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「経済クラッシュ」ノオト その2  預金封鎖 新円切替 財産調査 

2020-06-05 16:20:01 | Weblog

ようやくアベノマスクが届いた。市中にはマスクの箱が山積されているが誰も振り向きもしなくなっている。アへ首相は小さなマスクを付けているが、その意味はあごの空間から息をするためだろうと思う。身体の弱い僕にはよくわかる。

 

「経済クラッシュ」ノオト その2  預金封鎖 新円切替 財産調査 

(P119)「第九章 昭和の預金封鎖」(荒和雄著『預金封鎖』)から当時の国民生活がイメージできる。

1946.2.16夕、政府は経済危機緊急対策を発表 

勅令(国会審議無し)第83号 「金融緊急措置令」では、1946年2月17日現在であらゆる金融機関の預金を封鎖し、その支払いを原則として停止、毎月の生活資金(1世帯当り世帯主300円、世帯員1人当り100円、定期的給与500円)と事業資金に対してのみ、封鎖小切手による支払いまたは現金支払いを認めたものである。

勅令第84号 「日本銀行券預入令」では、10円券以上(後に5円券も)の既発行券の強制通用力を3月3日以降喪失させた。そして、3月7日までに旧券を金融機関に預け入れさせ、封鎖預金と同様の取扱いを受けさせようとした。新券は2月25日以降発行し一定の金額に限って引換えを認められ、「金融緊急措置令」の限度内で3月以降引き出させる現金はすべて新券で支払われるものとした。

勅令第85号 「臨時財産調査令」。この法律は戦時利得の排除、国家財政の再建、国民経済の安定等を目途とする新税の創設及び確保にあった。この財産調査令の狙いは、将来実施を予定される財産税の準備として旧券の強制通用力が消滅する3月3日午前零時における預貯金、有価証券、信託、無尽、生命保険契約などの金銭的財産の申告を4月2日限り金融機関を通じまたは直接税務署に提出する義務を負わせるものであった。

 

預金封鎖による混乱①

1946年2月17日を期しての政府による金融・通貨政策の一大転換政策の発表は、敗戦によって一時虚脱状態に陥った一般市民に更なる衝撃を与えた。生活資金以外は預金を引き出せないという現実は国民に対してきわめて酷な措置であった。従って政府やマスコミがいくら危機克服に協力せよと訴えても、多くの人達はこの事態にどう対応してよいかわからず、茫然自失の状態に陥っていた。

命の次に大事な預金を実質的に凍結、そしてその後約70%の預金を強制的に銀行の不良債権の処理に一方的に使うという措置であった。

預金封鎖による混乱②

新円発行に際しては、10円、100円、200円、1,000円の4種類の旧券は新円切換えの日まで印刷が間に合わず、旧円の紙幣の右上に証紙を貼り新円並みの扱いをして急場を凌いだ。実際に新円が新しい様式で出回ったのは、100円券と10円券が3月1日、5円券が3月8日、1円券が3月20日からだった。高額の紙幣から印刷して早く世の中に出したのは、新券を1日でも早く流通させて一般国民を安心させようとする当局の意図があったと言える。

親子3人で最高月500円の生活では、多くの家庭は、一律に耐乏生活を強いられることになった。悪性インフレの恐ろしさを身を持って体験している国民は、食糧をはじめとする生活必需品の確保に走った。買い漁りは自縄自縛とは思っても、育ち盛りの子供達を抱えた家庭では、一定量の米などの配給だけでは間に合わず、闇米に手を出さないわけにはいかなかった。業者の中には、旧円で払うなら価格を高くして売るなど、便乗値上げに走る者もいた。闇市では新円にプレミアがつき、業者の中にはモノ不足と新円を上手に利用して“新円成金”という資産家になった人間もいた。

更に預金封鎖前後にみられた世相は、都市と農村で所得の格差がはっきりとみられたことだ。生活必需品の不足は、必然的にその価格を引き上げていった。生産者側である農村、漁村では収益が大いに上がる一方、大都市に於ける一般国民の生活は食糧費をはじめとする生計費の異常な増加で更に苦しくなっていった。田舎に親類のある大都市生活者の中には、一家族揃って地方の親類を頼って買い出しに出掛けるものもあった。都市においては、闇市で軍からの隠匿物資などを横流ししてもらった業者たちが運送業者などと共にヤミ成金という新しい資産家層になっていった。そうした人達の遊興によって一部の料理店、キャバレーなどが繁盛し、新円は生産部門や金融機関への預金などに還流されることはなかった。

 

金融非常措置の効果

悪性インフレ防止策としてとられた預金封鎖をはじめとする一連の金融非常措置は、通貨の流通面では一応効果を発揮したようだ。

全国の銀行では預金封鎖前日の2月16日の預金は総額約1,147億円にすぎなかったが、旧円の預け入れ期源の3月2日には約1,344億円に達していた。実に預金は17.2%の増加率をみた。特にモノ不足の中、生産者側の優位な立場にあった農村地域の銀行で残高増が目立っていたと言われている。

また、日本銀行勘定からみた銀行券の動きをみるとその発行高は、2月10日現在590億円であったものが、3月10日には179億円になり約410億円も収縮した。これをみても今回の非常措置は、悪性インフレを抑えるのに一応の効果があがったとみるべきであろう。


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