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玄武岩(ひょん・むあん) 『「反日」と「嫌韓」の同時代史―ナショナリズムの境界を超えてー』

2018-12-09 15:51:37 | Weblog

移民法、働き方法における基礎データの誤りなど以前は考えられないミスが連発している。生煮え法案、手抜き法案が多くなっているのは、官邸主導政治に対して各省庁が嫌気を差して適当にやり出しているのではないか。思えば、森友・加計、イラク日報など・・最近は嫌なことが多すぎた。そろそろいい加減にしてほしいというのが官僚たちの本音だろう。

 

『「反日」と「嫌韓」の同時代史―ナショナリズムの境界を超えてー』(玄武岩(ひょん・むあん)著 勉誠出版 2016年刊)   

2008.12.21このブログに『思想体験の交錯 日本・韓国・在日1945年以後』(尹健次著 岩波書店 2008年刊)の読後感を「日韓、日朝は、私の今までの関心領域に入っていない。明治以後の朝鮮半島とこの国の歴史的な関わりを見た場合、圧倒的に日本に正義が無いからである。日帝本国人として植民地からの告発に応える何ものも持ち合わせていない。歴史や事実を学ばなければならないと思っていたが、分の無い議論には興味が湧かなかったのである。さらに共に連帯して運動をしようとは思わない。それは、在日の方と私の間にある溝は、永遠に埋まらないからである。」と書いた。

本書で玄氏は、1927年朝鮮半島大邱生まれ、植民者2世である作家森崎和江氏の抱える原罪意識を紹介している。「自分の中の内地と外地の反転、支配民族としての加害意識、戦後において異質な文化を排除する日本社会への息苦しさ、森崎氏の思想的な葛藤が続いた。そして彼女が見出した光明は、国家を媒体にするのではなく国という境界を超えた思考方法である」と。

僕は本書で、国家間の条約、協定、法などの視点からはお互いが加害、被害と対立的に見えるが、双方における戦争犠牲者たちにとっては未だにやり場のない苦しみが多様に存在していることを学んだ。例えば、在韓被爆者、日本軍「慰安婦」、元徴用工、サハリン残留韓国人、(戦前)朝鮮籍元日本人女性の(戦後)帰国拒否、北朝鮮帰国運動による在朝日本人女性など、国策犠牲者の存在である。

また、韓国における原爆解放論、1947年米軍占領下島民13万人が虐殺された済州島事件、韓国軍のベトナム戦時民間人虐殺、戦争被害受忍論なども新たに得た知見である。知らなかったことが多すぎることを恥なければならない。

現在、「旭日旗」、「慰安婦」、「徴用工」問題が噴出して日韓関係は最悪の情況にあるが、著者は、国という境界を超えた人々の連帯が双方の国家を動かしていく可能性があるのではないかと提唱する。僕は国家など無くてもいい、国家が無くても生きていける世界を構想できないだろうかと考えてきた。著者の考え方から、国を通してしか見ることができないような見方ではなく、直接人々がわかりあえる関係づくりの可能性がみつかると感じた、

そうは言ってもこの問題は一筋縄で解決することはできないと考える。もし僕が反対の境遇、すなわち植民地人又は在日として生まれたとすると、絶対許すことのできない、決して忘れられない民族の記憶を背負って生きていると思うからだ。

 

 


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