通告か

1964.3.11道新夕刊 フ首相 月末にハンガリーで東欧首脳会議招集か

1964.3.13道新 ルーマニア代表団 中国訪問終わる 中ソ関係の悪化を防ぐ?

1964.3.14道新 中共 8年ぶりに党大会(第9回)開催か 国内情勢やや安定 政権獲得後は2回目 党指導層の変動予想 第1回は1921上海、第8回は1956北京

1964.3.14道新夕刊 日ソ共産党会談終わる 袴田、松島、米原、西沢訪ソ ブレジネフ、クーシネン、スースロフ、ポノマリョフ

1964.3.16道新夕刊 英紙 ソ連の“党”報道 中ソ対立 頂点に

1964.3.17道新夕刊 訪中後のルーマニア代表団 フ首相と会談

1964.3.21道新 ソ連軍 ハンガリーから撤退か (1957~駐留) 東独、ポーランドには駐留 ブルガリア、チェコは撤退済み

1964.3.23道新 社党 二分のおそれ 親ソ親中国両路線で

1964.3.24道新 世界労連でも中ソ対立か

1964.3.26道新 中ソ破局に近づく フ首相親中国派と一連の会談 国際党会議招集か

1964.3.27道新夕刊 仏共産党 世界党会議の開催呼びかけ

1964.3.28道新 インド共産党の分裂表面化 反主流が委員長非難

1964.3.29道新 アルバニアの勤労党員が非難 フ首相の政策失敗 日共代表団平壌入り 袴田、金日成会談

1964.3.29道新夕刊 フ首相 中共批判に反論か あすハンガリー訪問

1964.3.30道新夕刊 ハンガリーの党内対立 ナジ氏(親中国派)は新党を計画か

1964.3.31道新 中共 8回目の対ソ反論 平和移行は裏切り

1964.3.31道新夕刊 プラウダ 日韓交渉論評 日本の独占資本進出ねらう

 

 


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